122 幸せを運ぶ女神様
待ちに待った夏休み! って程ではない。
何だかんだで街に出歩いていたし、やっていた事も入学前とあまり変わってないような気がするからね。
それでも、久々にサンバルト家の屋敷に帰ってきた時は、ほっとした。
お父様やお母様、お兄様たちにメリッサさんにルーベルト君。それにガイノスたち屋敷のみんな。入学式ぶりの再会に心が弾んでくるのが自分でも分かる。
屋敷に馬車が近づくにつれ、そわそわした変な気分になった。
私の帰りを待ち構えていてくれたのか、お母様とメリッサさん、ルーベルト君がわざわざ玄関に出て待ってくれていた。
「リア! おかえりなさい!」
「ナタリア様、おかえりなさいませ」
お母様たちが私を出迎えてくれる。
「ただいま戻りました」
そう言い終わる前にお母様に抱きしめられる。
少し照れくさい。それでも、私も両腕をお母様に回して抱きしめ返す。
「元気そうでなによりだわ」
体を離したお母様がほっとした様子で、私の顔を眺める。
それだけは大丈夫。健康が取り柄だからね。
「学院はどうでしたか?」
自らも学院に通っていた時期があるメリッサさんも再会に嬉しそうである。でも気のせいかな。少しふっくらとしたような気がするな。幸せ太りかな。
「ええ。楽しんでいます」
満面の笑みで頷き返す。
……成績に関しては聞かないでほしいけどね。
「ナタリア姉さま。おかえりなさい」
少し大きくなったような気がするルーベルト君である。
「ただいま」
そう言いながらルーベルト君の目線に合わせてしゃがみ込む。やはり少し背も伸びているよね。
「大きくなったわね。このままじゃ、あっという間に背丈が追い越されてしまいそうだわ」
「はい。早く大きくなっって、シルビア様に似合う男になりたいのです」
ルーベルト君がそっと私にだけ聞こえるような小声で教えてくれる。
「そう、なんだ」
まだ、あの恋心は消えてなかったのか。この年の子ならコロコロ好きな子が変わるものだと思っていたけど。
「リア? 何を話してますの? 早く中に入りましょう」
ルーベルト君とひそひそと話している所にお母様から声がかかる。
「はい。行きましょう」
この夏休みの間に一回シルビアに会わせてあげようかなと考えながら、返事を返す。
久々の屋敷は落ち着く。やっぱり我が家が一番だね。アシリカとソージュも侍女仲間との再会に喜び合っている。
リビングに移動し、お茶の準備をしてもらう。ルーベルト君は残念にも、不参加である。何でも、魔術の稽古が入っているそうだ。代わりに一緒に夕食を取る約束をしたからいいかな。夏休み中はいつでも会えるしね。
「あれ?」
リビングに入って違和感に気付く。
何かが違う。すぐにその違和感の正体が分かる。
「ガイノスは?」
忙しいのかな? こんな時は絶対一番に顔を見せるのに。お父様やお兄様たちは仕事だろうからいないのは分かるけど、ガイノスがいないのは珍しい。
私の質問にお母様とメリッサさんが顔を見合わせる。
「それが、三日前に突然休みが欲しいって……」
お母様が少し困った顔を見せる。
「休み? あのガイノスが?」
私が驚くのも無理がないだろう。私の知る限りガイノスがまるまる一日休みを貰っているなんて事、見た事がない。お父様をはじめ、周囲が休みを勧めても本人が頑として休まなかったみたいだ。
「せっかくだから、今まで休まなかった分もゆっくりするようにと一月の休暇を与えたのだけどもね……」
何か問題でも?
「屋敷の中がどうも……」
厳しくもあったが、ガイノスの役割は大きかったようだ。ガイノスが休み始めて三日目にして、あちこちで弊害が生じているらしい。
使用人たちのケアレスミスが増え、小さな問題でもオロオロとしてしまう事ばかりだそうだ。
それにお父様の方も苦労しているみたいである。気持ちよく休暇を与えたものの、所領の経営から仕事の相談までガイノスに頼っていた所が大きく、仕事の進み具合が大きく落ちたらしい。
ガイノスもそれを見越して、使用人たちに色々と指示や申し送りをしていたようだが、なかなかうまく回らないみたいである。
まさに縁の下の力持ちだね。
「復帰が待ち遠しいわ」
お母様が遠い目になっている。
この調子じゃ、娘が帰ってきた時よりガイノスが帰ってきた時の方が喜びそうだな。
それにしても、突然休むなんて何があったのかしら。よくよく考えてみたら、ガイノスのプライベートな事って、何も知らないな。結婚はしてないみたいだけど。
「……少し、失礼しま――」
ガイノスの話で盛り上がっていると、そう言ってメリッサさんが口元を抑える。そのまま慌てて廊下に飛び出していく。
まさか、体調が悪い? そう言えば、リビングに入ってから、妙に口数の減っていたような。
「私、様子見てきます」
「待って。私が行きます」
立ち上がった私を制して、お母様が席を立つ。静かだが、有無を言わせない強さを感じる。
「でも……」
「大丈夫。心配いらないわ。ここは、私が適任よ。リアはここで待っていなさい」
そう言って、お母様はご自分の侍女に何かを小さく耳打ちした後、メリッサさんの後を追って廊下に出ていく。
「本当に大丈夫なのかしら……」
ガイノスもいないしさ。これ、すぐにエリックお兄様に知らせた方がいいんじゃないかしら。
不安な気持ちを抱えながら、二人が戻ってくるのを待つ。
もうこれ以上待てないっ、と再びソファーから立ち上がった時、お母様に肩を抱きかかえられたメリッサさんが戻ってきた。
「メリッサ姉様……」
すぐにメリッサさんの元に駆け寄る。
「ご心配おかけしました。ですが、大丈夫ですよ」
弱々しくも笑顔を見せてくれる。
「ほら、メリッサ。座って……。ゆっくりでいいですからね」
お母様にそっとソファーに座らせられるメリッサさん。
「ありがとうございます、お義母様」
「あの……本当に大丈夫なのですか?」
顔色もまだよくないし、少しふらついているよ。
「ふふ。大丈夫よ、リア。メリッサから伝えてあげなさい」
そう言いながらメリッサさんを見るお母様の目はとても優しい。
「はい。……ナタリア様。どうやら、赤ちゃんが出来たみたいです……」
少し恥ずかしそうに俯きながらのメリッサさん。
「赤……ちゃん?」
きょとんとなって私は聞き返す。
「そうよ。エリックとメリッサに子供が出来たのよ。三人産んだ私が言うのよ。間違いないわ」
おお! エリックお兄様とメリッサさんに子供!
「まあ! おめでとうございます!」
これは嬉しい。いやあ、恋のキューピッドとして努力した甲斐があったよ。結婚した時以上の満足感を感じるね。
「男の子かしら? それとも女の子かしら?」
「まあ。リアったら気が早いわね。産まれてくるのは、まだだいぶ先よ。来年の夏前くらいかしら」
お母様が苦笑する。
だったら、来年の夏休みは生まれてきた子と過ごせるのか。
今年の夏休み初日にして、来年の夏休みが待ち遠しくなる私だった。
メリッサさんの妊娠が分かり、サンバルト公爵家はお祭り騒ぎとなった。
仕事から帰ってこられたお父様は私との再会と初孫が出来た事に喜びを爆発させて、文字通り飛び跳ねていた。
普段冷静なエリックお兄様も見た事がないくらい喜びの感情を見せ、舞い上がっている。
使用人に至るまでがメリッサさんの妊娠を祝い、屋敷の中はどこも笑顔で溢れていた。
誰もが明るい未来しか抱いていないようである。
いつもなら、そんな空気を引き締めてくれているガイノスがいないせいもあるがどこか浮ついた雰囲気だった。
でも、こんなビッグイベントを逃すなんて、ガイノスもついてないわね。
「あー。楽しみ!」
庭のテラスでお茶をするのも久々である。
昨日妊娠が分かってから何度か吐き気に襲われていたたメリッサさんだが、今は落ち着ているらしく、二人でお茶をしている。
「ふふ。ナタリア様もですが、皆さん気が早いですよ」
苦笑しながらも、幸せそうな顔のメリッサさんである。
「でも、楽しみで仕方ないんですもの」
エリックお兄様とメリッサさんの子だ。男の子なら美男子に、女の子なら美少女に違いない。もう早く見たくて仕方ない。
「そう言って頂けるとありがたいです。ですが、これもすべてナタリア様のお陰です。あの時ナタリア様に助けて頂かなかったら味わえない幸せです」
「私の力なんて、微々たるもの。すべてメリッサ姉様の想いの結果です」
首を横に振る。
「いいえ。それにお腹に子供がいると分かった時、思ったのです」
じっとメリッサさんが私を見つめる。
「エリック様と結婚出来ただけでなく、ナタリア様が帰ってこられた日にお腹に子供がいる事が分かりました。ナタリア様は私にとって、女神様みたいです。幸せを運んでくれる女神様です」
女神様……。この私が?
「聞いた? アシリカ、ソージュ」
後ろに控えているアシリカとソージュに思わず振り返る。
碌でもない噂まみれの私が女神様だよ。側にいる人からも無茶ばかりするとか後先考えないとか言われている私がだよ?
「女神様とは言い過ぎかと……」
アシリカが苦笑する。その隣でソージュもアシリカに同意するように何度も頷いている。
「もう! 素直に喜ばせてよ!」
私がここまで褒められるなんて滅多に無い事なのにさ。
「本当に仲が良いですね」
そんな私たちのやり取りに微笑ましそうな目をしてメリッサさんが笑い声を立てている。
否定はしないけど、改めてそう言われると照れくさいな。
「それより、あの手芸店のおばさんにも知らせくてよろしいですの?」
照れるのを隠すように、メリッサさんに尋ねる。
あのおばさん、随分メリッサさんの事を気に掛けていたし、きっと子供が出来た事を知ったら喜んでくれるはずだ。
「ええ。実はもう書いてあるのです。誰かに頼んで届けてもらおうと思っています」
「だったら、私が届けます」
ちょうどいい。午後からでも街に行こうと考えていたしね。
「でも、いいのですか? その……、勝手に屋敷を抜け出しても……」
何故かメリッサさんは、私にではなくアシリカに確認するように伺い見ている。
「メリッサ様。私が何を言ってもどこかに抜け出す癖だけは、治りそうにないお嬢様ですので……」
諦めのため息を吐くアシリカだった。
久々……でもないな、エルカディアの街に来るのは。
メリッサさんからの手紙を預かり、手芸店のおばさんの元へ届けに来ている。
「まあ、そうなの!」
メリッサさんに子供が出来た事を聞いたおばさんは我が事のように喜んでいる。
「メリッサちゃんの事、頼んだよ」
「もちろんです」
私はサンバルト家の侍女だと改めて自己紹介をしていた。
「でも、侍女だったんだねぇ。少し驚いたよ」
え? やっぱり隠しているつもりでも気品が溢れ出ているのかしらね。
「わたしゃてっきり、どこかその辺の定食屋で働いている下町暮らしの娘さんかと思っていたよ。」
……うまく街に溶け込めているのだと自分を褒めておこう。
「こんにちは!」
虚ろな目となり自分を一生懸命褒めているその時、元気の良い声が聞こえてきた。
「いらしゃい、ステラちゃん」
おばさんも威勢よく返事を返す。
見ると、女性が箱を抱えて立っている。青くクリっとした目が可愛らしい。
「今日の納める分、ここでいいですか?」
「ええ。そこでいいわよ」
おばさんに頷き、箱から色とりどりの糸を取り出し机の上に並べていく。
「綺麗ね」
思わず声が出る。糸巻きが積まれてそのグラデーションがとても綺麗に見える。
「ありがとうございます! これ、うちで作った商品です。良かったら使ってくださいね」
ステラさんが笑顔で頭を下げる。
「ステラちゃんの所で作ってもらった糸は綺麗なだけじゃないわよ。丈夫なのよ」
おばさんもお勧めの品らしい。
「これは綿から作られていますけど、こっちは麻、それとこれは羊毛からですね」
ステラさんが次から次へと箱から糸巻きを取り出していき見せていてくれるが、私には違いがいまいちよく分からない。でも、どれもが綺麗なのだけは分かる。
「はっはっはっは。いまいち分からないって顔だね」
きょとんとする私を見て、おばさんが豪快な笑い声をあげる。
「あっ。ごめんなさい。つい、私ったら……」
申し訳なさそうに謝るステラさん。
「い、いえ。詳しくないのは確かですが、どれも綺麗です。それははっきりと分かります」
私の言葉に嬉しそうな笑顔を見せるステラさんは、きっと糸を作る仕事が大好きなのだろうな。
「でも、アンタもサンバルト家の侍女でしょう? 手芸の一つくらい出来なくちゃね」
「そうですよね……」
侍女じゃなくても、自分で可愛い小物くらいは作れるようになりたいなぁ。
「まあ! サンバルト家の侍女の方だったのですか!」
ステラさんが驚きの顔となる。
何でそんなに驚くのかしら。いくらサンバルト家といえども、そこの侍女というだけでこんなにも驚かれる事はないと思うけど。
だが、ステラさんの次の言葉で逆に私が驚く事となる。
「じゃあ、ガイノスさんと一緒に働いているのですね」
ガイノスですって? この人、ガイノスと知り合いなの? 年もまだ十代、多めに見ても二十歳くらいのこの人との接点が見当たらない。
「あの……、ガイノス……さんとお知り合いなのですか?」
自分でも顔が引きつるのが分かる。それは両隣のアシリカとソージュも同じだ。こんな所を私たちがほっつき歩いているなんてステラさんを通して彼の耳に入ったら、それこそ大事だ。
「はい。うちの祖母と古くからの知り合いです」
「そうなのかい。へえ。世間は狭いもんだね。こんな偶然もあるもんなのね」
呑気に納得しているおばさんだが、そんな偶然お断り願いたい。
「休暇を頂いたとかで、ちょうどうちに泊まっていますね」
さらに衝撃の事実がさらりと告げられる。
益々マズイ。私たちの行動がバレる確率がぐっと高まったのが、ヒシヒシと感じる。背筋に流れる汗は、暑さだけのせいじゃないはずだ。
いや、彼女に何の他意も無いのは分かっているけどさ。
しかし、私たちにとったら、一大事だ。
「私が小さい頃からとても可愛がってくれました」
想像つかないよ、ガイノスが笑顔で小さな子をあやしているのがさ。
「あの……、一つお願いがあります」
神妙な顔になった私を不思議そうにステラさんが見ている。
「ここで、私たちに会った事、内緒にしててください」
アシリカ、ソージュと一緒に深く頭を下げて、頼み込む私だった。