140 狂気の笑み
すぐにシルビアに連れられた騎士団の後発部隊も到着した。
そんな中、一人叫ぶ男がいた。
「見事だ! 見直したぞっ!」
感動の面持ちでレオがザリウルス様の側にしゃがみ込んでいる。
おい、もう少し空気読めよ。今はミネルバさんと二人にしてあげる時間だろ。
「で、殿下!」
ほら、いつものミネルバさんに戻ってしまったじゃないか。
「我が身の危険を顧みずミネルバ嬢を救いに走るお前の姿、感動したぞ!」
あーあ。あんなに可愛らしいミネルバさんの姿、貴重だったのに。まあ、いい。それよりも、スティードだ。
「久しぶりね」
リックスさんに縄を打たれて、項垂れるスティードの前に立つ。
「また、お前か」
忌々し気に私を見る。
「それはこっちの台詞よ。それより答えなさい」
こいつにはいろいろ聞きたい事がある。
「レイアは? 彼女は森で何かしている。スティード、あなたはそれを結界で隠しているわよね?」
ふんと鼻を鳴らし、そっぽを向くスティード。
「それとグリゴリーブはどこ? レイアと一緒なの?」
だが、スティードは私の問いに答える様子もなく、逆にこちらを睨み付けてくる。
「俺はな、貴族が大嫌いだ。中でも、俺の地位を奪ったお前は、特にな。そんなヤツに教えるとでも?」
そんな彼の態度に呆れの眼差しを向けた後、リックスさんへと向き直る。
「リックスさん。スティードは騎士団の方で処分を。罪状は、ノートル公爵家令嬢の誘拐よ。前回と違って、今回は厳罰になるでしょうね」
厳罰という私の言葉にスティードの顔色がさっと青くなる。
「俺は結界を張るように頼まれただけだ。レイアが何をしていたかまでは知らん。あのノートル家の令嬢にしても、ここで見張っているようにグリゴリーブに言われただけだ」
さっきの威勢はどこへやらで必死で訴えてくるスティードである。前も思ったがやはり彼は小物だ。
でも、そんな事関係ないよね。悪事を働いた事には変わりない。
「そう。ならば騎士団にそう言えばいいわ。もっとも結果は何も変わらないと思うけどね」
スティードを視界に入れる事なく、冷たく言い放った私に大きく息を飲みこんで絶句しているようだ。
「では、リックスさん。この者たちの事は頼みます。それと、ザリウルス様とミネルバ様の事もお願いするわね」
私は森の方へと向かって歩き出す。
「お、お待ちを。我々も……」
リックスさんは私を止める。
「もう事件は解決ではなくて? ここまで来たのです。私はもう少しお月見していきますわ。ほら、こんなにも月が綺麗なんですもの」
私はすっかり空に上がった丸い月を指差す。
リックスさんには悪いが、ここから先は私に任せて欲しい。個人的にもレイアとは因縁があるし、下手に呪術への理解が少ない騎士団に任せると被害が出るかもしれない。いや、そもそも呪術なんてものを他の騎士が信じるとも思えない。
「いや、しかし……」
「ちゃんと、お月見の感想は言いに行くからさ」
「……分かりました。そのお言葉、忘れられませんようお願いします」
苦渋の表情で一礼して、リックスさんはスティードを連れて仲間の元へと戻っていく。
その場には、私たちだけが残る。
「じゃ、行きますか。アシリカ、魔力を感じたら教えてちょうだい」
暗い森を進んでいく。
満月だが、その月明りも届かない真っ暗な闇の中を小さなランプ一つを頼りにしてデドルを先頭に進んでいく。
「お姉さま。何やら昼間より木が騒いでいますわ」
シルビアが周囲を見渡しながら呟く。
「何を騒いでいるの?」
「それは、分かりません。ですが、とてもざわついています」
シルビアの言葉に不安を感じる。昼間と状況が何か変わったのだろうか。
「とにかく、魔力はある所を探すわ」
ここはとにかく探すしかない。
「お嬢サマ、転ばないように気をつけてくだサイ」
前を行くソージュが振り返る。
確かに、木の根や大きな石が転がっていてとても歩きにくい。
そんな暗闇の中を進んでいく事数分。
「お嬢様」
不意にアシリカが立ち止まる。
「あの辺りから僅かですが、魔力を感じます」
アシリカが指差すのは、一本の大木。数百年は樹齢があると思われるほど、太い幹である。
「これね……」
私は一歩前に出て、その大木の木の前に立つ。特に変わった様子は無い。
腰のベルトに挟んだ鉄扇を取り出し、大きく深呼吸する。
「気合いと自信よ!」
そう叫び、鉄扇を横薙ぎに払う。以前に結界を打ち破った時と同じ感触が鉄扇から手へと伝わってくる。
「もう一回!」
さらにその感触のあった場所へともう一度鉄扇を振り下ろす。
ぐにゃりと大木の輪郭が歪んだかと思うと同時に、その歪みがバラバラと崩れ落ちていく。
「ここね!」
さっきまでは見えなかったが、大木の幹の真ん中に大きな空洞が現れている。
「お、おい、リア。今のは何だ? まさか結界を破ったのか?」
レオが口をあんぐりと開けて驚いている。だが、驚きも一瞬だった。
「俺にもその技、教えてくれ!」
この状況下でよく頼めるな。ここまでくると逆に感心するよ。
「私に一太刀でも当てれば、教えて差し上げますわ。それと、リアではなくてよ。お嬢様、でしょ、ハチ」
フィーリングでやってるから、どうやって教えたらいいか分からないけどね。
悔しがるレオは放っておくとして、この空洞は何なのかしら? これをわざわざ隠していたって事は、レイアにとって見られたくないものって事よね。
「洞ですわ。しかもかなり大きいですわね」
隣に来たシルビアが呟く。
ランプで洞を照らすが、シルビアの言う通りかなり大きい。しかも、地下に向かって空洞が続いている。
「どうやら、この下に何かあるようですな。少し下に階段が作られておりやす」
ランプ片手にデドルが洞を覗き込む。よく見ると、その階段まで下りられるように縄が垂れ下がっている。
「どうされます?」
アシリカが尋ねてくる。
「決まってるじゃない。降りるに決まってるでしょ」
この先へ進めば、レイアたちがいるかもしれない。それに、彼女たちの目的もはっきりとするはずだ。
やっぱりか、という顔でアシリカがため息をこぼす。
「ほら、行くわよ」
先頭を切って縄に手を掛け、降りていく。
小さな空間があり、そこから下の方へと階段が続いている。
「ここから先は堀り進んでいった感じですな」
降りていたデドルが私の横で呟く。
私がいる場所は、まだ洞の中だろう。でも、確かに階段の辺りから、周囲は土で囲まれている。所々に木製の柱や板で補強されてはいるが、崩れ落ちないか不安になってくる造りである。
皆が下りてくるのを待ってから、階段を下りていく。階段は曲線を描いており、ランプをかざしてもよく先は見えない。
やがて、階段の段差がなくなり急勾配の下り坂へと変わる。幅も少し狭くなってきている。
本当にこの先にレイアたちがいるのか、と不安になってきた時視線の先に明かりが見えた。
こちらのランプを消して、明かりのついている方へとそっと息を殺して近づいていく。どうやら、奥に広い空間が広がっているようだ。
音を立てずに、さらに近づいていくと人の気配がする。明かりが灯る広い空間の直前の岩陰に身を潜める。
そっと頭を出して眺めるとレイアの姿がある。その横には初老の男性。それに、三人ほどの薄汚れた男もいる。
「間違いありません。これですわ。ついに見つけました。主様もお喜びになるでしょう」
レイアの歓声のような声が辺りに響く。
「おい、それを手に入れられたのも俺のお陰だぞ。しっかり約束は果たしてくれよ」
もう一人、野太い男性の声も聞こえてきた。初老の男だ。
「ええ。もちろんお礼はしますわ。グリゴリーブさん」
あいつがグリゴリーブか! やはりレイアと手を組んでいたのか。
「お、おい。何か知らんが、あんたらの探し物は見つかったんだろう? もう俺たちを帰してくれ」
「何日もこんな日も届かない地下にいたままで、狂いそうなんだ」
薄汚れた男たちの疲れ切った声である。
「あなたたちもよく働いてくれましたわ。お礼申し上げますね。でも、そうね。最後にもう少し働いてもらおうかしら」
ぞくっとする声色に変わるレイアだ。
「ナタリア様。おられるのでしょう?」
ちっ。気づかれていたか。
「ええ。お邪魔してますわ」
隠れていても仕方ない。岩陰から姿を現わす。
「招いたつもりはありませんけど。でも、ここにおられるという事は、スティードが不覚をとりましたのね」
余裕の表情でレイアが微笑む。
「今彼は、騎士団と一緒にいるわよ」
真っ青な顔をしてね。
「では、ノートル公爵家のご令嬢も奪い返されてしまったようですわね」
レイアは隣のグリゴリーブの方を向く。
「ちっ。スティードめ。使えないヤツだ」
忌々し気に野太いを発する。
「ねえ、あなたがグリゴリーブよね。ブロイド家の執事の立場で自分が何をしているか理解出来ているの?」
「ああ、もちろんだよ。サンバルト家のお嬢さん」
見下した目のグリゴリーブである。
「無礼者! 我が主にそのような口の利き方をするとは何事か! 例え、ブロイド家の執事殿といえど、許しませんよ!」
アシリカが眉を吊り上げて叫ぶ。
「無礼? 無礼なのはどっちだ? サンバルトなど片田舎の一領主の家来にすぎんではないか。おや、なぜかは知らんがその田舎者の領主の息子もいるではないか」
そう言ってグリゴリーブはレオの方を蔑んだ目で見る。
こいつが言っている意味がよく分からない。レオの家、つまり王家を田舎者の一領主と言っているのだ。
「ふん。俺の言っている事が分からんのか」
訝し気な私たちをグリゴリーブは鼻で笑う。
「まったく分からないわね。でも、分かっている事もあるのよ。あなたがブロイド家を手中にしようという魂胆がね」
「ブロイド家を手中に? やはり何も分かってない」
人を食ったような言い方である。
「返してもらうだけだ。ブロイド家をね。この正当なる血を持つ私にね」
「正当なる血?」
「そうだ。今のブロイドを名乗るヤツらは偽物だ。私こそかつてこの地を支配した真のブロイド家の血を引く者だからね」
真のブロイド家……?
「古き王家の血……」
シルビアが呟く。
まさか、初めてこの地を統一したブロイド王朝の末裔なのか。
「ば、馬鹿な。信じられん。かの家の血筋はすでに滅んだのでは……」
レオは驚愕の表情となる。
初代エルフロント王の側近が養子と入って以降、その血筋の行方は知られていないと伝えられている。すでにその子孫がいるとは考えもしない事だろう。
「いいや。滅んでおらん。我が家に残るこの古文書がその証だ」
グリゴリーブは懐から一冊の本を出す。表紙が色褪せた古い書物。
「だから、私はこの手でブロイド家を取り戻すのだ。しかし、今の田舎者から国を取り返そうとまでは思わん。だからこそシスラスを廃嫡し、ザリウルスに我が娘を宛がうという穏便な方法を取ったのだがな」
やれやれとばかりにグリゴリーブは首を振る。
「それのどこが穏便? 人二人の命を奪い、ミネルバ様を攫って穏便ですって?」
「浮浪者同然の人間二人など命のうちに入らん。それに、ザリウルスが素直に我が娘を受け入れていれば、ノートルの小娘もあんな目には合わんかったのだ」
自分の行いに非はないと信じ切っているみたいね。かつてのブロイド王朝が滅び去ったのも分かる気がするわ。人の命を軽んじ己のみが正しいと思う。とても、人の上に立つ資格など無い。
「レイア。グリゴリーブが前に言っていたあなたの主? ブロイド王朝でも復活させようとでも?」
軽蔑の目をグリゴリーブに与えた後、視線をレイアに移す。
「まさか! 古文書を持つ彼には協力していただいたまで。お陰で、この秘石を手に入れられましたわ」
そう言うレイアの手には、こぶし大の石がある。見た所何の変哲もない普通の石にしか見えないけど。
「ふふ。この石の素晴らしさがお分かりになられないようですわね。別に構いませんけどね」
レイアは、自慢げに石を見せびらかす様に頭上に捧げ持つ。
「ねえ、目的は何?」
レイアは、そして、黒幕である彼女の主は何を目指している?
「世の理を操る」
すっと顔から表情を消し、レイアが真剣な眼差しとなる。
「私には、悪魔の企みにしか聞こえないわ」
「ふふ。ナタリア様に理解していただくとも構いませんわ」
再びレイアの行動からは信じられないほど柔らかい笑みを浮かべる。
確かに彼女に言う通りだ。
「そうね。お互い理解し合えないわよね。私には、目的の為に人を人とも思わないアンタらを理解できないわ」
腰のベルトに差してある鉄扇を取り出す。
「実の親を騙し利用するばかりか残酷な仕打ちで命を奪う。そして、己の分も弁えずに、その血筋のみに執着し人を殺める。あなたたちの所業、とても見過ごせません」
鉄扇を並ぶレイアとグリゴリーブに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線を二人に送る。
「お仕置きしてあげなさい!」
アシリカたちが一斉に身構える。
「レイア。お得意の呪術で何とかしろ。予定外だが、我が血筋から国を奪った奴らの子孫だ。こいつらの命をご先祖様への供養とでもするか」
余裕の表情のグリゴリーブである。
「大丈夫ですわよ。もう手は打っておりますわ」
レイアが口元を醜く歪めて笑う。狂気を含んだ笑みだった。