138 守護者
きょとんとした顔で立ち上がった私をザリウルス様が見上げている。
「いい案……ですか?」
半信半疑な顔のザリウルス様である。
「そうです。ブロイド家の名誉を回復し、ミネルバ様からの期待にも応えるという妙案です。これをいい案と呼ばず何と呼びますか?」
「ほ、本当にそのような案が?」
その目に若干の期待が籠り始める。
「ええ、もちろんございます。その為にもまずは、兄君様の事を聞かせてくださいますか?」
まずは、シスラス様への疑惑を解きたい。一度しか会っていないから、どんな人なのか弟であるザリウルス様に聞きたい。
「兄上ですか。兄上は、優秀な上に、とても優しい方です」
そこから、ザリウルス様の怒涛の兄自慢が始まる。
幼い頃に一緒に遊んでもらった話、入学した兄がいかに成績優秀で友人たちからも信頼が厚かったか、卒業後に外交官として異国との難問を解決した話。
今、ザリウルス様本人が置かれている状況を忘れているかのような熱の籠った兄への愛情と尊敬が溢れる思いの丈を聞かせてくれた。
ま、要するにお兄ちゃん大好きなのね。でも、これだけ自慢されると、対抗したくなってくるな。うちのお兄様方もそれはもう、とても立派な方なのよ。
「分かりましたわ。とても立派な方なのですね」
兄自慢合戦になっても困るので、私のお兄様方への想いはぐっと抑えて頷く。
まあ、一度会って、弟思いの優しそうな人ではあったもんな。ここまで弟に想われるているのを直接聞いたら涙を流して喜びそうね。
「ええ、まだまだ語り足りないくらいです」
それくらいミネルバさんの前でも話せたらいいのにね。
「ザリウルス様は、そんなシスラス様が事件には関わっていないと信じておられるのですね?」
「もちろんです。あの兄上が人の道を踏み外すような真似をなさる訳がありません」
きっぱりと言い切るザリウルス様。その瞳は、兄への一点の疑惑も抱いていない。感心するくらいすがすがしいシスラス様への信頼ぶりである。
「失礼します」
熱い目でさらにシスラス様の事を話し出しそうなザリウルス様を遮り、談話室の扉が開く。
「アーティス?」
ザリウルス様が扉から顔を覗かせている男性を見て、首を傾げる。
「まだ、こちらにおられましたか」
顔を覗かせたのは、姿恰好からして従者のようだ。
「ごめん。すっかり話し込んでいたみたいだね」
そうね。敬愛する兄君様の話をね。
「ナ、ナタリア様にございますか!? 私はてっきりミネルバ様とお会いになっているものかと……。大変失礼しました。私、ザリウルス様の従者、アーティスと申します」
さすがブロイド家の従者。お手本のような礼をするね。頭を上げると、すぐに主へと向き直る。
「ご歓談中とは思いますが、ザリウルス様。すぐにお戻りくださいませ。執事のグリゴリーブ殿が急遽お越しになっています」
「グリゴリーブが?」
ブロイド家の執事か。おそらく、学院での騒動とブロイド家への噂を耳にしたのだろう。状況確認の為にでも、慌ててやって来たに違いない。
「ザリウルス様。一度戻られた方が良いのでは?」
執事にしたら、お家の一大事だろうからね。しかも、当主の公爵様が外遊中で留守らしいから、尚更慌てているに違いない。
「そうですね。そうします」
詳しい話はまた後日にと約束し、ザリウルス様にはご自分の寮へと帰ってもらった。
私たちも談話室から部屋へと戻る。
「お嬢様の計画とは?」
部屋に入るなり不安そうな顔でアシリカが尋ねてくる。
「……何? その顔は?」
この顔、碌でもない事を考えているとでも思っているのかしらね。
「先にどんな無茶をするおつもりのか聞かないと、デス」
ソージュ、私が無茶するのは決定済みなのね。
「ザリウルス様にも言ったでしょ。ブロイド家の疑惑もミネルバ様の期待にも応えられる妙案よ」
「しかし、まだブロイド家が呪術と無関係と決まった訳では……」
アシリカの渋い顔。ああ、そこを心配しているのか。その心配は理解できるけどね。
「そうね。でも、私はザリウルス様を信じる。そのザリウルス様が信じる彼の兄君であるシスラス様も信じる」
言い切る私にアシリカとソージュは不安気に私を見つめている。
「二人の心配や不安は分かるわ」
アトラス領で痛い目に遭ったからね。
「でもね、疑ってばかりじゃ、呪術を操る奴らの思うつぼだと思うしさ。そんなのバカみたいだし腹が立つわ。だったら、私は信じる」
人を疑心暗鬼に陥れさせ、互いを疑い合う。そんな事にはなりたくない。
「はぁ……。仕方ありませんね」
ふっ、と顔が緩んだアシリカが苦笑する。
「お嬢サマならそう言うような気もしていマシタ」
どこか納得顔のソージュである。
「我らはお嬢様のお言葉に従うまで。お嬢様が信じられるのなら私たちも信じます」
アシリカとソージュが一礼する。
「ありがとう」
この二人には苦労掛けるね。
「それで、一体どのような案にございますか?」
「ああ、それなら簡単よ。今回の事件をザリウルス様が解決する。もちろん、私たちも手伝うけどね。それなら、ブロイド家への疑惑も消えるし、ミネルバ様もザリウルス様を見直すでしょ?」
一石二鳥の名案ではないか。
私の案を聞いたアシリカとソージュは顔を見合わせる。
「では、どうやって今回の事件を解決されるので?」
「相手は呪術師デス。そう簡単には行きまセン」
この二人の顔、考えている事が分かるわよ。
私がその先を考えてないと思っているに違いないわ。でも、大丈夫。ちゃんと考えているんだからね。
「森よ」
「森ですか?」
ほら、答えた私に意外そうな顔を二人共している。
あの森で二人の遺体が発見された。それに、レイアと会ったのもあの森。あの森の奥に何かあるはずだ。
「しかし、リックスさんも言っていましたよ。怪しい所は何も無かったと」
「まあね。でも、絶対何かあるはずよ。でなければ、あそこでレイアと出会う訳がないじゃないのよ」
理由もなくあそこにいる訳ない。
「それはそうですが……」
「今日のお嬢サマ、冴えてマス」
二人共驚いているわね。遠慮せずに、もっと褒めてくれてもいいのよ。
「お嬢様ご自身でも調べられると?」
「そうね。でも、シルビアにも来てもらうわ」
森と言えば、木。木と言えばシルビア。彼女の力を借りるには持ってこいの場面でしょ。
どのような目的をレイアが持って、学院に来ているかは分からない。でも、ここでアトラスでの借りを返させてもらう。
改めてレイアたちとの戦いを決意する私だった。
昨日来た時と同じく森は不気味に感じる。
「どう、シルビア?」
私の隣で木々に向かって目を閉じているシルビアに尋ねる。
「……侵入者がいる、と言っていますわ」
目を開け私の方へと振り向き首を傾げる。
「侵入者? どういう事なの?」
私たちの事だろうか。
「以前この辺りの木を見にきましたの。入学して間もない頃ですわ」
さすがシルビア。木のある所へは必ず来ているのね。
「その時もここにいる木たちは、少し変わっていました。その時は、自分たちが守護者だと言っていましたけど……」
「ここの木が何かを守っているって事?」
意味がよく分からない。
「その辺は分かりませんわ。ここの木とはあまり意思疎通が出来ないといいますか、こちらからの問いかけには答えてくれなくて……」
困ったような顔になるシルビアである。
うーん。彼女の力も万能じゃないからなぁ。
この森が何かを守っている。そして今、侵入者がやって来ている。この森が守る何かを狙っているのだろうか。
侵入者とは、レイラたちだと考えて間違っていないと思うが、森の木が守っているもの、つまりレイアたちが狙っているものとは何なのだろうか。
「この森って、大昔の遺跡があったのよね?」
すでに崩れ去って今ではその跡形でさえ無いそうだけど、それと何か関連しているのかしら。呪術も遠い昔の忘れ去られたもの。ならば、同じく大昔の遺跡と何か関係があったとしても不思議ではない。
「遺跡、か……」
そう呟くのは、レオである。
シルビアに同行をお願いした時、たまたま近くを通りかかったレオに今回の事を聞かれてしまったのだ。別にいいのに、本人が付いてくると聞かなかったので一緒に来ている。
「レオ様。何かご存じですの?」
「いやな、かつてあったものが、時代と共に崩れ去っていく。今ではそこに何があったのかも分からん。それを考えると空しい思いがしてな……」
随分と叙情的な意見ね。レオらしくない。
でも、この森の雰囲気に飲まれて、そんな思いに駆られるのも分からないではない。
「ここで、じっとしていても始まらないわ。とにかく森の奥まで行きましょう」
気分を変える様に、努めて明るい声を出す。
デドルを先頭にして周囲を警戒しつつ、一纏まりとなった私たちは暗い森の中を進んでいく。
光の届かないほど木が生い茂ったその森の静けさが不気味さを余計に感じさせる。人の気配どころか、生き物のいない死の世界にいるような感覚になってくる。
その雰囲気に飲まれているのか、誰も口を開こうとはしない。
広い森の中を進んでいくが、やはり怪しい所は何も見当たらない。陽が間もなく落ちるという時間まで歩き回ってみたが、無駄な徒労しかなかった。
「何も無かったわね……」
元いた小道にまで戻り、さっきまで歩き回った森を振り返る。
「騎士団も隈なく調べたようですしね」
アシリカも森の奥を見つめる。
「ここには何も無いのではないか?」
歩き疲れたといった顔のレオである。
いや、絶対に何かあるはずだ。だが、その痕跡すら見えない。
「お嬢様。間もなく日も暮れます。今日の所は帰りましょう」
仕方ない。昼でも薄暗いこの森だ。夜になったら、歩くのすら困難になるだろう。アシリカの言葉に従うしかないか。
「……そうね。今日は引き上げます」
何一つ得られるものもなく、意気消沈となり森を後にする。
外出自粛のせいで、ガランと人気の無い学院の中心地へと戻る。
「あれは……」
ソージュの顔が険しくなる。彼女の目線の先には、オーランドがいる。ソージュは、いまだに彼にあまりいい印象を抱いていないようだ。
「おお、あれは、確かオーランドだったか」
レオも気づいたようだ。
人が居ない分、向こうもすぐにこちらに気付き一礼する。
「おや、殿下。それにナタリア嬢。お散歩ですか?」
ゆっくりとこちらに歩いてきたオーランドである。
「外出自粛ですのに、お一人で何をしてますの?」
本当に何をしているのかしらね。
「買い出しだよ。学院に使用人を連れてくる余裕は無い家だからな」
ぶら下げている食材が詰まった袋を掲げてこちらに見せる。
「お前……、自ら料理をするのか? どのようなものを作るのだ?」
そこに食いつくのね、レオ。急に目が輝き出しているよ。
「まあ、作ってくれる者もいませんから。簡単なものしか作りませんが……」
ほら、オーランドも前のめりになっているレオに戸惑っているよ。まさか、レオが料理を趣味にしているなんて思ってもいないだろうな。
「簡単なものか。だが、シンプルな料理ほど難しい面もある。その素材の持つ本来の味を引き立たせる必要もあるからな」
「そ、そうですか……」
熱く語り出したレオに困惑の表情をしたオーランドがちらりとこっちを見てきている。
「レオ様。オーランド様も寮に戻られる途中です。このような時期です。あまりお引止めするのもどうかと……」
仕方ない。助け船を出してやるか。レオの従者たちも料理の事はあまり知られたくないようだしね。
「む。それもそうだな」
少し残念そうなレオである。料理仲間でも欲しいのかしらね。
「では、失礼致します」
ここぞとばかりに頭をレオに下げ、この場を立ち去ろうとするオーランドが、ふと私の顔を見る。
「そういえば、スティード先生を一昨日見かけたぞ。いや、もう先生じゃないか」
スティードをも見た? 夏休み前に試験問題漏洩で私が成敗した小悪党じゃないか。学院をクビになったはずだけども。
「それは、学院で見られましたの?」
「ああ。そうだ。あんなことがあったのに復帰するのか?」
復帰は無い。学院を去ってからどうしていたのか知らないが、あれだけの騒動を引き起こした彼が再度教壇に立てるはずない。
「まあ、俺には関係ないがな。じゃ、失礼させてもらう」
オーランドがもう一度頭を下げ、去っていく。
「スティードが学院に?」
何をしている? 結界を張るのが得意みたいだったから、どこかで細々と生活しているものだと思っていたけど……。
「結界……」
私の中で、スティードの結界と何も見当たらない森が結びつく。
エネル先生はスティードの結界により、周囲から見えなくされ隠されていた。森でも同じことがされているのではないだろうか。
「アシリカ。森で魔力は感じた?」
「いえ。大きな魔力は一切感じませんでした。しかし、微細な魔力は意識を集中しなければ、見つけれませんから、何とも言えませんが……。調べますか?」
アシリカも私の意図を悟ったようだ。
「そうね。そうしましょう」
糸口が見えてきた。
きっと、レイアたちは森で何かしている。それを悟られない様にスティードの結界で隠している。どこで、レイアとスティードが手を組んだかは分からないが、そう考えてもおかしくないのではないか。
「すぐに、森に戻ります」
「ですが、もう暗くなってきます」
アシリカが空を見上げる。
日が落ちてきて、周囲に暗闇が広がってきている。
「ならば、明かりを用意して。早いところ、レイアたちの目的が知りたいわ」
あの森で呪術に関する何かをしているはず。ならば、一刻も早い方がいい。
まずは一度寮に戻り、準備しよう。
そう決めて寮に帰った私を不安な面持ちで待ち構えていたのは、ザリウルス様だった。