146 信念と覚悟
部屋に戻り、どっと一日の疲れが襲ってくる。
私はソファーに寝そべりぐったりしていた。それでなくとも、女王の案内に気を使いまくったのに、襲撃を受けるというトラブル。
女王への襲撃により怪我人は出たものの、幸いにも死者がいなかったのが救いである。
だが、なぜ女王は襲撃を受けたのか。そして、襲ってきたのは何者なのか。
エルフロント王国側が襲ったとは考えられない。ブロイド公爵からは、フィンゼントと同盟を結びたいと事前に聞いていた。だったら、余計に女王を襲う理由が無い。もちろん、外交に裏があるというのは理解できるが、あまりにもメリットが無いと思う。国賓である女王に万が一があれば、それこそ国のメンツは丸つぶれ、大問題となる。デメリットの方がはるか大きい。
ならば、他の国? エルフロントとフィンゼントが結びつく事を快く思わない国があるのだろうか?
うう。その辺は疎いからなぁ。自分の国の政治の話もよく分かっていないのに、他国の事まで分からない。やはり、勉強は必要だね。今更だけどさ。
「お嬢様」
己の不勉強を後悔しているところにアシリカから声をかけられる。
今日一日不在となる為ムサシをミネルバさんに預けていたのだが、そのムサシを迎えにいったアシリカが戻ってきた。しかし、ムサシの姿が見当たらない。
「女王陛下がお呼びだそうです」
ムサシを迎えに行く途中で伝言を頼まれたようだ。それを先に私に伝えに戻ってきたみたいだ。
「そう。すぐに行くわ」
一刻も早くムサシに癒されたいところだが、女王が呼んでいるとなればすぐに行かないわけにはいかないしね。
疲れた体を起こし、軽く身支度を整えて女王の部屋へと向かう。
「お待たせ致しました」
女王の部屋へと入り、女王の前で両ひざを床に着き一礼する。
「今日一日ありがとうございました。それと帰りの道中で私を守ってくれた事、心より感謝します」
相変わらず表情が読めない目で私を見ている。
「いいえ。国賓たる女王陛下をお守りするのは、当然にございます」
ベールの隙間から除く女王の目をじっと見返す。
「ですが、あの襲撃。女王陛下に心当たりはおありでしょうか?」
余計なお世話かもしれない。でも、女王が滞在する間、私が一緒にいるのだ。何かあるのならば教えておいて欲しい。
「……いいえ」
女王の表情はまったく変えずに、一言。
本当に何も知らないのか、それとも何かを隠しているのか。
「何かお力になれる事はございませんか?」
さらに畳みかける。
「お気遣い感謝します。では、明日の午後に是非学院内を案内していただけますか?」
……なるほど。あくまで襲撃に関しては話す事は無いというわけか。
「かしこまりました」
そうまで言われたら、こちらもこれ以上は口を出せない。
私は、静かにもう一度頭を下げた。
翌朝目覚めると、寮の周囲の警備は更に厳重になっていた。昨夜の内に大幅に警備の兵を増やしたそうだ。
朝食をゆっくりと摂る間もなく談話室に呼び出された私の前には、シスラス様。そして、その隣にはイグナスお兄様。
シスラス様は、今回の女王訪問を取り仕切っているブロイド公爵の名代として、私を訪ねてきていた。
「ナタリア嬢。昨夜の事、非常に申し訳なかった」
昨夜の襲撃に巻き込まれた私への謝罪である。ちなみに、父君のブロイド公爵は今、女王へのお詫びと警備体制強化の報告に行っているそうだ。
「いえ。こうして無事だったのです。お気になさらずに」
もっと危険な目にも遭った事があるしね。言えないけどさ。
「リア。もう心配する必要はないからね。僕がしっかりと守ってやる」
初めて見る軍服姿の凛々しいイグナスお兄様。しかし、その発言は軍人としてより兄としての気持ちの方が前面に出てきている。
お兄様の中で守る対象に女王は入っているか不安になってくる発言だな。この寮の周囲の兵は本来女王が警護対象のはずだけどもね。
「さすがお兄様。頼りにしてます」
ここは気分よく仕事してもう為にも可愛い妹でいくか。
警備の責任者に三公爵家のイグナスお兄様を充てたのも、エルフロント側の本気と誠意を見せる為だろうしね。頑張ってもらわないと。
「それで、襲ってきた者たちは誰ですの?」
私の質問にシスラス様が顔を険しくする。
「女王の近くにいるナタリア嬢には伝えておくべき事だったかもしれないな。我が王国がフィンゼントと盟を結ぼうとしている事は知っているね?」
「はい」
まずはその一歩として女王が来ているのよね。
「実はフィンゼント王国内ではそれに反対する者もいる」
シスラス様によると、先代王が突然亡くなって以来、まだ若いクリスティーナ女王の元で二派に別れて対立があるそうだ。
フィンゼントは大国に挟まれた国である。一方はこのエルフロント王国。この大陸最大の国である。そして、もう一方がアルシア王国。交易に力を入れ莫大な富を手に入れた結果、急速に力が増した国だそうだ。
以前より、フィンゼントはエルフロント王国と友好関係にあったが、この十年あまりで急速に力を増したアルシア王国が突然の代替わりの隙を狙いフィンゼントに対して露骨に影響力を行使しようとしているらしい。
「その為、今フィンゼントの政治は混乱している。そこで我が王国も正式にフィンゼントと盟を結ぶ事を提案したのです。アルシアと直接国境を接しない為にもね。しかし、すでにアルシア側に付こうと決めている者もいる」
なるほど。だったら、昨夜の襲撃はそのアルシアと結びつきたい一派の仕業って事なのかしら。
「その筆頭と言われているのが……」
声を落とし、シスラス様は真剣な表情となる。
「おおっ。シスラス殿っ」
その時、談話室の入り口から大きな声が響く。
「女王陛下を襲った賊はまだ見つからんのですか?」
でっぷりとした貫禄のあるお腹を揺らしながらこっち歩いてくる男性。女王の歓迎パーティーでも軽く挨拶を交わしたから覚えてる。フィンゼントの宰相だ。
「何の報告も無いからこっちから出向いてきたのですぞ」
不機嫌そうな表情を隠そうともせず、シスラス様に詰め寄る。
「これは宰相閣下」
シスラス様が立ち上がり、恭しく頭を下げる。
「おや。これはナタリア殿もご一緒でしたか」
ようやく私に気付いたとばかりに軽く頭を下げてくる。
「災難でしたな、ナタリア殿も。こちらにしても、完璧な警備を敷いていると聞いて安心していたのですがな……」
嫌味たっぷりの宰相にイグナスお兄様の眉間に皺が寄る。
「さらに警備を厳重にしております。女王陛下の泊まられるこの寮周囲もこちらに控えているイグナス・サンバルトが厳重に警戒しますので……」
そう言って、シスラス様に紹介されたイグナスお兄様は、むっつりと黙り込んだまま宰相に軽く頭を下げる。
「どこまで信用していいのやら……」
まるでエルフロントを信用していないといった宰相の口ぶりである。
「蟻一匹たりとも通しませんので、ご安心を」
眉間の皺を更に深くさせているイグナスお兄様である。
「……期待しておりますよ」
最後まで友好的な姿勢を示す事なく、宰相は女王に謁見すると去っていった。
「……で、彼がアルシアと結ぶと主張する一派の筆頭だよ」
宰相の後ろ姿が消えた後、シスラス様が私を見てにっこりと笑う。
「宰相閣下が……」
政権の要の宰相がアルシア派なのか。そりゃ、スムーズにエルフロントとの同盟が成るわけないか。女王も難しい舵取りをしなければならないでしょうね。
「僕はあまり好きなタイプではないな。ま、リアは何があっても守るがな」
警備を担当する軍をけなされたお兄様は面白くなさそうだ。それと、あくまで守るのは女王の方だからね。
「おいおい。イグナス殿。ナタリア嬢ばかり守っても駄目だぞ」
そうですよね。シスラス様、ちゃんと兄に言ってやってください。
「ちゃんと、ノートル家のミネルバ嬢も守ってやってくれよ。なにせ、可愛い弟の大事な婚約者だからな」
ダメだ、この二人……。自分の妹と弟の事が最優先のようだ。冗談めかして笑いあっているが、その目は本気っぽいもの。
うん、あの宰相、人を見る目はしっかりあるかもね。この二人の仕事、信用できないかもしれないと思う私だった。
その日の夜遅くである。
イグナスお兄様が厳重に守る兵の囲みをあっさりと突破してきたデドルと向かい合っている。
「お兄様、蟻は通さないけどデドルは通したのね……」
お兄様の警備、大丈夫かしら。
「いやいや、なかなかの警備体制でしたな。まだお若いのにあれだけ兵を纏めて固く守っておられるのです。さすがイグナス様ですな」
褒めているが、その警戒をあっさり通り抜けたのよね。
「まあ、いいわ。それで?」
昨夜の襲撃を受けて私が何もしなかったわけではない。デドルに頼んで襲撃した者やその背景を探ってもらっていたのだ。
「襲った人間に関しては、誰か分かりやせんでした。ですが、状況的に考えて、おそらくは、反エルフロントの人間。フィンゼントの宰相でしょうな」
「どうして言い切れるの?」
襲った実行犯が誰かも分からないのにさ。まぁ、怪しいのは同意だけれども。
「ここ最近のアルシアはその領土的な野心も旺盛です。実際、二年ほど前にフィンゼントより小さな隣国が併合されやしたしね。そして、次の矛先はフィンゼントに向いていると見て間違いでしょう」
「フィンゼントも併合されると?」
「へい、いずれはその可能性も。もちろん、現時点では表には出ておりやせん。先代王の死より不安定な政情となっているフィンゼントを助けるという名目ですな」
でも、その不安定になってしまたのは、アルシアのせいじゃないの? 自分で混乱の種を撒いて、自分で刈り取ってやろうとしゃしゃり出るなんて碌な国じゃないわよね。
「その助ける役目をエルフロントと争っているわけね。でも、そんな野心丸出しの国と女王が手を結ぶとは……」
胸の内を見せない人だが、決して愚かそうな人には見えなかったけどな。
「このエルフロントをも警戒しているのですよ」
警戒? でも、エルフロントはアルシアのように併合を考えていないはずだ。アルシアと国境を接するのを嫌っているだけのはずじゃ。
「小さき国ゆえの大国への警戒です。例え力ある国にその気が無くとも、力の弱い者は必要以上に用心するものですからな。それに、アルシアとて現時点においては併合などしないと明言しておりますから」
眉をひそめる私にデドルが付け加えてくれる。
なるほど。分からないでもないな。餌をついばむ小鳥がたまたま側を通りかかった人間を見て、飛び上がるのと一緒だ。
女王から見たら、このエルフロントもアルシアも大差無いのかもしれない。ただどちらを信用できるか、だけだ。
「じゃあ、宰相の方はなぜアルシアと?」
どこまで信じられるかは分からないが、少なくとも他国を併合した実績がある国と結ぼうなど考えにくい。
「簡単です。すでに、新しい地位が約束されているのでしょう」
そっか。確かに簡単だ。
「ですが、女王は違いやす。自分の、父祖から受け継いだ国を失うかもしれんのですからな」
私は何も答えられない。なぜなら、何が正しいのか分からないのだ。
もちろん、人の弱った所につけ込み、混乱を引き起こしたアルシア王国のやり方は納得する事はできない。でも、いくら年若くとも不意の王位継承でも一国の主として、付け入る隙を与えたのは失敗だ。
そして、なによりそれにより苦しむ国民がいるのだ。いつも苦しむのは、力を持たない者だ。その者たちからしたら、侵略者も憎いだろうが、守ってくれない自国の政府に対しても不信を抱くだろう。
あの思惑を悟らせない女王。せめて、彼女の考えが分かればいいのに。彼女の本心を見せてくれたらいいのに。
私は同じフロアにいるのに女王が近くにいる気がしなかった。
翌日の午後からは、約束通りに女王と学院を見て回っていた。午前中の王宮での予定は襲撃を受けた事もあり、明日に延期になっているそうだ。
女王の突然の学院見学に副院長らは大慌てだったようだ。午後から臨時休校を考えたらしいが、普段通りの学院を見て頂こうとの私の言葉に平常通りの授業が行われていた。
授業の様子や講堂、学院の生徒たちの憩いの場となるサロンなどを案内した。
ちなみに、今日はレオにも案内役に加わってもらった。最初の歓迎パ―ティー以降レオは何もしていない。今日一日くらい彼にも手伝ってもらおうと思ったのだ。
女王の相変わらずのポーカーフェイスぶりに多少の戸惑いを感じていたようだがそこは、さすが王族。最後まで王太子としての責務からか私より立派に案内役を務めていた。
「学院の案内、ありがとうございました」
夜、学院の案内してもらったお礼を言いたいという女王の元を訪ねていた。
「いえ。楽しんで頂けたのなら幸いにございます」
恭しく頭を下げるのにもだいぶ慣れたな。
「ここに泊まるのも今晩で最後です」
女王は明日に国王陛下と会談し、そのまま夜は晩餐会。宿泊は迎賓館でとなる。つまり、この寮に泊まるのは今日で最後だ。
「あなたには感謝しています。何か望みはありますか?」
ご褒美をくれるってことか。
「……でしたら」
少し考えてから、私は真っすぐに女王の目を見る。
「女王陛下にお聞きしたく。陛下は信念とお覚悟をお持ちですか?」
私の質問に僅かだが女王の目が見開かれる。
「それを伺うのが私の望みにございます」
女王が本当に国に住む民たちの事を考えているのか。それとも、ただ保身を考えているのか。それが私には見えない。
もし、その身と国家の安泰を願うだけの国主ならこの同じ年の女王には気の毒だが、退場した方がいいと思う。
「あなたには私がどんな女王に見えますか?」
答えの代わりに逆に女王から静かに尋ねられる。
「そのお心が見えません。私には、お心が見えない方がどんな方か分かりません。この私を信用されているのか、ご自身が……いかなる信念を持っておられるかも。私から見たら、女王陛下は空虚にございます」
下手な嘘を付いても仕方ない。
「いくらナタリア様といえども、少々僭越ではございませんか?」
白髪の最年長の侍女が鋭く言い放つ。彼女が腹を立てるのも分かる。女王が空っぽだと言っているに等しいのだ。
でも、そんな無礼を承知でもこの女王の本心を知りたい。
「よい」
その侍女をすっと手で女王が制する。
「ナタリア殿。あなたはこの大国エルフロントの人間。しかも三公爵家の娘にして王太子の婚約者。そんなあなたに弱き立場の気持ちが分かりますか?」
表情をまったく変えない女王。
「弱き立場とは大国に挟まれた国、という意味にございますか?」
「そうです。いつ他国に飲み込まれるか分からない恐怖です」
わずかな失望感が胸に広がってくる。
「ならば、女王陛下。あなたは何も分かっておられない。本当に弱い立場という者をご存じない」
立ち上がり、女王と向き合う。
それを止める気配はアシリカにもソージュにも無い。
「女王陛下にはまだ選択の余地があります。このエルフロントと手を結ぶか、アルシアの庇護の元に入るか。ですが、本当に弱い者はその選択すらできません」
今まで見た権力や富に虐げられた者たち。その人たちに選ぶ余地など無かった。ただ、されるがままだった。
「もし本当に女王陛下がその者たちの事を考えておられるなら、ご自分をさらけ出してでも、守ろうと覚悟されるはず。ご自身の信念を貫こうとされるはず」
部屋には私の声だけが響く。
「ミーナから伺いました。このエルカディアに来られる途中に芝居をご覧になったと。正義の心を持つ姫君の話にございます」
「あのような荒唐無稽な作り話と国家の政を同じに語るのはいかがかと」
白髪の侍女が冷たい目を向けてくる。
「確かに荒唐無稽な話かもしれません。ですが、あの姫君の持つ信念と覚悟は上に立つ者に必要かと思います。そして、信念と覚悟を持つ者は強い。陛下はそれをお持ちにございますか?」
部屋に沈黙が訪れる。
「あなたの問い、明日の朝にお教えします」
すっと立ち上がった女王はそのまま部屋の奥へと姿を消してしまった。