144 女王の訪問
学院在学中は勉学が優先であり、パーティーや夜会など社交の場に出るのは長期の休みなどに限られる。それは、王族にも適用される事である。ただ、特別な事情がある場合のみ、学院の許可を得て学外のパーティーに参加する事が出来る。
そして今私はその学院からの特別な許可を貰い、王宮でのとあるパーティーに参加していた。
事の発端は、二週間程前。この冬初めての雪がちらついた日だった。
ザリウルス様の兄であるシスラス様が私の寮を訪ねて来られたのだ。国の外交を担う一官僚の立場としてである。そして、彼が私に依頼してきたのは、国賓としてこのエルフロント王国を訪ねられる隣国のフィンゼント王国の女王の接待への協力だった。
ちょうどレイアたち学院の森での騒動の時、シスラス様とザリウルス様の父君であるブロイド公爵が訪問していたのが、そのフィンゼント王国。その時に女王をエルフロント王国に招待する事が決まったらしかった。
「ナタリア嬢には感謝する」
パーティー会場の一画で私の隣で謝意を示しているのは、今回の女王来訪を決めたブロイド公爵である。
ザリウルス様の父君だけあって、優しそうな方である。
「とんでもございません。王国のお役に立てて光栄に思っているくらいですわ」
令嬢スタイルを決めて、私は優雅に微笑む。
そんな私にブロイド公爵はほっとした顔になる。
まだこの歓迎のパーティー会場には来られていないが、フィンゼント王国の女王は私と同じ年だそうだ。だが、今の王家に若い女性はいない。レオも弟だけだし、王弟のデール様は未だ独身。年齢的に近い王族がいないのだ。そこで、王太子の婚約者であり、三公爵家の娘でもある私に女王陛下のお相手役として白羽の矢が立ったそうだ。
「いやいや、今回の事だけじゃない。息子の、ザリウルスの件も感謝しているんだよ。ミネルバ嬢との仲を取り持ってくれたそうだからね」
そう言って、側にいるノートル公爵をちらりと見る。そんなブロイド公爵の視線に気付いたノートル公爵は眉間に皺を寄せる。
「ミネルバをまだ手放したく無かったのだがな……」
立派な口髭を蓄えた口を不機嫌そうに開く。
「おいおい。いい加減機嫌を直せ。いつかは嫁にやるものだろう? それなら、幼い頃から知っている同士でいいではないか」
気安げにブロイド公爵がノートル公爵の肩を抱く。
「お前は息子だけだから、娘を持つ父親の気持ちが分からんのだ。その点、グラハム。お前は俺の気持ちが分かるだろう?」
同意を求めるように私の横に立つお父様を見る。
今日のパーティーは隣国の女王を歓迎するもの。当然国の重鎮である三公爵家の三人が揃っているのだ。もちろんサンバルト家の当主であるお父様もいる。
「ああ、分かる。痛いほど分かるぞ」
力強く頷くお父様である。
「今でも、この子を連れてどこか遠くに逃げ出そうと考える事があるくらいな」
そう言って私を見るお父様。顔は笑っているが目が笑っていない。
本気だ……。お母様が聞いたら、怒られるよ。
「ほう。それはいい案かもしれんな」
ノートル公爵がにやりと頷く。
「おいおい。そんな馬鹿な事言っていると、その可愛い娘から愛想を尽かされるぞ」
おどけたようなブロイド公爵。
「お前は昔から、穏やかに毒を吐くな」
娘を持つ父親二人は複雑そうな面持ちになる。
実はこの三人、若い頃には学院で共に学んでいた仲だそうだ。今でも気心の知れた友人同士だそうである。
「誉め言葉として受け取っておくさ。でも、こうでもなけりゃ、他国との交渉など勤まらんよ」
このエルフロント王国の外交を取り仕切るブロイド公爵の言葉。
外交の世界って、怖いな。笑顔の裏で、腹黒い事も考えているのかしらね。とても、あのザリウルス様の父親とは思えないね。
「で、その仕事に話に戻るのだがね」
そう言って、ブロイド公爵が再び私に視線を移す。
「女王陛下なのだが……」
そして、少し困った顔になる。
「ご宿舎にコウド学院の寮を希望されているのだ」
は? 女王が寮に泊まる?
思わず令嬢スタイルが崩れ、素っ頓狂な顔になる私だった。
寮の周囲はぐるりと警護の兵で三重に取り囲まれている。外に向かって厳しく目を光らせて、物々しい雰囲気である。
一方、寮の中はいつもと変わらない。ただ、三階にある一室を除いて……。
「では、ナタリア殿。よろしくお願い致します」
椅子に腰かけ凛とした声を発しているのはフィンゼント王国女王、クリスティーナ三世陛下である。
その両隣には、ずらりと女王の侍女が並んでいる。総勢十二人。白髪交じりの五十代くらいの女性から、私や女王と変わらないくらいの若い女性もいる。だが、誰もが背筋をピンと伸ばし無表情で立っている。
ちなみに、女王に随行しているフィンゼントの重臣たちは王宮近くにある外国使節の為の迎賓館に宿泊している。ここには、女王と僅かな身の回りをする侍女だけである。何でも年若い女王は、ご自分が味わえなかった学生生活というものに少しでも触れたいとの事から、この寮での宿泊を希望されたそうだ。
「至らぬ点もあるかと存じますが、陛下がごゆるりと過ごさされますよう誠心誠意努力させて頂きます」
両ひざを床に着き、頭を垂れる。これが、隣国フィンゼントの目上に対しての敬意の表し方だそうだ。
「顔を上げられよ。聞くところによると、あなたも十六歳。この私と同じ年だそうです。そう畏まらなくともかまいません」
歓迎のパーティーでも挨拶を交わしたが、とても同じ年には思えない。気品だけでなく威厳を感じさせられる。さすが、一国の主だけある。
「ありがたきご配慮。痛み入ります」
いやあ、肩が凝るな。これはエライ役目を引き受けてしまったかもしれない。
顔を上げて改めて女王を見る。
それにしても、挨拶の仕方もだが、やはり異国の女王という事でその出で立ちからして違う。
頭上からすっぽりと白いベールを被り、顔は目元しか覗かせていない。フィンゼントで女王の存在は神聖視されており、その素顔を見せる事は無いそうだ。実際に素顔を知るのは、ここにいるような侍女などわずかな側近のみらしい。国が変われば、いろいろな風習も変わるもんだね。
しかし、被っているベールもその権威を表しているのか見事なものである。ベールには、いくつものパールが散りばめられていて輝きを放っている。そのベールの上からはこれまたいくつもの宝石が付いているティアラが乗せられている。
頭、重くないのかな? これはこれで肩が凝りそうだね。
そして、唯一見える目元にはこめかみ辺りまで赤いアイラインが引かれている。私を見るその目から、感情が読み取れない。大きく綺麗な目だが、意思が籠っていないようにも感じる。
「どうかしましたか?」
女王が尋ねてくる。
しばらくの間、見つめ合う状況になっていた事に気付く。
「い、いえ、その……」
しまった。これは他国の女王に対して失礼だったかもしれない。後ろで同じように跪いているアシリカとソージュから非難の視線をヒシヒシと感じる。
ど、どうしよう。これで無礼だと外交問題にでもなったら一大事だ。何かうまく言わないと。えっと、何ていえばいいのかしら。
「そ、その頭、重くないのかなと思いまして……」
そこまで言って、更に失態を重ねている事に気付く。同時に自分の馬鹿さ加減に嫌気が差してくる。
「お、お嬢様っ!」
後ろから小さく叫ぶアシリカの声が聞こえてくる。
今まで眉一つ動かさなかった女王の目が少し見開かれたが、それも一瞬ですぐに元の目へと戻る。
「そうでもありません」
ただ一言、静かに告げる。
「そ、そうですか。それは良かったですわ……」
だから、私は何を言っているんだ? この口、もう動くな。
部屋がしんと静まり返る。
「女王陛下は長旅でお疲れです。ナタリア様、今宵はここまでで……」
一番年配の白髪交じりの侍女の人が静かにその沈黙を破る。
「は、はい。では、失礼致します……」
私たちはその場から逃げるように退出していく。
向かい側にある自分の部屋に戻り、中に入るなり大きく深呼吸する。
「まったくお嬢様は、何を言い出すのですか……」
疲れ切った顔でアシリカ。もう説教する気力も失っているようだ。
「心臓止まるかと思いマシタ」
胸に手を当ててソージュが憔悴しきった目を向けてくる。
「ごめん。もう何を言えばいいか分からなくなってさ」
二人には申し訳ないが、こちらも一杯いっぱいだったんだから。
こんな調子で大丈夫だろうか? 女王の滞在する間、私の体力と精神力が持つか心配である。その前に、女王を怒らせるかもしれないし。うう。胃が痛くなってくるよ。
同じ心配をしているのか、アシリカとソージュも悲壮な顔になっている。
そんな時、部屋の扉をノックする音が聞こえる。思わず私たち三人は体をビクリと震わせる。
「ナタリア様。女王陛下の侍女のミーナと申します」
扉の向こうから声が聞こえる。
「な、何かしら……?」
まさか、さっきの頭重いの発言への抗議だろうか。
「私が……」
顔を引きつらせながらアシリカが扉へと向かう。
うう。何でこんな目に遭わなきゃならないのよ。土下座か? すぐに土下座したら許してもらえるか? 何ならジャンピング土下座でもするよ。
「失礼致します」
アシリカに導かれ女王の侍女が入ってきた。侍女の列に並んでいた一番若い女性だ。私の前で立ち止まると一礼する。
「ごめんなさい!」
よし。ここは先手必勝だ。先に謝ってしまえ。
「え?」
頭を下げる私に戸惑いの声を上げている。
「さっき、女王陛下に失礼な発言をしてしまいましたので。こうして、謝らなければと思いまして……」
「申し訳ございません。うちのお嬢様は少々素直に思っている事を口に出してしまう性質でして……。女王陛下にとんだご無礼を」
アシリカとソージュも一斉に目に前の女王の侍女さんにうちの馬鹿な子がすみませんといった口調で頭を下げる。
「ああ、あの事にございますか」
そう言って、クスクスと笑い声をたてる侍女さん。
「ナタリア様。まずは頭をお上げくださいませ」
「あの……、怒ってないのですか?」
恐るおそる聞いてみる。
「はい。まったく。むしろ、あの女王陛下の表情が変わったのですよ。とても珍しい事にございますわ」
そう話す侍女さんはとても楽しそうだ。
「女王陛下に謁見してあのような発言をされる方は初めてでしたけどね」
悪戯っぽく笑みを浮かべてウインクする侍女さん。
耳が痛い。そりゃ、そうだよね。一国の女王に対する発言ではないよね。
「女王陛下も楽しまれたに違いありませんわ」
まだ笑いが止まらないといった様子の侍女さんである。
「では、何か御用でも?」
アシリカはまだ心配そうな顔のままである。
「あっ、そうでした。ごめんなさい。すっかり後回しにしてしまいました。明後日の件にございます」
ようやく笑いを引っ込め、私の部屋に来た用件を話し出す。
女王は明日、国王陛下との会談があり朝から王宮である。だが、明後日は女王自身の要望でエルカディアの街を見て回りたいそうなのだ。そして、その案内役がこの私である。年の近い同じ女性の私なら、女王とも打ち解けやすいとのブロイド公爵の考えである。
「女王陛下は、その下見をこの私に命じられました」
そう言って、侍女さんがもう一度頭を下げる。
「下見?」
すでに、巡るコースは決められている。もちろん、その警備体制も万全のはずである。なのに、わざわざ下見とはどういう事なのだろうか?
「ナタリア様。もちろんエルフロント王国の方で完璧な計画を立てられているのは重々承知しております。ですが、女王陛下の臣たる私たちがこの目で安全の確認と訪問される先々の様子を事前に見ておくのは、仕える者の義務にございます」
なるほど。言われてみればもっともな事でもある。まったく土地勘の無い異国の地ならば尚更だろうな。
「承知しました。では、案内を手配致します」
すぐにブロイド公爵に手配してもらわないとね。デドルに走ってもらわねければならなさそうね。
「女王陛下は下見の案内をナタリア様にと申されておりました。それに、このような下見など申せば、準備を整えておられるエルフロント王国に対して失礼にも当たります。出来ればご内密で、ナタリア様にお願いしたいのです」
そうか。それも一理ある。しかし、まったくもって外交ってのは面倒臭いもんだな。私にはとても外交官なんて務まらないだろうね。
「分かりました」
さっきの失態の負い目もある。ここは無理に断るわけにもいかない。
「では、私とあなたで行きますのね」
「はい。ミーナにございます。それと、私への敬語は不要にございます。私はただの侍女。しかし、ナタリア様はこの国で妃となられる方なのですから」
いや、妃になるかは分からないよ。ま、この話をしても誰も理解してくれはしないだろうけどね。
「分かったわ。では、ミーナ。明日はよろしくお願いね」
良く分からないけど、下手に取り繕うより気楽でいいよね。
「はい。こちらこそよろしくお願い致します」
そうミーナはとても嬉しそうな笑顔で頷いていた。