158 ママを訪ねて……
日増しに寒さが和らぎ、冬が終わりに近づく頃。
それは、学校という場では別れの季節が近づいてきているということでもある。三年生の卒業だ。そして、私たちも一つ学年が上がる。それが繰り返されてコウド学院の歴史が積み重なっていく。
だが、その前に試練がある。学年末の試験だ。
しかし、今回の私は夏休み前の試験と違い余裕を持っていた。
何故なら、ミネルバさんとマリシス様と朝から寮に帰るまで一緒にいたせいで、勉強までみっちりとさせられていた。それだけではない。毎朝の剣術の稽古後のレオとの勉強会のお陰もあり、分からない所も減ってきていた。
というわけで、今回は密かに自信がある。高得点までは望んでいないが、平均よりかなり上を行けるという自信だ。
やっぱり私って、やれば出来る子なのね。
授業を終えて気分よく遊歩道を歩いていた。昨日でやっとミネルバさんとマリシス様から解放されて、久々にアシリカとソージュと散歩を兼ねての歩いての帰り道である。
「あれは……」
クレイブがいる。学院内の清掃の仕事中だ。厨房改装費を返す為に頑張っているようだけど、今日は一人じゃない。一緒に働いている人がいるようだ。女性のようだけど新人さんかな? 初めてみる人だ。
「精が出るわね」
「おう、嬢ちゃんか」
片手をあげて気楽に返すクレイブだが、一方の女性は慌てて頭を下げている。
「いいですよ、そんなに畏まらなくても。新人の方?」
にこやかに話しかけると、おずおずとその顔を上げて、私を見る。
「はい。昨日からこちらでお世話になっております」
年は三十代に入ったくらいだろうか。品のある顔立ちの人だな。ほっかむりを被り化粧もしていないが、着飾ればとても綺麗になりそうだ。
「あの、学院の生徒の方にございますよね。どこのお家のご令嬢が存じ上げませんが侍女をお連れになっているようなご身分であられるのに私のような者にお声をけても……」
遠慮がちに私を上目遣いに見ている。
「ああ。私、別に貴族とか平民だとか気にしてませんから」
笑って答える。
「侍女である私たちも平民から取り立てて頂きましたしね」
「むしろお嬢サマ、貴族より平民の方の知り合いの方が多いくらいデス」
アシリカとソージュの言葉に女性が意外そうに首を傾げている。
「珍しい方にございますね……」
どこか信じられないといったその女性の目である。
「珍しいというのは正解じゃのう。確かに嬢ちゃんは珍しい」
ニヤニヤと笑うクレイブである。
「それって、変わり者って言いたいの?」
クレイブを睨み付ける。
「誉め言葉じゃ」
どうだかね。誉め言葉を言っている顔に見えないけど。
「まあ、いいわ。じゃあ、頑張ってくださいね、ええと……」
年上なのに新人さん呼ばわりも失礼だよな。
「アルマさんじゃ」
クレイブが女性の名前を教えてくれる。
「そう。じゃあ、改めて。頑張ってください、アルマさん。クレイブをよろしくお願いしますね」
「ワシの方が先輩なんじゃが」
不服そうなクレイブに手を振り、アルマさんに軽く頭を下げて歩き出す。
そんな私に慌てて頭を下げるアルマさんだったが、その顔は何やら釈然としない表情なのが、ふと気になった私だった。
冬休みが明けて二回目の休日。のんびりと寮で過ごす者、学年末の試験に備えて図書館に籠る者、友人とのおしゃべりに興じる者。思いおもいの一日を過ごしている。
私はこっそりと街に繰り出していた。
「本当によろしいのですか? 一月後の学年末の試験に備えるべきではございませんか?」
試験に備えて勉強すべきだと反対したアシリカは街に入ってからも不服そうに私に目を向ける。
「大丈夫よ」
ここ最近は授業中の小テストも出来てきているし、何よりまだ一ヶ月もあるのだからさ。
「ほら、今の内に息抜きしておかないとね」
直前にそんな時間取れないだろうしね。
「息抜きするほど、何かしまシタカ?」
「ソージュ、そういうことは黙っておこうね」
首を傾げながらのソージュの鋭い指摘を笑顔で誤魔化す。
「はあ……」
盛大なアシリカのため息である。
「で、お嬢様。どちらに?」
私たちのやり取りを楽しそうに御者台から聞いていたデドルが尋ねてくる。
「そうね……」
屋台か? それとも久々にグスマンさんの所にでも遊びにいこうかしら? いや、遊ぶといえば、孤児院かな?
行先を思案していると、道沿いで泣いている小さな女の子の姿が目に留まる。
「デドル、止めて!」
迷子かしら? ここは平民街の一角。一人で家から出て帰れなくなっちゃたのかもしれない。この辺りは治安が悪くはないが一人放っておくわけにもいかない。
止まった馬車から駆け下りて、女の子の元へと行く。
「ねえ、どうしたの?」
女の子の側にしゃがみ込み、顔を覗き込む。
どれくらいの間泣いていたのだろうか、随分と目を泣きはらしている。それでも涙が止まらないようで、手を目を擦りながら私の方を向く。
「どうされ……、迷子でしょうか?」
突然馬車から降りた私を追いかけてきたアシリカも心配そうな声に変わる。
まだ六歳くらいだろうか。まだまだ寒いというのに、コートの類は身に付けていない。ソージュが馬車からひざ掛けを取ってきて女の子の肩に掛けてあげる。
私たちに優しく話しかけられたことで、少し落ち着いたのか、涙が止まったようだ。
「ねえ、迷子?」
私の問いかけにひっくひっくとなりながらもこっくりと頷く。
「おうちの場所、分かる?」
綺麗に三つ編みされている栗色の髪を揺らしながら今度は首を横に振る。
「お名前は?」
「……ジェナ」
可愛らしい声で答えてくれる。
「ジェナね。いい名前ね。あなたのその可愛らしい顔にピッタリだわ。じゃあ、ジェナ。安心していいわよ。私がおうちに連れて帰ってあげるからね」
ようやくジェナの顔に安堵の色が広がる。
「じゃあさ、どっちから来たのかな?」
ジェナは、二、三度左右を振った後、不安そうに私を見る。
「十日前くらい前に引っ越してきたばかりで……」
十日か。それならまったくエルカディアの地理は分かっていないだろうな。どうしたものか。もしかしたら、親が迷子の届を騎士団に出しているかもしれない。騎士団で聞いてみるのもいいかもしれないな。
「ジェナちゃん。お父さんの名前は分かる?」
アシリカがジェナに尋ねる。
「この年齢の子ならさほど自宅から遠くまで来れないかと。近くの人に親の名前を聞いていけば親御さんのことを知っている人が見つかるかもしれません」
何で? という顔でアシリカを見る私に説明してくれる。
なるほど。それはいい考えかもしれないね。
「パパ、去年の夏に死んじゃった……」
じっとジェナを見つめる私たちに小さく答える。
「ご、ごめんなさいっ」
慌ててアシリカが謝る。
「でも、ママがいるから大丈夫」
健気にも申し訳なさそうな私たち三人を気遣うお言葉。
「ママの名前は、アルマっていうの」
アルマ? あのこの前会ったアルマさん? でも、まさかね。そんな偶然が――。
「私、ママに会いたかったの。ママ、ずっとコウド学院ってとこでお掃除の仕事ばかりで……。今日はお休みっていたのに、急に仕事になって……」
そんな偶然もあるもんなんだね。アルマさんが子持ちだったのも驚きだけど。そんな雰囲気無かったからな。
「ママにお利口さんに待ってなさいって、言われたのに……。でも、どうしても会いたくて……」
またジェナは涙を零す。今度の涙は反省の涙だろうな。
「会いたいと思っちゃたなら仕方ないよね。でもさ、一人で知らない場所を出歩いて迷子になっちゃたのは、心配させちゃうよね。だからさ、それはママに謝らなくちゃいけないわよ」
「うん。謝る」
こくんと頷く。
「大丈夫。私も一緒に謝ってあげる」
「お姉ちゃんも?」
涙を拭い、首を傾げる仕草がとても可愛い。
「ええ」
ジェナの頭を撫でてあげる。
「でも、おうちの場所もママのいる場所も分からない」
またもや不安そうにジェナが周囲を見回す。
「大丈夫。私、そのコウド学院の場所も知っているし、実は偶然だけど、多分ジェナのママのことも知っているわ」
コウド学院でアルマって名前の清掃係は彼女一人だろうしね。
「本当っ!?」
目を輝かせてジェナが叫ぶ。
「本当よ。だからもう大丈夫。でも、その代わりちゃんと謝ろうね」
「うん。私、謝る!」
初めて元気よく答えてくれる。
「ジェナちゃん!」
その時、大きくジェナを呼ぶ声が聞こえてくる。
声のした方を振り向くと初老の女性が慌てた様子でこちらに走ってきた。
「急にいなくなったから心配したわよ」
ほっとした様子でジェナがどこも怪我していないか確認するように体を触っている。
「ごめんなさい。でも、このお姉ちゃんがママの所に連れて行ってくれるって」
「ママの所へ?」
ここでようやく私たちの存在に気付いたようにこちらを見てくるが、その目は疑いに満ちている。
「どちらさまでしょうか?」
ジェナを自分の方へ引き寄せ訝し気に尋ねてくる。
「え、えっとですね……」
うん、そのやり取りなら人攫いの類に思われてもしかないかもしれないよね。
慌てて私たちはこれまでの経緯を説明する。
「申し訳ございませんでした。私はてっきり……」
何度も謝ってくる。
無理もないよ。ママの所に連れていってあげるなんて、人攫いの常套句みたいなもんだもんね。
この老婦人は、アルマさんとジェナの下宿先の人だそうだ。厚意から、アルマさんの仕事の間、夫婦でジェナを見てくれているそうだ。しかし、今日突然いなくなったジェナに慌てて周囲を探し回っていたそうだ。
「あの失礼ですが、コウド学院の方、見た所生徒の方なのですよね?」
コウド学院の生徒、すなわち貴族ということだ。平民からしたら警戒というか、気軽に話せるというわけにもいかないのだろう。
「はい。ですが、私なんて大したことない者ですから。あまり変な気遣いは無用でお願いしますね」
警戒心を解きほぐすように頭を下げる。
「お姉ちゃん、早くママの所に行こうよ」
そこに急かすようなジェナの声。
「ジェナちゃん。ママはお仕事中よ。ね、だからお家で待ってましょう。夕方には帰ってくるから」
あやすように老婦人がジェナに微笑みかける。
「でも……」
相当母親が恋しいのか、ジェナは私の方をちらりと見上げる。
「あの、もしよろしかったら連れていっても?」
老婦人に尋ねる。
アルマさんの仕事が夕方までなら十分間に合うね。今はまだ昼過ぎだしさ。
「いえ、しかしそんなご迷惑をおかけするわけには……」
困惑顔の老婦人が言い淀む。
「一度、母親の働く姿を見ればこの子も納得して今後こんな行動も取らなくなるかもしれませんし」
そう言って、何とか老婦人を説得する。
実際そう思う部分もあるし、これも何かの縁だ。寂しい思いをしているジェナの気分転換にもなるだろうしね。
「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます……」
心配そうにジェナを見つめながら老婦人が頭を下げる。
いい人なのだろうな。まだエルカディアに来て間もない母娘二人のアルマさんとジェナをここまで気に掛けているなんてさ。
「責任を持ってジェナをアルマさんの所まで送りますから」
老婦人を安心させるようにそう言ってから馬車へと乗り込む。
このエルカディアに来る時に乗り合い馬車に乗り気に入ったらしいジェナは、ご機嫌である。もっとも、母親のアルマさんに会えるということもあるのだろうけどね。
走り出した馬車は、少し前に出てきたばかりのコウド学院へと再び戻っていく。
街でのんびりとは出来なかったが、残念には感じない。それくらいジェナの喜ぶ姿は可愛らしかった。
学院に戻ってきた私たちは、アルマさんの姿を探す。
しかし、広大な敷地を持つコウド学院。馬車で周ってもなかなかアルマさんの姿は見つからない。
「ママ、どこだろう……」
不安そうに窓から外を眺めるジェナが呟く。
うう。焦るな。まったくどこにも見当たらないよ。
おやつの時間に差し掛かろうとした頃になり、よくやくアルマさんを見つける。
場所は男子寮のすぐ側。レオのいる高位貴族用の寮ではなく、中位の貴族が暮らす寮である。その側の木の陰に立っていた。
「何……しているのかしら?」
私がそう呟くのも無理はない。
アルマさんは周囲を掃除している訳でもなく、じっとその寮を見上げていたのだ。ちょっと一休みという雰囲気でもない。遠目からでも険しい顔をしているのが分かる。
馬車が近づく音に気が付いたのか、はっと我に返ったようなアルマさんは手にしていた箒で周囲の落ち葉をかき集めはじめる。
そんな彼女の側に馬車を止める。
「ママ!」
「ジェナ!?」
すぐ近くに止まった馬車に頭を下げたアルマさんが驚きの声を上げる。
「どうして、ここに?」
一直線に駆け寄ってきたジェナを受け止めながらも困惑の表情で馬車を見ている。
「お姉ちゃんに送ってもらったの」
「お姉ちゃん?」
アルマさんは、眉間に皺を寄せる。
「私です」
馬車から下りる私にもう一度驚きの表情を見せた後、慌てて一礼する。
「いろいろありましてね」
そんなアルマさんに苦笑する。
老婦人に話したように、アルマさんにも説明する。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
申し訳なさそうに何度も頭を下げるアルマさん。
「いいのです。私が好き好んでやったことですから。それより、ジェナ。ほら、約束したでしょ」
私は街でのジェナとの約束を促す。
そんな私の言葉に、ジェナが頷く。
「ママ。いい子に待ってないでごめんなさい。約束していたのに……」
ぎゅっと拳を握りしめ謝ってから、母親の様子を伺う。
「どうしても、ママに会いたかったのよね。心配させたことは反省していると思うから許してあげてください……」
私もジェナの横で頭を下げる。
「あ、貴女様は本当に……」
呆然としながらアルマさんが何かを言いかけるが、すぐに口を噤む。
「お、お止めくださいませ。どうか、頭を上げて頂きますよう」
そして、頭を下げる私に頭を下げ返す。
お互い頭を下げ合うのを不思議そうに見ているジェナの視線に気づき、思わず私とアルマさんは苦笑してしまう。
「やはり、貴女様は本当に珍しい方にございますね。あっ、もちろんいい意味にございます」
最後は慌てて付け足す。
「ありがとう。誉め言葉として受け取っておきます」
実際に悪い感じはまったくないしね。
「それより、ママ。怒ってない?」
ジェナはそこが気になるみたいだ。
「ジェナ。ママは怒ってないわよ。でもね、もう二度と一人で家から出ちゃだめだからね。それだけはちゃんと約束してちょうだい」
そう言うアルマさんは母親の顔だ。
「うん。もうしない。約束する」
「でも、ママ、もう少しお仕事あるの。どこかで大人しく待っていられる?」
ジェナに言い聞かせるようにアルマさんは屈んで娘に目線を合わせる。
「あの……、私が見ていましょうか? ね、私と一緒に遊んで待っていようか」
「うん! お姉ちゃんと待ってる!」
喜ぶジェナを複雑そうに見つめるアルマさんだった。