121 断罪回避の新計画
コウド学院恒例の夏休み前のパーティー。
明日から夏休みが始まるという生徒たちの気持ちが華やかな会場の雰囲気のせいか一層拍車を掛けているような気がする。
去年は招待された身での参加だったが、今回は生徒の一人としての参加である。参加は強制ではないが、ほぼすべての生徒が出席していると言っていいだろう。
試験問題漏洩事件で、一時騒然となった学院だったが、それもすっかり忘れ去られたかのように皆がパーティーを楽しんでいる。しかし、その中で暗い表情をした者をたまに見かける。試験問題を密かに買っていたであろう人物だろう。突然下がった成績は、己が何をしていたかを周囲に分からせると同時に将来へ向けての希望が無くなった事を告げているからね。周りからもどことなく避けられている。
ま、自業自得よね。貴族の世界は一度付いた風評はなかなか消えないから、この先大変だろうな。
そして、試験問題漏洩で、もう一人名前が出た人間がいる。
エネル先生を助け、事件の真相を暴く切っ掛けとなった人物。つまりレオだ。さすが、王太子殿下と周囲からの評価はさらに上がったようだ。元々、その立場と見た目で、女生徒からの人気はあったみたいだが、今回の件でさらにその人数を増やしたみたい。
今も引っ切り無しにダンスに誘われている。
本人は、ぼうっとうっかりとは何をすべきか考えていただけなのが真実だけどね。私が表に出るのも問題だし仕方ないけど、少し悔しい。
私はというと、さすが婚約者だからか、ファーストダンスをレオと踊って以降は壁際からパーティーを眺めている状況が続いている。
一度付いた風評がなかなか消えないってのは、本当だね。いつになったら私の悪評は消えるのかしら。
「お飲み物を取って参りましょうか?」
一人佇む私に気を使ってか、アシリカが尋ねてくる。
「さっきも飲んだからまだいいわ」
「シルビア様を探してきマスカ?」
同じくソージュ。
「またどっかで木でも眺めているのでしょ。邪魔しちゃ悪いからいいわよ」
二人とも私に気を使ってくれているようだが、別にいいよ。下手に注目を浴びるより、この方が気楽だからさ。
それにしても、さすが攻略対象者ね。レオもだけど、ケイスとライドンも女性から人気があるみたいね。次から次へとダンスの誘いを受けている。
そうね。丁度いい機会だから、断罪回避の事でも考えようかな。この前、オーランドにも遭遇してしまった事だしね。でも、彼の姿は見かけないな。参加するような性格じゃないから、来てないのだろうな。
うーん。それより断罪回避だ。学院に入ってからも世直しの方ばかりだからな。もっとも、ヒロインが入学してくる来年の春まで出来る事も少ない。
今出来る事は、攻略対象者と関わらないのが一番だけど、実際はその逆になってしまっている。
レオはどうしよもない。一応、婚約者だからね。でも、その婚約者としての関係を超えて、世直しに巻き込んでしまった。これはこれで考え物だよね。何で、秘密を共有してしまってるんだ、私は。
それにケイスとライドン。この二人とは関わらなくてもいいのに、朝の訓練を一緒にしている。日増しに会話が弾むようになってきているよ。たまに、あの二人が将来私を断罪する側の人間だという事を忘れてその会話を楽しんでしまっている時もある。
あー、もう! この呑気な私の脳みそを叱りたい。
「あの……、お嬢様?」
突然顔に手を当て、苦々しい顔をする私をアシリカが心配そうに覗き込む。
「あ、ごめん。大丈夫よ。何でもないわ」
つい、顔に考えが出てしまったか。気をつけないと。
えーと、後は何だっけ? そうそう、オーランドか。彼にも会う必要性が無かったのに、偶然とはいえ、会ってしまった。しかも、喧嘩を売るような発言までしてしまったな。適当に放っておけばいいものを私は一体何をしている?
こうやって考えてみると、本当に私は断罪を回避する気があるのか、と自問自答したくなる行動ばかりだな。
いや、まだだ。まだ挽回できる。それに、逆に考えてもみよう。ある程度攻略対象者たちと話せるようになっておけば、いざという時、こちらの言い分にも聞く耳を持ってくれるかもしれない。
うん、そうよね。前向きに考えよう。
でも、全部で何人の攻略対象者がいたかな。レオ、ケイスにライドン。それとオーランド。確か全部で五人いたはずだ。後は、ヒロインと同じ年の人だったな。だったら、その人も来年か。関わりたくないが、何だかんだ言いながら結局は会ってしまいそうな気がしてならない。
「はあ……」
でも考えれば考えるほど気が重くなってくるな。
「ご気分が優れないので?」
ため息にさらに顔を曇らせるアシリカである。
「い、いえ。本当に大丈夫よ。心配いらないわ」
心配させまいと、アシリカに微笑み返す。
ダメだ、ダメだ。表情だけでなく、溜息まで出てしまった。用心しないと。
しかし、どうしてこうも攻略対象者たちと関わってしまうのかしら。不思議だ。やはり、定められた運命なのだろうか。避けようのない事なのかな。
私にそんなつもりがなくても断罪コースに乗ってしまう事もあるのかしら。それだったら、手の打ちようがないよね。
そもそも根本的な問題として、学院にいて大丈夫なのだろうか。実力的に魔術学院は無理だし、今更転校など無理だろうけど。
うーん。妙手がまったく思い浮かばないな。この件に関しては、誰にも相談も出来ないしな。
「お嬢様、お嬢様」
考えに没頭していた私の腕を突きながら呼ぶアシリカに、パーティー真っ最中の現実に引き戻される。
「ん? 何?」
「副院長先生にございます」
アシリカの視線の先に煌びやかな頭をした男性。副院長だ。
「ナタリア様。お疲れですか?」
どうもぼうっとしていた私の体調が優れないとでも感じたのか、心配そうに私を見ている。
「い、いいえ。そのような事ございませんわ」
すぐに社交用の笑顔を顔に貼付け、副院長に向き合う。
「そうでございますか。それならよろしいのですが……」
安心した表情で、副院長も笑顔になる。
「それより、娘さんへのサプライズはうまくいきまして?」
こっそり夜に娘の為にピアノの練習していた副院長。もう娘さんの誕生日は終わったはずだ。うまくいったのかな?
「はい。それはもうとても喜んでくれました。今まで見た事のないくらい笑顔を見せてくれました」
嬉しそうな副院長である。
それ、ピアノの出来を笑われていただけじゃ……。喉元まで出かけた言葉を何とか飲み込む。
「そ、そうですの。良かったですわ」
そうよね。本人が納得しているならそれでいいと思う。
「はい。また来年も弾いてやろうかと考えておりましてね」
いや、それはやめた方がいいかと思うよ。だって、一発ネタって感じだからさ。
「では、明日からの夏休みはご家族でゆっくりされますの?」
「いえいえ」
私の言葉に副院長は苦笑しながら、首を横に振る。
「教師の中には長期の休暇を取る方もいますが、私はゆっくりしていられません」
「そうですの? 夏休みもお仕事が?」
何をするのかしら?
「はい。校舎の補修や設備の点検。いろいろやる事がありまして」
へー。副院長って立場になると、色々と大変なのね。
「それに、来年の留学生の選定もしなければなりませんしね」
「留学生?」
何の事かしら?
「おや? ナタリア様はお忘れになっておられるのですか。毎年春から一年間、一年生から一人を選び他国の姉妹校に留学させているのです。それの候補の選定です」
「それよっ!」
私はビシッと副院長を指差し、思わず叫ぶ。
そうよ、それよ。留学するのよ。来年一年間留学すれば、レオたちと関わる事はない。それどころか、ヒロインと顔を合わせる事も無いだろう。当然、学院にいない私がヒロインに何か仕出かす事も出来ず、断罪も有り得なくなる。
「ナ、ナタリア様?」
私の突然の行動に副院長が唖然となって固まっている。
「お、お嬢様っ!」
アシリカも血相を変えている。
しまった。さすがに今の行動は令嬢としては、駄目よね。
「失礼しましたわ」
ほほほ、と笑って誤魔化す。
「いえいえ」
副院長も私の突飛のない行動に免疫が出来たのか、深く追求する素振りが無い。
「では、私はこれにて」
他にも回る所があるという副院長は一礼した後、その場から立ち去る。
いやあ、いい情報を手に入れたよ。何としてもその留学生になって、来年一年間コウド学院とおさらばだ。でも、どうやったら、その留学生になれるのかしら。希望者の募集なんて聞いた事がないけどな。これは、調べないといけないわね。
「リア、こんな所にいたのか」
明るい未来が見え始めた所に、疲れ切った顔でレオが現れる。
「もう勘弁して欲しい」
次から次へと誘われるダンスの誘いも断り切れなかったレオが何とか隙を見つけて私の側に逃げてきたようだ。さすがに私の側にいるレオをダンスに誘う猛者はいないみたいだ。
「いやあ、参ったよ」
そう嬉しそうに言いながら、ケイスもやってくる。その隣にはむっすりと黙り込んだライドンもいる。
この二人も女生徒から逃げ出してきたようである。
まったく。私は避難所じゃないぞ。まあ、今は気分がいいから許してあげよう。
「おや。何かいい事でもありましたか? 何やら嬉しそうなお顔ですね」
女性の表情には敏感なのか、ケイスが私を見て笑顔を向けてくる。
「もしかして、殿下がお側に来たからでは?」
いや、それはないな。むしろその逆の事を考えていた。
「ケ、ケイス!」
ほら、レオだって否定しているでしょ。
「さきほど副院長先生にお会いしまして面白そうなお話を伺いましたの」
私が目の前でズラを取った事を思い出したのか、三人は何とも言えない微妙な顔をして、顔を見合わせる。
「また、余計な事をしたのではないだろうな?」
いや、レオよ。何故そんな発言が出てくる?
「違います!」
もうあの件は忘れて欲しい。
「それより、コウド学院への姉妹校への留学の事はご存じにございますか?」
この三人なら、留学生になれる方法を知っているかもしれない。
「留学だと?」
驚きの声を上げたのはレオである。
何をそんなに驚く事があるのかしらね。私が留学したいと思うのは、そんなに変なのかな。
「ナタリア嬢は留学を望まれているのですか……」
信じられないといった表情でケイスが尋ねてくる。
「なるほど。どうりでどうりで朝の剣術の後も勉学に励んでいるわけだ」
ライドンは何やら感心の眼差しを私に向けてきている。
「お嬢様」
アシリカが小声で私を呼ぶ。何故かその首を横に振って悲壮な顔をしている。
ん? どうしたのかな? ああ、そうか。王太子の婚約者としての立場で留学を言い出すのはマズイという訳かな。大丈夫よ。見識を広める為とかテキトーに理由付けすれば問題ないでしょ。
「あのな、リア。留学の条件を分かって言っているのか?」
驚きを引っ込めた後、呆れた目に変わっているレオだ。
「条件? そんなものがありますの?」
まあ、言われてみればそうよね。誰でも無条件ってわけにはいかないのか。
「目安として、試験の成績が上位五位以内。加えて魔術剣術に優れている。それに品行方正さも問われる。なにせ、このコウド学院を代表して行くのだからな」
成績五位以内……。何とか平均点を越えた程度です。
剣術魔術に優れている……。剣術はともかく、人に優しい魔術専門です。
品行方正……。勝手に学院抜け出してます。
レオが教えてくれた条件。どれもクリアしているとは思えない。
「留学を目指すくらいだから、ナタリア嬢はそんなに成績が優秀なのか。俺も頑張らないとな」
ライドンの尊敬の眼差しが痛い。突き刺さってくる。
「殿下から聞いた事がありませんでしたが、ナタリア嬢は剣だけでなく勉学にも優れていたのですね」
ケイスさ。そこは今の私の表情から読み取ってよ。得意分野でしょ。
「留学の条件に関しては、入学式で説明がございました……」
俯き、溜息混じりのアシリカからの補足の言葉。
そうなの? 私、聞いてないよ。あっ、そうか。入学式、途中から居眠りしていたからか。
「ケイス、ライドン。何も言わないでやってくれ」
レオの私を見る目が可哀そう子を見るそれだ。そんなレオの真意に二人も気づいたようだ。私がとてつもなく、無謀で何も分からずに留学したいのだどほざいていた事に。
「ナ、ナタリア嬢。えっと、ほら、何か甘いものでも取ってきましょうか?」
口のうまいケイスでも、今の私へのフォローが無理って事なのね。食べ物で誤魔化そうとしている。
「そ、そうだな。リア。何か欲しいものがあるか?」
ごめん。食欲ないです。
断罪回避の為の案が潰れた事と自分の無様さに傷心してます。情けなさと惨めさでいっぱいです。
「あの……」
レオたち三人にアシリカが申し訳なさそうに頭を下げる。
「今はそっとして頂けたらと……」
ありがとう、アシリカ。それが一番助かるわ。
そんなアシリカに黙って頷くレオたち三人。
一人落ち込みながら反省する私を三人で壁を作り、周囲から見えないようにしてくれた三人の気遣いに感謝する私だった。