155 倒すべき者
場が張り詰めた空気に支配されている。
「俺と立ち会う、か。だが、良いのか? 風の噂でお前は人を殺めぬと誓ったそうではないか」
不殺の誓い? クレイブが?
「よう知っておるのう。じゃが、気にせんでええ。ワシも本気を出させてもらうでな。それにの、誓いを破った時、それはワシの命も尽きる時じゃ。その覚悟も出来とる」
本気だ。クレイブの顔は今まで見たことのないくらい真剣なものだ。
「剣士の誓いは命を懸けるものと聞いたことがあります」
見た事のないような鬼気迫るクレイブにアシリカがごくりと喉を鳴らす。
という事はクレイブは死ぬ気なのか? それは絶対にダメだ。いろいろと問題を起こす老人ではあるが、それはダメだ。
「ちょっと、待ちなさい!」
こいつが辻斬りの真犯人なら、騎士団に突き出せばいいのだ。クレイブと立ち会う必要なんかない。
「嬢ちゃんよ。ワシとこやつはかつて一緒に剣を学んでいてのう」
止めようと叫んだ私にクレイブが語り出す。
「懐かしいものだ。あれから何年経ったか。今ではお前は剣聖。俺は子爵。お互いいろいろあったものだ」
二人からは昔を懐かしむ旧友同士の雰囲気がまったく感じられない。
「よき好敵手であり、一番の友人じゃった」
「好敵手か。剣聖と呼ばれる男にそう言ってもらえるとは光栄だな」
静かに語り合う二人だが、ピリピリと緊張が伝わってくる。
「我らの師が亡くなる直前に名刀と言われる剣をくださった。一振りはワシの持つあの剣、そしてお主にはその二対一組の剣をくだされた。覚えておるよの?」
さっきクレイブから預かった剣を見る。よく見るとなかなかの剣のようだ。
「もちろん覚えているとも。平民出の我らは碌な剣を持っていなかったからな」
ベナント子爵が頷く。
平民出? でも、この人、子爵家の当主よね?
「りょ、料理長?」
普段見せる飄々とした好々爺の雰囲気のクレイブしかしらないバウルは息を飲みこみ、思わず私の袖をぎゅっと掴んでいる。
それくらい、クレイブからは殺気だったものが溢れ出していた。
「料理長? お前は相変わらず俺には分からんことをしているようだな」
ここでベナント子爵の顔が初めて緩む。
「分からんことをしておるのはお主であろう? 何故師から頂いた大事な剣で愚かで卑劣な真似をしたのじゃ? 己の息子にまで手を掛けるとは何をしておる」
反対にクレイブの顔はどんどん怒りに染まっていく。
「……今更隠し立てするつもりはない。確かに辻斬りはこの俺だ。息子は何も関係ない」
あっさりと辻斬りは自分の犯行だと認める。だったら、何故息子を切り殺したのか? 罪を被せようとするにしても、相手は自分の血を分けた息子だよ?
「説明してくれるかしら?」
私には理解できない。今の状況もベナント子爵の行動も理解できない。
「立ち合い人を務めてくれるとあらば、話さぬわけにはならんな」
持っていた剣を鞘に戻し、ベナント子爵は私へと向き直る。
「今日の早朝だ。突然クレイブが訪ねてきてな。三十年、いや四十年か。久々の再会であった。だが、それ以上に驚いたのは、辻斬りのことを聞いてきたのだ」
クレイブがいないと思ったらベナント子爵の所に行っていたのか。
「かつて我らの師から頂いた剣で辻斬りがされていると。クレイブは私のことを微塵も疑ってなかった。息子の犯行だと思っていたようだ。こいつは昔から自分の周りの人間のことを疑わないヤツだったからな。純粋なまでにな」
純粋、という言葉にベナント子爵は少し苛立ちを混ぜる。
「お主を疑わなかった己を恥じるばかりじゃ。それと、お主の息子を死なせてもうたこともな。器は小さいようじゃが、死ぬ必要は無かった」
苦渋に満ちたクレイブの言葉である。
「息子の事はお前が気にする必要はない。遅かれ早かれこうなっていた」
それって、今の状況にならなくても、自分の息子を殺していたかもしれないってこと?
「少し話が逸れるが、さっき俺が平民の出だと言っただろう? だが、今は子爵家の当主。おかしいと思わんか?」
眉間に皺がどんどん深くなっていく一方の私に尋ねてくる。
「ええ。思ったわ」
確かに抱いた疑問だ。素直に頷く。
「俺は養子だ。婿養子ってやつだ。跡継ぎのいなかった先代ベナント子爵の養子になり、その娘と結婚したのだ。剣の腕を買われてな」
平民から子爵家の当主になったのはそういう事情だったのか。
「そして生まれたのが、リーンズだ。だが、その息子は愚かな息子だった。剣も学問も中途半端。それだけならまだいい。この馬鹿は貴族としての誇りだけは人一倍でな。平民を見下し、妻である母親と一緒に虚栄心だけは高い。領地も持たない家であるというなのにな」
憎しみの籠った目をすでに息絶えている息子へと向ける。
「領地を持たない子爵家など、下級の部類に入るのにな。上を見ず下ばかりを見てさげずむ。己が上だと優越感に浸る。まあ、リーンズは私の出自もあり、余計にその傾向が強かった。妻と一緒に私まで馬鹿にした態度であったからな」
リーンズの異常なまでの平民への差別的な態度を思い返す。
「それは我慢してきた。初めて妻と会った時に彼女からも感じたからな。俺を平民出の穢れた者だと思っていると……。だが、それ以上に許せなかったのは……」
再びすっと、顔から感情の色が消える。
「私利私欲に塗れ自らの欲の為にしか行動しない貴族どもだ。俺が貴族の家に養子に入ったのは、少しでも平民の暮らしが良くなるように、困った者を助けることができると思ったからだ。妻や息子からの罵倒にも耐え、必死で働いた」
「それが何故、辻斬りと結びつくの?」
思わず口をついて出た言葉。彼がそんな想いを抱いていたのなら、決して取らない行動のはずだ。
「その問いに答えるのは難しい……」
ゆっくりとベナント子爵が首を横に振る。
「貴族は自分の栄華しか考えていない。平民の為にと意見を出してもそれは貴族にとっては余計な事だったようだ。自らの利益にまったく結びつかないからな。意見に耳を傾けるどころか、邪魔だとばかりに別の仕事に回される。それの繰り返しだ。何十年もだ」
うーん。そこは否定しきれない。そんな奴をいっぱい見てきたからな。
「この国は腐りきっている」
ベナント子爵が忌々し気に吐き捨てる。
「いつしか、俺は心の中に闇が生まれていた。自分でもコントロール出来ないないほどにな。とても苦しく深い闇だ。ある日、気づけば目の前で人が倒れていた。一刀の元に切り伏せられ、血に塗れていた。そして、俺の持っていた剣にもべったりと血が……。その時、何故すなったのか、何があったのか今でも覚えておらん」
「無意識のうちに辻斬りをしたってこと?」
まるで二重人格のようだ。
「初めての時はな。だが、それ以降は自らの意思だ。何故なら、その時心の闇が晴れた気がしてな。すっと心の闇が消え、心が楽になっていた。それ以来、心が苦しくなるたびに人を斬りに街へと向かうようになっていたのだ。見張りの為にゴロツキどもを雇い、最後はそいつらも始末する。すべて自らの意思でな」
言葉が出ない。志を持っていたのはいい。だが、それらがうまくいかずその苛立ちを発散するかのように抵抗も出来ない者を切り捨てるなんて到底許されない悪魔の所業だ。
「本当は高位の貴族も一人や二人でも殺したかったがな。まあ、こいつも貴族。良しとするか。クレイブの話を聞き、咄嗟に考えてだったがうまくいったものだ」
自らの息子に冷酷な視線を向けている。
「もうよい。これ以上お主の話は聞きたくないでの。後は剣で語り合うのが良かろうて」
クレイブが私の側に来て、剣を受け取ろうとする。
「いいえ、クレイブ。立ち会うのは私よ」
ベナント子爵を睨み付ける。
「子爵。あなたは高位の貴族を殺したいと言ったわね。そのチャンスを上げるわ」
私は鉄扇をすっと開く。扇面に描かれた白ユリの紋章を見せつける。
「お前がナタリア・サンバルトだと!?」
さすがにこれには、ベナント子爵が驚きを見せる。
「当主でなくて申し訳ないけど、サンバルト家の娘では不足かしら?」
「お、お嬢様!」
私の取った行動にアシリカが悲鳴に近い声を上げる。
さっきのベナント子爵の剣捌きから相当な腕を持っているのが分かる。それはアシリカも一緒なのだろう。
「嬢ちゃんや。これは――」
「クレイブ。あなたはまだ死なすわけにはいかないのよ。勝手に厨房を改装したお金を返してもらってないからね」
笑顔でクレイブの言葉を遮る。
「クレイブ殿。うちのお嬢様が一度言ったら聞きやせんよ」
デドルがクレイブの肩にぽんと手を置く。
「お嬢様、心置きなく戦われませ。その代わり、万が一の時はあっしらもお供しやすんで、お一人で進まず少し待っていてくだせえよ」
デドルが跪く。その両隣にアシリカとソージュも同じ様に跪く。
「そんなに慌てて付いてくる必要ないわよ。それにね、私は絶対負けないもの」
苦笑しながら鉄扇を閉じ、ぎゅっと握り締める。
「立会人はバウルに任せるわ」
事の成り行きに呆然となっていたバウルの頭を軽く叩く。
「え? あ、はい。お師匠さま、じゃなくて、ナタリア様?」
「今まで通りでいいわよ。私はあなたの師匠なんだからね」
くしゃくしゃっとバウルの頭を撫でてからベナント子爵に向かい合う。
「お待たせしたわね。始めましょうか」
「……いいのか、クレイブ? お前でなくて、弟子との立ち合いで?」
思ってもいなかった展開なのだろう。ベナント子爵が確認してくる。
「嬢ちゃんよ。誰が為に剣を振るか、何を見据えておるか。よくよく考えよ。さすればお主は負けん」
ベナント子爵の答える代わりに私へのクレイブの言葉。
「ならば、始めよう」
静かにそうベナント子爵が告げると同時に剣を抜く。それに合わせて私もすっと鉄扇を構える。
ゆっくりとした時間が流れる。お互い少しづつ円を描く様に動いていく。お互いが半周し、相手がいた位置にまで来た時だった。
強い殺気と共にベナント子爵が剣を横に構え低い体勢で向かってくる。
間合いは一呼吸する間もないうちに無くなり、気づいた時には目の前にベナント子爵が来ていた。剣はすでに私の体に向けて振り払われ始めている。
「くっ!」
まさに辛うじてと言うのがぴったりなくらいのタイミングで何とか鋭く放たれた剣を受け止める。手だけではなく腕までジンジンとする剣撃が伝わってくる。
後ろへと一歩飛び退きざまに痺れる腕を無理やり動かしてベナント子爵の剣を跳ね上げる。
そのままベナント子爵の開いた懐へ飛び込もうとするが、すでに腕を引き、跳ね上げられた剣を私の目の前に切っ先を突き付けよう狙い定めている。
私は体を捻って横へ飛び退く。その後を鋭い剣の突きが空を切った。
再び私とベナント子爵は睨み合う形に戻る。
うん。強い。かなり強い。正直、付け入る隙が無い。力だけではなく技量の面でも向こうが上なのは間違いない。
どこか攻略の糸口はないものかと思案をさせてくれるはずもなく、今度は上段の構えから剣を振り下ろしてくる。それを受け止めると、今度は下段から、その次は脇からの構えと次から次へと剣を打ち付けてくる。
私はそれを防ぐので精一杯。しかも、剣撃は次第に鋭くなってきている。
まずい。このままじゃジリ貧だ。何度も剣撃を受けて腕の感覚も無くなってきている。どうすればいい? 剣が私の体に届くのは時間の問題だ。
誰が為に剣を振るのか、何を見据えているのか――不意にクレイブの言葉を思い出す。
絶え間なく迫りくる剣を受け止めながら思考が急回転していく。。
私は今、誰の為に戦っている? バウル? クレイブ? それともアシリカやソージュ?
私は今、何を見据えている? ベナント子爵に無残に殺されて人たちの仇? 世直し? それとも、断罪の回避?
体の動きと思考の速さがどんどん加速していく。
ふっと、視界が真っ暗になる。何も聞こえない。
目の前に剣を構えているベナント子爵――ではなく、私がいる。いや、違うな、私でも無い。目の奥底にあるものが違う。人を人とも思っていない。陰湿でなおかつ攻撃的。負の感情が詰められた目だ。
ナタリア・サンバルト。我儘ナタリアだ。
狂気に染まった表情で私を殺しにきている。それとも、自分自身を取り返しに来ているのか?
剣を携えじりじりとこちらに向かってきている。
恨み、怒り、憎しみを私にぶつけてくる。
死ぬの? それとも意識ごと消え去るの? 嫌だ。どっちも嫌だ。
アシリカやソージュ、デドル。家族、シルビアやミネルバさん。それに今まで出会った多くの人たち。皆と会えなくなるのはそれ以上に絶対に嫌だ!
私は私だ。私が私だ!
私がナタリア・サンバルトだ!
そんな醜い顔は私じゃない。ナタリアじゃない。
私は笑顔でいたいんだ。
そう、笑顔で皆で一緒にいたいだけなんだから!
死ねっ、という声が聞こえた気がした。
向かってくる我儘ナタリアの剣を跳ね返し、その頭に向かって鉄扇を振り下ろす。
それと同時に再び眩しさを感じる。思わず目を閉じてしまう。
「み、見事だな……」
くぐもった声にそっと閉じていた目を開く。
剣を降り、鉄扇がベナント子爵の顔面に打ち付けられていた。顔を苦痛に歪め、ゆっくりと倒れ込む。
「お、お嬢様!」
顔を涙で濡らしたアシリカが駆けよってくる。
「ご無事で良かったデス!」
ソージュが私に抱き着いてくる。
アシリカとソージュの後ろからデドルもほっとした顔になっているが、すかざず気を失ったベナント子爵に縄を打っている。
「すごい。すごいです、お師匠さま……」
バウルの尊敬の眼差しに、にっこりと微笑み返す。
「……嬢ちゃんよ。自らの心の奥底を垣間見ていたようじゃの」
ゆっくりと側に来たクレイブが静かに告げる。
「心の……奥底?」
あの我儘ナタリアと対峙していたのが私の心の奥底なの? 元の我儘ナタリアがどうなったのか分からないけど、心の奥底にいたの? それとも、私の中で勝手に作り出したのかしら?
「お嬢様は、途中から相手も見ずに戦っておられました」
気が気でなかったとばかりにアシリカが私を見ている。
「静かで真っ暗な世界じゃったであろう? 己の心の底じゃ。普段は自分でも知らない場所での。無の境地の入り口でもある。そこには、お主が倒すべき者がおったはずじゃ」
私が倒すべき者……。
そうか。我儘ナタリアは本来の決められた断罪の待つ未来の象徴。そして、権力で理不尽に人々を苦しめる存在。
「誰と剣を交えたかは知らん。だが、嬢ちゃんは打ち勝ったのじゃ。誰の為に剣を振り、その先に何を見いだすのか……。見つけたはずじゃ」
自身の叫びを思い出す。
笑顔で皆と一緒にいたい。強くそう思った。
「そうなんだ」
私はみんなと一緒にいつまでも笑っていたいのだ。その“みんな”が多くなればいい。一人でも多くその“みんな”が増えればいい。その為にも苦しみや悲しみを抱えた人を助けていきたい。そして、運命に打ち勝つ!
「う、ううっ」
私が顎に手を当て考え込んでいると、どうやら意識を失っていたベナント子爵が気を取り戻したようだ。
「……何故だ? 何故、殺しておらん?」
縛られて体の自由を奪われている状況を確認して、私を見上げる。
そんなベナント子爵を哀し気な目でクレイブが見つめている。
「殺してほしいんだ……」
そう言って私は鉄扇をベナント子爵の首元に当てる。
「残念。これでは斬れないわね。それにさ、楽に死ねるとと思わないで。多くの罪なき命を奪ったのよ、あなたは。生きて苦しんで裁きを受けた上で死になさい」
私の言葉にベナント子爵が唇を噛みしめる。
「それと、もう一つ残念だわ。あなたは、もっと早くに出会いたい人だった。だって、私が描く未来とあなたが抱いていた想いはきっと一緒だったと思うから」
続く言葉に目を見開き、食い入るように私を見つめる。
「……良き勝負だった。感謝する」
一度頭を下げたベナント子爵が再び私を見上げる。
「俺も残念だ。あなたが王妃となるのを見ることができないのは……」
そう呟くベナント子爵の目は穏やかだった。