125 バレるとしても
その日の夜会はずっと上の空だった。
きっと周囲から見たら、私が不機嫌に見えていたのだろう。いつもにも増して誰も近づこうとはしなかった。こっちもなるべく目立たない様に端の方で隠れるようにして周りから距離を取っている。
この夜会のホストも元々の我儘ナタリアの噂が功を奏したか、最初に挨拶を交わした時に、こびへつらった愛想笑いを残しそれっきり見ていない。だったら招待するなよ、とも思うがいろいろ事情があるのだろう。
アシリカとソージュも私の意思に反した行動に何度も謝ってきたが、彼女らの気持ちも分からないでもない。
冷静に考えれば、ガイノスの言っている事が正しい。私への悪評は私一人の問題ではない。サンバルト家への風評という事になるのだ。お父様やお兄様たち、生まれてくるメリッサさんの赤ちゃんにもそれは及ぶ。
それにあの場で私が手伝うと言っても出来ることは少ない。いや、かえって足手まといになる可能性もあった。
「大丈夫かしら……」
私の内心など素知らぬ華やかな夜会の光景を眺めながら呟く。
心配なのは、ガイノス。それにステラさんたち。みんな無事だろうか?
私が夜会に参加している間にデドルが状況を調べてきてくれることになっているが、どうなったのだろうか?
「これはこれは、バレット卿ではありませんか」
気を揉む私の耳に近くにいた甲高い初老の男性の声が聞こえる。
バレット卿? もしかして、ステラさんのお祖母さんの実家のバレット子爵家?
「おお、ザラガード卿。あなたも来ていましたか」
答えたのは、背が高くひょろっとした感じの男性。
あの人がマージャさんの甥でバレット子爵家の当主なのか。
二人から見えないように少し離れた位置から窓のカーテンに身を寄せて横目で観察する。そんな私に気付く事なく、二人は話に興じている。
「ところで、今日はサンバルト家のご令嬢も来られているとか……。お会いした事はないですがね」
バレット子爵が夜会の会場を見渡す。
「そのようですな。ですが、貴族と言っても我らのような所領も持たない宮仕えの者にお声が掛かるわけありませんよ」
自嘲気味に首を振るザラガード卿とやら。
それ、誤解よ。声を掛けてもらえないのは、こっちだから。
そんな私の心の声が二人に届く訳もなく、話が進んでいく。
その話す内容は、一言で言うお金が無いという話。話しかけたザラガード卿って人の事も知らないけど、話の中身から中級から下級といった辺りの貴族だと察せられる。
お互い自慢話のようにお金が無い事を楽しそうに話している。
あのさ、本当に生活に困ってたら、そんな風に楽し気に話せないわよ。
「いやいや、そう言いながらも近頃バレット卿は何やら羽振りがいいと伺いましたよ?」
探る様なイヤらしい目でザラガードさん。その目は、何か美味しい話なら自分も誘えと語っているようだ。
「はっはっはっは。そんな事はありませんよ」
大きく笑いながらもバレット子爵が否定している。
「そういえば、伯母に当たる方があのコーエン屋に嫁いでいましたな。もしかして、そこから……」
尚も食い下がるザラガードさん。とても貴族の顔に見えないよ。飢えた獣みたいな顔になっているよ。
「ああ、あの伯母ですか」
さっきまでの笑い顔を消して、冷たい声となる。
「あの人とは、付き合いがありませんのでね。それより、ザラガード卿。実は、今度うちの娘が嫁ぐことになりまして」
再び笑顔に戻るバレット子爵。
「ほう。それはめでたいですな。どこの家に?」
「ありがとうございます。カリエド商会の息子さんです」
「カリエド商会! それはまたいいご縁が出来ましたな」
彼らの言ういいご縁とはそのまま受け取れないな。私にはご縁が金蔓と聞こえてくる。
「是非、そのお披露目のパーティーをしようと考えてましてね。是非、ザラガード卿にも来て頂きたく。他の商家の者も読んでおりますので」
あなたにも娘さんがおられましたよね、と意味ありげな視線を相手に向けて、笑うバレット子爵である。
「それは是非お呼ばれさせて頂きたい」
この二人、娘を何だと思っているのかしらね。娘はお金を得る為の道具じゃないのよ。ま、政略結婚も褒められたもんじゃないけどね。
結局貴族の厭らしさに不快になっただけだな。
「おお、では招待状の方を送らさせてもらいますよ。楽しみにしていてくだされ。盛大なものになりますよ。なにせ、娘の婚約とカリエド商会が初めて王家への献上品をする記念のパーティーですからな」
「王家への献上品?」
一瞬顔を強張らせるザラガード卿だ。だが、その表情もすぐに消え、何やら納得顔で頷く。
いったいどういう事なのかな? 二人のやり取りの意味が分からない。
「なるほど……」
短くそう一言発する。
「コーエン屋に代わり、これからはカリエド商会の時代ですよ、紡績業界はね」
え? カリエド商会って、コーエン屋と同業なの? それって、あまりにも節操なくない?
「コーエン屋はもう終わりですよ……」
苦々し気に顔を顰めるバレット子爵。まるで、コーエン屋のマーシャさんに恨みがあるような表情だ。
あまりの醜悪に顔を歪めるバレット子爵に前に立つザラガード卿も若干引き気味になっている。
そんなザラガード卿に気付いたのか、すぐに張り付けたような笑顔に戻り、場を取り繕うバレット子爵である。
そのまま二人は何事もなかったかのように再び別の話題へと移っていく。
「もう終わりって言っていたわね……」
その言葉に引っかかりを覚える。
「はい」
アシリカが頷く。彼女も険しい顔つきとなっている。
バレット子爵の話では、娘の嫁ぎ先はコーエン屋との同業者。この十年で急成長している。いずれ、紡績業界のトップになるかもしれない。そこまではいい。決して無い話ではないから。トップが入れ替わる事がおかしなことじゃない。
でも、彼はコーエン屋が終わりと言っている。例え業界トップから落ちても、それに王宮への献上品を出せなくなっても、すぐに終わりとは決めつけられない。
しかも、次の献上品もそのカリエド商会が納めると言っていた。そんな簡単に変わるものじゃないはずだ。王太后様へと献上する日も、もう目前のはずだし。
確かに、あのバレット子爵が献上品のチェックを担っているらしいが、献上する者を変更するまでの権限があるとは思えない。
しかし、彼はコーエン屋がもう終わりだと断言した。
「火事の件、知っている?」
私の眉間に皺が寄る。
終わりとは、まるでコーエン屋が仕事を続けられないと言っているようなものだ。
あの場を離れた私は真っすぐにここに来た。バレット子爵がここにいつ来たのかは知らないが、平民街での火事をすでに知っているというのはいくら何でも早すぎないか?
「あの火事、まさか……」
バレット子爵が起こした?
すぐには信じられない考えが頭によぎる。血の繋がった伯母の工場だ。そこに火を付けるか? いくら娘の嫁ぎ先を押し上げる為とはいえ、そこまでするだろうか?
いや、あの伯母のマーシャさんに何か恨みがあるようなバレット子爵の苦々し気な表情を思い出す。もしかしたら、過去に何かあったのかもしれない。
もう一度さっきまでバレット子爵がいた場所に目をやるが、すでにそこに彼の姿は無く、どこかへと行ってしまったようだった。
夜会の翌日。
昨夜の夜会からの帰り道でデドルからは、ガイノスやステラさんらコーエン屋の人たちの無事は聞いていた。しかし、工場は焼け落ちてしまい、隣接する倉庫も延焼してしまったそうだ。
何とか残った隣接するステラさんの自宅部分で仕事を再開しようと模索しているらしいが道具の類も焼けてしまったので、目途も立たないようだ。
「ステラさん、ショックを受けているでしょうね」
アシリカがやるせない表情で首を横に振る。
「そうね……」
それに、献上品はどうなるのだろうか? 期日が迫る中、道具も焼けてしまったら、作れないよね。
「やはり、放火だったのでショウカ?」
ソージュが眉間に皺を寄せている。
「うーん。火の気の無い所だったみたいだしね。それに……」
昨日夜会で偶然耳にしたあのバレット子爵の発言だ。確かに、今回の火事で終わりとは言えないが、少なくとも献上品に関してはコーエン屋は打つ手が無いだろうと思う。何せ、道具が無いのだからね。作りたくても作れない。
「絶対に怪しいと思う」
アシリカとソージュも頷く。誰とは言わずとも、バレット子爵、いや、バレットが暗躍している可能性を彼女らも感じているのだろう。
献上品のダメ出しを何度も繰り返し、工場に火を放つ。そうして、献上品を納められない状況を作り上げる。
その結果、彼の娘が嫁ぐというカリエド商会に献上品を納める栄誉とその後の利益をもたらすのだ。もちろん、彼自身にもお金が入ることだろう。
「ガイノスさんも、きっとそこを憂慮して休暇を取ったのでは?」
アシリカの意見は正しいと思う。
私たちが知るより前からその兆候があったのかもしれない。 何かのきっかけでそれを知ったガイノスが、旧知のマーシャさんらコーエン屋を助けようとしても不思議ではない。
「ガイノス一人で大丈夫かしら……」
ガイノスは優秀な人だ。だが、状況はどんどん悪くなっていると思う。
「お手伝いしマスカ?」
ソージュが尋ねてくる。
だが、それは、ガイノスに私の行動がすべてバレるという事を意味している。さすがに顔を隠してもガイノスなら私だと気づくに違いない。
アシリカも黙り込んでしまう。
「リアー」
悩む私たち三人が難しい顔をして黙り込んでいると メリッサさんの懐妊以来上機嫌のお母様が部屋へとやっってきた。その後ろには少し困り顔のメリッサさんもいる。
「どうされましたか?」
気難しい顔を引っ込めて、笑顔を見せる。
「今日はパーティーも何も予定が無かったわよね」
そうね。その予定を詰め込んでくれたのは、他でもないお母様だけどもね。
「あのね、エリックとメリッサの子供の為に服を買おうと思ってるの。それで、商家の人を呼んでいるのだけれど、リアも一緒に選びましょう」
またえらく気が早いな。あまり人の事言えないけどさ。それでも、服は流石に早すぎないか? しかも男の子か女の子かも分からないのに。
「お義母様」
そんなハイテンションで産まれる前から孫フィーバーなお母様の背後に立つメリッサさんが声を掛ける。
「ナタリア様は……」
顔をお母様の耳元に近づけ、何やら小声で囁いている。
「まあ! そうなの!」
お母様は満面の笑みとなり、キラキラした目で私を見てくる。
「お母様?」
何なんだ、いったい?
「もうっ、リアったら。可愛いわね。でも、私も経験あるわ。そうね。そういう事だったら、仕方ないわね。リア、頑張ってなさい」
そう言って、お母様は部屋から出ていく。
「えっと……、何?」
状況が分からないよ。メリッサさん、お母様に何を言ったのかしら。
「ナタリア様」
きょとんとなっている私にメリッサさんが近づいてきて、優しく微笑む。
「今日に朝食、いえ、ここ最近のナタリア様は一人考え込まれる事が多くなっておりました。その時の表情が、私を助けて頂いた時と同じです」
そんなに顔に出てるの?
「詳しくは伺いません。ですが、ナタリア様。どうか、私のように困っている者を救ってくださいませ。お義母様を騙すような真似は心苦しいのですが、ここは私がうまく誤魔化しておりますので……」
「メリッサ義姉様……」
ガイノスやステラさん、それに会った事ないけどマーシャさんも困っているはずだ。そんな人たちを目の前にして助けないわけにはいかないよね。
そうだよ。ガイノスにバレたらとは考えている場合じゃない。
「少し、出掛けて参りますわ」
決意を込めた目をメリッサさんに向ける。
「はい。無事のお戻りを祈っております」
そう告げるメリッサさんに強く頷き返して、私は勢いよく部屋から飛び出していった。
「どちらに向かいやす?」
勢いよく部屋を飛び出し、デドルにお忍び用の馬車を出してもらったものの、どこに行けばいいのだろうか。コーエン屋に行くべきかしらね。それとも、バレットの周辺を探ってみるべきか。
「うーん……、まずはコーエン屋に行くわ」
まずは、この目でガイノスらの無事を確認しよう。
「ガイノスさんに知られてしまいますかね……」
アシリカやソージュにとっては厳しい上司みたいな存在だものね。悩まし気な表情である。
「やっぱり世直しの事バレたら怒られるかな……」
「怒られるだけで済むような問題ではないかと……」
うーん、そうよね。
「でも、放っておける?」
私の問いに、迷いなくアシリカとソージュは首を横に振る。
「じゃあ、覚悟決めなきゃね」
そうよね。メリッサさんも背中を押してくれたのだ。私は理不尽に苦しめられている人を一人でも多く助けるのだ。
面と向かってガイノスに事情を聞こう。私が知らない事がまだあるかもしれないしね。世直しの事がバレないようにしたいが、それ以上に彼らを助けてあげたい。アシリカとソージュ、それにデドルも同じ思いのはずだ。
しばらくして、コーエン屋へと到着する。
昨日は、少し離れた場所に馬車を停めたが、今日はすぐ前まで来ている。
だが、そこにコーエン屋の工場は無い。無残に焼け落ち、黒焦げになった木材や糸を作るのに使われていたと思われる機械が散乱していた。
「酷いわね」
馬車から降りて、その光景に唇を噛みしめる。
「そうですね……」
アシリカもやるせないといった声で小さく頷く。
「また、サボっているのですか?」
火事の跡を眺めていた私たちに声が掛かる。
ステラさんだ。笑みを浮かべてがいるものの、そこに力は無い。目も少し虚ろになっている。
「ステラさん……」
そんな彼女に返す言葉が見つからない。
「ガイノスさんなら、祖母と出かけています」
言葉を詰まらせる私に、ステラさんはどこか申し訳なさそうに教えてくれた。
「出かけた?」
けっこう勇気を出してここまで来たのに。
「はい。献上品の件で呼び出されたんです。おそらく火事の話を聞いて本当に納期が間に合うのかと心配されたのでしょうね」
視線を落とし、ステラさんは肩を震わせ始める。
「どうして……、どうして、こんな事に……」
ステラさんの頬を涙が伝う。
「父も祖母も何か隠していみたいだし。気づかないようにしていたけど、こんな事になっても、何も話してくれないっ」
ずっと抑えつけていた感情を吐き出していくように、最後は叫び声になる。
どこかで、彼女も何か起っている事を感じ取っていたのか。
「火が出るような場所じゃなかったのに。それに、少し前のボヤ騒ぎの時から気を付けてもいたのに」
「以前のボヤ騒ぎ?」
それは初耳だ。今回の火事と何か関係があるのだろうか。
「はい。ガイノスさんが泊まりに来る少し前です。工場の一部が燃えたのです。その時は幸い火の手が広がりませんでした」
ガイノスが来る少し前か。
「私、その時見たんです。工場から走り去る男の後ろ姿を」
走り去る男か。確かに怪しい。
「その事はマーシャさんには伝えましたか?」
涙を拭い、ステラさんは頷く。
おそらく、マーシャさんはカリエド商会へ甥であるバレットの娘が嫁ぐ事を知っていたのかもしれない。そんな時に何度も繰り返される献上品の作り直しに工場のボヤ騒ぎ。もしかしたら、この件でマーシャさんはガイノスに相談したのだろう。
「でも、祖母は何も言わずに頷くだけでした。その頃から、祖母も両親もどこか様子がいつもと違って。それに、おかしいのです。今日も献上品の件で呼び出されているのに、来るように言われた場所は、カリエド商会なんです」
それは変よね。献上品の事だから王宮に呼び出されるのは分かるけどさ。
夜会でのバレットの言葉、何度も繰り返される献上品へのダメ出し、タイミングが良すぎるコーエン屋の火事。そして、呼び出された先がカリエド商会。
「ステラさん。その走り去った男を見たら分かりますか?」
「はい。その男、腕に大きな傷がありましたから見たらすぐに分かると思います」
分かりやすい特徴があって良かったわ。
「そう。ならば、私たちもカリエド商会に向かいますか」
私は腰に差した鉄扇にそっと触れる。
「カリエド商会に? あの……タリアさん? いったい、何をするつもりですか?」
不思議そうにステラさんが尋ねてくる。
「決まってますわ。世直しです」
そして、ガイノスを助ける。ガイノスが何と言おうと、何を言われようが私は助ける。
ステラさんに満面の笑みで応える私だった。