129 世直しの先にあるもの
止まった馬車から降りる私を出迎えてくれたのはパドルスだった。
「これはこれはナタリア様」
揉み手と商人スマイルをバッチリ決めているパドルスである。
完璧なスマイルを決めるパドルスの隣にいるのは、顔を歪めたガンドンだ。本人にしたら、パドルスに倣って商人スマイルを出しているつもりみたいだが、とてもそうは見えないのが悲しい。悪人面って、辛いよね。
だが、そのパドルスの商人スマイルも私の後ろにいるアシリカを見て強張る。
「ア、アシリカさん……」
笑顔がすっかり消え、気まずそうに目を泳がしている。
そうか、パドルスがあの初めての成敗した時以来アシリカに会うのは初めてだったな。
「パ、パドルスさん……。その、お久しぶりです」
アシリカもどういう態度で接していいのか戸惑っている。
今日、事前にちゃんとパドルスと会う事を了承してもらったけど、やっぱり思う所があるのかな。
「あの……。申し訳ありません」
「息子の件は申し訳ありませんでした」
二人が同時に謝罪の言葉を口にする。
パドルスが謝るのは分かるけど、アシリカは何で?
「い、いえ。以前の事は。それに、お嬢様やトルスさんから伺いました。過ちを後悔して、孤児院へ援助されていると。それに、父の店にも格安で小麦を卸してくれているそうで。ありがとうございます」
へー。格安でアシリカのお父さんに……。それは初耳だ。
アシリカは、もう気にしていないと首を横に振っている。
「い、いえ。せめてものお詫びの気持ちです。それより、私はアシリカさんから謝られるような事は……」
そうよね。パドルスの言う通りだ。
「うちのお嬢様に振り回されているようで……。こちらの方が申し訳なく思っています」
私、パドルスを振り回しているつもりないけど。そうよね、パドルス。今では、いい商売仲間よね?
「いえいえ。そこは私も商人です。ご提案に利があると判断したからこそ、ナタリア様のお手伝いをさせて頂いているのです」
パドルスは否定しているけど、苦笑しながらなのは何故だろう。
「準備の方も滞りなく進んでおります」
アシリカから私の方に向き直り、商人の顔に戻る。
パドルスの言う準備とは、 賭場でモーランさんを騙しさらに懲りずにクレイブも騙してお金を巻き上げようとしていたガンドンらを使っての運送業だ。
彼らの強面というか悪人面を最大限に利用した商売である。
「そう。それは嬉しいわ」
学院もあり、夏休みに入ってからも社交の場に顔を出さなければいけない私に代わり、細かい準備をパドルスに任せていたのだ。
「馬車も取り合えず三台用意しました。中古ですが十分使えそうです」
初めは運送業に手を出すのにいい顔をしなかったパドルスだったが、私の持つ独自ルートであるイートンの織物の話を聞いてからは随分と乗り気になっていた。彼も小麦だけでなく、他の商品も扱いたいと思っていたようだ。
「こっちも、準備万端よ。イートンのマルム商会とは話が付いてるからさ」
すでに、イートンのイザベルと手紙をやり取りし、上質の織物を売ってくれる手筈は整えてある。
「では、残る心配は、一つですね。エルカディアからイートンまで馬車を空にするのも……」
そこが問題だった。
もちろん、空でも問題は無い。だが、利益を上げる為にはイートンに持っていく物も有る方がいいに決まっている。
「ふふふふ。それも解決したわ」
「おおっ、さすがナタリア様! で、何をイートンへ?」
揉み手と満面の商人スマイルで、大袈裟なほどパドルスが歓声を上げる。
「これよ」
私が取り出したのは、組紐。
「これは、まさか今話題のっ!?」
パドルスが食い入るように私の手の中の組紐を見ている。
「そう。コーエン屋の組紐よ」
コーエン屋の組紐。工場が焼けて糸を生産出来なくなり、在庫も焼けてしまったが、自宅の方に保管されていたマーシャさんの亡くなった旦那さんが作った糸で編まれた組紐を献上したようだ。
何十年も前に作られたものとは思えない仕上がりで、王太后様もとても喜ばれていた。
それのお陰か、世間では組紐が大流行している。組紐ならコーエン屋。そんな話題が一気にエルカディアの街に広がり、貴族も平民も皆、コーエン屋の組紐を欲しがった。
そして、エルフロント王国の中心地である王都で流行っているものは、地方へと波及していく。もちろん、イートンの街とて例外ではないはずだ。
「コーエン屋の工場も早ければ来月か再来月には再建されるわ。それに、自宅部分ですでに製造を再開しつつあるしね」
もちろん、マーシャさんとも話は済んでいる。もちろん、ガイノスへの内緒も一緒に済んでいる。
「これは、うまくいく事しか想像出来ませんなぁ」
うんうんと頷くパドルスは、頭の中で儲けを計算しているのだろう。顔がにやけている。
「でしょ。しかも、王都外への組紐は独占よ」
イートン以外への販売も一任される事を約束してもらっている。
「さすがは、ナタリア様。やる事がお早い」
「ふふふ。パドルスほどじゃないわよ」
お互いを褒め合う私たち。
「ほーほっほっほ」
「はっはっはっは」
私たち二人の高笑いが響く。
「あの……中に入りませんか?」
アシリカとソージュの呆れ顔。
ガンドンもドン引きで、唖然としている。悪人顔だけど。
「そうね。こんなところで立ち話もね」
上機嫌で答えて、道場の中へと入っていく。
「皆さん、調子はどう?」
ご機嫌に片手を軽く上げ、陽気な私である。
だってさ、この先の儲けがどれくらいか考えると陽気にもなるよ。アシリカとソージュの冷たい視線も気にならないくらいね。
「おお、師匠!」
ブレストが門下生を引き連れて駆け寄ってくる。
「姐さん!」
こっちは、元ガンドンの手下で賭場で働いていた人たち。しかも、人手が足りないというパドルスの意見に従って、彼らの知り合いも連れてきてもらっている。元からいた者と併せて丁度十人。
その選考基準は、もちろん悪人面が第一である。今では悪事から足を洗ってはいるのは大前提だ。それにガンドンにくれぐれも悪さしないように教育しておくように言っている。
「あ、姐さん?」
アシリカが彼らの私の呼び名に愕然としている。
「おっ。こちらはアシリカの姐さんですね。で、こちらがソージュの姐さん。お目に掛かれて光栄です」
自分たちの事も姐さん呼ばわりされたアシリカとソージュは口をパクパクとさせている。
「いやあ、俺たち、ガンドンの兄ぃから姐さんらの武勇伝を伺いまして」
武勇伝? どんな教育したのかしら……。
「異国の地で五千の騎兵をたった三人で殲滅させたとか……」
「北の大地で幻の怪鳥を生け捕ったとか……」
「泳ぎながら海賊船を沈めたとか……」
それ、武勇伝というより、生ける伝説じゃないか。どれもこれも心当たりが無いしさ。ほんと、どんな風に私の事を話したんだ?
「ガンドン……」
冷たい視線の私たち三人にガンドンが冷や汗を垂らしている。
「いや、その……。つい酒の席で、勢いのまま……」
小声で私にガンドンが告げる。
「それに、ご素性を隠しておく必要もあると思いまして」
ガンドンなりの気遣いか。でもその隠し方、絶対間違っているよね。
「まさかとは思いますが、信じ切っているのでしょうか……」
アシリカが疑問に満ちた目となっている。
それの答えはガンドンに尋ねるまでもないと思う。だって皆さん、憧れと尊敬の眼差しをこちらに向けてきているからさ。
きっと、根はいい人たちばかりなんだろうな。どこかで道を踏み外しただけで、世間から爪弾きにされていたのだろう。
「皆さん!」
そんな悪人顔の皆さんにブレストが顔を顰めている。
「姐さんとは何ですか。師匠ですよ。この剣術道場の道場主代理代行なのですからね」
ああ、そう言えばそうな肩書もあったな。
「おお! 姐さんの正体は、道場のお師匠でしたか! どうりでお強い!」
いや、剣術の師匠でも、軍隊を壊滅させたり怪鳥を捕まえたりは無理だと思うけど。それに、泳げない剣術家もいるかもしれないしさ。
彼らの純粋な瞳を見て、いささか不安がもたげてくる。
本当に彼らに任せても大丈夫かしらね。顔は怖いけど、心がピュアそうだな。道中で騙されて荷物を取られたりしないよね?
「師匠と呼ぶ様に言っているのに……」
ブレストがため息を吐いている。
「ま、いいんじゃないの」
呼び方なんてさ。私は私だしね。
「はぁ……。もう頭痛しかしません」
手で顔を抑えてアシリカが項垂れている。
「お嬢サマ、何になりたいデスカ?」
ソージュが首を振りながら呟く。
うーん。侍女二人には、苦労掛けるな。私の悪評には心を痛めているし、世直しのせいで女の子なのに戦わさせてしまってるもんなぁ。
「アシリカ、ソージュ。ごめんね。しっかり儲けて恩返しするからね」
借金も返すからね。しっかり利息を付けてね。
「……ますます頭痛が」
「ホント、何目指してマスカ?」
あれ? なんかおかしなこと言ったかな?
「さあ、飯が出来たぞ」
アシリカとソージュの反応に頭を悩ませていると、手に鍋を持ちいい匂いをさせながらクレイブがやってきた。学院が夏休みで、クレイブも休みなのか。
「おっ、料理長の飯だ」
「こりゃ、ありがてえや」
料理長? クレイブってそういう立ち位置なんだ。一応、剣聖なんだけどな。
もう、ここではそれぞれの肩書なんて意味が無さそうだね。
「おっ。嬢ちゃんらも来ておったか。食べていくじゃろ?」
「もちろん」
何だかんだ言ってもクレイブの料理は気に入っているしな。
「いいですなぁ。私もすっかりクレイブ料理長のファンでして」
パドルスが料理の匂いに釣られて、鼻をひくひくさせている。
新たな商売の準備で何度も道場に通っているうちに、すっかりクレイブの料理にハマったみたいだ。
だからその人、剣聖なんですけどね。
「仕事の話は、腹ごしらえをしてからにしましょうか」
私の意見に異論は無いようだ。
道場の稽古場の床に背の低い机が並べられ、その上にクレイブお手製の料理が並べられる。皆、床に座っての食事である。
「お嬢様、せめてこれを……」
私も座ろうとすると、アシリカが床にハンカチを広げてくれる。
貴族の世界で床に座って食事する習慣など無い。むしろ、目を疑われるような行為だ。
「いいわ。皆と一緒で」
「しかし……」
アシリカが渋い顔となっている。
彼女からしたら、私にはしたない真似をさせたくないという思いもあるのだろうな。
「ねえ、見て、アシリカ」
クレイブの作った料理を皆が楽しそうに食べている。そこには、決して優雅な雰囲気など無い。もちろん、作法や礼儀なども微塵も無い。
でも、本当に楽しそうに食べているのだ。
「もしかしたら、これが私の理想かもしれないわね」
身分も見た目も男も女も関係なく、皆で同じものを食べている。そして、今という時間を楽しんでいる。
完全な平等などあり得ない。でも、こうして一時でも同じ空間で同じ幸せを感じられる事は素敵な事だと思う。
「ささやかでもいいの。少しの時間でもいい。一人でも多くの人が楽しいって思える時がどんどん増えていけばいい」
それが世直しの先にあるものだとも思う。
「お嬢様……」
「ごめんね。アシリカやソージュには苦労かけちゃうけどさ」
ペロっと舌を出し、ウインクする。
「お嬢様らしい。ですが、その苦労を分かった上でお嬢様の夢を叶える為にもお仕えしておりますから」
「お嬢サマの夢、叶えるのが、私の望みデス」
アシリカとソージュが優しく微笑んでくれる。
「ありがとう」
私も微笑み返す。
この二人には感謝しかないなぁ。いつか、何か大きな恩返しをしなくちゃね。
「では、私たちも頂きますか」
「そうですね」
私たちもクレイブの料理を食べさせてもらおうとした時である。
「あのう、ナタリア様……」
道場の門下生であるマールとガンズがやってきた。
「どうしたの?」
何やら不安そうにしている。
「来客なのですが……」
そう言って、稽古場の入り口へと振り返る。
そこに立っているのは騎士団の制服を着こんだリックスさんだ。
「リックスさん?」
いつも後始末ご苦労様。でも、今日は呼んでないよ。
「やはりナタリア様でしたか……」
首を横に振り、大きなため息を吐いている。
「何? どうしたの?」
リックスさんの側にへと向かう。騎士団の恰好をしているという事は仕事中のはずである。
「どうしたもこうしたもありませんよ」
呆れと疲れが混じった顔で私を見る。
「この道場の近所の方から騎士団の方へ通報が来たのです」
通報?
「何やら人相の悪い連中が最近よく出入りしていると。それに加えて、今日、妙な高笑いが聞こえてきて不気味だと」
それって、私とパドルスの? 不気味って……。
「何やらこの道場で良からぬ事がされているのかもしれないと騎士団の方に知らせがあったのです。まあ、道場の名前を聞いて、まさかとは思いましたが……」
リックスさんが私を見て、もう一度大きくため息を吐く。
「一人で来て良かったですよ。やっぱりナタリア様だったのですね……。で、今回は何をされるおつもりで?」
諦めの表情とは今のリックスさんの表している感情の事だろうな。
「……商売かな」
私の返事を聞いて、さらにその感情を深めているようだ。
「胃が……、痛い……」
アシリカが頭で、リックスさんは胃か。いいお医者さんを探そうかな。
でもさ、悪役顔ってだけで騎士団を呼ばれたのか? 歓喜の笑いが不気味?
世間の風が冷たいよ。夏なのに、冷たい風が身に刺さるよ。
私の目指す世の中への道は険しいようである。