159 母娘の再会
「何から何まで……。何とお詫び申し上げればよいのか……」
恐縮しきりのアルマさんだ。
仕事終わりのアルマさんとジェナを馬車で送っていた。
「私も楽しかったです」
アルマさんの仕事が終わるのを待つ間、ジェナとたくさん遊んだからね。そのジェナは迷子の緊張と遊び疲れが重なり馬車に乗った途端寝てしまっている。母親であるアルマさんの膝を枕にして気持ち良さそうに眠っている。
「しかし、外出届けは出さずともよろしいのですか? そもそも外出が許可される時間も過ぎてますよね?」
心配そうにアルマさんが尋ねてきた。
「ああ、それは……」
答えにくいな。アシリカとソージュも苦笑いだ。
「それに、こんな道ありましたか?」
車窓から外を眺めてアルマさん首を傾げる。
「そのですね、ここは抜け道、みたいなもんかな」
仕方ない。正直に答えるしかないよね。
「ぬ、抜け道?」
声が裏返っているよ。
「ええ。抜け道。内緒でお願いしますね」
唖然とするアルマさんにウインクしてお願いである。
「それにしても、よく知ってますね。外出届けのことまで教えられるのですね」
清掃の仕事をする人でも、外出届けなどの生徒の規則まで教えられるんだ。働く人にはあまり関係ないような気がするけど、覚えるのも大変だろうな。
「ええ、まあ……。それにしても、貴女様には驚かされるばかりにございます」
「驚かせているつもりはないですけどね」
苦笑いしかできないよ。
「あっ。それと、私の名前はナタリア。ほら、貴女様って呼ばれるのも何だか変な感じがしますので」
「ナタリア様? ま、まさかサンバルト家のナタリア様にございますか?」
え? ナタリアってだけで私って分かるの? そんあ珍しい名前とは思ってないけどさ。
「まあ、そうですけど……」
隠しても仕方ないしね。学院で働いていたらそのうち知ることになるだろうし。それともアルマさんも我儘ナタリアの噂に染まっている人なのかな。
「サンバルト公爵家のご令嬢、しかも王太子殿下のご婚約者様に私と娘はとんだご無礼ばかりを……」
馬車の中じゃなかったら、土下座せんばかりの勢いのアルマさんである。
「止めてください。確かに私はサンバルトの娘です。でも、ただそれだけ。むしろ令嬢としてはまったくダメな方ですし」
謙遜じゃない所が辛い。
「何しろお嬢サマは、重点取締対象者デスカラ」
ソージュの余計な一言。
「その話はもういいわよ」
思い出したくない話題だ。頬を膨らませて、そっぽを向く。
「まあまあ、お嬢様」
膨れっ面の私をアシリカが宥めてくれる。でも、その顔は笑いを堪えている顔だ。
「ふふっ」
私たちのやり取りにアルマさんが笑みをこぼす。それがとても優雅に見える。なんなら、私より令嬢っぽいよ。言葉遣いといい、さりげない仕草といいよっぽど品がある。
「何だか貴族の方への印象が変わりました……」
アルマさんが私たちを見つめながら微笑んでいる。
「あの……、貴族ってやはり印象が悪いのですか?」
今の顔つきと言い方ならそう取れる。無理もないけどさ。散々悪事に手を染める貴族や横暴極まりない貴族を私も見てきたからね。
しかし、アルマさんは私の問いに失言だと思ったのか、俯き黙り込んでしまう。
「いや、いいんです。そう思われても仕方ない貴族もいますから」
「無礼でございました。申し訳ありません。お許しくださいませ」
そう頭を下げるアルマさん。
そこからもアルマさんを送り届けるまで、ジェナのことや仕事の話などを聞かせてもらう。
しかし、貴族の話題以降の彼女はにこやかで人当りもいいが、どこか仮面を付けているような微かな違和感を覚える私だった。
結局アルマさんの自宅の前に着くまでその違和感は消えることなく、ジェナも起きず。おかげで残念ながらジェナにさよならを言えずにお別れとなる。
ジェナを背負うアルマさんを見送り、馬車の中は私たちだけとなった。
「どう思いやす?」
ずっと御者台で黙っていたデドルが口を開く。
「アルマさんって綺麗だし品があるよね。仕事中は作業着だったけど、帰り道の私服、とっても上手に着こなしていたもの」
派手さは無いが、どことなく上品な着こなしだった。私服になるとぐっと若く見えたもんなぁ。とても、子持ちにはみえないくらいにさ。
「そりゃそうでしょうな。彼女、根っからの平民ではないはずです」
根っからの平民ではない?
「それって、貴族……、いえ、元貴族ってこと?」
確かに私より令嬢っぽいとは思ったけどさ。
「それは私も思いました。特に馬車での途中です。パーティーなどで見かけるご令嬢方の取り繕った顔そのものでした」
アシリカが頷く。
私が感じた違和感か。貴族の令嬢は社交の場で多かれ少なかれ仮面を被っているようなもんだものね。
「それだけではありません。いくら何でも学院の規則に詳し過ぎます。もしかしたら、ご自身が生徒だったからご存じだったのかもしれません」
うーん。アシリカの言う事には一理あるな。確かに働く人にとっては関係ない規則だもんね。わざわざ教える必要が無い。何年も働いていた人なら知っているかもしれないが、彼女は働き始めて日が浅い。
「でも、アルマさんって貴族にいい印象を抱いてないようだけど」
「そんな感じデシタ」
そこで一つ疑問が芽生える。
彼女の様子からは貴族にいい印象を持っていないのは間違いない。でも、それならどうしてコウド学院で働くのだろうか? コウド学院で働くということは嫌でも貴族を目にする。何せ、貴族の子弟の為の学校なのだから。
「どうしてコウド学院で働くのかしら?」
「何か、目的があるのでしょうな」
私の疑問にデドルが答える。
「目的……。男子寮をじっと見ていたけど、あそこに何かあるのかしら?」
険しい顔の彼女の横顔を思い出す。一瞬だったし、ジェナもいたこともあり深く考えなかったが、よくよく考えてみれば何をしていたのだろうか?
「少し、気をつけた方がいいかもしれないわね」
私の言葉に頷く三人だった。
翌日以降、なるべくアルマさんを見つけたら声を掛けるようにしていた。しかし馬車で感じた貴族特有の自分の心の中を隠す仮面を付けた彼女のままだった。彼女が僅かに心の中を垣間見せてくれるのはジェナの話題の時だけ。
そんな彼女に少しの寂しさを感じる。
そして、今日も放課後にアルマさんの姿を探して学院の中を歩いている。この一週間ですっかり習慣づいた。しかし、広い学院の中である。簡単に見つけられないし、実際に会えない日もあった。清掃の為に学院内を移動している仕事なので尚更である。それに私にも予定がある時もあるから時間を取れない日もある。
今日もこの後にマリシス様の王妃教育が待ちかまえている日である。一番遅れるわけにはいかない日だ。
「今日は会えなさそうね……」
寮へと続く遊歩道沿いにアルマさんの姿を探してみたものの、時間もあまりないこともあり今日は会えそうにない。
「そうですね」
きょろきょろと周囲を見渡しながらアシリカも諦めモードだ。
仕方ない。今日は寮に帰ろう。そろそろマリシス様も来る時間が近づいてきているしね。
そう思って寮に向かいかけた時である。
一方は寮へ、もう一つは来客者用の施設に向かう分かれ道。その別れ道の脇の大きな木の陰にアルマさんの姿が見える。
私は、はっと息を飲み込む。彼女を見つけたからではない。彼女に手元で太陽の光に照らされたキラリと光るものがあり、それが何か分かったからだ。
短剣だ。
そして、その視線の先には、来客者施設用の道の向こう側から三人ばかりの人影がある。遠目で顔は分からないが、一人は学院の制服を着ている。
「まさかっ!」
反射的に私は走り出す。
おそらく木の陰からアルマさんは歩いてきている三人組をじっと見ているようで私の方には気づいていない。
アルマさんの手に短刀が握りしめられているのがはっきり見えてきた。その手は震えているようだ。彼女の視線、持っているもの、それらから彼女が何をしようとしているかは、火を見るよりも明らかだ。
三人がアルマさんが隠れている木に近づてきて、今にも彼女が木の陰から飛び出そうとするのと同時に、私の手が彼女の肩を掴む。
驚いて振り返るアルマさん。
「ジェナを一人にするつもりですか?」
小さく彼女に告げながら、その手から短刀を取り上げる。まったく抵抗する様子もなく、力の抜けた手はあっさりと短刀を手放す。
「お嬢様!」
「何だ、お前たちは?」
突然走り出した私に追いついたアシリカ、ソージュと歩いてきていた三人組が木の下の私たちに気付いたのは同時だった。
三人組の一人はやはりコウド学院の生徒のようだ。ネクタイの色から察するに三年生だろう。残る二人はその彼の従者のようだ。訝し気な様子でこちらを見ている。
素早く短刀を隠し、振り返る。
「ナタリア嬢?」
どうやらこの顔を知っているようだ。
軽く頭を下げながらもこんな木の下で何をしているといった疑問の表情を浮かべている。
「ちょっと、この人に用がありまして」
向こうが誰かは知らないが、アルマさんはこの人を狙っていたのよね?
「清掃の者などに?」
さらに訳がわからないといった顔である。
どうでもいいからさっさと行ってほしい。今はアルマさんから事情を聞きたい。
「この者が無礼を働きました。ですから少々お仕置きを……」
悪役モード顔のスイッチを入れる。
一度アルマさんをちらりと見るが、特に表情も変えずにすぐに関心なさそうに視線を私に戻す。
「ああ、なるほど」
そこで妙に納得されるのが、ものかなしい。我儘ナタリア、いまだ健在なのだろうか?
「それでは邪魔にならんよう失礼させて頂く」
もう一度軽く頭を下げて去っていく。
「デドル」
三人が立ち去ったのを確認してからデドルを呼ぶ。いつもの如くどこからとなくその姿を現わす。
「あの者が誰か調べて」
「へい。かしこまりやした」
一礼したデドルは彼らの後を追い始める。
「事情を聞かせてもらえるでしょうか?」
デドルを見送った後、アルマさんへと向き直る。
「何故、止められたのですか?」
虚ろな表情でアルマさんが力なく尋ねてくる。
「当然です。あのまま放っていてはジェナが不幸になるだけです」
もし、短刀で襲い掛かっていたら、結果がどうであれアルマさんはただでは済まない。まだ幼いジェナには連座などは無いにしろ、一人になってしまう。
「ジェナ……」
小さくアルマさんが呟く。
「何か事情があれば話してくれませんか? 私が力になりますから」
しかし、アルマさんは答えを返す様子はない。黙ったままである。虚ろな表情はすっかり消え、今度は逆にまた仮面を顔に張り付けている。
「あなたが貴族にいい印象を持っていないのは分かります。でも、どうか私のことは信じてほしい」
ここまでしようとしたアルマさんだ。きっと何か深い事情があるに違いない。
「ナタリア様。少々間違っておられます。私は貴族に対していい印象を抱いてないのではありません。憎んでいるのです。心の底から」
アルマさんの仮面が外れた。みるみるうちに感情が露わになってくる。悲しみと憎しみが入り混じった感情だ。
「アルマさん……」
それほど嫌いなのか。彼女の過去に一体何があったというのだろうか。
「体面と家を保つことに執着する。己の血が尊いという思い上がり。自らの考えを押し付ける傲慢さ」
感情が高ぶってきたのか、激しく言い放つ。
「でも、それだけならまだ我慢できた。そこから逃げ出した私には何も言う権利はないわ。でも、でも……」
みるみるうちにアルマさんの瞳に涙が溜まる。
逃げ出したとは、やはり元々は貴族だったということかしら? でも、逃げ出したって家出したってことだろうか。
「あの者だけは許せない。やっと掴んだ私の幸せをっ!」
斜め下を向きアルマさんが言葉を詰まらせる。
あの者とはさっきの三年生だろか? 一体何があったんだ?
「ナタリア様っ!」
背後から私を呼ぶ声。凛としながらも鋭い一喝である。
この声は……。
おそるおそる振り向くとそこには頭に浮かんだ声の主がいる。マリシス様だ。
「今日が講義の日だとお忘れではございませんでしょうね? いくらお待ちしても来られないから――」
いつものようにピンと背筋を伸ばしたマリシス様の言葉が止まる。眉間に皺を寄せて、つり上がっていた目が一瞬で大きく見開かれる。
「イ、イリス?」
そう声を絞り出したマリシス様の視線の先は涙で顔を濡らすアルマさん。
そのアルマさんもマリシス様の顔を見て、驚愕の表情を浮かべている。
「イリス? あの、イリスってマリシス様の娘さんの名前じゃ……」
以前にマリシス様の元から駆け落ちして姿を消した娘さんの名前だ。
「え? 嘘?」
交互にマリシス様とアルマさんの顔を何度も見る。
「アルマさんがイリスさん?」
最後はアシリカに振り返る。
かつてマリシス様が当主だったレイボーン侯爵家から駆け落ちした一人娘のイリスさん。そして、貴族に憎しみを抱えて学院に通う生徒を短刀を手に襲おうとしていたアルマさん。
同一人物だったのか。
「そういうこと……ですかね……」
目の前の状況に唖然となるアシリカはソージュを見る。
「エット……、そういう事デスカ?」
マリシス様を見上げるソージュとアルマさんの髪は同じ綺麗な栗色をしていた。