135 公爵家の三人
エルフロント王国が建国され、二百年あまり。それ以前、この地はいつくもの勢力に別れて相争っていたそうだ。群雄割拠の時代である。
百年以上続いたその乱世を勝ち抜き、一つの国家にまとめ上げたのがエルフラン家。今の王家である。
エルフラン家の覇業を助けたのが、サンバルト家とノートル家の祖である。サンバルト家は主に武の面で、ノートル家は智の面で両輪となりエルフロント王家の創業を支えた。そして、その功により最上級の爵位である公爵に叙されたのである。
しかし、残る三公爵家の一角であるブロイド家は、サンバルト、ノートル両家とは少しその成り立ちが違った。
ブロイド家は乱世の時代のそのさらに昔。いくつかの王朝が出来ては滅び、また新たな王朝が産まれては消えた、さらに遠い過去。かつて今のエルフロント王国の地を初めて統一した王国の王家だったそうだ。その国があったのは、今より八百年も遠い時代である。時代が移り王家が変わっていく中、細々とその命脈を保っていたようだ。
建国者である初代エルフロント王は、その血に注目した。自らの支配の正当性を担保する目的もあったのだろう。血で血を洗う乱世の最中いつ滅んでもおかしくないブロイド家を保護し、建国後は公爵の地位まで与えた。
もっとも、現在のブロイド家には、その古き王家の血は流れていない。エルフロント王国が建国して間もなく王の側近の家から養子を入れられたそうだ。
まあ、いろいろ政治的な何かがあったのだろう。今では、その古き王家の血と共に詳細を知る者はいない。何せ、二百年も経っているから。
そのブロイド家の子息であるザリウルス様。
ミネルバさんが冷たい視線を残して去った後、項垂れたままである。
ザリウルス様の幼馴染。しかもただの幼馴染じゃない。昔から想いを寄せていたのだろう。その幼馴染がミネルバさんだったとは、少々驚きだ。
ミネルバさんとザリウルス様のやり取りを思い返す。
「いつまでそのような昔の話を……。ザリウルス様もご次男といえ、ブロイド公爵家のお血筋。幼少の頃の話ばかりではなく、もっと公爵家の一員としてのご自覚を持たれ、威厳を持たれませ」
幼い頃のミネルバさんの話を仕掛けたザリウルス様への言葉。
「外出を控えるようにと学院から言われているはずにございます。模範となるべき三公爵家の一員であるザリウルス様自ら従者も連れずに出歩いているとは、何をお考えですか」
のんびりとお茶を飲もうとしたザリウルス様を見ての言葉。
「ごめんよ……」
そして、ミネルバさんへと返すザリウルス様の言葉はいつもこれ。謝ってばかりである。
「また謝られる。昔からザリウルス様はすぐに謝罪の言葉を申されます。ご自分に自信を持って、言い返すくらいの気概を持たれませ」
繰り返される謝罪に対してのミネルバさん。
「早くご自分の寮に戻られますよう」
最後はそう言い残して、去っていったミネルバさん。
これはキツイなぁ。
心配していた女性にこの仕打ちはなぁ。そりゃ、今のザリウルス様みたいに虚ろな目にもなってしまうよね。
もっとも、どこか頼りない雰囲気のザリウルス様。言いたくなるのも分かるし、ミネルバさんの指摘も正論なものばかりである。
そんな気弱なザリウルス様とお姉さん気質のミネルバさん。合いそうで合わない二人かもしれないね。
「はは……。みっともないですよね、僕」
乾いた笑い声が痛々しい。
「そんな事ありませんわ」
一応、フォローしておく。
「でも、ミネルバ様の事、そんな昔から?」
「ええ。初めて会ったのは五歳の時。一目ぼれでした」
照れくさそうにザリウルス様が頬を掻く。
「でも、僕なんかじゃ、彼女を幸せに出来ません。彼女から見たら僕は貴族としても男としても頼りがいの無い男でしょうから……」
自嘲気味に話すザリウルス様である。
「ザリウルス様」
私は声に力を籠める。
目の前に誰がいると思っているの?恋のキューピッドだよ。その実績も折り紙付きだしね。
「でしたら、ミネルバ様に相応しい男になられませ。いえ、あのミネルバ様が振り返るほどの男になられませ」
立ち上がり、ビシッとザリウルス様の顔を指差す。
「え?」
そんな私を目を丸くして見上げるザリウルス様。
「すべて、この私にお任せくださいな」
不敵に笑みを浮かべる私に何も言えずに戸惑うザリウルス様だった。
恋のキューピッド、三度降臨である。
翌日の放課後。再び寮の談話室である。授業が終わり早々に寮へと引き上げてきていた。そして、隣にはザリウルス様。
「よろしいですか? 間もなくミネルバさんが来られると思います。さっき申し上げたように、ハキハキと思った事を話してください。それと、何にでもすぐに謝ってはいけませんからね。ほら、背筋もピンとしてくださいな」
昨日のミネルバさんからの怒涛のダメ出しを思い出しながらの指摘である。
ザリウルス様に何度も念を押し、励ましている。彼の方が年上なのに、年下に接しているようだよ。
「はい。分かりました」
ザリウルス様は、緊張の面持ちだがはっきりと頷き返す。せっかくのチャンスを無駄にしないよう言い聞かせた成果が出ているな。
私は昨夜のうちに、今日の放課後にこの談話室でミネルバさんとのお茶会の約束を取り付けていた。
偶然近くで出会ったザリウルス様も誘った、という体でミネルバさんを待ち構えている。
「お待たせさせてしまったようですわね」
昨日の様に扉から優雅な出で立ちでミネルバさんがその姿を現わす。
だが、すぐにザリウルス様の存在に気が付き、眉間を僅かに寄せた。
「そこで偶然会いまして。せっかくですのでお誘いしましたの」
無邪気を装い、予定通りの言い訳を口にする。
「……そうですの」
またもや冷たい視線をザリウルス様に浴びせながらミネルバさんもソファーへと腰を下ろす。
「公爵家の娘、息子同士お話したいと思いまして。同じ立場の方とお話できる機会はあまりありませんから」
まずは和やかに話せる雰囲気に持っていかないとね。
「同じ立場ではありませんわ。あなたは王太子殿下のご婚約者。そこは決して忘れてはならないと思いますわ」
眉間の皺が増えた気がする。
こりゃ、なかなか難しいな。全然和やかになりそうにない。
「失礼致します」
どうしたものかと悩んでいる所にアシリカがお茶を出してくれた。
「あら、これは……」
テーブルの上に置かれたお茶を一口飲んで、ミネルバさんの顔が緩む。
「さすがサンバルト家の侍女ですわね。なかなかのものですわ」
ミネルバさんがアシリカに優しく微笑む。
「お褒めのお言葉、恐縮にございます」
アシリカが深く一礼する。
その優しい笑顔、こちらにもください。あと、ザリウルス様にも。
「しかし、初めてですわね。こうしてナタリア様とお茶をご一緒するのも」
こちらに向けた顔には、すでにアシリカに向けた笑顔は消えている。でも、幾分かその表情は柔らかくなっている気がする。
「そうですわね。私、前々から一度ゆっくりミネルバ様とお話したいと思っておりまして」
「まあ。そうでしたの」
ちょっと、口元が緩むミネルバさん。
うん、いい感じになってきたかな。
「ミネルバ様とザリウルス様は幼馴染ですとか。私、そういった方がいませんので少し羨ましいですわ」
ここで、ザリウルス様に話を振る。ちょっと、話の持っていき方が急かもしれないけど、ミネルバさんの機嫌の良さそうな今がチャンスだ。
「はい。幼馴染です」
ハキハキと答えているね。でも、それだけ? 話を膨らませるとかないの?
「私、幼い頃の遊び相手は主にお兄様方たちでしたの。お二人で遊んだりしましたの?」
代わりに私が何とか膨らませないと。
「はい、遊びました」
だから、それだけなの? どんな事したとかないの? ハキハキ答えてはいるけど、それだけじゃダメなんだよ。
「幼馴染と言っても、月に一度会うか会わないかくらいでしたわ。それに、私もザリウルス様もそれぞれの母のおしゃべりを隣で眺めていただけですわ。たまには、二人で遊んだこともあったかもしれませんが、幼い頃の事。あまり記憶には残っておりませんわ」
さっきまでの柔らかさが急に消えたミネルバさんが冷めた目をザリウルス様に向けている。
「そ、そうですの」
私にはそう答えるしかない。
あまり記憶に残ってないと言われたザリウルス様が少しショックを受けているようだ。
「あ、あの、その。ほら、よく言いませんか? 幼き頃に一緒にいた男女が大きくなって、お互いに想いを寄せ合うとか」
こうなったら、直接的に責める。
「そういうのはありませんの?」
身を乗り出し、ミネルバさんの顔を見つめる。
「ありませんわ」
ミネルバさんは断言する。
「平民の身ならいざ知らず、私たちは貴族。それも、エルフロント王国を支える三公爵に生まれた者です。ならば、お家の為、国の為になる相手と結ばれるもの。そこに自らの意思は関係ありません」
毅然としたミネルバさん。そこに強い信念を感じる。
「ナタリア様もそうでございましょう? 私たち、貴族の家に生を受けた者の勤めですわ。ザリウルス様もご次男とはいえ、その事はよく分かっておられるはずです」
ノブレス・オブリージュというやつか。
ミネルバさんの瞳に一点の揺るぎも認められない。本心からの言葉だ。
彼女は自らの家や貴族という身分に気高い誇りを持っているのだろうな。だからこそ、その生活や態度を厳しく律し、私情より貴族としての義務を優先する事を何よりも大事にしている。
最近では、義務より己の欲を優先する貴族が多い中で、立派だとは思う。でも、疲れないかな。少し気を張り過ぎにも感じる。
ミネルバさんの熱い語りに感心と心配が入り混じる私と違い、ザリウルス様の方はショックを通り越して呆然となってしまっている。
まあ、無理もない。ミネルバさんの発言はザリウルス様の恋心を打ち砕くには十分過ぎるからね。
あまりに呆然となっているのか、ザリウルス様は口に運びかけていたカップを持っていた事も忘れてしまい、全身から力が抜け落ちてしまったようだ。当然、その手からカップが滑り落ちる。
滑り落ちたカップはそのままテーブルの上に転がり、中身のお茶は周囲に飛び散る。しかも大半がミネルバさんの方へ向かう。ミネルバさんの真っ白なスカートを汚していく。
「ミネルバ様!」
アシリカやミネルバさんの侍女が慌ててハンカチを取り出し、その汚れを取ろうとする。
「火傷はございませんか?」
アシリカが心配そうに尋ねる。
「大丈夫ですわ。ありがとう」
優しくアシリカや自分の侍女に微笑んでから、ゆっくりとザリウルス様へと顔を向ける。ザリウルス様の方は真っ青になっている。
「そ、その、ごめ……」
一度口にしかけた謝罪の言葉を飲み込み、俯く。
どうやら、何にでもすぐに謝るなと言った私の言葉を思い出したようだ。
でもね、そこは謝れよ! 今のは完全に謝らなきゃいけない場面だろ?
「ザリウルス様。お気になさらずに。しかし、大丈夫ですの? 夜会もですが、お茶会に招かれる時もありますのよ。もう一度マナーを学び直しては?」
冷え切った声でそう告げると、ミネルバさんは立ち上がる。
「服が汚れてしまいました。今日の所は失礼させて頂きますわ」
軽く私に頭を下げると、一度だけ短くザリウルス様を見てから去っていってしまった。
静まり返る談話室。最初に口を開いたのは、ザリウルス様だった。
「そ、そうですよね。彼女の言う通りですよ。感情よりも優先されてしまう事がありますからね。僕たちの立場は……」
力なく笑顔をこちらに向ける。
それに何と答えていいか分からない。
ザリウルス様の言う通り、ミネルバさんの考えは正しい。貴族の、公爵家の娘として尊敬に値する意見と覚悟である。
貴族の中の貴族と呼ばれる三公爵家の一員としての矜持を見せつけられた思いである。
だからこそ、ザリウルス様もそれ以上は何も語らず、私にも言える事は一つも無かった。
恋のキューピッドはミネルバさんの貴族としての矜持に完敗した。
失意の中にいるザリウルス様を寮の玄関先から見送る。
ショックを受けているだろうに、今日の席を設けた私に虚ろな目をして何度も礼を述べていた。
何とも言えない気持ちで、肩を落としてふらふらと歩いていくザリウルス様を見送っていた。私のした事は間違っていたのかもしれない。引導を渡すような真似をして、余計に彼の気持ちを傷つけてしまった。
「お嬢様。ザリウルス様もこの結果は予想していた事だと思いますよ」
沈む私にアシリカがそっと手を添える。
そうかもしれない。私なんかよりザリウルス様の方がその辺の事をよく理解しているだろうし。
それでも、後悔してしまう。
「あの……、サンバルト家のナタリア嬢だろうか?」
そんな私に男性の声。
「いかにもそうですが。あなた様は?」
アシリカとソージュが私を守るように一歩前に出る。
「これは失礼。シスラス・ブロイド。ザリウルスの兄だよ」
そう言って貴族の礼を取る。
確かに優し気な表情がザリウルスによく似ている。しかし、弟と違い柔らかそうなその雰囲気の中に威厳も感じられる。
「申し訳ございません。ご無礼いたしました」
慌ててアシリカとソージュが私の後ろへと下がる。
「いやいや。仕方ない事だよ。ブロイド家は、主に外交を担っていてね。他国に行っている事が多くて。そのせいで、ほとんど社交の場にも出ていないからね。この顔を知らなくて当然。侍女としたら警戒するのも当然だよ」
そう言って、アシリカたちに笑顔を向ける。
それで、まだ学生のザリウルス様は見かけた記憶があるが、兄のシスラス様の顔には心当たりが無かったのか。
「今日はザリウルス様にお会いに?」
「ああ。昨日一ヶ月ぶりに帰国してね。でも、寮には居なくててね。彼の従者に聞いたらこちらに来ていると教えられて来たのだが……」
そう言って、ザリウルス様が立ち去った方を見つめる。
「何かあったのかい? 何やら悩まし気だったようだから声も掛けづらくてね」
心配そうな面持ちで尋ねてくる。
「年の離れた弟でね。つい構いたくなる。教えてくれないだろうか?」
いいお兄様なんだろうな。
でも、悩むな。あった事をそのまま話していいのだろうか。ザリウルス様にしたら知られたくない事かもしれないしなぁ。
そんな悩む私に気付いたのか、シスラス様がふっ、と小さく笑う。
「いやいや、これはすまないね。どうやら、また弟を心配するあまり他の人を困らせてしまったようだ。未だ弟離れが出来ないダメな兄なんだ」
照れた苦笑を浮かべながら、頭を触るのは弟そっくりである。
昔からの悪い癖が治らないなと、ぼやきながら頭を掻いている。
「悩むのも青春かな。うん、そうだね」
自分で納得したように何度も頷く。
「これからも弟と仲良くしてやって欲しい」
「はい。もちろんですわ」
そう答えた私に満足そうな笑みを浮かべてから、何度も弟の事を頼むと頭を下げて帰っていった。
「ザリウルス様を可愛がっておられるのですね……」
アシリカが圧倒されたのか、ぽつりと呟く。
「そうね」
まあ、ミネルバさんとの恋はうまくいかないかもしれないけど、フォローはしてあげないとね。それも恋のキューピッドの仕事かもしれないな。
明日もちょっと誘ってあげよう。甘いお菓子でも用意して励まそうかしらね。
そう考えて私だったが、それは叶わなかった。何故なら、またもや、三日間の臨時休校と寮からの外出禁止令が出されたのだ。
また、あの森の近くで遺体が発見されたのだった。