137 謝る理由
森の奥から木々の間を通り抜けてきた風が吹き寄せる。
レイアと向き合う私の前にアシリカとソージュ、それにデドルが臨戦態勢となり立ちはだかる。
「お前、何者だ? 立ち入り禁止だぞ。それに、学院の生徒ではなかろう?」
リックスさんが剣に手を添え、鋭い目線をレイアに向けている。
「まあ、ナタリア様。お久しぶりにお会いしたのですから、そう殺気だたないで欲しいものですわ」
口元に手を当て、くすくすとレイアが小さな笑い声を立てる。
「おいっ、聞いているのかっ!」
自分の方をまったく見向きもしないレイアに怒りを滲ませてリックスさんが大声を上げる。
「煩い人」
そう短く呟いた後、レイアが何やらブツブツと口の中で呟きリックスさんに向かって手の平を向ける。その手の平に呪術の紋章が浮かび上がっている。
「リ、リックスさんっ!」
私が叫ぶと同時に、レイアの手の平から黒い靄が現れ、一点に集まっていく。瞬く間に大きな塊になると、一気にリックスさんの元へと飛んでいく。
鉄扇を手にして、打ち返そうとするが間に合いそうにない。
黒い塊は抜刀しようとしていたリックスさんに直撃する。
「ぐわっ!」
そのまま数歩後ろまで吹き飛ばされる。
「くっ」
リックスさんは、顔を顰めながらもレイアを睨み付けている。だが、その体を思うように動かせないようだ。必死に起き上がろうと地面に手を付いているが、支えきれずに倒れ込む。
「すごいでしょ。呪術でこんな事も出来ますの。今のはちょっとした衝撃波ですわ」
新たに手にしたおもちゃを見せびらかすような無邪気な口調のレイアである。
ちらりとリックスさんを見ると、まだ立ち上がろうとあがいている。
「じっとしてなさい」
リックスさんに告げる。命には別状無さそうだけれども、あの怪我じゃあ何も出来ないだろう。
「レイア。あなた、ここで何をしてるの?」
私は、静かに尋ねる。
「ふふ。私のするべき事は一つですわ。ナタリア様もよくご存じでは?」
小首を傾げてレイアは不思議そうに聞き返してくる。
「また、怪しげな実験とやらでもするつもり?」
だったら、是が非でも止めねばならない。
「いいえ。いくら私たちでも王都で実験をしようとは考えませんもの」
真っ白な顔を横に振り、否定する。
「だったら、何故この学院に?」
話しながら、レイアににじり寄っていく。
「今日は、ナタリア様に入学のお祝いがてらご挨拶に伺ったまでにございます。少し遅くなってしまいましたが」
淑女の礼を取り、腰を落とすレイア。
「そんな事、信じるとでも?」
目的も無く、ここにレイアがいるはずがない。
「どう思われても構いませんわ。では、挨拶も済みましたし、失礼させて頂きますわね」
そういうや、レイアの周囲に煙が立ち込める。その煙は一気に周囲に広がっていく。
「レイア! 待ちなさいっ!」
「ナタリア様、またお会いしましょうね」
煙で真っ白になった向こう側からレイアの声が響く。
森からの風によって白煙が綺麗に消え去った時には、もうレイアの姿はどこにも見当たらなかった。
「逃げ足だけは早いわね」
唇を噛みしめ、鉄扇を腰のベルトへ戻す。
「……あれが、呪術ですか」
デドルに肩を借り、リックスさんが立ち上がっている。
その顔には、一撃で倒された悔しさが満ちている。
「ええ、そうよ。それより怪我は大丈夫?」
いまだ一人で立てそうにないリックスさんだ。
「はい。何とか……。しかし、ここで見つかった二人を殺めたのがあの呪術師なのですか?」
確かに、レイアの見た目からは想像しにくいでしょうね。どう見てもか弱そうな少女にしか見えないからね。
「レイアはまだ見習いみたいなもんよ」
「あれで……、見習いですと?」
リックスさんが絶句する。
「ええ。彼女の師みたいな呪術師の老婆がいるわ。それと、黒幕……。すべてを操っているね」
その黒幕、いまだに検討すらつかない。
「で、騎士団はどうするつもりかしら?」
私の問いかけにリックスさんは難しい顔になる。
「死因と呪術を結びつける確証がありません……」
でしょうね。リックスさんの言い分も納得できる。呪術を目の当たりにした彼は信じられるだろうが、それ以外の人が理解し難いのも頷ける。なにせ、呪術なんてその存在すら知らない人だっているだろうから無理もない。
もちろん、政権の上層部に話を付け、王宮の宮廷魔術士らを動員でもすれば何とかなる可能性もある。しかし、それには時間と労力が必要だ。騎士団所属のリックスさんにとって簡単に出来る話でもない。
「リックスさん」
私はリックスさんの前に立つ。
「こっちに任せてちょうだい」
「い、いえ。しかしそれは……」
渋るリックスさんである。しかし、彼にも分かっているはずだ。騎士団ではどうする事も出来ないはずだと。
「ヤツらだけはこの手で裁いてみせる」
呪術の実験で荒れ放題になったアトラス領、生きる気力を奪われたジェイムズ。そして、絶望の眼差しを娘のレイアに向けていたルドバン。
そんな不幸をまき散らした呪術を許せない。
怒りと悔しさがこみ上げてくる。
レイアの立っていた場所を鋭く睨みつける私だった。
学院内に急遽設けられた騎士団の詰所。そこまで、リックスさんを送り届けていた。まだ体が痛むようだが、幸い骨折などは無かったようだ。
「約束、守ってくださいよ」
馬車から降りようとするリックスさんに疑いの目を向けられる。
「もちろんよ。その代わりそっちも何か分かった事があれば教えてよ」
今回の件を任せる代わりに、報告と連絡、そして相談を常にするように言われていた。報連相よね。分かってるわよ。
「リックス殿! 随分探しましたぞ!」
馬車から降りたリックスさんの姿を見た一人の若い騎士が駆け寄ってきた。
「どうした? 何かあったか?」
すぐに引き締まった騎士の顔となったリックスさんが答える。
「はい、実は……」
若い騎士は私の方をちらりと見る。
聞かれてはマズイ話なのだろうか?
「かまわん」
リックスさんに促されて、若い騎士は頷く。
「はっ。ブロイド家のカフスですが……」
「カフス? ザリウルス様の分はあったではないか」
リックスさんが済んだ話だとばかりに首を傾げる。
「いえ、兄君のシスラス様のカフスが一つ無いそうでして……」
シスラス様? 確かに、ブロイド家の方だから紋章入りのカフスは持っているのはおかしな事ではない。
「しかも、例の遺体が発見された日にシスラス様を見掛けたという者が多数おりして……」
それも、確かな事だ。あの日、私もシスラス様に会っている。よくよく思い返せば、あの時もう一人学院にブロイド家の人物はいたのだ。
「ブロイド公爵家のご長男か……」
顔を顰めるリックスさんである。
「どう……されますか?」
若い騎士がリックスさんに判断を仰ぐ。
「……一度騎士団本部に戻る。引き続き警備を厳重にしていろ」
リックスさんにしても判断しかねるのだろう。
目撃情報と証拠に成り得る紋章入りのカフス。そして、容疑が掛かっているとまでは言えないが、状況的に怪しいのがブロイド公爵家の長男。
リックスさん一人で判断するのが無理なのも仕方ない。
「ナタリア様」
指示を受けた若い騎士を見送ってから、リックスさんが馬車の中へ振り返る。
「騎士団は騎士団の仕事をします。それは、ご了承してくださいませ」
そう言い残して、去っていく。
「ねえ、どう思う?」
再び馬車が走り始めてから、誰にともなく尋ねる。
あの優しそうで、弟思いのシスラス様が呪術に関わっているなんて信じられない。
「お嬢サマ、私も疑いたくないデス。ケド、レイアの件、ありまシタ」
一番に口を開いたのは、珍しくソージュだった。
さきほど、レイアに遭った事もあり、ソージュの言う事も分からないでもない。
アトラス領ガイザの街で、最後の最後で自らの正体を明かしたレイア。それまで、微塵も彼女を疑ってはいなかった。
本当にブロイド家が何かしら関わっているのだろうか。もし、本当にそうであったならば、王宮図書館の禁書の棚からごっそりと呪術関連の本を持ち出した事も考えられない事ではない。何しろ、公爵家。もしかしたら、可能かもしれない。
でも、それを言い出すとザリウルス様まで疑う事になってくる。
「確かに呪術の持つ力に魅入られる者がいても不思議ではありません……」
アシリカも唇を噛みしめる。
「で、でも、デドルも言っていたじゃない。あまりにも出来過ぎた状況だってさ」
やはり、どこかであの兄弟を信じたい私である。同意を求めるように御者台へと続く小窓からデドルの背中を見る。
「確かに申し上げやした。ですが、レイアの例もありやす。今、決めつけるのは危険ですな。油断はなさらぬよう」
馬車を操りながら答えるデドル。
「……そうね」
やはり、皆、アトラス領でレイアに騙された事が尾を引いているようだ。その気持ちはよく分かる。
周囲の者にまで疑いを向けざるを得ない。それも、呪術の恐ろしさかもしれないと思う私だった。
立て続けに起きた凶事に学院もピリピリとした雰囲気である。しかし、ここは貴族の集まるコウド学院。どこから漏れたのか、第一発見者であるザリウルス様の話題は瞬く間に学院に広がった。しかも、カフスの件どころか兄君であるシスラス様の事まで噂になっていた。
よくこんな状況で噂話に興じられるもんだと呆れてしまう。
しかし、呆れるでは済まない人もいたようだ。
「関係無いのでしたら、きっぱりとそう申し上げればいいではございませんか!」
寮へと帰ってきて、談話室の前を通りかかった時に中から聞こえてきたミネルバさんの声。
「ご、ごめんよ……」
謝っているのは、もちろんザリウルス様の声。
「よいですか。これはザリウルス様、ブロイド家だけの問題ではありません。貴族の模範たる三公爵家の一角として、何も申さないわけにはまいりません。かような疑いは毅然とした態度で、否定すべきにございます」
ああ、あの噂、ミネルバさんも耳にしたのか。ま、そりゃそうか。この私にも入ってくるくらいだからな。
「このままでは、三公爵家の威光が揺らぐことにもなりかねませんわ。ブロイド家だけではなく、三公爵家、王国全体の事をしっかり考えられてますの?」
どういう経緯で二人がここにいるかは知らないが、ザリウルス様、ここで怒られてばっかだな。
ミネルバさんの勢いに何も言えなくなったのか、ザリウルス様の声が聞こえてこない。
これ以上はさすがに気の毒だと思い、止めに入ろうとした時である。
「昔はもっと、ご立派だったではありませんか……」
今まで聞いた事のないような弱気なミネルバさんの声。
「社交界に出るようになってから、あなたはどこか変わりました。それまでは、何でも私より出来た人だったのに。どうして、急に変わりましたの?」
この前は、昔の事など忘れたと言っていたミネルバさん。
「そ、それは……。ごめんよ……」
消え入りそうな声のザリウルス様。
「僕は……、僕は、その……、ごめん」
呟くように謝るザリウルス様。
その後、談話室からは、何も聞こえない。
「謝ってばかりなのね……」
哀し気なミネルバさんの声と同時に椅子が動く音が聞こえてきたと思ったら、扉が勢いよく、開く。
扉の前にいた私にミネルバさんが目を見開いている。一瞬、何か言いたげな顔を見せるが、すぐにいつもの毅然としたミネルバさんに戻る。
「失礼しますわ」
軽く頭を下げて、私の前を通り過ぎていく。
「ミネルバさん……」
そうか、彼女もザリウルス様を案じているのだ。忘れたとは言っているが、ザリウルス様との幼い頃の思い出をきっちりと今も持っているのだ。
談話室の方を見ると、椅子に腰かけたまま項垂れたザリウルス様がいる。
情けなさが全身から溢れ出している。さっき、ミネルバさんが言っていたけど本当に昔は立派だったのだろうか。これを見ると、とてもじゃないが信じられない。
「ザリウルス様」
このまま放っておくのも忍びない。しかも渦中の人となっているのだ。
「ナタリア嬢……」
弱々しいが、笑顔でザリウルス様は私を見上げる。
「ここ、よろしいでしょうか?」
ザリウルス様の前の椅子を指差して尋ねる。
「あ、はい。どうぞ……」
「僕、本当にダメな男です……」
椅子に座った私に自嘲気味に笑いながら話し始める。
「確かに、幼い頃は何でもミニー……、いや、ミネルバ嬢より先に出来ました。文字を書けるようになったのも、計算もです。ダンスも僕の方がうまかった」
机の上の宙をぼんやりと見つめながら、ザリウルス様は語る。
「ミネルバ嬢は、そんな僕に追いつこうと必死でした。夜遅くまで勉学に励み、足を痛めてもダンスの稽古を止めようとしなかったのです」
ああ、ミネルバさんならやりそうだ。
「僕はそんな彼女が無理をし過ぎないか心配でした。そこで、わざと彼女より劣っているように振る舞いました。ですが、それは、彼女を怒らしただけでした」
ああ、そうなるよね。あのミネルバさんが手を抜かれて勝ったなんて知ったらむしろ屈辱だと感じるかもしれない。
「怒った彼女に謝りました。でも、それ以来……」
ザリウルス様は、唇を噛みしめる。
「どう彼女に接していいか分からなくなりました。それまでどうやって会話していたかも分からなくなるくらいに」
ああ、それがミネルバさんと話す時の不自然さか。謝ってばかりだもんな。
「社交界に出て、どんどん綺麗に、知的に、公爵家の令嬢として輝く彼女を見て、ますますどうしていいか……。そして、悩んだ僕は、何もかも中途半端になってしまいました」
悪い方悪い方に行ってしまったのだな。ある意味、ザリウルス様の優しさがすべて裏目に出てしまったのだろう。
「気づけば、もう学院の二年ですよ。そして、今回の騒ぎ。完全に愛想を尽かされましたよ」
悲し気に微笑む。諦めの境地に至った目である。
いや、そんな事ないはずだ。本当に愛想を尽かしたなら、何も言わないはずだ。むしろ、関わりを持たないと思う。
「ザリウルス様……」
まっすぐザリウルス様の目を見つめる。
「前にも申し上げたはずですわ。ミネルバ様に相応しい男になられませ。あのミネルバ様が振り返るほどの男になられませ」
「いや、でも……」
ザリウルス様が力なく首を振る。
「いやも何もありませんわ。きっとミネルバ様は今でもザリウルス様が期待に応えられる事を望んでいるはず」
でなければ、あのミネルバさんがあんな気弱な所を人前で出すはずない。
「私に良い考えがありますわ。ブロイド家への疑惑もミネルバ様からの期待にも応えられる案がね」
二人がお付き合いをしたり、結婚するのは無理かもしれない。でも、せめて昔のように笑い合えるようになって欲しい。
恋じゃないけど、キューピッドとしてもう一度立ち上がる私だった。