132 私流の選び方
突然現れたレオ。
何でも、私の姿絵を描く画家を選ぶ催しをサンバルト家の別荘で行うことを知り、急に訪れて驚かしてやろうという子供染みた考えを思いついたらしい。
もちろん、父親である国王陛下の許可は取ったそうだが、あくまで非公式な訪問。先触れも出さずに、私を驚かそうとしたが、結果は私の変装メイクに逆に驚かされたようだけどね。
「な、なるほど。そういう事情があったのか……」
レオの乗ってきた馬車に同乗させてもらっている。非公式という事もあり、お供の数は少なめだそうだが、それでも警護も含め五台の馬車が連なっている。
「しかも、フッガー家の別荘にいるとはな……」
てっきり、サンバルト家の別荘にいると思い込んでいたようだ。もうちょっと事前に調べておけよ。もしあの場で私に遭わなければ、突然のレオの訪問に別荘の方が大騒ぎになっていたじゃないか。
「という訳で、レオ様。私、忙しいので、王宮にお戻りください」
のんびりとレオの相手をしている暇は無い。
「お、おい。せっかく来たのに酷くないか? それに、俺も世直しに参加させてくれると、約束したじゃないか!」
不服顔のレオである。
面倒臭いな。ガイノスにバレた以上に、ややこしい奴に知られてしまったかもしれないな。
「付いてこられるとおっしゃるなら、私の下僕としてですわよ」
「構わん。それは以前にも了承したことだからな」
下僕がそんなにいいのかしらね。もしかして、剣術の稽古で叩きのめし過ぎたかもしれない。レオに他人に虐げられたいという感情が芽生えたとしたら、責任を感じるな。
そんなレオの心配している間にフッガー家の別荘へと辿り着く。
「送っていただきありがとうございます。では、レオ様。また明日……」
馬車から降り、レオに一礼する。
「お、おい。俺は今晩どこに泊まればいいのだ?」
こいつ、サンバルト家の別荘に泊まるつもりだったのか。
「王家の別荘はありませんので?」
王家ならきっとすごい別荘なのだろうな。
「この辺りには無い。王家の離宮は別の場所だからな」
離宮でしたか。別荘とは規模が違うのね。さすがと言うべきかしらね。
「まさか、フッガー家の別荘に泊まるとでも? それは無理にございますわ」
レオの従者や護衛は非公式といえど、三十人近く。フッガー家の別荘では、賄いきれない人数である。
「それは、困る」
知らないよ。何でそんなに無計画なのよ。
「それに、よろしいので? ここには、女性ばかりですわ。いくら婚約中とはいえお父様が同じ屋根の下で一晩過ごしたと知ったら、何と仰せになるか……」
百パーセント過ちは起きない自信があるけどね。
「それだけではありませんわ。ここには、フッガー家の令嬢もおられますわ」
シルビアはまだ婚約もしていないから、尚更問題だよ。下手に噂になったら、どう責任取るのかしらと言外に漂わせる。
「そ、それは……」
レオもやっと事のマズさに気付いたようね。この前、王宮に忍び込んだ時もそうだったけど、意外と抜けているというか、考え無しに行動するわね。うっかり役にしたけど、天性の才能があったのかしらね。
まあ、仕方ないか。このまま野宿をさせる訳にもいかないし、旅慣れた私が手助けしてあげよう。でないと、彼に付いてきた部下の人たちも可哀そうだからね。
「デドル。彼らに宿を取ってあげて」
近くに何軒か宿があったはずだ。
「へい。かしこまりやした」
いつの間にか側に来ていたデドルにレオが驚きの表情を見せている。
いい加減慣れてほしいものだ。
「レオ様。決してご身分を明かされませんように。でないと、大騒ぎになってしまいますから」
「ああ、分かった」
「そうね……。旅芸人の一座とでも言っておいてあげて。レオ様が座長って事で」
デドルに告げる。
「旅……芸人……」
呆然となりレオが呟く。
「殿下……」
気の毒そうに主へと視線を向けるフォルクとマルラスであった。
翌日の昼前。
サンバルト家の別荘の前へと私の乗った馬車が静かに止まる。
一斉に待ちかまえていてくれた使用人たちが頭を下げる。その前を馬車から降りて、玄関へと進んでいく。
昨日見かけたメイドたちもいるが、今日はきりっと引き締まった顔で私を出迎えてくれている。まるで、昨日は何も見ていませんと言ってくれているようだ。
優しい人たちだね。心の中でこちらが頭を下げておこう。
私の後にシルビアが続く。彼女も私の友人として、一緒に画家を選んでもらうという事になっている。そのさらに後ろにアシリカとソージュ、そして、下僕のハチことレオが付いてきている。
この中でさすがに王太子であるレオの顔を知っている者はいない。もっとも、今この私の後ろに歩く使用人の服を着た青年が王太子とは誰も夢にも思わないだろうけどさ。
レオは、世直しの事を知るフォルクとマルラスの手引きでこっそりと随行の他の従者や護衛の目を誤魔化してこちらに来ていた。あの二人にも余計な苦労を掛けて申し訳ないよ。
「お嬢様。ご到着お待ちしておりました。まずは、ご休憩になさいますか?」
出迎えのメイドが一人一歩前に出て、恭しく私に尋ねてくる。
「いいえ。早速、画家の選定に入ります」
「かしこまりました」
画家の選定は、どうやらホールで行われるそうだ。すぐに、そのホールへと向かう。すでに、候補の画家たちは、それぞれが持参した絵と共にそこで待ち構えているらしい。
「ナタリアお嬢様が参られました」
そう告げた後、案内のメイドがホールの扉を開ける。
腰を折り頭を下げて私を出迎えるジョエルとクラウザ、そしてマルタンである。もちろん、ロムアルドも一同に倣って深く礼をして待ち構えていた。
用意されていた椅子に腰かける。
「ナタリア・サンバルト様にございます」
アシリカの声が響く。
その声を合図にして、四人が顔を上げる。
「お目に掛かる事が出来、光栄にございます」
マルタンたち三人は、それぞれ私への敬意を表す挨拶を口にする。
一方のロムアルドは、口をあんぐりと開け大きく見開いた目で私を凝視している。
「え、えっと、何で?」
そう小さく呟くロムアルドにアシリカが咳払いを一つする。
「あ、あの……、その、光栄にございます」
咳払いに我を取り戻したのか、もう一度頭を下げてからたどたどしく口上を述べる。そんなロムアルドに失笑を含んだ眼差しを向けるマルタンたちだ。
では、始めましょうか。私流の選定会をね。
アシリカに向かって頷く。
「これよりお嬢様は、絵をご覧になります。お人払いを」
案内のメイドに告げる。
一瞬、どうしてだろうと不思議そうな顔となった案内のメイドだが、すぐに一礼して部屋から出ていく。
それをソージュが扉の外まで見送り、扉を閉めてこちらに振り返って大きく頷いた。
「では、絵を」
ロムアルドはもちろんマルタンたちも怪訝な顔を見せるがアシリカに促され、絵を取り出し、用意されていたイーゼルに立て掛ける。
三枚の絵が並べられた。
一枚には、薔薇の花が描かれている。その隣には、蝶の絵。どちらも美しい。色合い、デザインともに申し分が無い。そして、その隣にイーゼルの真ん中にちょこんと載せられているカルガモ親子の絵。
三枚を見比べると、色が付いていないせいもあるが題材からして華やかさは劣っている。
無言のまま椅子から立ち上がり、まずは薔薇が描かれた絵の前まで進む。
「ジョエルと申します。この度はナタリア様のお姿を描かせていただけるかもと、頂き喜びに打ち震えております。私に薔薇ではなく、白ユリを描かせて頂く栄誉を与えて頂けたらと……」
ふーん。この薔薇の絵はジョエルなのね。薔薇ではなく白ユリを描きたいと。柔らかな笑顔からは、昨日の会話が嘘みたいに感じる。
私は言葉を発する事も反応を示す事も無く、その隣の蝶の絵の前に進む。
「クラウザと申します。ナタリア様におかれましては、益々そのお美しさが増してきていると伺いました。事実、そのお美しさにこの蝶が霞むくらいにございます。是非、ナタリア様の美しさを描いてみたいと願っております」
クラウザは堂々と美しいを連呼している。でも、心の方は醜いと私の事を思っているのでしょ。よくそこまで口から思ってもいない事言えるもんね。
クラウザの絵に対しても反応を見せずに、ロムアルドの絵に前に立つ。
「あ、あの、その。ロムアルドです。えっと、ですね……」
彼がどんなナタリア・サンバルトを想像していたかは、分からないが私が目の前に現れた事にいまだ動揺が収まっていないようだ。
「こ、この絵はその……」
口ごもるロムアルドに対しても口を開かず椅子に戻り腰掛けると、三人を見つめる。
「ナタリア様。私は、画商のマルタンと申します。いずれも才能ある者たちにございます。きっとナタリア様がご満足される姿絵を描いてくれると思っております」
何の反応も表さない私にやや戸惑いを覚えつつあるマルタンが述べる。
「お嬢様。お気に召した絵はございましたか?」
無表情のアシリカが口を開く。
「そうですわね……」
この部屋に入ってから初めて言葉を発する私にマルタンたちは緊張感を漲らせている。
私は立ち上がると鉄扇を取り出し、真っすぐ前に向ける。鉄扇の先をジョエルの絵とクラウザの絵を行ったり来たりさせる。
「この二つ絵のどちらかで迷っておられますか?」
喜色を浮かべて、マルタンが揉み手している。
「いいえ。この二枚からは思いが伝わってきませんわ」
冷たく言い放つ。
「え?」
嬉しそうなマルタンの顔が固まる。その隣のジョエルとクラウザも同じような顔になっている。
確かに、この二枚の絵は綺麗だ。貴族の屋敷にあれば違和感は無いだろう。絵に詳しくは無いが、色鮮やかで綺麗だと思う。
だが、目が留まる事は無い。そこにあって違和感が無いというだけで、印象に残らないだろう。ただ己の技術をキャンバスに落とし込んだだけ。
これは彼らの本性を知らずとも、感じていたと思う。
「ですが、こちらの絵からは思いを感じますわ」
鉄扇をロムアルドの絵へと向ける。
それに引き換え、ロムアルドの絵からはその絵自身や被写体に対する愛情や慈しみが感じる。ソージュにくれた時から思っていた事だ。
あくまで、素人の意見だけどもさ。
「ナ、ナタリア様。画商である私から見ての意見にございますが、この三枚の絵を見比べるにナタリア様に相応しい絵はどう見てもこちらの――」
「無礼な。我が主に異を唱えると申しますか?」
慌てた様子で自らの意見を口にしたマルタンにアシリカが一喝を与える。
「め、滅相もございません。出過ぎた真似でございました。お許しくださいませ」
さっと顔色を変え、マルタンが頭を下げる。
「確かに、こちらの二枚の絵は綺麗ですわ。でも、それだけ。何の思いも感じられませんわ。いえ、思いは感じるかしら。黒く濁った心を……」
下げた頭を上げて、マルタンが呆然とこちらを見ている。
「それに、どこかで見た様な絵ですわ。まるで普段から人の絵を真似ているようですわね」
「そ、そんな事はございません……」
青い顔をして、マルタンが震えた声を出す。
「あら? 私の見当違いなのでしょうか? デドル、どうかしら?」
「へい。お嬢様」
そう言ってデドルが差し出したものは、三枚の絵。どれもすべて同じものだ。
「これは、とある高名な画家の絵です。この絵が何枚もあなたの店にありましたがどう説明を?」
早朝のうちにデドルに頼み、マルタンの店から拝借してきたものだ。借りたままでは悪いので、ここで返そう。
「なっ、何故、それが!?」
マルタンは声だけでなく、体も震わせ始める。
ジョエルとクラウザも顔面蒼白となり、体を寄せ合っている。
「私が何も知らないとでも? この贋作だけではありませんわ。そこにいるロムアルドを襲い、彼の絵を奪った事も分かっています」
よろよろと一歩下がるマルタン。
「人を癒し、感銘を与えるべき絵をただただ金と栄誉の為の道具としか見ていないあなた方に芸術を語る資格などありませんわ」
鉄扇をマルタンらに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線を三人に送る。
「アシリカ、ソージュ、デドル!」
「よしっ。このタイミングだったな……」
小さくレオが呟くのが聞こえてくる。
「お仕置き――」
その言葉の途中で、マルタンたちはその場にへなへなと座り込んでしまう。視線も定まらずに絶望に満ちた顔となっている。
「――の必要も無さそうね」
床にへたり込み、体をくっつけて震える三人を冷たく見下ろす。
贋作の件はいつも通り騎士団のリックスさんに任せよう。そうなれば、この三人も、絵画の世界では生きていけないだろうな。
一方、今にも飛び出そうとしていたレオがきょろきょろとしている。タイミングを図っていたみたいだけど、飛び出す機会は無かったね。でもね、レオ。あなたのポジションは、うっかりだからね。その辺、じっくり言い聞かさないといけなさそうね。
「さて、今回の選定の結果ですが……」
私はゆっくりとロムアルドの前に歩いていく。
「是非、あなたにお願いしますわ」
「え? え?」
未だ目の前に出来事に理解が追い付いていないようなロムアルドは目を瞬かせている。
「私の絵を描いてねってお願いしているの」
にっこりと笑みを浮かべる。
「は、はいっ。ありがとうございます!」
自分が私の絵を描く画家に決定した事だけは理解出来たのか、勢いよく頷き返してくる。
「ちゃんと、美人に描いてよ」
「お嬢様……」
ロムアルドにウインクをした時、扉の開く音と共にガイノスの声が聞こえてきた。
呆然自失のマルタンらを一瞥した後、デドルの持つ絵にも視線を向ける。
何で、ここにガイノスがいるのよ? レオといいガイノスといい、何故に突然現れるのよ?
「……王宮に伺った旦那様から急遽別荘に向かうように指示がありました」
ああ、そう言えばお母様と王宮のお茶会に誘われていたのよね。
ガイノスは、デドルの持つ絵から視線を使用人の恰好をしたレオへと移す。
「そこで殿下が当家の別荘に来られると聞いた旦那様から様子を見てくるようにと仰せつかったのですが……」
ああ、お父様ったら、私とレオが別荘で二人きりにでもなるかと心配したのかしらね。心配性ね、まったく。そんな事、あり得ないのに。
「いくら婚約中の間柄とはいえ、結婚前の二人が一緒に別荘に泊まるなどあってはならぬ事にございますからな」
ガイノスの威圧感ある視線に堪らずレオは目を逸らして俯く。
「しかし、この場に殿下はおられないようようですな。その辺はちゃんとご理解されておられるのでしょう」
気のせいかレオの顔色が悪い気がする。昨日、泊まる気満々だったからな。
「ところで、お嬢様。姿絵を描く画家は選ばれましたか?」
「ええ。このロムアルドに決めたわ」
ガイノスの威圧感に圧倒されているロムアルドはカクカクと頷いている。
「そうですか。画家の選定は、お嬢様に一任されておりますからな。お嬢様のやり方で選ばれたなら何も申しません」
そう言うと、ガイノスはくるりと体を反転させ扉に向かう。
「私は、すぐに屋敷に戻り殿下がおられなかった事を旦那様に報告せねばなりません。お嬢様。ここの後始末はお任せしてよろしいですかな?」
なるほど。何も見なかった、という事ね。
「ええ。任せてちょうだい。きっちり片付けていくからさ」
「では、失礼致します」
私に一礼して、ガイノスは去っていく。
「はぁ。びっくりした。まさか、ガイノスが来るなんて思わなかったわ」
これも、全部レオのせいだと、睨み付ける。
「リア……。何となくお前が強い原因が分かった」
ところが、そんな私に気付く様子もなくレオは首を振っている。
「サンバルト家に仕える者は皆、気が強いのだな……。幼い頃からそんな使用人に囲まれていたら強くなって当然だ……」
憔悴しきった様子で呟くレオだった。