130 カルガモ親子と画家の卵
夏休みも残り僅かとなる頃である。
私は馬車に揺られ、エルカディアの郊外にある別荘地へと向かっていた。
エルカディアから馬車で半日ちょっとの場所に広がる別荘地帯。主に貴族や豪商がそこに別荘を所有している。王都の喧騒から少し離れ、のんびりとしたい時に使うそうだ。また、別荘を持っていなくとも、泊まれる宿も点在していて、王都から近場の避暑地といった感じの所だ。
「お姉さま、楽しみですわね」
シルビアが妖艶に微笑む。学院に入って、年齢と共にその色気は留まる事を知らない。
フッガー家もその別荘地に別荘を所有しており、そこの近くにある池にカルガモの親子が棲み着き、とても可愛いいらしい。それを見に行こうと誘われたのだ。
「そうね」
ぴょこぴょこと歩くカルガモの子は可愛いだろうな。でも、シルビアが木以外にここまで興味を持つのも珍しいな。動物も好きなのかな。
「どうせなら、そのカルガモの親子も一緒に描いてくれないかしらね」
そして、もう一つ私にはやるべき事があった。
毎年、姿絵を描いてもらうのだが、今年はせっかくなのでその別荘地で描いてもらおうという事になったのだ。
サンバルト家もその別荘地に別荘を構えていたので、フッガー家に二日滞在した後、向かう事になっている。
さらに今回は今までと趣向を変えて、姿絵を描いてくれる画家も複数の候補から私が選ぶという事になっていた。もっとも、今まで描いてくれていた画家が急病で倒れたらしいから、そうなったみたいだけどもね。
本来ならば、お母様と一緒に選ぶ事になっていたが、王太后様からお父様と一緒に茶会のお誘いを受けて、私一人で別荘に向かう事になってしまったのだ。
絵の事なんか、よく分からないから誰でもいいと思うのだけどもね。そんな私が一人で選んでいいものかと心配になってくる。
「いやあ、姐さんのご友人はえらく別嬪さんですなぁ」
馬車の外から話しかけられる声。ガンドンだ。鼻の下を伸ばして、馬車の中を覗き込みシルビアを見ている。
ご近所さんからの通報に対して、パドルスが手土産付きで誤解を解いて周り、何とか道場を拠点にする事が出来た。そして、いよいよ本格的に商売が動き出し丁度私たちの出発に合わせて、イートンへ向けて出発したのだ。
「本当にお綺麗で……」
ガンドン以外もシルビアに釘付けである。
あのさ、アンタたち、私に向ける目と随分と違うわよね。
「ほら、仕事に集中なさい!」
これは決してやっかみではない。正当な注意である。
「は、はいっ!」
私の一喝に背筋を伸ばし、真っすぐに前へと向き直る。しかし、すぐにチラチラとシルビアの方を気にしだしている。
大丈夫かしらね、こんな調子で。
イートンと別荘地へと別れる所まで一緒に行く。
「じゃあ、気をつけてね」
襲われる心配はしてないけど、騙される心配は消えないな。
「任せてください! 姐さんのご期待に応えてみせますよ!」
ガンドンが力強く答えるが、たまにシルビアの方へ向ける視線にますます不安が募ってくるよ。
シルビアに頑張ってくださいね、と声を掛けられ、怖い顔をだらしなく崩しながらイートンへと向かって進んでいく彼らが心配だな。
「大丈夫ですかね……」
アシリカも心配そうに彼らの後ろ姿を見送っている。
「儲けるつもりが、大損……。心配デス」
怖い事言わないでよ、ソージュ。
「そろそろ行きやすぜ」
デドルにそう言われるまで、ガンドンら一行の姿が見えなくなっても不安そうに彼らの行った先を見ていた私たちだった。
フッガー家の別荘。落ち着いた感じでこじんまりとしていた。周囲を木々に囲まれ、少し先にカルガモの親子が棲むという池が見える。
「ようこそお越しくださいました」
一足先に準備で来ていたカレンさんが出迎えてくれた。
「お世話になりますわ」
よくよく考えてみれば、旅以外で他の場所に泊まるのは初めてだな。ちょっと、ワクワクしてくる。
「いい場所ね……」
改めて周囲を見渡す。
別荘地自体に来るのは初めてだが、王都から半日ほどの場所にあるとは思えないほど、静かでのどかな雰囲気である。
草原の中になだらかな小高い丘がいくつもあり、所々に林や池が点在している。少し離れた丘から心地よい風が吹き抜けてきている。
「癒されますね……」
アシリカも大きく息を吸い込み、穏やかな表情を浮かべている。ソージュもじっと目を閉じて、風を気持ち様さそうに体で受け止めていた。
「お姉さま。さっそく、カルガモの親子を見に行きませんこと?」
それはいいわね。。早速見に行こうかしら。
カレンさんに夕食までには戻る事を伝え、カルガモ親子の棲む池へと足を伸ばす。
すでに先客がいるようで、一人の若い男性がカルガモに釘付けになっている。私たちも、その人に視線の先にいた池のカルガモに目を移す。
話に聞いていた通りカルガモの親子が水面を気持ち良さそうに進んでいる。一生懸命母親に付いていこうとしているカルガモの子供の様子がとても可愛い。
「可愛いわね……」
意識せずとも顔が綻んでしまう。何だか優しい気持ちになるな。
「しばらく、鳥肉食べれなくなりそうデス」
……そうね、ソージュ。でも、これを見てその心配をするのもどうかと思うけどね。
「くくっ」
ソージュの言葉に先客の男性が堪えきれないとばかりに小さく笑い声を漏らす。
「いや、これは失礼。思わず笑ってしましましたが悪気はありません。もし気分を害されたならお詫びします」
池を見ていた男性はこちらに振り返り、申し訳なさそうに頭を下げる。
「イ、イエ……」
ソージュが気恥ずかしそうに首を振っている。
まあ、今のソージュの感想に思わず笑ってしまうのも分からないでもないしね。
「本音では、感謝したいくらいですから」
感謝?
「ただ可愛いと思うだけでなく、そういった見方も出来るのだなぁと気づかされました。勉強になりますよ」
いや、ソージュはお腹が減ってきただけだと思うけど。ま、いいか。勉強になったって喜んでそうだしね。でも、何の勉強かしらね。色白で眼鏡を掛けているから学者さんなのかな。
「そうだ。笑ってしまったお詫びと感謝の印に君にこれを……」
その彼が胸元のポケットから取り出し、ソージュに手渡したのは、カルガモの親子のスケッチ。
「さっと描いただけのものですけどね」
そう言うが、親ガモの子への気遣いや愛情、子ガモの愛くるしさや必死さが絵の素人である私にも伝わってくるほどの上手さだ。
「では、僕は失礼させていただきますね」
軽く会釈し、その男性は去っていった。
「食い意地張っていると思われマシタカ?」
ソージュが私を見上げる。
「うーん。かもね……」
私が悪戯っぽく笑うと、ぷうっと頬をソージュが膨らませる。
「まだまだソージュは、食べ盛りだから気にする事ないわよ」
そう言って、ソージュの頭を撫でる私だった。
翌朝、私はマツカゼの馬上にいた。
乗馬に持ってこいの環境だと朝早くから草原の中を駆け抜けていた。
やっぱり気持ちがいい。このスピード感が堪らない。またレースに出たいな。
「お嬢様ー! あまりスピードを出してはなりません!」
それぞれクロクモとホウショウツキゲに跨って、アシリカとソージュが私の後ろを走ってきている。
「大丈夫よ!」
レースに出た時はもっとスピード出していたんだから。
よーし、マツカゼ。あの二人をぶっちぎってやりましょう。
さらにスピードを上げ、後ろの二人を引き離す。
「あれは……!」
風を切っている私の前方に人が倒れているのが見える。
「マツカゼ!」
手綱を引き、スピードを落とす。
「大丈夫? 何があったの?」
マツカゼから飛び降りて、倒れている人に声をかけながら顔を覗き込む。
「あっ、この人……」
倒れていたのは、昨日カルガモ親子にいる池で出会った男性だ。頭から血を流している。しかし、胸の辺りが上下しているところを見ると息はあるようだ。
「どうされました?」
異変に気付いたアシリカとソージュが慌てた様子で駆けてきた。
そして、すぐに倒れている男性を見て、驚きの表情になる。
「昨日絵をくれた人デス」
二人もすぐに、昨日会った男性だと気づく。
「すぐに、戻るわ」
男性を三人がかりでマツカゼに乗せると、フッガー家の別荘へと急ぐ。
「まあ、どうされました!?」
ぐったりとしたその男性を連れて帰った私たちに最初は驚いたシルビアとカレンさんだが、すぐに状況を察したようで、テキパキと介抱の準備を始める。
騒ぐ私たちに気付いたデドルも奥から顔を出す。
「どう?」
頭からの出血を止血しながら、他にも怪我が無いか確認していくデドルに尋ねる。
「傷は出血の割には浅いですな。他には切り傷くらいかと」
命に別状は無いみたいね。ほっとした空気に包まれる。
「でも、何があったのかしら?」
この人が倒れていた場所は平坦な所だった。周囲には木なども無く、どこからか落ちるという事は考えられない。転んだとしても、ここまで怪我をするとも思えないしさ。
「しばらくすると意識も戻ると思いやす」
意識が戻ってからか。今は待つしかないかな。
デドルの言うとおり、お昼を少し過ぎた頃にその男性はゆっくりと目を開いた。
「あれ……? ここは?」
起き上がり、周りをきょろきょろと見回す。だが、すぐに頭の傷が痛むのか、顔を顰める。
「大丈夫? まだあまり動かない方がいいわ。あなた、倒れていたのよ」
状況を把握していなさそうな男性に声を掛ける。
「あ、あなたは昨日の……」
私と隣に立つソージュの顔を見て、男性が呟く。
一度でも会った事のある顔を見つけたせいか、少しほっとしたような表情を見せる。
「まずは、これを……」
カレンさんが暖かいスープを持ってきてくれる。
「あ、ありがとございます。あの……、ここは、どこかの貴族様の別荘ですか?」
彼からしたら全然知らない場所だもんね。不安になるのは当然だ。
「ここはフッガー子爵家の別荘ですわ。ところで、あなたは?」
シルビアが答える。
「ロムアルドと申します」
名前を告げると同時に、何かを思い出したようにはっとした顔となり、すぐに自分の周囲を何かを探すようにきょろきょろと見回す。
「あ、あれ?」
次第にそのロムアルドの表情に焦りの色が出てくる。
「あの……、絵、無かったですか?」
正面に立つシルビアにロムアルドが尋ねる。
「絵?」
首を傾げるシルビアが私の顔を見る。
いや、あの場に絵は見当たらなかったな。どのくらいの大きさか分からないが、もし落ちていたら気づくはずだ。
ゆっくりと横に首を振る私を見て、男性は顔を青くする。
「あれが無ければ……」
肩を落とし、今にも泣きそうな顔となる。
「落ちてなかったわよね?」
そんなに大事な絵だったのかな。念の為、アシリカにも確認してみるが、彼女も見ていないようで、首を振る。
「僕、画家の卵なんです。サンバルト家のご令嬢の姿絵を描く候補に選ばれる機会を得られたのですが、その為に必要な絵なんです!」
どうしていいか分からないとばかりに頭を抱え込むロムアルドに詳しく事情を尋ねる。
どうやら、彼は私の姿絵を描く画家の候補で、選定の為の絵をサンバルト家の別荘へと届ける途中だったらしい。早朝から出たのは、通りすがらスケッチをしようとしていたそうだが、逆にそれが裏目となりそれでなくとも人気の無いあの場所で襲われたようだ。
「折角、掴んだチャンスなのに……」
一通り話す事で多少落ち着いたようだが、その落ち込みようは、見ていてこちらも心痛くなるほどだ。
でも、物盗りに遭遇して命があるだけでも良しとすべきじゃないかな。下手したら殺される時だってあるのだからね。命は絵に代えられないからさ。
「他に何か盗られてない?」
もし財布なんかも盗られていたら、気の毒だ。せめて帰る資金くらいは貸してあげよう。
「……いえ、財布は無事ですね」
胸のポケットを弄り、ロムアルドが答える。
財布が無事? そんな分かりにくい所に入っているわけじゃないのに?
「盗られたのは絵だけですの?」
シルビアが首を傾げる。
「そのようですね」
他のポケットの中も確認して、ロムアルドが頷く。
何か、おかしくない? 物盗りに遭って、盗られたのが絵だけってさ。まさか、絵画好きの盗賊でもあるまいし。それに、ロムアルドはまだ画家の卵。いくら上手でもその絵にそんな高い価値があるとも思えない。
「絵だけが盗まれたのね」
眉間に皺を寄せ、もう一度尋ねる。
「はい。どうして絵だけが……」
がっくりと項垂れるロムアルド。
「絵が目的だったのかもね……」
「絵が?」
不思議そうに聞き返すロムアルドに頷き返す。
これは、ただの物盗りじゃない。そして、目的はロムアルドの絵。ここまで考えたら、後は簡単だ。きっと私の姿絵を描く選考が関わっているはずだ。
もし、私の絵を描く為に何か裏があるのならば、それを放っておく訳にはいかないと思う私だった。