127 家に帰ろう
庭へと姿を現わした私たちに最初に口を開いたのはマーシャさんだった。
「ステラ!? どうしてこんな所に?」
マーシャさんが孫のステラさんがここにいる事に驚愕の声を出している。
「ごめんなさい。でも、おばあちゃんたちが心配で……」
彼女は半分無理やり私が連れてきたみたいなものだから、許してあげて欲しい。
「おいっ! こいつらも纏めて始末しろっ!」
カリエド屋がイライラとした様子で叫ぶ。
「本当に煩い悪人たちですこと。そんなに慌てなくても、ちゃんと相手をしてあげますわよ」
ガイノスににっこりと微笑んでから、バレットとカリエド屋へと向き直り睨み付ける。
「受けた恩を忘れるばかりか仇にして返す。恩とも思ってないのかもしれませんわね。家族を売った代金くらいの考えだっのでしょうね」
そもそもこいつらに家族という認識があったのかも疑わしい。娘を金を得る道具とでも思っているのだろう。
「早く黙らせろっ!」
図星だったのか、顔を真っ赤にしてバレットが叫ぶ。それに応じて無傷で残っていた男たちがじりじりと私たちを取り囲むようにして迫ってくる。
ハンクはというと、私との再会に目を見開いている。
「己の利益の為に職権の乱用。そればかりか、工場への放火。すべては、あなた方の醜い欲にかられた所業。見過ごす訳にんはまいりませんわ」
鉄扇をバレットとカリエド屋の主に向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線を二人に送る。
「お仕置きしてあげなさい!」
「はいっ!」
「ハイ!」
「へい」
アシリカの氷の礫が再び降り注ぐ。それをまともに受けた男二人が、成すすべもなく倒れ込む。
ソージュはガイノスとマーシャさんの前に立ちはだかり、剣を持って向かってくる男と対峙する。
「このクソ餓鬼!」
剣が振り下ろされる前に素早く自分の間合いに詰めたソージュの掌底が男の腹に打ち付けられる。
「ウルサイ」
冷たく言い放つソージュの前で男は崩れ落ちていく。
あーあ、クソ餓鬼なんて言うから、ソージュが怒っちゃったじゃないの。自業自得ね。
「ぶっ殺してやるっ!」
一方、アシリカへは男二人がかりで襲い掛かってきている。
「物騒かつ汚い言葉ですね」
そう一言呟いたアシリカは、手の平を向かってくる男たちに向ける。男たちの剣がアシリカに届く前に、その手の平から氷の塊が放たれた。しかも、連続で。
まともに氷の塊の直撃を受けて、倒れる事も許されずそのまま勢いよく吹き飛ばされる男たち。
こっちはアシリカの説教ね。物理的な。
デドルはというと、すでに残るカリエド屋の手下を始末していた。
「火を付けたのはこの男で間違いありまやせんね?」
ぐったりとしている刀傷のある男の首を持ち、ステラさんに確認している。
「一発、殴りやすかい?」
そのデドルの言葉に頷いたステラさんが男の顔面にいいパンチを入れている。
なかなかのものね。素質あるんじゃない?
「そ、そんな……」
目の前で手下が次から次へと倒されていく様にバレットが声を震わせている。
「い、いや、まだハンクがいる。おいっ。ハンク!」
「ああ……」
私たちが出てきてから、じっと見ているだけだったダリウスが静かに答える。
「こいつの相手は私が……」
久々の再戦だね。前の時みたいに地べたにキスさせたあげるわ。
鉄扇を構えて、神経を研ぎ澄ます。
「……やめだ」
ハンクが剣を鞘に納める。
「小娘。また、腕を上げたみたいだな。今の俺には勝てん」
え? いや、ちゃんと戦おうよ。そんな事言わないでさ。
「ハ、ハンク! お前、恩を返さねえつもりか!」
カリエド屋がまたも怒鳴り声を上げているが、少し上ずっている。
「恩だと? 飯を食わしてやると連れてこられて、勝手に用心棒扱いしたのは、そっちじゃねえか」
うーん。それで用心棒扱いか。着ている服のボロボロさからも彼への待遇が想像出来るな。
「実際、何度かおかしな客の相手をしてやったじゃねえか。それで飯代は賄えたんじゃねえのか」
それって、用心棒というより理不尽なクレーム対応担当じゃないかな。どんな対応をしたのかは聞かないけどさ。
「それによ……、相手が悪い。アンタら、終わりだぜ」
そう言うと、私に背を向けこの場を立ち去ってしまった。
突然立ち去ってしまったハンクに一瞬呆気に取られていたカリエド屋だが、いち早く我に返る。
「く、くそっ。バレット卿。すぐに騎士団を呼びましょう。こいつら、押し込み強盗です!」
「そ、そうだな。すぐに……」
二人して、この場を逃げ出そうとする。
「お待ちなさいっ!」
私がそう言うと同時に、デドルがこの場から逃げ出そうとするバレットらの前へと回り込む。
逃げ場を失った二人は周囲を見回す。彼らの仲間はおらず、バレットは恐怖に顔を歪めている。
だが、カリエド屋の方は、私を睨みつけてくる。さすが、一代でここまで商売を大きくした分、バレットより肝が据わっているようだ。
「小娘。金か? そうだろう? 金が欲しいのだろう? いくらだ?」
だが同時に、いくら私に怒りを持っていても状況が変わらない事も理解しているのだろう。
一転して私を抱き込みにきたか。お金が万能だとでも思っているのかしらね。呆れてしまう。
「いい加減にろっ! どなたに向かって金で歓心を買おうとしている! 金などで動かれるような方では無い!」
半ば呆然と目の前の出来事を眺めていたガイノスの怒号が響く。
……ごめん。私、結構お金の魅力には勝てない時があります。パドルスと組んで金儲けも企みました。借金もあるしさ。
ガイノスの雄たけびに複雑そうな顔で私を見ているアシリカたち。余計な事をガイノスに言ってこれ以上、説教される材料を増やさないでよ。
よし、そうなる前に錦の御旗を出すとしよう。
「その通りですわ。この私がお金に釣られると思われるなんて心外ですわ」
手にしていた鉄扇をすっと開く。現れたのは、扇面に描かれた白ゆりの紋章。
「な、なっ……!」
恐怖を通り越して、バレットの顔は絶望の色に染まっている。
「う、嘘だ……」
カリエド屋の主もへなへなとその場にへたり込む。
「随分とお金が好きな方たちですのね。確かにお金がないと生活は出来ません。大切であることは認めましょう。ですが、それを家族を売ってまで欲する。人を貶め苦しめてまで欲する。そんなあなたたちを決して私は許さない」
私の言葉が耳に入っているかは疑問だな。青い顔をして震えているもんな。
「デドル、捕えておきなさい」
「へい」
後はまたリックスさんの手柄にでもしてもらおう。
さあ、一件落着……じゃないよね。さっきから、じっとガイノスの視線が突き刺さるように向けられているもんな。
「えっと、その……」
おそるおそるガイノスの方を向く。その顔は怒っているようには見えない。かと言って喜んでいるようにも見えない。
「……何でございましょう?」
ガイノスの一切感情を読み取る事の出来ない声が返ってくる。
まずは、説明を聞こうという事か。
「えっと、ガイノスが……、心配で……。何かあったのかなって調べてたら、いつの間にかこんな事になってさ……」
自分で言っておきながらだが、何とも言い訳じみた上、訳の分からない説明である。仕方ないでしょ。だって、相手はガイノスだよ?
「申し訳ございません。これらはすべて専属侍女である私たちの責にございます」
しどろもどろになりつつある私に代わり、アシリカとソージュが飛んできてガイノスに頭を下げる。
「責と言われれば、私にもある。このような状況を引き起こした責が」
小さく息を吐いて、ガイノスが首を振る。
「あの、ガイノス。だいたいの事情は分かったけど、どうしてガイノスが?」
今回、コーエン屋に起ったことは分かる。でも、そこにガイノスがここまで関わっているのか、そこは分からないままだ。
「ナタリア様……」
すっと、ガイノスの横にマーシャさんが来る。
「お助けして頂きありがとうございます。なぜガイノスさんが私どもを助けようとなさってくれたかは私の口から説明させて頂きます」
凛とした雰囲気を取り戻したマーシャさんである。
「もう何十年も遠い昔の話です。私は、このガイノスさんと恋仲でありました」
恋仲! やっぱり、付き合っていたのか。
ほらあ! 私が始めに言っていたコトじゃないのよ。ちょっと自慢げにアシリカを見るが、気づかないふりしている。悔しいのね、きっと。
「ですが、当時の私は子爵家の娘。ガイノスさんはサンバルト家といえど、使用人の身。叶わぬ恋と二人共思っておりました」
ああ、悲恋だね。身分差って大きいもんなぁ。
「そんな時、私に結婚の話が出ました。コーエン屋の亡き主人とのです。私たち二人は話し合い、結果、お別れする事にしました。今後は親友の関係になろうと決めたのです。それがお互いの為に最も良いと」
「おばあちゃん……」
ステラさんにとってはショックな話だろうな。自分の祖母の恋愛話なんてさ。
「でも、ステラ。勘違いしないで。私はあなたの祖父である夫を心から愛していましたよ。どこか心の中に他の人がいると薄々気づいていながらも、私を大事にしてくれたのですから」
優しく微笑むマーシャさん。
「あの人があんなにも早く亡くなるとは思わなかったけど、一緒に過ごした時は幸せな時間でした。今でもあの人を愛しているくらいに」
その言葉に嘘偽りはないのだろう。亡きご主人の事を語るマーシャさんの目を見れば分かる。幸せそうでいて、同時に悲しそうな目だ。
「それから苦労しましたが、ガイノスさんも折に触れて夫が亡くなり、苦境に陥ったコーエン屋を気に掛けてくれました」
そうなんだ。どちらかと言うと、ガイノスの方には未練があったのかな。
「そして、今回です。繰り返される献上品のやり直しと、ボヤ騒ぎ。それを心配したガイノスさんがうちに泊まり込んでまで警戒してくれたのです。後は、ナタリア様のご推察で間違いないかと」
「そうだったのですか……」
ガイノスの過去の恋愛と別れ。マーシャさんが結果的に幸せになれたのは喜ばしい。でも、ガイノスはずっと独り身。ひたすら、仕事に打ち込んできたのだ。
どんな想いを抱えていたのだろうか。
「マーシャ……殿。私も幸せでした」
ガイノスが穏やかな顔となっている。
「畏れ多い言い方ではありますが、旦那様は息子同然。そのお子様方も孫同然。そんな思いでサンバルト家に仕えていました。幼い頃はやんちゃだった旦那様が立派な当主になられ、父親となられる。その小さかったお子たちも成長され、エリック様に子供も生まれる。側でそれを見れた私は幸せ者だ……」
ガイノスは視線を私に向ける。
「旦那様のお子のうち上二人は贔屓目に見ずとも優秀な方でした。ところが、一番下のお子にはまったく参りましたな。何度お諫めした事か」
うう。申し訳ないです。今回の件も怒られるよね。
「ですが、手の掛かる子ほど愛おしい。可愛いものにございます」
「ガイノス……」
こんな時にデレないでよ。萌えそう……、いや、泣きそうだよ。
そっか。自分で王太后様に言ったよね。人の優しさの表し方は人それぞれだって。私がガイノスの説教を何度も受けても、彼を嫌いにならなかったのは、そこに愛情が入っていたのを意識せずに感じていたからかもしれない。
「しかし、今回はその大事なナタリア様に危険な目に遭わせてしまいました。如何なる理由があれ、お嬢様をご心配させて、このような危険な目に遭わせてしまった事実は変わりません」
穏やかな顔がすっと引き締まる。覚悟を決めた顔だ。
「このガイノス、死をもってお嬢様にお詫び致します。殿下と幸せになってくださいませ。アシリカ、ソージュ。くれぐれもお嬢様を頼んだぞ」
落ちていたカリエド屋の手下の持っていた剣を拾い上げるガイノス。
「ま、待って!」
慌ててガイノスを止める。しかし、ガイノスは静かに顔を振り、くるりと私に背を向けると自らの首にその剣を持っていく。
こんな所でそんな理由で死なす訳にはいかない。
「ガイノス!」
私は飛びつくようにして、ガイノスに抱き着く。そして、両腕をしっかりとその体に回す。
「馬鹿な事をしないでよ。家族なんでしょ。だったら、助け合うのが当たり前よ。心配するのが当然よ。だから、お願い。そんな馬鹿な事しないでよ」
ぎゅっとガイノスの体を強く抱きしめる。
「ね、帰ろ。家にさ」
そう。私たちの家に帰ろうよ。皆、待っているのだから。
「お、お嬢様……」
ガイノスの手から剣が落ちる。その体が小刻みに震え始めたのが伝わってくる。
「貴族の令嬢としては問題がある事もありますが、そのお心は真っすぐ育たれた。人として誇りに思える方になられた」
鬼の目にも涙。でも、その鬼の心はとても優しい。
静かな時が流れる。誰も口を開く者はいない。そして、ガイノスの背中は大きかった。
ひとまず、マーシャさんとステラさんを自宅まで送り届けた。
せめてもの感謝にというマーシャさんたっての願いで少しお茶を頂いていたのだが……。
「……そんな前から?」
ガイノスが険しい顔になっている。
どうやら私と彼の考えに、少々行き違いがあったようだ。
今回が初めての世直しと思っていたガイノス。今回で何度目だろうと思い返しながら数える私。成り行きでこうなってしまったと思っていたガイノス。自分から積極的に首を突っ込んでいた私。
当然だが話が進むにつれ、そのズレが明確になってきたのだ。そして、次第にガイノスの眉間の皺の数も増えていく。
「で、でもねっ、レオ様も、殿下もお許しになって一緒に世直ししているのよ」
レオも参加していると知れば、ガイノスだってもっと理解してくれるはずだ。
「殿下もですと?」
ほら、驚いてる。
「そうよ。もちろん身分がバレないように、私の下僕として扱ってるから大丈夫よ。絶対に誰にも気づかれないからさ」
その辺の気遣いはちゃんと出来てるよ。
「下僕……。お嬢様は、殿下にそのような事を……!」
驚きは一瞬で、すぐに険しい顔を通り越して青筋を立て始めている。
これは、マズい。非常にマズい。どんどん事態が悪化してきているのをヒシヒシと感じる。
「えーと。じゃあ、そろそろ帰ろうかな。あっ、ガイノスはもう少しのんびりしてきていいわよ。さっ、行くわよ、アシリカ、ソージュ」
怪しい雲行きだ。逃げるに限る。愛が籠っていても説教は説教。出来れば、御免被りたい。
「……お待ちくだされ」
ですよねー。逃げれませんよね。
「よろしいか? そもそもサンバルト公爵家の祖にして、エルフロント王国建国の功臣である初代ロデリック・サンバルト様は王家への忠誠心溢れるまさに義の人でありました。その功績は――」
うう。サンバルト家の初代からスタートか。こりゃ、長い説教になりそうね。
いつもなら、事後処理を済ませたデドルはすぐに報告に来るのに今日は、まったく来る気配が無い。ガイノスと付き合いの長い分、こうなる事を予測していたのかもしれない。ずるいよ。
「お嬢様っ!」
「はいっ!」
ガイノスの一喝に背筋を伸ばして返事する。
「聞いておられますか!?」
「聞いてます!」
デレたガイノスが懐かしい。
大きく返事しながら、そう思っていた。