151 綺麗になってない?
魔術学園との対戦が終わり、冬季の長期休暇へと入っていた。
夏休み以来の屋敷である。
お父様とお母様はもちろん、お兄様たちにメリッサ義姉様や屋敷の皆は夏に帰ってきた時と変わらず私の姿に喜んでくれていた。
ちなみに一緒に連れて帰ってきたムサシもその日のうちに屋敷のアイドルと化したのは言うまでもない。
夏に帰ってきた時は、久々に家に帰ってきたという感慨深さがあったのだが、今回はそんな感じはしない。それだけ、学院での生活が馴染んできたということなのだろうか。それはそれで少し寂しくも思う。
屋敷でお母様とお茶を楽しみながらお話しをしたり、メリッサ義姉様の大きくなりつつあるお腹を触らせてもらったり、仕事から帰ってきたお父様の執拗な付きまといに少々うんざりしてみたりして三日が過ぎた。
そして、今年もあと僅かを残すばかりとなった四日目に、シルビアの所に行くと嘘をつき、街に繰り出していた。
馬車が向かう真の目的地は道場だ。理由はただ一つ。夏に始めた運送業の確認である。定期的にデドルを通じて貰っていた報告では、順調に進んでいるようだ。つまり、利益を出しているという事である。まだまだ大きな利益は出ていないが、軌道には乗っているみたいで一安心である。
「姐さん、お勤めご苦労でした!」
運送業の拠点としている道場に着くなりのお出迎え。ガンドンら怖い顔した運送チームの面々が一斉に頭を下げてのご挨拶である。
「え、ええ。ありがと……」
あのさ、私、学生生活を送っていただけだよ。なんかその出迎え、別の所に強制的に入れられていたみたいに思われそうだけど。
「お、お嬢様、寒いですので早く中に……」
また変な誤解をされて騎士団に通報されるのを恐れてか、顔を引きつらせるアシリカとソージュに背中を押される。
「おお、師匠。お久しぶりです」
道場へ入ると、笑顔でブレストも出迎えてくれる。
「どう? 少しは門下生増えてるの?」
「はい! 一名入門者が。で後で師匠に挨拶させて頂きます!」
誇らしげに胸を張るブレスト。
「それに、チラシ効果もそろそろ出てくる頃かと思うのですけどね」
まだ、チラシ配りしているのか。そして、その言い方だと現時点ではあまり効果は出ていないという事よね。
「それよりさ……」
道場に足を踏み入れてから気になっている事がある。
「何か綺麗になってない?」
以前は壁に所々穴が開いていて床もミシミシと音を立てて歩いて大丈夫かと思う程であったのが、すっかり綺麗になっているのだ。綺麗と言っても掃除したとか、修繕を施したといったレベルじゃない。どう見ても改装したとしか思えない。
「はい。これも師匠のお陰です」
私のお陰?
「ねえ、それどういう意味?」
一抹の不安が頭をよぎる。
「え? 始められた商売の利益で道場を立派にするのでは?」
首を傾げて、不思議そうに聞き返される。
「何ですって!」
聞いてないよ。まったく聞いてないし、そんな指示もしていない。
「え? クレイブ伯父が言ってましたけど……」
クレイブが? あのクソジジイ、何を勝手な事してるんだ!?
「おお、嬢ちゃん! 待っとたぞ」
呑気な顔をしたクレイブが私を見つけて道場の奥からやってきた。
「ちょっと! クレイブ!」
私は今、悪役令嬢を通り越して鬼の形相になっているかもしれない。
「何じゃい、そんな顔をして?」
まったく悪びれた様子のないクレイブに益々腹が立ってくる。
「こんな顔にさせているのはアンタでしょ。何勝手にお金を使っているのよ!」
「おお、それか」
今やっと分かったとばかりにクレイブはポンと手の平を叩く。
「一応、申し開きは聞いてあげるわ」
私は鉄扇を取り出す。
「いやの、初めてあやつらが商品を積んで帰ってきた時じゃ……」
クレイブは視線をデドルと楽し気に話している運送チームの面々に向ける。
「随分と薄汚れておってのう。皆、疲れ切った顔じゃった……」
辛そうにクレイブは首を振る。
「そんな奴らに穴が開き、隙間風と雨が漏る道場で休ませてやるのが、忍びなくてのう」
そうだったのか。それもそうだよね。長い距離を荷を運んできたのだから。きっと今は笑顔で話していても道中では苦労もあったに違いない。
「そんなあやつらに少しでも快適に休める様にと思ったのじゃ。もちろん、勝手にやったのはこの通り謝る」
クレイブが頭を下げる。
「う……」
ま、まあ、間違ってない。その辺にも気を使うべきだったかもしれない。
「腹をすかして帰ってきたあやつらに美味いもんも食わせてやりたいではないか」
目の端に涙を浮かべて訴えかけてくるクレイブだ。
「そ、そうね。クレイブの言う通りだわ。勝手にしたのは少し問題だけど、仕方ない出費よね。分かったわ。これに関してはもう何も言わないわ」
うん、やっぱり働いてくれる人の為にちゃんと給金以外の所でも報いてあげなくちゃいけないもんね。これは、必要な出費だ。
「さすが、嬢ちゃんじゃな。理解してくれると信じておった。ほれ、どうじゃ。丁度飯が出来たことろじゃ。食べていくじゃろ?」
そう言ってクレイブは厨房へと姿を消していく。
「だったら、机を並べましょうか」
ブレストも食事の準備の取り掛かる。
「姐さん。パドルスの旦那が来やしたぜ」
そこへ後ろにパドルスを連れたガンドンが来た。
「ナタリア様。お待たせしてしまいました。申し訳ございません」
私が今日ここに来る事は事前に伝えていたから、パドルスは遅れてきた事を気にしているようで、着くなりの謝罪である。
「大丈夫よ。私もさっき来た所だしね」
気にするような事じゃないとばかりに笑顔で答える。
「早速ですが、これが夏からの売り上げと利益にございます」
細かい数字が並んだ紙をパドルスが取り出す。
「以前にもご報告したように順調に進んでいます。人と荷馬車を増やす事もそろそろ考えてもよい頃合いかもしれませんな」
「それは何よりだわ」
うんうん。そうよね。道場をちょっと綺麗に改装するくらいのお金に目くじらを立てる事もないわよね。
「それで、ナタリア様への利益の件ですが――」
「さあ、料理を持ってきたぞ」
パドルスの言葉を遮り、鍋を抱えたクレイブが厨房からやってくる。その後ろに同じく鍋を抱える子供がいる。まだ十歳にも満たないようだ。慎重そうに鍋を抱えながらクレイブの後を付いて歩いている。
「師匠。あの少年がさっき言っていた新しい入門者です」
誰だだろうと首を傾げている私の元に机を並べ終えたブレストが来る。
入門した一名ってあんな小さい子だったの?
無事こぼさず落とさず並んだ机の上に鍋を置けて、ほっとした顔になっているけど、まだとても剣を振れる体格じゃないよね。
「実は、この道場の隣の家の子でしてね。おーい、バウル。こっちにおいで」
ブレストの呼び声に、一つ頷き私の前に来る。
「ほら。この方がここの道場主代理代行の師匠だよ」
「ええ! この方が!」
驚きの声を上げられる。
「連続百人と立ち会って、すべてを瞬殺したという……」
憧れと畏れが入り混じった目で私を見ている少年。
何かまた身に覚えのない武勇伝が増えているみたいね。
「あのっ、僕、バウルと言います。よろしくお願いします!」
明らかに緊張した様子で頭を下げる。
「ナタリアよ。こちらこそよろしくね」
彼の緊張をほぐす為にも優しい笑顔を見せる。
「おーい、バウル。手伝ってくれんかの」
クレイブが厨房から顔を出している。
「お師匠さま。料理長に呼ばれていますので、いったん失礼します」
ちょこんと頭を下げてバウルはクレイブの元に走っていく。
いや、料理長って……。あの人、剣聖だよ。
「何故かすっかり伯父上に懐いてましてね。料理の手伝いをよくしていますよ」
いや、剣術の稽古は? 彼、剣術道場に入門したのよね? そもそもブレストもすっかりクレイブを料理長として扱ってないか?
「剣術を習いに来ているのですよね?」
アシリカも私と同じ疑問を抱いたようだ。
まったく同じ疑問をパドルスも抱いているようで、ブレストに顔を向ける。
「はい。どうしても剣術を習いたいと」
「隣の家デスカ……。だったら、よく親が許しマシタネ」
ソージュが口元を引くつかせている。
「彼も八歳。剣術を始めてもおかしくない年ですよ」
おかしなことは無いとばかりにブレストが首を横に振る。
いや、ソージュが言ったのはそういう意味じゃないと思うよ。騎士団に通報されるような道場によく通わせたもんだって意味だと思うよ。
仕方ないな。せっかくだし、冬休みの間に少し稽古をつけてあげようかな。
「ほれ。寒い季節にいいじゃろ。あったかい鍋を用意したぞ。冷めんうちにな」
どんな稽古をするか考え始めた時、クレイブの声が稽古場に響く。
鍋の蓋を開けると瞬く間にいい匂いが道場に充満する。
いいわね。寒い季節にはやっぱり体が温まるものよね。
「冷めないうちに先に食事にしましょうか」
パドルスとの商売の話は後回し。稽古の件もだ。だって、この香りには勝てないよ。
私はせっかくなので、新たな入門者であるバウルの側に座る。
器に注がれた具材たっぷりの鍋料理。これは美味しい。
皆も我を忘れてクレイブの料理に夢中である。
「ねえ、何で道場に通おうと思ったの?」
仲良くなろうとバウルに話しかける。すると途端に彼の表情が曇る。
え? 何かマズイ事言ったの?
「……僕、臆病なんです」
器を下げ、ぽつりと呟くように話し出す。
「近所の友達にもよくからかわれるんです。だから、強くなろうと。強くなって勇気を持ちたいんです」
顔を上げて私を見る彼の顔からは、幼いなりの悲壮な決意が感じられる。
「そうなんだ」
強くなることと勇気を持つことは、別物だと思う。でも、まだ八歳のバウルには分からないのだろうな。そうね、今は強くなったという自信が必要な時かもしれないわね。
「大丈夫よ。私が強くしてあげる。だから、しっかり食べてまずは体を大きくしないとね」
私は、バウルの頭に手を乗せてにっこりと微笑む。
「はい、お師匠さま! 僕、料理長の作ったもの、大好きです!」
曇らせた顔をぱっと輝かせ、バウルが大きく頷く。
「いやあ。私も毎回クレイブ料理長の料理が楽しみでしてね」
私の正面に座り、私とバウルの会話を微笑ましそうに聞いていたパドルスも頷く。
「これならあれだけの大金をかけて厨房をまるまる作り替えたのは正解でしたな」
はい? 今、何て言ったの?
「いやいや。運送業の一年分以上の利益をつぎ込むと聞いた時には驚きましたが、これだけのものを出されたら何も言えませんな」
そう笑いパドルスは器をひょいと掲げる。
一年以上の利益を厨房設備に? あの剣聖、どこを目指しているんだ? もう無の境地と対極の所に行っているじゃないか。
でも、それって私の取り分からって事よね? えっと、稽古場だけでなく厨房も改装したって事?
私は慌てて、厨房を見に行く。
そこには、レオの部屋で見たのと同じくありとあらゆる調理道具が揃えられている。いや、下手したらレオのものより凄そうなものもある。
「あの……、ナタリア様から許可を貰ったと聞きましたが」
慌てて私を追いかけてきたパドルスが不安そうに尋ねてくる。
これは絶対に道場の稽古場よりお金がつぎ込まれているはずだ。素人の私から見ても一目瞭然だ。
何がガンドンらの為だ。メインはこの厨房じゃないか!
「クーレーイーブー!」
そう叫ぶが、すでに彼の姿はどこにも無かった。
道場内にクレイブの姿は無く、すでにどこかに脱出したようだった。その逃げ足の速さに呆れを通り越して、感心すらしてしまう。
「まったく、クレイブったら……」
しかもガンドンらから荷を運ぶ道中の様子を聞いていたデドルによると、実に快適だったそうだ。盗賊の類にも出くわさず、そればかりか日程に余裕もあり軽くだが観光までしてきたそうだ。私、お土産まで貰ったよ。
何が薄汚れて、疲れ切った表情で帰ってきただ? すっかり騙されたよ。
「お嬢様、いい加減機嫌を直されませ。今更どうしようもないですし」
帰りの馬車の中。雪が積もっているせいもあり、普段よりゆっくりと進む馬車である。いつまでもブツブツと文句を口にしている私に少々うんざりした様子のアシリカだ。
「まあね」
確かに、すでに改修も終わりどうしようもない。元に戻すわかにもいかないしね。その上、責任を感じたのか改修費用の半分をパドルスが持ってくれるみたいだし。
まあ、バウルの稽古を付けるのにこの冬休みの間に何回か道場に行く事になったから、その時クレイブに何か秘技を教えてもらってチャラにしよう。
そんな事を考えながら窓から外を見ると何やら人だかりが見えた。
場所はちょうど平民街の端。もうすぐ貴族街に入ろうかという辺りだ。
「何かあったのかしら?」
「あっ、リックスさんデス」
私が疑問を口にすると同時にソージュが叫ぶ。
リックスさん? 騎士団が来ているという事は何かあったのね。
「デドル、止めてちょうだい」
御者台に告げる。
「やっぱりですかい……」
苦笑するデドルが馬車を止める。
「お嬢様。お止めください。何か分からぬ所にあまり近づくのは……」
野次馬根性丸出しで馬車から降りようとする私をアシリカが止める。
「ちょっと、何があったかリックスさんに聞くだけだからさ」
止めるアシリカにそう言って、馬車から降りる。アシリカとソージュも、半分呆れた様子で私に付いてくる。
何重にも人の輪の中心に何人か騎士団が見える。ソージュが気づいたようにその中にリックスさんの姿もある。
「おーい、リックスさーん」
人だかりのすぐ側まで行くと、ぴょんぴょんと飛び跳ねリックスさんに両腕を左右に振って私の存在を知らせる。
ややしてから、リックスさんが私に気付いてくれる。大きく目を見開いた後、がっくりと肩を落としている。そして、首を横にふりながらこちらに来てくれた。
「お仕事、ご苦労様」
まずは労いの言葉を掛ける。
しかし、そんな私の腕を取り、人の輪から少し離れた場所に連れていかれる。
「ナタリア様。またにございますか? この件にも関わっておられるのですか?」
そう言って、人の輪の中心に目をやるリックスさんである。
「で、おおよその見当は付いているので? どんな奴です? こんな日中から辻斬りだなんて、正気の沙汰じゃありませんよ」
正義感の強いリックスさんが全身から怒りを滲ませている。
「辻斬りですって?」
こんな日の明るい時間に?
「え? ご存じないので?」
「ええ、まったく。たまたま通りかかっただけだけど……」
しまった、という顔になるリックスさん。
何事も無かったかの様に咳払いを一つする。
「なら、すぐにお帰りになられ――」
「で? 詳しく聞かせてよ」
リックスさんの言葉を遮る。
「はぁ……」
天を仰ぐリックスさん。何故かアシリカとソージュも同じようにため息を吐きながらがっくりと肩を落としていた。