126 言いがかり
「あの……」
後ろから不安げなステラさんの声が聞こえてくる。
「何?」
小声で聞き返す。
「いいのですか? これじゃ、泥棒みたいですけど……」
立ち止まり振り返ると声だけでなく、顔も不安そうにしているステラさんがいる。
ここは、カリエド商会。いつもの如くこっそりと忍び込んでいる。言われてみれば、泥棒と大差ないわね。
「怒られませんか?」
ステラさんにしたら、正面から堂々と入ると思っていたのだろうな。
「大丈夫ですよ。怒られるのは私ですからね」
ガイノスにね。
ステラさんを安心させるように微笑むが、あまり効果は無いようだ。不安な顔つきは変わらない。
「ステラさん。ご心配ありませんよ。きっと、うまくいきますから。最後の最後まで見ていて危なっかしいとは思うでしょうけど」
アシリカが苦笑しながら補足してくれる。
「ソウデス。無茶苦茶だと思うかもしれまセンが、最後はうまく纏まりマス」
ソージュも続けてステラさんを励ますように付け加える。
ありがとう、二人とも。少し余計な事も含まれている気もするけどね。
「あの……、あなたたちはサンバルト公爵家の侍女なのですよね。こんな事して大丈夫なのですか?」
平然と忍び込み大した事ないと言わんばかりの私たちに、もう訳が分からないといった顔となってしまっている。
「ふふふ。これがサンバルト家のやり方よ」
正確に言えば、私のやり方だけどね。
ウインクをして、再び木々の間を縫って歩き出す。
この十年で急成長を遂げたというカリエド商会は、それを裏付けるように広い敷地である。木々が生い茂っており、何棟もの建屋が並んでいる。相当儲けているのだろうな。
デドルを先頭にして進んでいった先に少し開けた場所が見えた。綺麗な芝生やテラスもある庭のようだ。
「あそこを……」
木の影に身を潜め、デドルが指差す先を見る。
「あっ。おばあちゃん」
ステラさんが息を飲む。
庭のテラスで、難しい顔をしているガイノスを見つける。その隣にいる白髪の長い髪を一まとめに後ろで纏めているのがマーシャさんか。ガイノスと同じくらいの年齢だろうけど、上品そうな中にも強い信念を感じる人だ。
「献上品は辞退でよろしいですな」
この前夜会で見たバレットだ。ベンチに腰掛けてニヤニヤと立ったままの伯母であるマーシャさんを見上げている。
「ご安心を。献上品はこのカリエド商会が責任を持って納めさせて頂きますから」
テラスに設けられたベンチでバレットのすぐ隣に座る男が喜色を浮かべている。こっちは、カリエド商会の主だろう。
「いやあ、それにしても伯母上。災難でしたな。こんな大事な時期に火事で工場が焼け落ちるとは」
献上品の話は以上だと言わんばかりにバレットがコーエン屋の火災の話題を話し始める。
「献上品の件はまだ諦めてはいませんよ」
初めて聞くマーシャさんの声だが、凛と透き通る声だ。
そんなマーシャさんにバレットの失笑が漏れる。
「工場が焼けたのにですか? 伯母上。私の立場では納期に間に合わないければ、他にお願いする以外ないのですよ」
分かっていますか、とバレットは馬鹿にした目をマーシャさんへと向けている。
「バレット卿。その火事の件ですがな」
マーシャさんの隣でじっと黙っていたガイノスだ。その目は険しい。
「気にはなっていましたが、あなたは? コーエン屋にあなたのような人がいましたかな?」
言葉は丁寧だが、見下す目をしたバレットである。
「私はコーエン屋の者ではありません。マーシャ殿の知り合いです」
蔑むバレットの目をしっかりと見返し、毅然とした態度を崩さずガイノスが答える。
「そ、その知り合いが何の用だ?」
そんなガイノスに少し怯むバレットに彼の器の程が知れているのがよく分かる。
ガイノスの目力はすごいからね。何度も説教中に見ている私は嫌ってほど味わったから知っている。
「バレット卿にお伺いしたい。何度も何度もコーエン屋の献上品に対して不可の返答をしたのはいかなる理由からかでしょうか?」
「簡単な事。王太后様へ献上するには物足りないと判断したからだ」
自分の勤めを立派に果たしたとばかりにバレットは胸を張り言い返す。
「それはおかしいですな。検品役の勤めは、納期の管理とその安全性。それに、大きな不備はないかを確認するだけでは?」
「そ、それは、そうだが……。いや、そうだ。王太后様に相応しくないみすぼらしものと感じたのだ。それは不備であろう? それなら、文句あるまい?」
かなり苦しい言い訳だな。ほとんどいちゃもんじゃないか。
「ほう。私も見ましたが、あれがみすぼらしいと? 少しカリエド商会の糸も見させてもらったが、遜色は無いかと。むしろ、コーエン屋の方が優れていると感じましたが」
そうよ、ガイノス。こんな奴ら、論破してやってちょうだい。
「変な言いがかりは止めて頂きたい」
むっとしたカリエド商会の主がガイノスを睨み付ける。
「言いがかりを付けたのはどちらか?」
ガイノスもにらみ返している。
「とにかくだ!」
バレットが大きな声を上げる。
「もう話は終わりだ! 献上品をダメだと言ったのは検品役の職務を全うしただけだ。それに、工場が焼け落ちたコーエン屋はもう糸など作れんじゃないか! もう話すことなど無い! 伯母上、今日は献上品を納める者の変更を伝える為に呼んだだけです。お引き取りを!」
一気にそう言い切ると、バレットはベンチから立ち上がり、その場を去ろうとする。
「お待ちなされ! その火災も仕組まれたものではありませんか!?」
ガイノスの一喝にバレットは立ち止まり、忌々し気に睨み返している。
「それこそ言いが掛かりだ! あまり無礼な発言が続くと伯母上の知り合いとはいえ、容赦せんぞ」
「デニス! いい加減になさいっ!」
マーシャさんがバレットに向かって叱りつけた。
「……伯母上。デニスと呼び捨てにするのはどうかと思いますよ。私は子爵家の当主。伯母上はすでに平民。いくら甥と伯母の間柄とはいえ無礼ですよ」
冷たい目をしたバレットが振り返る。
「無礼と言われても黙っていられますか! 献上品の事はもう構いません。ですが大事な工場に火を付けた事は我慢なりません!」
「伯母上……。何を証拠に? いい加減にしてください」
うんざりといった表情でバレットが顔を顰める。
「私が何も知らないと思っているのですか? このカリエド商会に腕に大きな傷をある者がいるはずです。その者をここへ」
マーシャさんの言葉にバレットらの眉が動く。そして、気まずそうに顔を見合わせている。
「ちっ。あの馬鹿、見られていましたか……」
カリエド屋の主が舌打ちする。
「……分かりました。その者、連れてきましょう。よろしいですな、バレット卿」
すっと無表情になったカリエド屋の主である。
「仕方あるまい」
バレットは首を二、三度横に振り、頷く。
「おいっ!」
カリエド屋の商人とは思えないようなドスの効いた声が庭に響く。その声に応じて、十人近くの男がぞろぞろと姿を現わす。
ガイノスは表情を一段と険しくし、マーシャさんを庇うようにしてその前に立つ。
「質の悪そうな顔ばかりね」
出てきた男たちの様子に思わず私は呟く。しかも皆さん、手に剣を持っているわね。
「あっ! あの人です、ボヤ騒ぎの時に見たのは」
ステラさんの言うように、出てきた男たちの中の一人に腕に大きな傷がある。刀傷だろう。肩から手に掛けて一本の大きな傷がある。
「伯母上、残念だな、こんな事になるとは。そもそも伯母上が悪いのですよ。素直に当家に資金援助をしてくれていれば良かったものを」
これが、バレットの持っていたマーシャさんへの恨みか。もっと深い事情かとも思ったけど、とことんお金の事だけなのね。
「先代が無くなり、コーエン屋が傾いた時手の平を返して縁を切ったのはそちらでしょう?」
この状況下でも怯える様子もなく毅然とマーシャさんは静かに甥を見つめている。
「甥殿とお別れは済みましたか?」
カリエド屋の主もベンチから立ち上がる。
「あなた方が今日、ここに来なかった。おそらく、ここに来る途中不運にも物盗りに遭ったのでしょう」
無表情のままカリエド屋の主人がガイノスとマーシャさんにそう言った後、やれとばかりに手を上げて男たちに合図を送る。
「ガイノスッ!」
小さく叫び、すぐに駆け出そうとする私の肩をデドルが掴む。
「お待ちください。ギリギリまで放っておきやしょう」
涼しい顔でデドルが首を振っている。
「ギリギリ? もうギリギリでしょ。このままじゃ――」
「ぐわぁぁ!」
私の声を苦痛に満ちた叫び声が遮る。
声のした方を振り向くと男が首元を抑え倒れ込んでいる。その男を見下ろすように立つガイノス。片手はマーシャさんを守るようにし、反対の手は拳を握っている。
続けてガイノスに襲いかかってきた男の剣を持つ手を払うと同時に腹へと蹴りを繰り出す。男はそのまま吹っ飛ばされ、白目を剥いている。
「嘘……。ガイノス、こんなに強かったの?」
あっという間に剣を持つ相手に素手で二人倒したのだ。
「サンバルト家の執事ですぜ。文武両道は当然。あっしもガキの頃は悪さして、よくぶっとばされたもんです」
未だに勝てる気がしない、と苦笑しながら付け加えるデドル。
デドルにそう言わせるガイノスって……。
そして、その言葉は嘘偽り無いようだ。デドルの言葉が終わらないうちにまた一人ガイノスに打ちのめされている。
今までいろんな事を見てきたけど、一番信じられない光景ね。いや、目の前で起こっている事だけどさ。それでも、信じられないよ。
さらに一人を難なく倒し、さすがに相手も警戒したのか距離を取りつつ周囲を囲み始める。
「こんな年寄り一人に何を手こずっている!」
カリエド屋の主人が手下たちに怒鳴り声を上げている。
「もういい。こうなりゃ、とって置きを出してやる! ハンク!」
奥に向かってカリエド屋が叫ぶ。
「呼んだか?」
姿を現わした、長剣を持つ男が姿を表す。ぼさぼさの髪に継ぎ接ぎだらけの服。だが、その体は鍛えられており、目はギラついている。
あいつ、前に道場を乗っ取ろうとしたハンクじゃないか。自分の道場を畳んでから、行方が分からなくなっていたが、用心棒なんかやっていたのか。
「こいつを始末しろ。道場が無くなり路頭に迷っていたお前を面倒してきてやったんだ。その恩を返せ!」
「フン。その恩着せがましい言い方は気に入らねえな」
ふてぶてしい態度で、頭を掻きむしる。
体と同じく態度は相変わらずでかいが、見た目は落ちぶれたな。
「黙れ! 用心棒としての仕事をしろっ!」
カリエド屋の主が怒鳴る。
「用心棒ねえ……」
不満げな顔でそう言って、ハンクはガイノスに向かって剣を構える。
さっきまでの男たちと雰囲気も違う。何だかんだ言っても腕は確かだった。そして、それは衰えていないようだ。
ガイノスもハンクの実力を感じ取っているのだろう。目付きが一段と鋭くなる。
「マズくない?」
だって、ガイノスは素手よ。それに対して相手はあのハンクでごつい長剣。しかも背後のマーシャさんを守りながらだよ?
ハンクがゆっくりと剣を大きく振りかぶり、一気にガイノスへと切りかかる。
剣を持たないガイノスには避ける以外に手段は無い。しかも、後ろのマーシャさんを庇いながらである。
その最初の一撃は何とか避けたが、ハンクの表情からは小手調べ程度の攻撃だったようだ。避けられた事を何とも思っていなさそうだ。
「……ちょっと、マズイかもしれやせんね」
デドルが胸元から短剣を取り出すのとハンクの二度目の攻撃は同時だった。
避け切れないと判断したのか、ガイノスはマーシャさんを着き飛ばし、自らはハンクの足元へと転がり込む。
足元に転がり込んできたガイノスをハンクは大きく蹴り上げる。
苦痛に顔を歪めながらも、すぐに立ち上がりマーシャさんの元へ走り込もうとするガイノス。そのマーシャさんへは、ガイノスとハンクの戦いを見守っていた男の一人がここぞとばかりに捕えようと駆けよってきている。
「マーシャッ!」
そう叫ぶガイノスの背に向かって、ハンクが剣を振り上げる。
「アシリカッ!」
「はいっ!」
アシリカがハンク目がけて氷の礫を放つ。
同時にデドルもマーシャさんに向かってきている男に短剣を投げつける。
アシリカの放った魔術に気付いたハンクは、ガイノスへ振り下ろしている途中の剣を止め、その巨体からは考えられない素早い動きで氷の礫を避ける。
一方、デドルの放つ短剣をまともに食らった男はマーシャさんの手前で、バタリと倒れ込んでいる。
その隙にガイノスはマーシャさんへの元へと走り込んだ。
「だ、誰だっ!?」
突然入った邪魔に怒りの表情でカリエド屋の主が叫ぶ。
仕方ない。もう姿を出すしかないよね。ガイノスの強さにこのまま隠れられるかもと期待していたのだけれどもさ。
「さぁ、誰でしょうね?」
不敵な笑みを浮かべながら、両隣にアシリカとソージュ、そして斜め後ろにデドルを従えて木の影から姿を出す。
「はあ?」
私の人を食ったような返事にさらに顔を紅潮させている。
でも、それ以上に目を引かれたのはガイノスの方だ。目を大きく見開き、食い入るように私たちを見ている。さっきまで華麗に戦っていたのを忘れたかのように口まで少し開いている。
ふふ。こんな驚いた顔をしたガイノス、初めて見たな。どうやら、声も出ないくらい驚いているようね。……その驚きの分、説教に比例するんだろうな。
この後の事を考えると身震いしそうになるが、ぐっと気を引き締め直していた。