150 雪中の決戦
今年の冬は一段と冷え込む。去年より早く雪がちらつき始め、エルカディアの街が雪化粧に染まる日が多くなっていた。
コウド学院も冬季休暇を控え、雪に覆われている。
そして、コウド学院では伝統行事の時を迎えていた。
このエルカディアの街だけでなく、エルフロント王国を代表するコウド学院と魔術学園。毎年、この冬季休暇の直前に両校で対戦が行われる。
翌年の春に卒業する三年生は後輩たちの成長を確認し、学校を託すという意味から応援に専念する。対戦は両校の一年生、二年生の代表が自校の名誉を賭けて戦うのだ。
何をもって対戦するかは、毎年違うのだが、今年はなんと雪合戦。毎年事前に対戦内容や細かなルールを両校の代表の話し合いで決めるのだが、もちろん発案者はレオ。さすがに王太子の立場の彼に反対できる者はいなかったようだ。
そして対戦の日を迎えた今、サッカーコートほどの広さに設けられた雪合戦場を前にして、寒さに震えていた。
「お前たち、決して油断するな」
やる気満々のレオである。防寒着に身を包み敵陣を見ている。
「はっ。必ずや我らコウド学院に勝利を!」
ライドンが握り拳を頭上に上げ、レオに力強く応える。
この二人、闘志に燃えているけど寒さを感じてないのかしらね?
「あの……、何で俺が……?」
寒そうに体を縮こませてそう尋ねているのは、オーランド。
レオがケイスの代わりに選んだメンバーだ。ちなみにケイスは三日前から風邪を引いて寝込んでいるそうだ。どこまで本当だか……。寒い所は苦手とかで、随分と嫌がっていたもんな。
しかし、まさか攻略対象者三人とチームを組むとは夢にも思わなかったよ。
そして、一チームは男女それぞれ三人ずつの六人。
女性側の代表は当然のように駆り出された私。そして、この私に女性側の三名を選ぶように言われたのだが……。私が気軽に誘える人って少ないのよ。
「ナタリア様。この雪合戦ってサンバルト家に伝わるそうですが、本当ですの?」
ちらつく雪とたまに吹き抜ける冷たい風に苛立ち交じりのミネルバさんだ。
「ですから、天からの恵みである雪を相手に贈る。それに、謙遜の意味を込めて相手からの雪は避ける。奥ゆかしい遊びですわ」
随分前にお母様にした自分でも訳の分からない説明を繰り返す。
「それはさっきも伺いましたが、やっぱりよく理解出来ませんわ!」
うん。だろうね。
「お姉さま! 雪です! 雪が舞ってますわ!」
一方もう一人のメンバー、シルビアは元気である。無邪気に降ってくる雪を追いかけている。
「シルビア様、寒くないのかしら」
寒さに震えながら両腕を組んで体を小さくしているミネルバさんが半分呆れた顔でシルビアを見ている。
「おい! 今から作戦会議を始める」
寒さなど感じていないのか、気合十分のレオが私たちを呼ぶ。
雪合戦に作戦会議って、必要なのか?
「今回は必勝を期して、特別に軍師となる者を呼んでいる」
軍師? いや、そこまでやる必要あるのか?
「紹介しよう。サンバルト家侍女のソージュだ」
レオの側に立っているのは、ソージュ。私の侍女だ。
「ソ、ソージュ?」
軍師って、何してるの?
「雪合戦発祥の家であるサンバルト家において、雪原の覇者と呼び声高い彼女が軍師となれば、これ以上心強い事はありませんな」
ランドンが頼もしそうにソージュを見ている。
「よくアシリカが許したわね……」
軍師というよく分からない立場で参加しちゃっていいの?
「殿下にケーキ三回ご馳走になるで頼まれまシタ。アシリカには内緒デス」
食べ物で買収されたか!
応援席にいるアシリカの方を見る。遠目でも唖然としているのが分かる。
知らないよ。今回、私は関係ないからね。怒られるのはソージュだけだよ。
「ソージュよ。勝てば、さらに三回増やす。軍師としての役割、期待しているぞ」
「お任せくだサイ!」
レオの言葉にさらにやる気アップだ。
「ふふ。これで勝利は我が手にしたも同然だな!」
「軍師殿、さっさく我らに勝利の策を!」
レオとライドンだけが盛り上がっている。
「ハイ。攻め手と守り手に分けますが、攻め手は女性だけにしマス」
「攻めるのは突進力のある男の方がいのでは?」
レオがもっともな疑問を挟む。
「そこデス。相手はきっと、女性だけで攻めてくると油断しマス。その間隙を突くのデス!」
ビシっと敵陣をソージュが指差す。
「うまくいかない女性だけでの攻撃に注目を集め、その隙に殿下がこっそり迂回して敵陣を落とすのデス」
「なるほど。陽動を立てて奇襲するわけか」
レオも敵陣に目をやる。
「幸いにも天候が荒れてきてイマス。奇襲にはうってつけデス。天運は我らにありマス!」
空はどんよりとした厚い雪雲で覆われている。風も次第に増してきていた。
「おお!」
レオとライドンが感嘆の声を上げる。
でもさ、その作戦って、向こうから浴びせられる雪玉の中を私たちに進めという事になるよ? 男性陣が自陣に籠って、女性陣に突撃させる……、ビジュアル的にもよくない気がするしさ。
それにさ、うまくいくとは思えない。魔術学園側がそんなあっさりと油断するとは思えないし、いくら悪天候でも気づかれると思う。冷静に考えれば作戦と呼べるようなものじゃないと思うけど。
なんか、すっかりレオとライドンはソージュの醸し出す雰囲気に飲まれている気がするね。
「なぁ……、殿下っていつもこんななのか?」
レオに困惑の視線を向けるオーランドが小声で尋ねてくる。
そうよね。だって普段は毅然と王太子として振る舞っているからね。
「まあ、こんなものかな」
特に最近になって残念ぶりが増してきている気がする。かなり気がかりであるな。
「我らの勝利は間違いない。さすが雪原の覇者と呼ばれているだけある。頼もしい限りだ」
私の返事と満足そうに自信満々で頷くレオにさらに困惑の度合いを深めているオーランドである。
ほんと、あんな作戦で勝てるとは思えないけどね。
今回のルールにおいて、勝利は敵陣の旗を取る事。その旗は敵陣奥深くに立っている。その周囲には、二箇所腰ほどの高さまで雪の壁が作られている。防衛拠点となる陣である。
魔術学院との対戦において、魔術と武器の使用は禁止されている。そして、そこに身分なども関係はない。ガチの勝負である。
もっとも、勝ったからと言って特に何があるわけでもない。だったら、もっと楽な勝負にして欲しかったよ。
会場となる雪合戦場を挟んでコウド学院と魔術学園の応援する生徒が対峙している。両校とも一年に一回のお祭り騒ぎとばかりに歓声を上げている。
「ミネルバ様。ほら、あそこ。ザリウルス様が応援されてますわよ」
口数も減り、体をガタガタと震わせているミネルバさんに応援席で手を振っているザリウルス様の存在を教える。
「こんな所見られても嬉しくありませんわ」
ザリウルス様の方を見ようともせず答える。
まあ、確かに。全身もこもこの恰好で、寒さに震えているだけだもんな。
「おい、のんびり話している時間はないぞ。今のうちにこれを腰に括り付けておけ」
レオが用意したのは腰袋。中には雪玉が入っている。見ると向こうでライドンがせっせと雪玉製造機と化している。
事前にいくつか雪玉を用意しておくのか。
レオから雪玉が入った袋を受け取り、腰に結び付ける。
「そろそろ開始時間のようだな」
ソージュの作戦にまったく疑問を持たないレオが配置に着く様に指示を出す。
まあ、どうなるか分からないが、あっさり負けるのも癪だ。何か出来る事があれば、独断で動くか。
陣地の方に向かおうとする私の袖を掴んだソージュに止められる。
「お嬢サマ。真の陽動は殿下デス。最初の攻撃では、手を抜いて相手からお嬢サマが大したことないと思わせるようにしてくだサイ」
え? さっきの作戦に続きがあるの? しかもレオには内緒でさ。なるほど。敵を騙すにはまずは味方からって事よね。
ソージュ、怖い子。でも、さすが私の侍女だわ。ちゃんと私に花を持たせてくれようとしていたのね。
「おい、リア。何をしている。さっさと来い。始まるぞ」
本当は自分が囮役である事を知らないレオが気の毒に思えてくるね。笑いそうになっちゃうけど。
「すぐ行きますわ」
レオたち男性陣は陣地の中に、そして女性陣はその陣の前へと配置に付く。
「では、只今よりコウド学院と魔術学院の雪合戦の対戦を行います」
進行役の副院長だ。頭は暖かそうなニットの帽子で守られている。
会場に響く笛の音で開始の合図が告げられる。
「ど、どうすればいいですの?」
ミネルバさんが私に聞いてくる。
「最終的には、敵陣の旗を取るのですが、無理する必要はありません。ゆっくりで構いませんので、敵陣に向かって進んでくださいませ」
ちらつく雪の中、ミネルバさんに答える。
私を真ん中にして、右にシルビア、左にミネルバさんという隊形で前へと進んでいく。お互い声の届く距離を保つ。
魔術学園側は守備に二人を残し、残る四人で大きく左右に開きこちらの出方を伺っているようだ。ソージュの予測はあながち間違ってはおらず、女性三人だけの前進に戸惑いの色が見える。
ちらついていた雪は開始の合図と同時に次第に強くなってきた風に煽られ、視界が悪くなってきている。降ってきている雪も多くなってきたようだ。
そんな天候とは反対にお互いゆっくりと進む静かな立ち上がりであったが、先に動いたのは魔術学園の方だった。
突然、進む速度を上げ、同時に雪玉をこちらに向かって投げてくる。どうやら魔術学園の方も事前に雪玉を用意していたようだ。腰の袋から取り出した雪玉を次々を投げつけてくる。
「きゃっ!」
雪玉がミネルバさんを直撃する。
「もう嫌ですわっ!」
顔を雪で真っ白にしてミネルバさんが叫んでいる。
「ミネルバ様! 反撃を!」
しかし、そう叫ぶ私の言葉もミネルバさんには聞こえていないようだ。両手で頭を抱え次から次へと飛んでくる雪玉にパニックになっているようだ。
「お姉さま。これ、楽しいですわ!」
反対側のシルビアからは弾んだ声。
立ち止まり、飛んでくる雪玉をすべて手刀で叩き落していっている。
これはこれですごいな。でも、まったく別の遊びになってるよね。
後ろを振り向くと、レオたち男性陣は陣の中でじっとしたままだ。助けにくる気配は微塵も無い。
シルビアは大丈夫として、これは私がミネルバさんを助けにいかないといけないわね。
雪玉を当てられながらもミネルバさんはゆっくりと前進している。やはり変な所で素直な彼女だけあって、最初に言われた敵陣に向かって進むを実行しているのだろう。
「ミネルバ様!」
少し開いたミネルバさんとの距離を詰めるべく私も進もうとするが、ここで突然の突風。思わずよろめく。そこに雪玉の顔への直撃である。
吹雪く中、敵の姿が見える。私もお返しとばかりに雪玉を投げ返すが、激しい風に押し戻されて敵まで届かない。もう一度投げても結果は同じ。
くそっ。こちらが風下か。圧倒的に不利である。
「はっはっはっは。我らコウド学院に勝利を!」
その時、レオの高笑いが聞こえる。
敵の背後を駆け抜けている。
あいつ、馬鹿か? 奇襲攻撃で大声を出しながら進んでいっているよ。いくら雪が激しくなってきているとはいえ、敵陣目指して大声で気勢を上げながら駆けていくのはダメだろ。奇襲をしかけているようには思えない。
当然、敵の集中砲火を浴びる。さらに、その雪玉を避けようとして、積もった雪に足を取られて見事な転倒ぶりを見せてくれてもいる。
でも、ソージュの策を実行するには丁度いいかもしれない。私を狙っていた敵方もレオに注目している。
私は這いつくばるようにして前に進む。この見た目は情けないが、どうせ誰も気づいていない。
「リアー! どこだ!? 援護をっ!」
遠くからレオの叫び声が聞こえるがもちろん無視である。彼には、もっと大きな声を出してもらって囮としての役目を立派に果たしてもらう事を願う。
誰も私の動きに気づいてないようだ。匍匐前進で前へ前へと進んでいく。
天も私に味方してくれている。一段と増した風雪がさらに視界を悪くさせてくれている。十歩ほど先までしか見えない状況だ。
「殿下ー! 助けに参りましたぞっ!」
「陣の守りはどうするのですか!?」
はるか後ろからライドンの大きな声が聞こえる。さらにオーランドの声も聞こえてくる。
うんうん、いい感じだ。さらに目立って、私の隠密行動が楽になる。
ソージュの策略通りだ。このままいけば、勝利の立役者はこの私。もしかしたら二つ名を貰えるかもね。楽しみだわ。
思わず一人ニヤつく私の手に何かが当たる。固く冷たいものだ。
よくよく見ると雪で作られた壁だ。
まさか、これ……。
私はゆっくりと顔を上げる。
見上げた先には、魔術学園のメンバーが二人。
「敵だっ!」
そう叫ばれるのと同時に私に向かって一斉に雪玉が投げつけられる。
ついてない! ここは、魔術学園側の陣前。私は、その防衛の為に設けられた壁の前に辿り着いてしまったのか。余計な事を考えて、ちゃんと前を確認するのを忘れていたよ。
「ちょ、イタッ」
陣を守っていた魔術学園側からの攻撃に成す術もなく一方的に雪玉を浴び続けている。
ここは一旦引き返して、態勢を立て直すしかない。
そう思い、逃げの態勢に入ろうとした時だった。
「勝負ありっ! 勝者、コウド学院!」
笛の音と共に、告げられるコウド学院の勝利。
え? どういう事? まさか、レオが?
状況が掴めず、ゆっくりと立ち上がり敵陣の奥、旗の立っていた場所を見る。
そこには、旗を持つ全身雪まみれのミネルバさんの姿。
「もう、前がよく見えませわ。何ですの、これ? 進むのに邪魔ですわ」
魔術学園側の攻撃していた者はレオに、陣を守っていた者は私に、それぞれ気を取られていた。その隙に、ただただゆっくりと前へ前へと進んでいたミネルバさんがあそこに辿り着いたのか……。誰にも気づかれないまま……。
「そんな事よりいつになったら終わりますの? もう寒さが限界ですわ」
よくルールも分かっていないみたいだね。
大丈夫、もう終わったよ。ミネルバさんのお陰で勝利できたからね。
対戦の終了と共に何故か止む雪。風も収まる。
激しい戦いの後に、呆然と佇む勝利の立役者になり損ねた私とレオの姿がそこにあった。
後日談ではあるが、ミネルバさんは雪の女王と呼ばれる。勝利の旗を掴み雪で全身真っ白になった彼女を讃えての二つ名である。
だが、雪の女王と呼ばれる事に強い拒否感を露わにする彼女だった。