119 小悪党以下の存在
まったく手がかりのなかったエネル先生に関しての初めての情報。彼らの話す先生がエネル先生の事を指しているかは分からないし、そもそも噂の域を出ないような情報である。
それでも、小さくだが一歩前進した気がする。
「お嬢様、どうこに行かれるので?」
アシリカが尋ねてくる。
「何か心当たりでもあるのか?」
続けてレオも私を横から覗き込む。
「ええ、少し」
立ち止まり、腕を組む。
エネル先生の失踪が、何らかの事情で試験問題の漏洩を知った事が理由ならその問題を売りさばいていた者たちが怪しい。
試験問題を買い取ると言っていた彼らの話によると、売っているのは下級貴族の次男坊や三男坊らだと言っていた。その口ぶりからは、一人や二人ではないだろう。
そして、私は昨日下級貴族の三男坊に出会っている。
オーランドだ。
彼が試験問題を売りさばいているとは考えにくいが、何か知っているかもしれない。少なくとも、自分と同じような立場の人間にも詳しいはずだ。
「お嬢サマ、昨日の人、探すデスカ?」
一緒にいて、オーランドに会っているソージュが一早く私の意図に気付いたようだ。だが、あの時のオーランドの印象が悪かったのか、顔を顰めている。
「ほら、探すわよ」
私以外では、唯一顔を知っているソージュをせっつく。
歩きながらアシリカとレオにも昨日あった事を簡単に説明する。
「ならば、魔術の訓練場に行ってみては?」
ソージュと同じく不快感を覚えたようなアシリカだが、私の目的を察してくれたようだ。
「訓練場ってどこ?」
そう尋ねる私にレオがため息を返してくる。
しょうがないじゃないのよ。私みたいなエコな魔術専門の私に訓練場なんて必要ないのだからさ。
「こっちだ」
レオの案内で魔術の訓練場を目指す。
立ち並ぶ校舎から少し離れた場所に訓練場はあった。周囲を高く分厚い壁で覆われている。中で派手に魔術を放っても問題ないようにしてあるのか。
今も中から爆音が聞こえてくる。
「誰かいますね。しかも、かなり強い魔力を感じます」
自らも魔術を操るアシリカは興味を引かれているようだ。
「入るぞ」
何度もここで訓練をしているというレオに続いて中へと進む。
訓練場の中に入ると、大きな火球が壁に向かって打ち込まれている。かなりデカい。アシリカのそれに匹敵する大きさだ。
「……見学か?」
火球を放ち、その行方を見据えていた男。オーランドだ。
「お前、名前は?」
レオの声にオーランドが振り返る。
私とレオが立っているのに一瞬だが、目を大きく見開く。
「なかなかの腕だな。見事だ」
「王太子……殿下とナタリア嬢?」
昨日の事があったからか、私とソージュを見て少し気まずそうな顔になる。しかし、それも一瞬ですぐに鋭く人を拒む目になる。
「訓練場を使われるのですか? ならば、俺は……」
側に置いてあったタオルを取ると、オーランドはその場を立ち去ろうとする。
「その必要はない。放課後の訓練場は予約順だ。今はお前が予約してある時間なのだろう」
片付けに入ろうとするオーランドをレオが制する。
そんなレオに意外そうな顔となるオーランドである。
「それに、私たちは人を探していますの」
レオの前にずいと出る。
「人を探している?」
片付けの手を止めてオーランドが首を傾げる。
「見つかりましたけどね」
にっこり微笑む私に怪訝そうに睨み返すオーランドだった。
「違うな。俺じゃない」
結果、試験問題を売り歩いているのは、やはりオーランドではなかった。人と関わりあいを持ちたがらない彼からしたら、当然でもあるけどね。
「そう」
あまりにあっさりオーランドの言葉を信じる私にアシリカやレオは不思議そうにしている。特に悪い感情を彼に持っているソージュは、不思議を通り越して不機嫌そうだ。
「俺は随分、そちらの侍女に嫌われているようだな」
そんなソージュに気付いたオーランドである。負けじと睨み返している。
……なんか子供同士の喧嘩みたい。そう言えば、悪ぶっている割に子供っぽい所があるヤツだったな、オーランドってさ。
「はあ。しゃあねえ。昨日の詫びじゃねえが、いい事教えてやる」
大きくため息を吐き、オーランドは首を小さく振る。本来ならば、関わり合いを持ちたくないという態度がありありと見受けられる。
「試験問題を売りさばいているのは、ドバイアってのとベンバル、それにザッカスって奴らだ。家名なんか忘れちまったけどな」
ソージュを見たまま、オーランドが告げる。
「何故、それを?」
どうしてそんな事をオーランドが知っているのかしら。
「俺も誘われたからだ。うまい金儲けがあるってな。でも、断ったよ。群れるのが嫌いだからな」
なんとも彼らしい断る理由であると思う。
どうやって試験問題を入手しているか尋ねたものの、そこまでは知らないとオーランドは首を横に振る。
「だがよ、俺と一緒のクラスだ。全員高位魔術クラスの生徒だぜ」
高位魔術クラス! スティードの担当するクラスじゃないか! じゃあ、試験内容を漏らしているのも、スティードか。
考えられないことじゃない。後輩の教師から小銭を巻き上げようとするヤツだ。他にも姑息な手段を使い、お金を集めている可能性を否定できない。
「なあ、もういいか? それ以上は俺は何も知らないからな」
そう言いながら、オーランドが少し小さ目にの火球を壁に向かって放つ。これ以上話が無いのなら、どこかに行ってくれと言わんばかりである。
「さっきも見たが、なかなかの魔術の腕だな。たいしたものだ。どうだ、今度一緒に訓練しないか?」
感心したように何度も頷くレオである。
さっさと行くよ。少し空気読んであげなさいよ。それにのんびりもしていられない。
「せっかくのお言葉ですが、どうも人と訓練するのは苦手でして……」
他の人なら飛び上がって喜びそうなレオからの誘いをあっさりと断わる。
「そうか」
レオの方もそんなオーランドを特に気にはしていないようだ。
「でも、あれだけの魔術を放って訓練場の外に影響はありませんの?」
オーランドの放つ火球を見て感じた事だ。いくらあの分厚く高い壁でもいつか崩れてします気がする。もし、そうならこの近くを歩くの気をつけないと。
「そんな心配はない。訓練場の周囲には結界が張ってあるからな」
レオが苦笑する。
「結界?」
「ナタリア嬢は結界を知らんのか?」
小馬鹿にしたような顔でオーランドが私を見る。
「リアは、魔術に興味がないからな」
レオも私を馬鹿にしているのか?
いや、興味がないじゃなくて、使えないだけだから。
「まあ、結界は珍しいからな。結界を張れる人間なんてごくわずかだ。学院の教師でも、三人しかいない」
魔術の攻撃を低減させるなどの防御的なものから、人が入れば警報が鳴るようなものなど種類があるらしい。もっとも、その効果も三日ほどで消えてしまうそうで、もう一度張り直す必要があるらしい。
オーランドが説明してくれる。
「まあ、使える人間が少なすぎてほとんど活用されていないけどな」
そうなんだ。便利そうだけど、そうでもないのか。
「この結界もスティード先生が張っている。あの人は結界が専門だからな。それに、あの人くらいだぞ。他人から見えないようにする結界を張れるなんてな」
見えなく出来る結界?
「それって、隠したいものをその結界の中にいれておけば、他人に見られないって事が出来るの? 例えば、人とか……」
眉間に皺が寄る。
もしそんな事が可能ならいくら探しても見つからない。例え、デドルでも……。
「まあ、可能だろうな」
急に声色の変わった私にオーランドが首を傾げながらも頷く。
「……行くわよ」
何となく分かってきた。
あくまで仮説だが、あの日スティードにの所に行ったエネル先生が何かの拍子で試験内容の漏洩を知った。そのエネル先生を他から見えない結界で隠し、閉じ込めている。あるいは……。
「エネル先生……」
最悪の事態が頭の中ではっきりとイメージとして浮かぶ。
怖い顔つきとなった私を訝し気に見ているオーランドに背を向け歩き出す私は、自然と早足になっていた。
教員の控室や研究室が入る建物だけでも、かなりの大きさがある。
時刻はすでに夕暮れ。教師の大半はもういないようで、閑散としている。
「リア、何をするつもりだ?」
雰囲気が一変した私に不安そうな表情を浮かべてレオが尋ねてくる。
「リア?」
立ち止まり、レオの顔を見つめる。
「……今は、お嬢様と呼びなさい。ハチ」
「ま、まさかお前、また……。ここは学院の中だぞ。本気か?」
「お嬢様、これを」
口をパクパクさせているレオの後ろからアシリカが鉄扇を差し出してくる。その彼女の顔も真剣である。
「ええ。ありがとう」
鉄扇を受け取る。
そんな私たちを目を丸くしてレオが見つめている。
「ハチ、付いてこないなら別に構わないわよ。自分で決めなさい。世直しに場所も時間も関係ないわよ」
くるりとレオに背を向け、歩き出す私。
「ああ、もう! 行く……きます。お嬢様っ!」
首を大きく振った後、レオが慌てて後を追ってくる。
アシリカの案内で、スティードの研究室へと向かう。
「失礼しますわ」
軽くノックした後、扉を開く。
中には、この前見たスティードと三人の男子生徒の姿がある。
「ナ、ナタリア様? それに殿下?」
部屋に入ってきた私たちにスティードも三人の男子生徒も驚愕の顔となっている。
「その方たちは?」
男子三人に視線を向ける。服を着崩しており、真面目そうな生徒には見えない。
「あ、彼らは私のクラス生徒です。右から――」
「ドバイア、ベンバルですわね。それと……」
「ザッカスです。お嬢様」
アシリカが付け加える。
「そうそう。そんな名前だったかしらね」
部屋の中をゆっくりと歩きまわる私たちを訳が分からず呆然と眺めるスティードたちである。
どうやらこの三人で当たりのようね。
「あ、あの……何か御用で? 算術の事でしたら、専門の先生に……」
ようやくやっといった様子でスティードが口を開く。
「ええ。でもその算術を教えてくださる先生が見当たりませんの。ご存じありませんか、エネル先生を?」
エネル先生の名が出た途端、スティードの顔色がさっと青くなる。それは、他の三人も同様だった。
これくらいの突っ込みで顔色が変わるなんて、本当に小物揃いね。
「ここにいるのかしら……」
研究室の中を見渡す。
机の上に乱雑に紙が置かれている。ありとあらゆる教科の問題だ。一枚手にとってさっと目を通す。これ、試験の問題よね。
紙を机に戻し、もう一度スティードたちを見る。
「そ、それはですね……」
何とか言い繕うとしているようだが、それは無理だよ。この上ない見事な証拠が揃っているからね。
「あちらから小さな魔力が……」
アシリカが部屋の隅、本棚の前を指さす。
「そう」
私はアシリカの指差した場所へと行くと鉄扇を取り出す。
「気合いと自信よ!」
そう叫ぶと、鉄扇を横薙ぎに払う。何かに当たったような感触が手に伝わってくる。
すると、何も見えずに向こう側に見えていた本棚がぐにゃりと歪む。
「もう一回!」
さらに鉄扇でその歪みを打ち付ける。
歪みがバラバラに砕け散ったかと思うと、横たわるエネル先生の姿が見えてきた。
「エネル先生!」
アシリカとソージュが駆け寄る。
「大丈夫です。衰弱していますが、息はあります!」
アシリカの言葉にほっとする。それと同時に怒りがこみ上げてくる。
「さて、説明してもらいましょうか? いえ、その必要もないかしら」
その怒りを青い顔のスティードたちに向ける。
「試験問題を売りさばくなど教師として失格ですわ。しかも、それを知った者をこのような目に遭わせるなんて、人としても最低ですわね」
鉄扇をスティードに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をスティードに送る。
「お仕置きしてあげなさい!」
「はいっ!」
「ハイ!」
「え?」
最後のは、レオである。
事は一瞬であった。ソージュの一撃で、四人ともあえなく倒れ込んでしまった。
アシリカはもちろん、私の出番もなく、あっさりと片付いた。過去最短記録かもしれない。素っ頓狂な返事だけのレオには段取りを把握しておいてもらわないとダメだね。ま、初めてだから大目に見といてやるか。
それよりも、エネル先生だ。
「先生!」
私もぐったりとしているエネル先生の元に駆け寄る。
「んんっ」
エネル先生がうめき声と同時にうっすらと目を開ける。
「もう大丈夫よ。しっかりして」
アシリカが水をコップに入れて持ってきてくれた。それをエネル先生の口元に添え、ゆっくりと口に含ませていく。
「あ、あれ? お嬢様? それに皆さん……」
少し落ち着いたのか、弱々しい声を出しながら辺りをきょろきょろと見回す。
「僕は、何を……?」
記憶が混乱しているのだろうか。
「今はゆっくりしてて。そうだ。カレンさんも先生を待っているわよ」
「カレンさんが僕を?」
カレンさんの名前が出てきた途端、目が輝き出すエネル先生に苦笑する私たちだった。
その翌日、学院はちょっとした騒ぎだった。
試験問題の漏洩とそれを主導していたのが、教務主任のスティード。しかも、それを知った教師を監禁する。そりゃ、騒ぎになる。
あの後、レオに頼んでエネル先生を副院長の元に連れていってもらい、すべてを説明してもらった。
呼び出されていたエネル先生は、偶然スティードとあの三人が試験問題を売りさばく相談をしていた現場に鉢合わせた。そして、そのまま監禁。だが、何とか自力で逃げ出し、たまたま散歩中のレオと偶然出会い助けられる。
それが、表向きの説明である。もちろん、スティードたちにも説得済みである。
不祥事の方の衝撃が大きく、更に王太子であるレオを相手にして深く追求されなかったらしい。
「ま、無事解決したのはよかったわ。エネル先生の体調もいいみたいだしさ」
「はい。おかげさまで」
にこやかに返事するエネル先生。
実は、エネル先生自身は試験問題の事をよく分かっていなかったらしい。その場を見られたスティードたちが勝手にバレたと思い込んでいただけのようだ。
意識のはっきりしてきたエネル先生の言葉に呆然としていたな。彼らも、エネル先生をどうしていいか持て余して悩んでみたいだしね。でも、スティードたちが小物で良かったよ。相手がもっと容赦の無い悪人だったなら、間違いなく命を奪われているからね。
「スティードは解雇。あの三人の生徒も退学。それだけで済んだのだからまだマシよね」
それが昨夜のうちに決定した処分である。早く問題を片付けたかったのか、学院の決定は早かった。
「エネル先生を苦しめたのに、軽くはありませんか?」
アシリカとソージュは不満顔である。
私も少々軽いと思うけど、罪の大きさを考えれば仕方ない部分もあるかな。まぁ実際、コウド学院を追放された彼らに未来は無いと思うけどね。
「さ、お嬢様。遅れた分の勉強ですよ」
「そう? 休まなくてもいいの?」
翌日から、特別講習を再開するなんて大丈夫? いや、さぼりたい訳じゃないのよ、決してさ。
「そうだぞ、リア。遅れた分、厳しくするからな」
世直しの間、ハチ呼ばわりされていた鬱憤をここで晴らすつもりか。
「そういえばレオ様はあの時何してましたの?」
言外に何も活躍してなかっただろ、と匂わせる。
「ん? ああ。うっかりするように言われていたからな。うっかりとは、何をすべきか考えていたら、終わっていたな」
真剣な表情でレオが答えている。
「え?」
レオも変な所で生真面目ね。
でも、そこに天性のうっかりの素質があるような気がしてならない私だった。