153 勇気を見せて
道場が襲われた。
腕に包帯が巻かれたデドルからその事を報告を受けた時、頭が真っ白になった。
「皆、無事にございやす。怪我をした者もおりませんのでご安心を」
すぐ後に続いたデドルの言葉に取り合えずはほっと胸を撫でおろす。
ガンドンらもいた事もあって返り討ちにしたそうだ。基本荒っぽい事には慣れている面子だからね。
「でも、一体誰が……」
そう言いかけて昨日の馬車に乗っていたあの貴族の青年を思い出す。
「あいつよ。ほら、昨日の馬車の……。間違いないわ」
きっと昼間の仕返しに来たに違いない。まるで逆世直しだな。身分を隠して仕返しに来るなんてさ。それに夜に突然襲うなんて卑怯な奴だ。
後から教えてもらったのだが、貴族に無礼を働いた平民にある程度の罰を自ら与えることは黙認されているそうだ。しかし、あくまで黙認、である。ましてや命を奪うまではさすがに許されていない。
だからこそ、夜にこっそりと襲ったに違いない。
「覆面をしていたので顔までは分からなかったそうです。まあ、怪しいと言えば怪しいですがね。しかし、そこまでするとはちょっと考えづらいですなぁ」
渋い顔で否定的なデドルである。
「何でよ? 剣まで取り出した奴よ。あいつ以外に考えられないわ」
「よく考えてください。もし本当にあの若造でしたら、万が一バレた時は一大事になりやす。いくら貴族の身分といえども、平民を夜討ちするなんてバレたら、家に何らかの形で罰を受けるのは間違いありやせん」
尚も言い張る私にデドルが首を横に振る。
「言われてみればそうかもしれませんね。いざこざの仕返しをするにしても、あまりに危険ですよね。もっとも昨日のお嬢様への態度は許し難いものはありますが」
黙って聞いていたアシリカが悔しそうに頷く。ソージュも同じ考えに至ったようで顔を顰めながらも頷いている。
「ううっ」
唇を噛みしめて唸る。
確かに仕返しにしてはリスクが高い行為だ。でも、タイミング的にも他に思い当たる節は無い。
あいつの素性を調べさせたいが、怪我をしている今のデドルに無理をさすのも忍びない。
「まずは、道場に行くわ」
怪我はないと聞いてもやはり心配だ。この目で確かめたいという思いもある。
「かしこまりました」
普段であれば街に出る旅に何かしら一言苦言するアシリカも今回ばかりは何も言わずに頭を下げた。
一見普段通りの道場であるが、よく見ると所々に剣で斬りつけられた跡が付いている。端には壊れた机が集められており、昨夜の襲撃が事実である事を告げている。
また襲撃をされる恐れもあるとアシリカとソージュは周囲の警戒を怠らない。怪我をしているデドルも屋敷で休んでいるように言ったのに付いてきている。
「師匠……」
ブレストが疲れた顔で出迎えてくれる。
「大丈夫? 誰も本当に怪我してないのよね?」
「はい。それは大丈夫です。ガンドンさんらが大活躍してくれましたから」
頷くブレストに安堵のため息を吐く。
「いやあ、最初は驚きましたがね」
ブレストの横でガンドンも笑みを浮かべつつも疲労の色が濃い。
昨夜の襲撃を受け、念のため寝ずに警戒しながら片付けを続けていたそうで、皆一様に疲れているようだ。運送業のメンバーも稽古場に隅で座り込んでいる。
「で、襲ってきた奴に関して何か気付いたこととかってある?」
覆面をしていたようだが、何か特徴的なものがあったかもしれない。
「そう言えば……」
ブレストが何かを思い出したようだ。
「僕、襲撃が会った時、玄関横の棚の中に隠れていたのですがね」
道場主代理、隠れてたんだ……。
「襲撃してきた奴らの一人が『ガキを探せ』って周囲に言ってたような……」
「ガキを探せ……?」
ガキって、バウルの事? だって、この道場でガキと呼ばれるような年の子はバウル以外に出入りしていないはず。
「ほら、やっっぱり仕返しじゃないの?」
眉間に皺を寄せ、忌々しいあの男の顔を思い出す。
あの年齢から見たら私だってガキ扱いかもしれない。もしかしたら、たてついた私に仕返しをしに来たのかもしれないし。
「バウルはどこ? クレイブと一緒なの?」
道場に来てからバウルとクレイブの姿を見ていない。
「いえ、バウルは今日は家にいてもらってます。こんな状況で稽古も出来ませんからね。叔父上は朝からどこかに出掛けていますし」
ブレストが答える。
バウルを休ませたのは分かるが、こんな大変な時にクレイブは何をフラフラとほっつき歩いてんだ?
それより、これで昨日のあの貴族が襲撃してきたって可能性が上がったんじゃないかな。
私の仕返しという言葉にガンドンも、険しい顔つきとなってる。やはり彼らも昨日の貴族が頭に浮かんだに違いない。
「デドル、やっぱり昨日のあいつが怪しくない?」
「うーん、そうですなぁ……。しかし、普通ならあれしきの事でここまで……」
多少はあの貴族への疑いを向けているようだが、まだデドルには確信が持てないようだ。まあ、多くの貴族を見てきたからそう思うのだろう。私にだって、今回のヤツの行動が貴族として異常だとは理解できるからさ。
「デモ、貴族でもいろんな人イマス……」
ソージュがじっと私を見ている。
「なるほど……。貴族の常識から外れたお人もいやすな……」
私を見て妙に納得するデドルである。
非常識の塊を見るような目を向けないでくれるかな?
「ま、まあ。とにかくです。念のため、バウル君の安全を確保しましょう。もし万が一お嬢様のお考えが当たっていたなら、彼も狙われる可能性も否定できませんから」
顔を引きつらせる私にアシリカが苦笑しつつも、話題を変える。
「……そうね。ブレスト。バウルを呼んできて」
備えはしておこう。彼の自宅よりここの方が安全だろう。それにしばらくの間あまり一人で出歩かないようにも言わないと。
しばらくして、バウルがブレストに連れられてやってくる。
「あ、あの……、お師匠さま」
何やら思い詰めた顔で私の側にやってくる。
「大丈夫。何も心配ないわ」
きっとバウルも不安に思っているに違いない。その不安を解きほぐす為にもにっこりと笑いかける。
「師匠。今バウルを迎えに行って帰ってきたら玄関の軒先にこんなものが……」
クレイブが封を差し出す。
「手紙?」
何の変哲もない手紙である。
受け取り、封を切ると、中から一枚の紙。
「何ですって!」
手紙の内容に思わず叫び声を上げる。門弟のマールとガンズを預かっている旨と返してほしければ、『ガキ』に指定された場所に来るように書かれている。当然ながら差出人の名は無い。
でも、きっとあの貴族の野郎に違いない。
「ここまでする?」
怒りで思わず手紙をぐしゃっと握りつぶし、床に叩きつける。
「何が書かれていたので?」
慌ててアシリカが手紙を拾い綺麗に広げる。その手紙を覗きこんだアシリカたちは声を失う。
「その『ガキ』って、きっと生意気に反論した私の事よ」
あの場でとっちめておけばよかった。そしたら、こんあ事にならなかったのに。いや、違うか。素直に謝るべきだったか。クレイブの言った通り土下座でもして謝れば許してもらえたかもしれない。
どちらにしても、私のせいだ。下手に反論なんかしたからマールとガンズまで危険な目に遭わせてしまった。
後悔ばかりが湧き出てくる。
「……ちょっと行ってくるわ」
腰のベルトに差した鉄扇を叩いて静かに告げる。
「姐さん。出入りですか? なら俺もお供しやすぜ」
怖い顔に一段と凄みを漂わせるガンドンである。
「いいえ。ガンドンはここを守っていなさい」
私の軽率さが招いた事だ。あそこで我慢して平身低頭の対応をすれば防げた事。ならば、土下座でもして詫びよう。それでマールやガンズが無事で丸く収まればいくらでも土下座して謝る。
「違います、違うんです。きっと、呼ばれているのは僕です!」
突然、バウルが叫ぶ。
「違うわ。あなたはただ馬車にひかれそうになっただけ。問題はその後の事だから気にする――」
「だから違うんです!」
泣きながらバウルが再び叫ぶ。
「見たんです! 僕、見ちゃったんです!」
「見た? 何を?」
立ち止まり首を傾げてバウルを見る。
だが、バウルはそのまま正気を失ったかのように見たという言葉を繰り返す。怯えと混乱が入り混じった顔を涙で濡らす。
「大丈夫よ、バウル。ここにはあなたの味方しかしないわ。だから、大丈夫。何があっても守ってあげる」
バウルの前まで進み、そっと抱きしめる。
「だから、まずは落ち着きなさい。ね」
「お師匠さま……。僕……、僕……」
「ゆっくりでいいわ。話せる?」
バウルの目線までしゃがみ込み、目線を合わせる。
涙を手で拭い、小さくバウルが頷く。
「本当は昨日、お師匠さまに相談するつもりでした……。だから昨日買い物に出かけたお師匠さまを道場の前で待っていたんです」
バウルは、何度かしゃくり上げた後話し始める。
「年が明けてすぐの事です。母から頼まれてお使いに行きました。その帰りです。近道をしようと人通りの少ない道を通った時でした」
バウルの体がガタガタと小刻みに震えている。
「老人を取り囲む男の人たちがいました。何をしているのかなって思ったら……」
呼吸が乱れ、震える拳をぎゅっと握りしめている。
「男たちがいきなりその老人に斬りかかったんです。剣を大きく振りかぶってそのおじいさんの顔を……」
まさか、辻斬りの現場?
稽古場が静まり返る。
「その時見た剣が……」
ごくりと唾を飲み込み、涙で濡れた顔で私を見る。
「昨日見たあの貴族の人が持っていた剣だったんです!」
バウルはその場にしゃがみ込む。
だから、昨日馬車から出てきたあの貴族が剣を取り出した途端にバウルはあそこまで取り乱したのか。
「辻斬りの現場で、向こうに気付かれたのですかい?」
デドルがゆっくりとした口調でバウルに尋ねる。
「多分……。だから、すぐ逃げました」
えずきながら、バウルは首を縦に振る。
なるほど。昨日のバウルの様子から、辻斬りの現場から逃げ去った子供だと感づいたとしても不思議でない。だったら、ここまで執拗に『ガキ』に拘るのが納得できるもの。
「だから、きっと呼ばれているのは僕です……。僕のせいでマールさんやガンズさんが……。いや、それだけじゃないです。もしあそこで誰かを呼ぶ為に大きな声を出したりしていたら、あの人も助かっていたかもしれないのに。僕が臆病だから、弱虫だから……」
バウルはまだ八歳。辻斬りの現場に出くわしたら逃げるしかないのも仕方のないことだと思う。下手に叫んだり何かしようとしていれば、バウルも命を奪われていたに違いない。
「バウル、もういいわ。あなたが責めれられる事は何一つないわ」
誰にも言えず一人恐怖を抱えていたのか。
バウルをもう一度ぎゅっと抱きしめる。体の震えが伝わってくる。
「そうですよ。もし私がバウル君の年の頃なら、私だって逃げ出してますから」
アシリカもバウルを励ますように声を掛ける。
「そうだよ、バウル。僕だったらこの年になった今でも逃げ出すよ」
ブレストがバウルの横にしゃがみ、頭を撫でる。
「それ、道場主代行としてはどうなんだ?」
ガンドンが苦笑している。
「安全第一ですから」
そう答えるブレストに皆が声を出して笑う。彼のお陰で場の雰囲気が和んだよ。
「後はお嬢サマにお任せするデスヨ」
ソージュが一歩前に出てくる。アシリカとデドルも黙って頷く。
「姐さん。俺たちゃさっきのご命令通りここでバウルを守っています。心置きなく暴れてきてくだせえ」
ガンドンら運送チームの面々が揃って頭を下げる。
「ええ、ガンドンにはここを任せます。でも、バウル。あなたは一緒に来なさい」
「え?」
皆が一斉に声を揃えて目を丸くする。
「バウル。あなたも来なさい。そして、一緒にヤツらの悪行を暴くの」
バウルの肩から手を離し、立ち上がる。
「お嬢様、あまりにそれは危険にございます」
アシリカがすぐに異を唱える。
「確かに危ないわ。でもね、そうしなければ……」
バウルの目を真っすぐに見つめる。
「あなたは永遠にヤツの悪夢を見続ける事になるわ」
単純にあいつを成敗してもバウルの心の傷は癒えない。ならば、一緒に成敗することでヤツの恐怖を消し去ればいい。卑劣な悪行などに怯える必要はないと分かればいい。
「もちろん、簡単に消えるかどうか私にも分からないわ。もし、あなたが見た老人を救えないと後悔するなら、ここで勇気を出してヤツに理不尽に命を奪われた人たちの仇を討ちなさい」
乱暴で確証も無いし、無茶なのは百も承知だ。それでも、私にバウルの心の傷を癒す方法が他に思いつかない。
「勇気……」
小さくウルが呟く。
「そうよ。自分で自分を臆病と決めつけちゃダメよ」
ぎゅうとバウルは拳を握りしめている。
「ねえ、バウル。師である私に勇気を見せて欲しい」
「……はい」
私を見上げそう頷きながらも、バウルの顔から伺える感情は動揺と不安で溢れていた。