148 女王の誓い
大きな窓を背にする宰相が冷たい目を向けてきている。
「さて……。ナタリア殿が何を申されているか理解しかねますが、お二人とも最後のお別れの挨拶は済まれましたか?」
「まあ。私の言っている事が理解されないとは困りましたわ。でも、すぐに理解して頂けますわ。嫌になるくらいにね」
ミーナを背に隠す様にして宰相と向き合う。
「民を一番に考えるべき立場でありながら己の安泰と栄華ばかりを求めるなど、宰相失格ですわ。ましてや忠を尽くすべき主君に仇を為すとは言語道断」
鉄扇を宰相に向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線を宰相に送る。
「はっはっはっは。エルフロントの貴族令嬢は気がお強い。ですが、いつまでそんな強気でおられますかな。おいっ!」
宰相の掛け声に呼応して、部屋にどっと剣を手にした兵が入ってくる。
フィンゼントの兵か。かなりの数がいるわね。
「本来守るべき相手に剣を向けるとは愚かなことですわ」
殺気立ちながら剣を構える兵たちを一瞥する。
「たった女二人でどうするというのだ? 臣としてあなた方には、せめて楽に死んで頂きたい。ひと思いに殺してやれ」
宰相は兵に合図を送る。
その合図に合わせて一人の兵が私に切りかかってくる。
振り下ろされた剣を難なく鉄扇で受け止め、私はにやりと笑う。
「あら? 誰が私たち二人だけだと言いましたか?」
「何?」
宰相が疑問の言葉を口にすると同時に爆音が響き、窓のガラスが砕け散る。
ガラスの無くなった窓から次々と氷の礫が降り注いでくる。
おっ、アシリカたちが来たようね。イグナスお兄様の厳重な警備を突破したデドルだ。アシリカとソージュを連れてここに来るのは容易い事だろうからね。
「ほら、よそ見していると痛い目に遭うわよ」
呆然と窓から来る氷を眺めている私に切り付けてきた兵の顎目がけて鉄扇を振り上げる。
「がっ」
変なうめき声を立てながらそのまま仰向けに倒れる。
「お嬢サマ!」
破れた窓からソージュが飛び入ってきて、私の元に駆け寄ってくる。走りざまに兵をなぎ倒しながらね。
「アシリカはまだ外から魔術を放っているの?」
さっきから氷の礫が止む気配がない。
「お嬢サマに切りかかった者を見て、キレてマシタ」
氷の礫を避けて迫ってくる周囲の兵に掌底と蹴りを放ちながら、ソージュ。
なるほど。おそらく突入のタイミングを見計らっていたところに、切り付けられた私を見てアシリカがキレたのか。
「コイツのせいデス」
最初に私に切りかかってきた兵にもついでとばかりに足蹴にしている。もう私にやられて意識無いみたいだけどね。
「ま、いっか。今日のお客さんは多いみたいだしね」
ミーナを背後に庇いながら呟く。
アシリカの怒りに触れた自分たちが悪いよね。
「お、おい。お前ら、何をしている! さっさと片付けんか! 外から魔術を放っている奴を併せても二人増えただけではないか!」
数が多いはずなのに明らかに押されている形勢の宰相が怒鳴っている。
「すいやせんね。もう一人いやす」
今度は、部屋の反対側の窓も破られたかと思うと壁沿いにいた兵が次々と倒れていく。
倒れた兵の向こうから短刀を構えたデドルが姿を現わす。
「あ、あの……、ナタリア様……」
後ろのミーナが小さく私を呼ぶ。
「これは一体……?」
「ん? これ? 世直しですわ。そうね……、私の貫き通すべき信念とでも言えばいいかしらね」
ミーナと私に向かってきた一人の兵の腹を鉄扇で薙ぎ払いながら答える。
「世直し……? ナタリア様の信念……?」
困惑していけど、まあ、無理もないかもしれないけどね。
「お嬢様!」
その時、アシリカも窓から部屋へと入ってくる。
「ご無事ですね。ああ、良かった、ミーナさんも」
私たち二人に怪我も無い様子を確認したアシリカがほっとした顔になる。
ああ、アシリカたちは部屋で宰相とのやり取りまで聞こえてないのか。ミーナだけどミーナじゃなくて、女王で。女王は影で……。
話せば長くなりそうだ。説明は後でいいか。
「アシリカ。残りも片付けてしまってちょうだい」
説明の代わりに殲滅の指示を出す。
「はっ」
アシリカ、ソージュ、デドルの三人にあれほどいたフィンゼントの兵はすべて戦闘力を奪われ地に這いつくばるまで、それほど時間を要しなかった。
「お、お前たち……、これは大問題だぞ。外交使節である我々にこのような振舞いをして、いくらサンバルトの娘でも許されるとでも思っているのか!」
でっぷりとしたお腹と声を震わせ宰相は恐怖に顔を引きつらせている。
「アンタ、馬鹿じゃないの? ここまでやっておいて外交とかよくそんな虫のいい立場を口にできるもんね。アンタはただの謀反人よ」
呆れた視線に悔し気に歯を食いしばる宰相である。
「い、一国の宰相を馬鹿だと?」
それでも、まだ憎しみの目をこちらに向けてくる。
「その宰相の職、この場で今すぐ解きます」
ミーナが私の隣に立つ。
「女王として命じます。あなたを宰相の職から解き、死罪を命じます」
宰相はミーナの、女王としての言葉に腰が砕けたように座り込む。
「お、終わりだ……、すべて終わりだ……」
顔面蒼白となり、ブツブツと繰り返している。
「女王の命? お嬢様、これはどういう……」
何でという顔になり一斉に私を見るアシリカたち。
ああ。、説明がまだだったな。そりゃ、訳が分からなくなるよね。
「えっとね、つまりミーナが女王だった、って話よ」
かなり詳細を省いているが、今はこれでいいだろう。
「ええっ? どうして、そのような大事な話をもっと早くにしてくれないのですか!」
いや、そう言われても、私もさっき知ったばかりだからさ。
「お嬢様、すぐにこれを」
駆け寄ってきたデドルが私にさっきまで被っていたベールを渡してくる。
「え? 何で?」
もう必要ないでしょ。
「エルフロントの兵が来ると思いやす。これだけ騒げば、表のエルフロント側もじっとしていやせんから」
言われてみれば、こちらに向かってくる足音が聞こえてくる。あれだけ暴れれば当然かもしれないね。
私は慌ててベールを被る。
「あっしらもここにいてはマズイ存在です。お嬢様、後は頼みやす」
デドルはそう言い残すと、窓からアシリカとソージュを連れて出ていく。
「え? 嘘? 私どうするのよ?」
頼むって言われてもさ。
「ナタリア様。ご心配には及びません。今のナタリア様は女王陛下。そして、私は侍女のミーナです」
な、なるほど。ここで私の正体がバレなければやり過ごせる。
程なくして、部屋にエルフロントの兵が部屋になだれ込んでくる。
「じょ、女王陛下! それに、この部屋の有様は……」
先頭の部隊長らしき兵が唖然として部屋を見渡す。
「すぐにそこの宰相を捕えてください。女王陛下に刃を向けたのです!」
ミーナが部隊長に縋るつく様に訴える。
「刃をですと!」
血相を変えて宰相を見る。
「しかし、ご安心を。この私が陛下をお守り致しました」
これだけの人数を相手に? という驚きの眼差しで部隊長がミーナを見ている。
「さぞ、怖かったでしょうな。しかし、もう安心にございます。おい、そこの謀反人を捕えよ!」
しかし、すぐに部隊長はミーナと私に同情の目をした後、宰相を睨み付ける。
「あっ、フィンゼントでは、罪人の口も塞ぐのです。言葉が話せないよう口にもしっかりと轡をしてください」
さすがね。余計な事を話せないようにってわけね。
処分はフィンゼントで決めるので、女王の裁が下りるまで迎賓館の一角に押し込めておくようにミーナが頼み、宰相が連れられていく。
体に力が入らないようで両脇を抱えられるようにして宰相が連れられていく。
「よろしくお願いしますね」
ミーナが部隊長に頭を下げる。
「はっ。それと、表にサンバルト家よりの馬車がお迎えに来ておりますが……」
「ナタリア様にお願い致しておりました。女王陛下。お迎えが参ったようにございます」
黙ってミーナに頷く。
この部隊長が私の声を知っているとは思えないが念の為だ。
「ありがとうございました。後は私が陛下をお守りしますので……」
部隊長の労をねぎらい、ミーナが頭を下げる。一緒に私も小さく頭を下げながら部隊長に目礼する。
「陛下直々に身に余る光栄。では、失礼致します」
部隊長は女王直々に礼をされたと思ったのか、感激の表情を浮かべながら去っていく。
女王効果すごいな。本当は私なんだけどさ。いや、ミーナも礼を言っているから女王直々の礼というのも間違いではないか。
「ナタリア様……」
すべてが終わり、静かに私の名を呼ぶ。
「ありがとうございます。すべてナタリア様のお陰にございます」
涙が目の端に浮かんでいる。安心したせいか、はたまた父王の最後の真実を知ったせいか。いや、いろいろな想いがこみ上げてきているのだろうな。
「よく頑張ったわね。いえ、失礼しました。すべては女王陛下が覚悟を決められたからにございます」
フィンゼントの礼の従い床に跪こうとするのをミーナ、いや女王が止める。
「ふふ。お願いですから、ナタリア様の前ではミーナでいさせてください」
弱々しくだが、小さく笑うミーナである。
そうよね。ずっと女王でいるのも疲れるよね。
「……よく頑張ったよ、ミーナ。立派だったわ」
そっとミーナを抱きしめる。
「アシリカたちなら少しくらい待たせておいてもいいわ。先にここで泣いておきなさい」
きっと、今まで泣く事もなかったのだろうな。父親が死んでも、悩んでどうしていいか分からなくなっても。ただ、女王という立場に縛られて……。
「ううっ、うわーん」
私に体を預け、女王ではなくミーナは大きく声を上げて泣いていた。
その後はすべて早かった。
午後になり国王陛下との会談で正式にエルフロント王国とフィンゼント王国の同盟が成った。それは一方的なものではなく、対等な同盟である。
それと同時に宰相の処分も行われた。こちらも正式に女王からの通知を受けて処断されたそうだ。女王への反逆という事でエルフロントの地ではあるが、実行されたようだ。もちろん、彼に組する者たちも一緒だ。
これでほぼフィンゼント内のアルシア派は壊滅したと言っていいだろうな。
しかも遂行の兵の大半を失った為、エルフロント軍が女王をフィンゼントまで送る事になった。これでフィンゼント内で女王へ反抗しようとしても不可能になる。
後は女王の頑張り次第だろう。でも、今のミーナならきっと心配ない。泣いた後に涙を拭ったミーナの目は明らかに力強かったもんな。フィンゼントの為に、そこに住む国民の為に立派に務めを果たすに違いない。
めでたしめでたしとゆっくりしたい私だったが、夜に行われる両国の同盟の祝いと明日帰国する女王を見送るパーティーに参加していた。
今回女王の相手役なのだから当然といえば当然なのだが、本当はのんびりとしていたかったよ。
女王は少し離れた場所で国王陛下と歓談している。その胸にはフィンゼント王家の紋章の入ったペンダントが輝いている。あれはフィンゼント王家の主の証だそうだ。
もう影を立てる必要も無くなった。だが、それに気づいている者は私たち以外にはいないだろう。
女王として凛としたたたずまいのミーナが眩しく感じる。
「ナタリア様」
思わず涙が出そうになる私に声がかかる。
「あなたは?」
恰好を見るにフィンゼントの侍女のようだけど。こんな人いたっけな?
「影にございます」
おお。女王の影武者をしていた人か。全然分からなかったよ。
「あなたもご苦労様」
考えてみれば、この人が一番危険な役目だったわけだもんね。
「いえ。ナタリア様のご尽力に比べれば私など……。それより役目とはいえご無礼を致しました。どうかお許しを」
深々と頭を下げる。
「仕方無いわよ。気にしないで」
にっこりと微笑み返す。
「ありがとうございます。もっとゆっくりお話しさせて頂きたいのですが、まだもう一仕事残っておりますので、これにて……」
もう一度頭を下げて去っていく。
もう一仕事? 何があるのだろう?
首を傾げる私にアシリカに突かれる。
「お嬢様、呼ばれておりますよ」
小声で教えてくれる。
「呼ばれている?」
アシリカが目で示す先を見ると国王陛下と女王陛下が並んでこちらを見ている。
「ナタリア。今回は女王の案内ご苦労だった。女王もそなたに感謝しているそうでな。是非に褒美を取らせたいそうだ」
上機嫌の国王陛下である。
パーティーへの参加者の視線が一斉に私に向かう。
「う……」
この空気、苦手だが国王直々のお呼びだ。
令嬢モードに切り替え、国王陛下の前に進む。
「ナタリア殿」
うん、ミーナも女王モードだね。お互い疲れるよね。
「はい」
恭しく頭を下げる。
「面をあげてかまいません。案内役ご苦労様でした。とても有意義な時間を過ごせました」
じっと私を見ている目はミーナの目だ。
「もったいないお言葉にございます」
「心から感謝しております。そこで、私からあなたに渡したいものがあります」
すっと女王となったミーナが私に近づく。そして、私の両手を取る。
「ナタリア殿。あなたとの永遠の友情を誓います。それが私からのあなたへの感謝の気持ちを込めたお礼です」
会場が一斉にどよめく。
「私も誓います。女王陛下との変わらぬ友情を」
私もミーナの手を強く握り返す。
会場から賞賛と拍手が続く中、私とミーナは大きく頷き合っていた。
パーティーも終わり、寮へと帰る中。
「あのさ……」
「はい。どうしましたか?」
目の前のミーナが聞き返してくる。
「今晩は迎賓館じゃないの?」
何故か寮に帰る馬車にミーナも一緒に乗っている。
「大丈夫ですよ。あっちには影が行っていますから」
なるほど。影の彼女が言っていたもう一仕事とはそれの事か。
でも、こんな事に使っていいものか悩むな。
「エルフロント最後の夜ですから。もっとナタリア様と語り合いたいじゃないですか」
そう力説するミーナである。
「しかし、陛下。よろしいのですか? 今夜から寮に警護は付きませんよ」
心配顔のアシリカである。
「陛下なんて止めてくださいよ。アシリカさんもソージュさんも今まで通りに接してくれてかまわないですから。皆さんといる時は私はただのミーナです」
困った顔になるミーナである。
「いえ、しかし……」
こちらも困った顔のアシリカとソージュである。
「本人がいいって言ってるんだからいいじゃないのよ」
私の言葉にアシリカとソージュが渋々頷いている。
「そうだ!」
頷く私の侍女に安心した顔のミーナが叫ぶ。
「鉄扇の舞姫とはナタリア様だったのですね! まさか、あのお芝居がナタリア様のお話だとは驚きました」
キラキラした目で私を見ているミーナである。
そっか。一番好きな登場人物がお姫様だって言っていたもんな。
「ま、一部事実と違う所もあるけどね」
まったくスバイツさんもとんでもない設定を加えてくれたもんだよ
「確かに王女ではなく公爵家の令嬢ですものね」
え? そこ? ほら、他にもあるでしょ。ドジで向こう見ずな所とかさ。
改めてスバイツさんの脚本に抗議したくなる私だった。