152 師の努め
この一月あまりのあいだですでに三件の辻斬りが起きているそうだ。どの被害者も鋭い剣撃の跡があり、ほぼ一刀の元に切り捨てられたらしい。お金や所持品を盗られた形跡もなく、ただ命を奪うだけ。被害者に共通する点もなく、犯行時間も犯行場所もすべてばらばら。おそらく手口から同一の人物による犯行と見ているようだが、騎士団は未だに何一つ手がかりを掴めていないそうだ。
「犯人は剣の使い手かしらね」
屋敷に戻り、部屋で一息つきながらリックスさんから聞いた事を思い返していた。
「おそらくは……」
一緒にリックスさんの話を聞いていたアシリカが頷く。
「調べる、デスカ?」
ソージュが尋ねてくる。
うーん。そこよね。確かに何の罪の無い人の命を奪うことはとても許されるものではない。被害にあった本人も無念だろうし、その家族にも悲しみだけしか与えない非道な行為だ。
でも、どうやって捕まえる? エルカディアの街を隈なく見張るなんて私たちだけでは無理だ。どこで起こるか分からない辻斬りを未然に防ぎ、犯人を捕まえるなんて不可能だろう。
「うーん……」
思わず唸り声を出してしまう。
「みゃあ」
黙り込む私の膝にムサシが飛び乗る。そして、ペロペロと私の手を舐めてくれる。こそばゆい。思わず笑みがこぼれる。
「そうね。しばらくは様子見ね」
今回私たちに出来る事は少ない。それにリックスさんたち騎士団も今、見回りを強化し、必死で犯人を捜している。
今の私に出来る事は無さそうだ。
ムサシの背を撫でながら小さくため息を吐いた。
頻繁に屋敷から抜け出すわけにもいかず、結局そのまま新年を迎える。
その分、家族とゆっくりと過ごせた。話題の中心はメリッサ義姉様の出産についてだ。新しい家族を皆が待ちきれない様子である。もちろん、私もである。
しかし、嫌な話もデドルから伝えられた。
年が変わってわずか二日目にして、また辻斬りがあったのだ。これで四人目。騎士団も防ぐ手立てもなく、新年から悔しさと怒りに打ち震えているそうだ。
私もメリッサ義姉様のお腹を見て、幸せに浸っていたのが一気に吹き飛ぶ。
もやもやとした気持ちの中、体を動かしたいという考えもあったのだが、冬季休暇の間に一度バウルに稽古を付けてやりたいと屋敷から抜け出し道場へと来ていた。
私がどんな稽古を付けるのかとアシリカやソージュだけでなく、ブレストはもちろんガンドンもデドルと並んで興味津々で見入っている。
「さあ、。どこからでも打ってきなさい」
木刀を持ちバウルに告げる。
「お、お願いします、お師匠さま」
緊張の面持ちでバウルも木刀を構える。私は構えることなく、木刀をおろしたまま待ち受ける。
バウルは少しの間逡巡した後、木刀を振り下げてくる。私はそれを自らの木刀で受け止めていく。
「腰が引けてるわよ」
バウルは上半身だけが前のめりになっている。足が付いてきていない。そのせいで踏み込めず、まったく木刀に力が伝わっていない。片手一本で楽に受け止められるほど力が入ってない。
おかしいな。素振りをさせた時はもう少しちゃんと踏み込めていたけどな。むしろ筋がいいとさえ感じた。だからこそ、こうして直接立ち合いに進んだのだけれども。
「ほら、足も出して! もっと打ち込んできなさい!」
「は、はい」
しかし、何度やっても腰が引けている。もう一度素振りを繰り返させてもみるが、やはり立ち会うとどうも下半身が付いてこず、上半身だけで剣を振っている。
臆病と自分で言っていたが、対人となると恐怖心が出てくるのだろうか?
うーん。教えるのも難しいもんだよね。少し見本を見せようかな。
「ほら、構えて。一度私の方から打ち込んでみるから、しっかり見ているのよ」
そう言って、私はバウルに向かい剣を構える。
それを見たバウルの顔が青褪めたかと思うと、体をガタガタと震わせる。最後は剣を落とし床に腰を着いてしまった。
「だ、大丈夫? いったい、どうしたの?」
慌ててバウルに駆け寄り肩を揺する。視線が定まらずその顔は真っ青になり怯えている。
臆病だとしても、これは異常だ。私は構えただけで殺気を込めてもいない。
稽古を見ていた皆も、あまりのバウルの狼狽ぶりに驚き、大丈夫か、と口にしながら心配そうに周囲を囲む。
「す、すみません。だ、大丈夫、です……」
体の震えは収まったがまだ顔は青いままだ。
「どこか調子が悪かったのですか?」
バウルの背中を摩りながら、アシリカが心配そうに尋ねる。
そう言えば、今日のバウルは元気がない。むしろ、どこか心ここにあらずという感じだったな。初めて私に稽古を付けてもらうということで緊張しているだけかと思っていたが、体の調子でも悪いのだろうか。
「い、いえ。ごめんなさい。その……。僕が臆病なだけ……です」
俯くバウルである。
でも、さっきの反応は臆病の一言で片づけられるもんじゃない。
「師匠。大人げないですよ。バウルはまだ八歳ですよ。目力を入れてこんなに怖がらすなんて……」
ブレストの非難まじりの視線である。
いや、だから殺気も何も込めてないってば。ただ剣を構えただけだよ。それとも、元の目付きが悪いとでも言うのか?
「いや、姐さんが殺気を込めたらあんなモンじゃないですよ……」
私から殺気の籠った視線を向けられた経験者であるガンドンからのフォロー。
庇ってもらっているとは思うのだが、複雑だね。それもそうかという納得顔になるブレストにもね。
「ごめんなさい。もう大丈夫です。僕が意気地ないだけですから」
バウルがゆっくりと立ち上がり、頭を下げる。
顔色も元に戻り、落ち着いたようだ。
「のう。少し休まんかの? ちょうど焼菓子も出来たでな」
稽古を始める前に散々私から説教をされたクレイブが、彼ご自慢の厨房から顔を出す。ちなみに彼の持つ秘技を一つ伝授してもらうことで手打ちとしている。
「焼菓子!」
ソージュの目が輝いている。
「そうね。少し休みましょうか」
一度、気分転換をさせよう。ちょっと稽古を続ける雰囲気じゃないしね。
「はい……」
バウルが力なく頷く。
「大丈夫よ。初めてにしては上出来よ。ブレストなんかあっという間に追い越しちゃうわよ」
励ます様にバウルの背を叩き、冗談交じりに声を掛ける。
「そうですよ、バウル。僕なんかあっという間に追い越せますよ」
ブレストもバウルを励ます。しかし、その言葉は本心っぽい。それはそれで問題のような気もするけど。
「ほれ。そんな辛気臭い顔をせんと食べんか」
クレイブが焼菓子の入った器をバウルの前に差し出す。
「ありがとうございます、料理長。……ん。美味しいです」
焼き菓子を口に入れ、小さくだが笑みが零れる。
「そうじゃ。嬢ちゃん。晩飯の食材を買い出しに行かねばならん。荷物持ちに付いてきてくれんかのう?」
「私が……?」
普段買い出しのお供はバウルが努めているそうだ。
買い出しか。どんな物が売っているのかしら。そういえば、市場とかってあまり行ったことがないな。
「いいわよ。一緒にいくわ」
「すまんのう」
焼菓子を堪能した後、食材の買い出しに出掛ける。
私が行くという事でアシリカたちも付いてこようとするが道場で待っているように言う。今年に入ってすぐの辻斬りが道場からさほど遠くない平民街であったこともあり心配しているようだ。
でも、剣聖と私だよ? まったく心配はいらないと思う。クレイブにも心配はいらんと言われ、何とかアシリカとソージュを納得させた。
クレイブと二人で道場近くの市場へと向かう。
市場は活気が溢れていて、多くの人で賑わっており、山のように積まれた野菜や果物、吊り下げられた肉の塊が売られている。平民街の真ん中にあるという事もあり品質より量と安さで勝負している店が所狭しと立ち並んでいた。
「今晩は久々に魚にでもするかの」
クレイブは一軒一軒店を巡っていき、夕食の食材を買い込んでいく。荷物持ちの私の両手はすぐぶら下げた袋で一杯になる。
「これを貰おうかの」
野菜を扱う店でクレイブが菜っ葉を三つ手に取り、店主に見せる。
「はいよっ」
威勢よく店主が答える。
「ありゃ? 爺さん、すまねえ。これ、一つ痛んでるみたいだ。運ぶ最中にでもどこかにぶつけたかな」
そう言って、店主が別の菜っ葉と交換しようとする。
「いやいや、それで構わんよ。その代わり少し安くしてくれんかのう?」
「爺さんがいいなら構わないけどよ」
少し値引いてもらって菜っ葉を三つを受け取る。
「どうせなら痛んでないのを買えば良かったのに」
店から少し離れたところで袋の中の菜っ葉を見る。だって、安くなったと言ってもほんの僅かである。
「まあの。でも、ワシが買わんかったらそれは捨てられるだけじゃろ?」
「ま、まあそうだけど……」
勿体ないと言えば勿体ないけどさ。
「別に腐っておるわけではない。ちょっと痛んでいるだけじゃ。ワシの腕に掛かれば問題ない。どこが何故傷ついたか見極めればその対処も分かるでな」
そう言って、クレイブは立ち止まり私に振り向く。
「嬢ちゃんよ。人に剣を教えるのも一緒かもしれんぞ。弟子が何故うまくいかぬのか、どんな迷いを抱いているのか。それは先に師が気づいてやるもんじゃよ」
どうもうまくいかないバウルの稽古を心配してくれているのか。でも、彼の怯えが尋常じゃないのは、分かるがそれがどこから来ているかまでは分からない。
「弟子を持つということも修行じゃ。自分自身のな。成長もするし、嬢ちゃんが忘れているものも思い出させてくれるかもしれん」
なるほど。私自身の修行か。それは分かる気がする。でも、私が忘れているものって?
「誰の為に剣を振るか、何の為に剣を振るか。そして、その先に何を見据えておるか。恐れ、怒り、嫉妬、欲望。それらすべてを一度受け入れてみよ。その上で改めて誰の為、何の為に剣を握るのか、何を見据えているのか。考えたらええ」
いつになく真剣な表情で語るクレイブが、私の目をじっと見つめる。その目を逸らす事が出来ない。
「まあ、お主はまだ若い。学ぶ時間はまだまだある。焦る必要はない」
眼差しがふっと緩み、いつもの人懐っこい笑みを浮かべるクレイブ。
「そろそろ帰らねばの。晩飯が遅れてしまうわい」
そう言って、再び歩き出す。
私も呪縛が解けたようにクレイブの後を追う。
何故か私もクレイブも口を開かず、黙り込んだまま道場までの帰路につく。
「あっ、お帰りなさい!」
道場の前でバウルが私たちの帰りを待っていてくれたようだ。
帰ってきた私たちに気付き、手を振ってからこちらに駆けてくる。
道場の前の道を向こう側、バウルの後ろから一台の馬車が走ってくるのが見える。雪が積もっているというのにスピードがかなり出ている。
しかし、バウルの背中になるので、彼にはその馬車が見えておらず気づいていない。
「バウル! 端に寄り――」
危ないと思い咄嗟に叫んだ時には遅かった。
車輪の軋む音と共に馬の嘶きが聞こえる。バウルの存在に気付いた御者が必死で手綱を引いている。
大きな音に驚き、振り返ったバウルが立ちすくむ。
持っていた荷物を放り投げ私が走り出すと同時に、黒い影がバウルの横を通り過ぎる。次の瞬間にはバウルの姿は無く、そこに馬車が軋みながら突っ込む。
「バ、バウル!?」
見ると、呆然となっているバウルがデドルに抱きかかえられている。
「デドルッ」
「いてて……。ギリギリでしたな」
顔を顰めてデドルが私に頷く。
私とクレイブは、慌ててデドルとバウルの元に駆け寄る。
「大丈夫? 怪我は無い?」
「は、はい……」
私の呼びかけにバウルがこくんと顎を引く。その目の端に涙が浮かんでいる。よほど怖かったのだろう。
「デドルは?」
「すいやせん。ちいっと腕を痛めてしまったようで……」
抱えていたバウルを私に預け、デドルが左肩を押さえている。
「腕を……。大丈夫よ。すぐにお医者様に見てもらわないと。すぐに最高の名医を呼ぶわ」
「お嬢様、大丈夫ですよ。骨は折れてなさそうですし、これくらいなら大したことありやせんよ」
慌てる私にデドルが痛そうに顔を歪めながらも、口元で小さく笑う。
「で、でも……」
やせ我慢してるんじゃないでしょうね。例え骨が折れてなくともお医者様に見てもらった方がいいと思う。
デドルが何と言おうと医者に見せようと私が立ち上がった時だった。
「この平民風情の無礼者どもめっ!」
馬車からの怒鳴り声。
「子爵家の嫡男が乗る馬車の行く手を邪魔するとは何事かっ!」
馬車の扉を開け、二十代半ばの青年だ。銀色の髪を靡かせ鋭い目でバウルを睨み付けている。
「ちょっと! 危ないのはそっちでしょ! 雪も積もるこの狭い道であんな速さで馬車を走らすなんて!」
デドルが怪我をした事もあり、一瞬で頭に血が昇る。
「お止めください」
腰を下ろしたままのデドルが慌てて怪我をしてない右手で私の手を掴む。
「何だと?」
バウルから私へと青年の視線が移る。
「この小娘。貴族に向かってなんて口を聞いてやがる」
そう言って、青年は右手を横に突き出す。彼の従者と思しき人物がその手にすっと剣を差し出す。
「貴様、この場で死にたいか。この場で無礼を働いた罪として平民を始末しても許されることを知らんのか?」
剣を受け取った青年は、冷たく言い放つ。
斬り捨て御免ってやつか。ただの脅しとも考えられるが、そんな権限が本当にあるのか?
「あっ……!」
真っ青な顔でへたり込んだままだったバウルが小さく叫ぶ。そして、体をガタガタと震え指す。
そんなバウルに馬鹿にしたような視線を向けたすぐ後、何かを思い出したかのようにはっとした顔に変わる。
「……おい、小僧」
そう青年が呟いた時、道場からガンドンとブレストが顔を覗かせる。
「何がありやした?」
「師匠? バウル?」
よく見ると、この騒ぎを何事かと遠巻きにして見ている人だかりがいつの間にか出来ている。
ガンドンらに続いて出てきたアシリカとソージュが状況を察したのか、私の前に飛んでくる。
「まあ、許してやってくださいませ。この年寄りからのお願いにございます。どうか、お許しを」
今にも青年に飛びかかりそうなアシリカとソージュを押しやり、クレイブが青年に頭を下げる。
「何で、こっちが謝る必要が――」
「黙っとれ」
鋭くクレイブが私を叱りつける。
「申し訳ありません。ワシの孫娘たちでして。どうも甘やかせて育てたせいか躾がなっておりません。後できつく言い聞かせますので、何卒ご容赦を」
もう一度クレイブは頭を下げる。
「それに人の目もございます。このようなしがない平民などお相手にされるのも貴方様の名に傷が付くやもしれませぬ」
クレイブはちらりと周囲の野次馬を見る。
青年も周囲の人だかりを目をやると、一つ舌打ちをする。
「今日の所は見逃してやる」
人だかりに続いて、道場を見た青年はそう言い残して馬車の扉を勢いよく閉めた。馬車が再び動き出し、人の山がさっと二つに分かれた間を進み消えていった。
「嬢ちゃん」
「……何?」
不機嫌を隠すこともなく答える。
「我慢せねばならん時もある」
そう一言だけ告げた後、デドルの怪我に具合を確かめるクレイブ。
悔しいが、クレイブの言う通りかもしれない。ここにいる私は町娘のナタリア。決して公爵家の娘ではない。ここで貴族相手に喧嘩をしては大事になる。さっきの馬鹿貴族を打ちのめしても道場の皆に迷惑を掛けるだけだ。いや、下手したら、それだけでは済まないかもしれない。
冷静さを失った自分を後悔する。
「大丈夫じゃ。うまく受け身を取っておったからの。二、三日もすれば良くなる」
道場の中でちゃんと手当てするようにアシリカに頼み、クレイブは立ち上がる。
「バウル。お前さんは大丈夫か?」
クレイブがバウルに手を差し出す。
だが、バウルはその手を受け取らず、真っ青になったままガタガタと体を震わせていた。
その夜、道場が何者かによって襲撃を受けたのを私が知ったのは、翌日になってからだった。