120 学院の怪談
無事、夏休み前の試験を終えた。
ちなみに、特別講習のお陰かすべての教科で何とか平均点以上は取れた私である。その結果にほっと安堵していた。
そして、試験から解放され、去年私も出席した夏休み前恒例のパーティーが近づいてきていた。それは、自然と夏休みを迎える事を意味している。
そんな時期を迎えたからか、どことなく学院全体に浮かれた雰囲気に包まれていた。
夏が近づくにつれ、暑さも増してきている。
暑くなってきたから、というわけでもないと思うが、怪談話がちらほら耳に入ってくるようになった。学校という場所では、必ずある話かもしれない。特にこのコウド学院は歴史がある。尚更、そういったネタには困らないのだろう。
寮生活で敷地から出られない毎日が続く単調な日々。貴族の子弟といえども、どこか刺激が欲しい部分があるのだろう。
「そんな話があるんだ……」
私もその手の話は嫌いじゃない。むしろ大好物だ。
昼食時の食堂。シルビアの話す怪談話に興味津々である。彼女の醸し出す妖艶さが、話をさらに盛り上げている。
「そう言えば……」
特に興味を示さず聞いていたレオが口を開く。
「三年の間で話題になっているそんな話があったな」
「まあ。どんな話ですの?」
新たなネタに食いつき気味の私である。
「夜の音楽棟でピアノが弾かれているそうだ。もの悲しい音色でな。しかも、その周囲にわずかに揺れる光が見えたそうだ」
何かありきたりね。いくら何でも普通過ぎるわよ。
「つい先週も見た者がいるそうだぞ」
明らかに落胆の表情を浮かべる私に、レオが悔しそうに口を尖らす。
「実際に見た人がいますの?」
それは少し興味がある。だって、この手の話って、過去にいた先輩だとか、知り合いの知り合いのそのまた知り合いとかあやふやな人から聞いた、そのうえ昔の話だってのばかりだからさ。
「ああ。俺も実際に見たというヤツから直接聞いた」
私の反応が気に入ったのか、少し自慢げなレオである。
ほー。俄然、興味が湧いてきたな。
「そうですの」
そう答えてニヤリと笑う私だった。
その夜である。寮はしんと静まり返り静寂に包まれている。
「お嬢様。そろそろおやすみになられますよう」
アシリカがベッドの準備が出来た事を告げにくる。
「ねえねえ。アシリカ。昼間の話だけどさ」
「昼間の話とは?」
首を傾げながら、アシリカが私の側に来る。
「ほら。音楽棟のピアノが独りでに鳴っているって話よ」
「あ、あの話にございますか」
アシリカの目が急にせわしなく動き出す。
「あれ、本当かな?」
「ま、まさか! そんなわけございませんよ。何かの間違いに決まってます」
何故か早口のアシリカである。
急にどうしたのかしら。
「アシリカ?」
「さっ。お嬢様。そんな話などせずに、早くおやすみになられませ」
無理やり話を断ち切るようにしてアシリカが私を急かす。
「えー。そんな事言わずにさあ」
ほら、分かるでしょ。私が何を言い出そうとしているかさ。
「見に行くおつもりデスカ?」
明日着る服の準備をしていたソージュが尋ねてくる。
「当たり!」
喜々とした顔で私は叫ぶ。
「ね、今から行こうよ」
ソファーから立ち上がり、二人を誘う。
「い、今からにございますか? もう夜も更けておりますよ」
アシリカが顔を引きつらせる。
そりゃそうしょ。夜だから行くのよ。昼間に行っても意味がないじゃないの。
「デモ、ちょっと面白そうデス」
おっ。ソージュは乗り気ね。
「ソ、ソージュ? あなたまで何を言い出すのですか?」
普段冷静なアシリカが妙に落ち着きなく焦っている。
「もしかして、怖いの?」
それじゃあ、まるでお化けが怖いみたいに見えるよ。
「う……」
私の一言でアシリカの動きがピタリと止まる。
「え? 本当に?」
嘘? 半分冗談だったのに……。
あのいつも完璧なアシリカに苦手なもの? 怖いものなんて無いと思ってたけど。
「そ、その、実は……、小さい頃からお化けとかそういった類の話が苦手でして」
言いにくそうな小声アシリカである。
意外だ。アシリカがお化けが怖いなんて……。あれだけ魔術とか、私からしたら正体不明のものをバンバン使いこなしているのに……。
「そ、そうだったんだ……」
「はい。この年にまでなって情けない話なのですが……」
珍しくアシリカが小さくなっているよ。昼間の怪談話を思い出したのか、身震いまでさせている。
こりゃ、相当怖いんだな。思い返してみれば、今日の昼間怪談話をしている時も少し私たちから離れていたっけな。
悪い事したな。
「じゃ、アシリカは留守番ね」
だからと言って、音楽室行きを止める考えは無い。
「え?」
俯いていたアシリカがきょとんとした顔で私を見る。
「だって、苦手なのに無理やり付き合わせるのも悪いじゃない。だからさ、ソージュと二人で行ってくるよ」
それなら問題ないよね。
「お、お待ちください。お嬢様のお側から離れるわけには」
私を止めるようにアシリカが首を横に振る。
「ソージュもいるから大丈夫よ。ね?」
私はソージュに頷く。
「いや、しかしですね。こんな夜更けにお嬢様を外に出すわけには……」
「今更だとオモウ」
ソージュの一言。
だよね。今更だよね。
「もう! 分かりました! 行きます! 私も行きます!」
アシリカが叫ぶ。
「いや、無理をしなくてもいいよ」
怖いの苦手でしょ。
「いいえ。行くと言ったら行きます。私はお嬢様の行く所に付き従います。それが例え、どんな所でも!」
その言葉、嬉しいけどそんな大袈裟な話じゃないよ。別に決死の戦いに行く訳じゃない。肝試しに行くだけだよ?
「無理しなくてもいいのデハ?」
ソージュも若干引き気味だよ。
「無理なんかしてません。ほら、行きますよ!」
歩き出すアシリカ。
「行けばいいのですよね、行けば」
そう何度も呟いている。
もしかして、一人になるのも嫌なのかな。でも、そんな事口が裂けても今のアシリカには聞けない。
「そ、そう。じゃあ、行きましょうか」
そのアシリカの迫力ならお化けの方が怖がるよ――そう思う私だった。
月夜に照らされ、暗闇に浮かぶレンガ造りの音楽棟。
普段ならば、蔦で覆われた重厚な造りが学院の歴史を感じさせるのだが、今はそれが不気味さを醸し出している。
さすがコウド学院と言ったところか、ここにはありとあらゆる楽器が揃っている。それもどれもが一流の品ばかりである。
この三階にあるピアノの練習室が目的の場所である。
「行くわよ」
音楽棟を見上げてから、小声で告げる。
無言でアシリカとソージュが頷く。
誰もいないと分かっていながらも、音を立てないように歩いていき入り口の扉の前へと進む。
「鍵、掛かってマセンカ?」
ソージュの言葉にアシリカが期待の籠った目で扉を見つめる。
「どうかしらね」
扉のノブに手を掛けると、カチャリという音が響く。
「……開いてる」
私の言葉にアシリカのため息が聞こえてきた。
「何か……。入れって誘われているようね」
思わず出た私のその言葉に、黙り込んでしまうアシリカとソージュ。ゴクリと生唾を飲み込むアシリカの顔はすでに青褪めかかっている。
そっと扉を開けて中へと進んでいく。
何度か入ったことのあるこの音楽棟だが、昼間とは雰囲気が一変している。
綺麗に感じた柱の天使のレリーフが、じっとこっちを見ているような気がして不気味に感じるし、壁の木目が無数の目に見えてくる。
「なかなかの雰囲気ね……」
私は手の平の上に小さな火を灯し周囲を見渡す。私に使える数少ない魔術の一つだ。
アシリカに頼もうと思っていたのだが、とても頼める状態ではなかった。
扉から入った直後から徐々に私との距離が近づき、一階から二階への階段に着く頃には、私の背中をしっかりと掴んでいる。
話しかけても、聞こえているのかいないのか、ただただ頷くばかりである。
こんなアシリカをも見るのも新鮮だね。
前に私、真ん中にアシリカを挟んで最後尾にソージュ。一列となって、階段を昇っていく。
「二階まで来たわね。いよいよ次の階ね」
二階のフロアを見渡す。このフロアは、確か管弦楽器が中心に置いてあった記憶がある。不気味なものの、特に変わった様子は無い。
物音一つ聞こえず、静まり返っている。
「デモ、ピアノの音、聞こえマセン」
ソージュが聞き耳を立てている。アシリカの私を掴む手の力が強くなる。
そうね。でも、ここの防音設備はなかなかのものだったから、三階に行かないと分からないかもね。
「あの……、アシリカ、大丈夫?」
私の問いにコクコクと頷く。
声も出せないのか……。気の毒だが、ここに置いておく訳にもいかないしな。
「進める?」
その問いにもぎこちなくと首を縦に振るばかりである。
本当に大丈夫なのかしらね。
さっさと行って、終わらせようかしらね。どうせ、何もないだろうしさ。怪談話ってそんなもんだもんね。
三階へと続く階段を昇っていく。三階まで残り半分を切った所まで来た時である。
微かにピアノの音色が聞こえてくる。
「お、お嬢サマ……」
やや上ずったソージュの声。
「嘘でしょ?」
私も思わず、ゴクリと生唾を飲み込む。
「ひっ!」
アシリカは息を飲み、絶句している。私を掴む手の力は最高潮に達している。
ほ、本当にお化け? レオの知り合いが見たってのは本当の話だったの?
だったら、この先に揺れて光る物体もあるはずだ。さしずめ、火の玉みたいな物だろうか。
ここまで来たら、是非見てみたい。
三階まで残り数段を残すのみ。アシリカを引きづるようにして、その階段を登り始める。
「嘘よ、嘘よ。きっと、気のせいです」
後ろからは、自分に言い聞かせるかのようなアシリカの小さな呟きが聞こえてくる。
ついに、三階までの階段を昇り切る。
そっと、廊下に頭だけを出して、一番奥にあるピアノの練習室を見る。
「揺れる、光だ……」
確かに、練習室の窓越しにぼんやりと光るものが見える。その光は、右に少し進んだかと思うと、左へ。そして、また右へと動いている。
「本当デスネ……」
アシリカの後ろから、私の隣へとやってきたソージュもその怪しく動く光を凝視している。
「お、お、おじょ、お嬢様……。き、危険です。す、す、すぐにお下がりを」
どもりながらのアシリカ。悲壮な声で私に訴えかけてくる。
でもね、下がりたくても動けないのよ。だって、アシリカが私にしがみ付いているからさ。
そんなアシリカを見て、少し冷静さを取り戻した私は、一度大きく深呼吸をすると、静かにピアノの音に耳をそばだてる。さっきよりもはっきりと聞こえてきている。
正直言って、下手だ。リズムもスピードも一定じゃないし、所々間違えたように変な音が混ざっている。
「変ね……」
レオはもの悲しい音色と言っていたが、これはどう聞いても初心者の練習にしか聞こえない。
「お化けじゃないんじゃないの? どう聞いても下手な人間の演奏にしか聞こえないけどさ」
「言われてミレバ……」
ソージュが私の意見にさっきまでの驚愕の表情を消していく。
「アシリカもそう思うで……」
だめだ。アシリカはすっかり冷静さを失っている。私にしがみ付きながらも一方の手でソージュの手を握って震えている。
「聞いてマセン……」
そのようね。
「だったら、あの光は何でショウカ?」
ソージュの疑問はもっともだ。明かりの為のランプなら、あんな揺れ方はしない。それにランプの光ならもっとはっきりとそれと分かるはずだ。
俄然、好奇心が湧いてくる。そして、それを抑える自信は私には無い。
でも、その前にアシリカを何とかしないとね。このままじゃ、トラウマになりそうだしね。
よし! ここであのお化けの正体を暴いてやる。そうすれば、アシリカのお化けへの苦手が克服できるかもしれない。
そうよ。幽霊の正体見たり枯れ尾花ってヤツね。
私は腰に差した鉄扇を取り出し、ぎゅっと握りしめる。
「ソージュ。アシリカをお願い」
私はそう言うと、心苦しく思いながらもアシリカを振りほどくと、一気に廊下の奥にある練習室へと駆けだす。
「お、お嬢様!?」
「お嬢サマ!」
アシリカとソージュの声が背後から聞こえてくる。
練習室へと一直線に駆けていき、勢いよくその扉を開け放つ。
「あ!」
ピアノの音が止むと同時に叫び声が聞こえてくる。
「ナ、ナタリア様!?」
そこには、ピアノの前に座り、驚きの表情をした顔をこちらに向ける副院長がいた。
「いやあ、見つかっちゃいましたか」
照れた様子で、頭を撫でる副院長。その前に並ぶ、私たち三人。
「実はもうすぐ娘の誕生日なのですよ。ささやかですが毎年家族で誕生日パーティーをしているのですがね。そこでサプライズで、ピアノを弾こうかと思いまして」
それで、こっそり練習していたわけか。昼間生徒に見られるのも恥ずかしかったのだろうな。
よく考えてみたら、夜になっているのに校舎に鍵が掛かってないのもおかしな話だったのだ。これは副院長が開けたのだろう。
揺れるほのかな光は、ランプに照らされた彼の頭。いやあ、輝いているね。
「この事は内緒にしていてくださいね。もちろん、私もナタリア様にここで会った事は口外致しませんので」
そう言って頭を下げる副院長。
私たちがこっそりここに忍び込んだのもお咎め無しという事か。ウインウインって事か。
それにしても、人騒がせな練習だな。
「娘さんの誕生日いつですの?」
「明後日ですよ」
楽しみが抑えきれないという満面の笑みで副院長が答える。
うーん。ピアノ、それまでに仕上がるかな? 心配だ。
もう少し練習するという副院長を残し、私たちは先に練習室を後にする。
「あーあ。何か思ったよりあっけない結末だったわね」
拍子抜けさえしてしまう結末だよ。
「だから、お止めしたのです」
すっかり立ち直ったアシリカだね。苦手、克服出来たかな?
「ちょっと、アシリカが可愛く思えたわ」
あんなアシリカを見れるのは今後ないかな。それは残念だ。
「お嬢様!」
アシリカが立ち止まる。
「何?」
振り返ると、そこにはアシリカの鬼気迫るような顔。
「今夜の事はすべてお忘れになりますように。よろしいですね!」
怖いよ、アシリカ。
お化けに出会う方がまだマシに違いない。そう思いながら頷く私だった。