12 私のお嬢様 -アシリカー
私はサンバルト公爵家のご令嬢、ナタリア様に仕える侍女である。
何故私が、サンバルト家に仕えようと思ったかは簡単である。
お給金が良かったから――。
それだけである。そして、お給金がいいのにも、もちろん理由があった。
それは、ナタリア様である。
ナタリア様は、私たち平民の耳にも噂が届く程の我儘で有名な方だった。気に入らない侍女や使用人はすぐに、クビ。気に入らない事があると、手を付けられないくらいの癇癪を起す。
そんな噂のある屋敷で働きたいと思う者は当然いなくなる。すると、お給金が自然と上がってくる。それでも、希望者が少ないという話だった。
そんないわくつきの屋敷で働いてまで、お金が必要かというと、魔術学園に通いたいという、小さい頃からの夢を叶える為だった。平民の、しかも女が、と周りに言われても、諦められない夢である。
しかし、小さなパン屋を営むうちの家では、その莫大な入学金や授業料を賄うのは不可能だった。それに、両親に無理を言うのも気が引ける。
そこで、私はちょっとでもお給金のいいサンバルト家へと働きに出たのだ。住み込みなので、衣食住も保証されている待遇はいい職場だった。
少し緊張しながらも働き始めた初日から、大騒ぎだった。
なんでも、噂のナタリア様が、階段から落ちられて意識を失ったというのだ。
新人の私には、関係ないと思っていたが、五日目になんと、そのナタリア様のお世話を任された。
目の前にあの噂のナタリア様がおられる。緊張と恐れが交錯していた。
噂とおりに見た目はとても美しい方だった。だったら、我儘な噂も本当なのだろうと、戦々恐々となる。
「あなた、初めて見る顔ね」
それが、ナタリア様に初めて掛けられた言葉だった。
そのまま、テストされるかの様に質問を投げかけられた。恐怖にも近い感情を抱きながらも、質問に答え、何とか合格点を貰えたようだ。
そして、何故か私をナタリア様は専属侍女へと指名された。
訳が分からない。何故、新人の、しかも平民出の私なんかを?
それからは毎日、ナタリア様と共に過ごす事になった。私は胃が痛くなるのを感じていた。
ところが、意外と我儘な所がない。むしろ、にこやかで、何かして差し上げた後には、お礼まで言われた。
分からない。噂とは、違う様な気がする。だが、油断は出来ない。平民まで聞こえてくる噂だ。常に気を休める事は出来ない。
ところが、そんな私の思いは、そのナタリア様ご本人に打ち砕かれる。
「自分の夢を叶えるのに平民とか、女だとか関係ないわ。そんなくだらない事を言う様な奴は鼻で笑ってやったらいいわ」
思わず語ってしまった私の夢に対してのお言葉。
「夢を実現するのは、とても難しい事よ。でも、決して諦めないで。アシリカならきっと大丈夫よ。私も応援するから」
その時のナタリア様のお言葉と笑顔は、私は生涯忘れる事は無いだろう。
ずっと、どこかで引け目に感じていた夢を、思いを消し去ってくれたのだから。
お嬢様にも夢があるそうだ。何でも叶えられそうなお立場なのに、ご自身の手で叶えたいとおしゃられる。
この方、噂とは違うみたいだ。
王宮から帰ってきた。
ナタリア様が、王太子殿下とご婚約の運びとなるらしい。
喜んでおられるかと思いきや、様子が変だ。そういえば、王宮でも、途中から、少し様子が変わられていた。
「お疲れですか?」
私は心配になり、声を掛ける。
「ええ、ちょっとね」
普段のナタリア様からは考えられない弱々しいお返事に、ますます心配になる。
少しでも、元気が出られるようにと、甘めのハーブティーを差し上げる。
「ありがとう」
そう答えられたナタリア様は笑顔だった。私を心配させまいとして作った笑顔であった。しかし、その大きな青い瞳から、涙が零れ落ちる。
私はなんとも言えない気持ちになる。なんとか、お心を癒してさし上げたい。
気づけば、私はナタリア様の背中を抱きしめていた。
「私は、いつでもお嬢様のお傍にいます。何があっても、お嬢様の味方でございます」
自然と口から出ていた。それは、紛れも無い私の本心だった。
その夜のうちに、私は旦那様に面会を申し出た。何でも、専属侍女には、旦那様や奥様と直接話せる権限を持っているらしく、それを利用させてもらった。
私は旦那様に、ナタリア様のご様子を報告した。不安になられている、と。当然と思う。わずか十二歳で、将来が決まるのだ。しかも、王太子后である。不安にならない訳がない。
旦那様は、わかったと仰せになり、報告の労をねぎらうと共に、ナタリア様の事をよろしく頼むとお願いされた。まさか、公爵様にお願いされるとは思わなかったが、言われずとも、私はナタリア様をお傍で支えるつもりだ。
それ以降も私はナタリア様の侍女として、働いていた。そして、その突飛もない行動に振り回されていた。
噂とは、当てにならない。ナタリア様が我儘という噂は間違いであった。我儘どころか、心根のお優しい方だった。
しかし、私の抱く貴族のご令嬢のイメージとかけ離れてもいた。
侍女である私も一緒に魔術の講義に参加させて頂けた。これは、私にとっては、とても嬉しい事だった。講師も一流だった。ありがたいと感謝しても仕切れない。
ところが、ナタリア様は剣術まで習いたいとおっしゃられたのだ。公爵家の令嬢が剣術? 当然、許される訳もない。しかし、そこは、旦那様もナタリア様には甘い。木刀で素振りは許された。でも、素振りするナタリア様はすごい。まるで、騎士の如く素早い動きである。とても、貴族の令嬢とは思えない動きだった。
その剣術をやりたいというナタリア様が、なんと、王太子殿下と立ち合いをされたのだ。
私は剣の素人ではあるが、お二人の構えを見て、明らかにナタリア様の方が上であるのが分かる。
私は必死で首を振り、ナタリア様に伝える。
本気を出してはいけません、負けてください、と。
流石に、一国の王子、しかも王太子である殿下を倒すわけにはいかない。
しかし、ナタリア様は、あっけなく、王太子殿下を打ちのめされた。まさに、瞬殺というに相応しい結果であった。
私は生まれて初めて、自分の顔が青くなるのが分かった。
幸いにも、王太后様は、喜ばれていたから良かったものの、これは、諫言申し上げねばならない。いくらなんでも、やり過ぎである。
だが、ナタリア様の得意げに王太子殿下を見下ろす顔を見ると、ナタリア様を誇りに思う気持ちになる私もいたのは、秘密である。
それからも、ナタリア様には驚かされ続けていた。
工房街で、ソージュを拾ったり、鉄扇をグスマンさんに作らせたり。とにかく、私の想像をはるかに超える行動ばかりで、気が休まる時が無い。でも、私の毎日は充実していた。ナタリア様に仕える事が楽しかった。
そんな私に両親から手紙が届いた。久々に会った両親から驚く話を聞かされた。
小麦を卸してくれているパドルスさんの息子さんが、私を嫁にしたいと言っているそうだ。もちろん、断ってもらう様に頼む。私には、夢があるし、今はナタリア様の傍にいる事が大切な事である。
すると、パドルスさんが強硬手段に出た。父の店に小麦を卸さないばかりか、あらぬ噂を立てて、父の店を追い込んだのだ。
私は悩んだ。幼い頃から、父の作るパンが好きだった。小さくても、常連さんが来てくれる温かな店が好きだった。その店がこんな理由でなくなるのは、納得出来るはずがない。
だが、私は今の日常を手放したくもなかった。ナタリア様を傍で見ていたい。
私の葛藤は続く。私の態度がナタリア様にまで、ご心配をかけてしまった。
駄目だ。これ以上、ご心配をお掛けする訳にはいかない。これは、私自身の問題だ。ご迷惑を掛ける訳にもいかない。
私は、決意した。一度、パドルスさんと向き合って話してみよう。もし、万が一の時は、ナタリア様の元に帰ってこれないかもしれない。やっぱり、父の店が無くなるのも耐えられないから。
そっと、クローゼットの奥にナタリア様とソージュへの手紙を隠す。もし、帰ってこれたら、処分すればいい。
私は甘い。そして、無力だ。
パドルスさんとの話し合いはまったく、うまくいかない。このままじゃ、父の店が無くなってしまう。それだけは、嫌だ。
ナタリア様、申し訳ございません。勝手にお傍を離れる愚かな私をお許しください。ソージュ、くれぐれも、ナタリア様の事をお願いします。
私が、すべてを諦めた時だった。
「その必要はありませんわ」
凛と響く声。この声は……。私が聞きたかった声。二度と聞けないと思っていた声だ。
そこからは、夢を見ている様だった。何故、ここにナタリア様が?
あっという間に、ナタリア様とソージュが、パドルスさんの奉公人を倒した。
あっけに取られる私の目にパドルスさんの息子がナイフを向けている。
「無礼者っ! お嬢様に何をするっ!」
私の口と体は自然と動いていた。魔術を放っていた。ナイフを持つ、パドルスさんの息子に攻撃を加えていた。
許せない。私の敬愛するナタリア様に危害を加えようとする者は誰であろうと、許す訳にはいかない。
がたがたと怯えるパドルスさんにナタリア様は、罰を与えられた。私の父の事を考えてくださった罰である。そのお気遣いに、心からの感謝が沸き起こる。
「次に、アシリカ」
そうだ。次は私だ。ナタリア様にご心配をお掛けしただけでは済まず、危険な目にも、遭わせてしまったのだ。それに、置手紙一つで、今までの御恩を裏切る様な真似をしたのだ。罰を与えられて当然である。
「まずは、一つ目。今後、何か困った時は相談する事。二つ目。明日からまた、私の専属侍女を務める事。三つ目。今晩は両親に甘える事。以上よ」
ナタリア様が私に下された罰。
あまりにも、私への信頼と慈愛が満ち溢れている。
私は声を上げて泣いた。こんなにも、泣いたのはいつぶりだろうか。
ああ、気持ちは晴れていく。
ナタリア様の笑い声が心地よく私の耳に届いていた。
そして、今。誕生日パーティーの終わった後の事である。
お部屋で、私とソージュにまで、プレゼントを下された。とても、嬉しい。
そんな中、ナタリア様が仰られる。
「話があります」
ナタリア様にしては珍しく、真剣なお顔をされている。とても、大切な話をされるとい気持ちが伝わってきた。
私とソージュを呼ばれて、向かい合う。
「アシリカには話したでしょ。私に叶えたい夢があるって」
もちろん覚えている。ナタリア様のお言葉を忘れるわけがない。
「その為には、二人の力も必要なの」
前は伺わなかったが、ナタリア様の夢とは、どういうものなのだろう。単純に、とても興味がある。
「今更、その様にわざわざ言われなくとも、私たちは、お嬢様のお力になります」
「私も」
私もソージュもナタリア様の夢の為なら、苦労を厭わない。敢えて、わざわざ口に出す事でもないくらいに、当然の如く考えている。
「私の叶えたい夢。それは、権力や暴力に怯え、理不尽に虐げられている人たちを一人でも多く救いたいの」
やはり、ナタリア様は普通でない。
「私は権力を振りかざし、横暴を尽くし、人々を苦しめる輩をこの手で成敗する」
そして、私の想像も及ばない事を考えておられる。
「お嬢様が、何を言われようと、なされようと共におります。そして、全力でお守り致します」
「私も、アシリカと同じ、デス」
そんなナタリア様に毒された侍女が二人。
一組くらい、そんな令嬢と侍女がいても、いいだろう。
「お嬢様の事です。私が反対しても、諦めないでしょう?」
敢えて私は、ちょっと、意地悪な質問をしてみる。
「それはどうかな?」
茶目っ気たっぷりの笑顔を返されるナタリア様。
この笑顔には、逆らえないなぁとため息が出てしまう。私は毒されるどころか、すっかりこの方に染まってしまっている。
認めよう。私はナタリア様に振り回されているのではない。自ら、その輪に入っているのだ。自分の意思で選んだのだ。
私には、夢がある。実は、ナタリア様には言っていない。
魔術学園に通って、魔術士になるのは、もういい。それより、もっと、やりたい事を見つけたから。
私の夢。
それは、ナタリア様の夢を共に叶える事。それが、私の新たな夢だ。
ですから、お嬢様。何があっても、お傍にいます。




