118 噂話
カレンさんの涙に決意を新たにしていた私は馬車に揺られて、自分の寮へと帰っていた。
馬車の御者台にはデドル。そして、私の前にソージュが腰掛けている。アシリカはシルビアの所に残ってもらっている。カレンさんがあんな状態であるし、シルビアも大変だろうからね。困った時はお互い様だよ。
「それにしても、エネル先生はどこに……」
デドルがあれだけ探しても見つからないのだ。
きっと、エネル先生は誰かによって、その自由を奪われているに違いない。そして、一番怪しいのはいなくなった直前にあっていたと思われるスティードだ。
証拠はない。状況的に怪しいというだけだけどさ。
「もう少しスティードに関する情報を集めやすかい?」
御者台からデドルである。エネル先生の捜索続きで、スティードの事を特に調べていないらしい。
「いらないわよ、別に」
エネル先生にクビをちらつかせて、暗に金を要求するような奴だ。後輩の教師から姑息に小銭を巻き上げようとするだけの小物でしかない。それ以外は普通の教師だろう。特に変な噂もないみたいだし。
会話した事どころか見た事もないけど、大した玉でないはずだ。
でも、そんな人物が人を監禁するような真似をするのかしら。それに、そもそもそんな事をする理由は? コウド学院の教師になるくらいだから、それなりに優秀な人物なのだろうけど、そんな危険な橋を渡る必要もない気がする。
やはり一度、この目でちゃんと見た方がいいわね。その辺を見極めたい。
怪しいは怪しいが、確信も持てきれない。
「これだけ探しても見つかりマセン。もしかして、エネル先生……」
不安げにソージュが私を見る。今にも泣き出しそうな顔だ。何だかんだ言っても私も、アシリカやソージュも彼には世話になったものな。
「ソージュ、変な事を考えるのはやめな」
御者台からデドルの声。
「ならば、あっしはしばらく学院の外を中心に探してみやす」
空気を変えるように、のんびりとデドルが告げる。
「ええ、お願い」
そう答えて、ソージュを見る。
ソージュの気持ちも分からないでもない。私だって、昨日辺りから万が一の状況が頭の片隅によぎる事がある。でも、その度にそれ以上は考えないようにしてきていた。
「心配ないわよ、ソージュ。あのエネル先生よ。そのうち、何食わぬ顔でひょっこり見つかるわよ」
私自身にもいい聞かせるように、ソージュの頭を撫でる。
「そう……、デスネ。お嬢サマ、変なコト言って、ごめんなさい」
不安な表情のままだが、ソージュが頷く。
「大丈夫よ」
もう一度、そう言ってソージュに微笑む。
だが、私の心の中でも不安が急速に膨らんでくる。
「寮に帰るのは止めるわ」
御者台に声を掛ける。
「このまま、エネル先生を探しにいくわ」
自分の中で大きくなってきた不安を振り払うように、言葉に力を籠めた。
しばらく学院の中を周ってみるが、エネル先生の姿は無い。
無理もない。デドルがあれだけ探しても見つからなかったのだ。学院の中には、いないのかもしれない。
そうなっては、どうやって探せばいいのかも分からない。途方にくれながらも車窓から目を凝らす。
「おや。お嬢様。スティードがおりやす」
学院をほぼ一周回った頃だった。校舎が立ち並ぶエリアである。
「どこ?」
馬車を止めたデドルに尋ねる。
指差された方向を見ると、一人の男が見える。年は四十代後半くらいだろか。黒に近い紺色のスーツを着ている。
「一度、話してみるわ」
私は馬車から勢いよく飛び降りる。ソージュも慣れたもので、私の突然の行動にも迷わず付いてくる。
さも偶然を装って、スティードの前へと向かう。
前方からやってくる私に気付いたスティードは、頭を下げる。
この分だと、どうやら私の事は知っているみたいだ。
「ごきげんよう」
私の方から挨拶の言葉を口にする。
「こ、これはナタリア様」
まさかこちらから挨拶されるとは思っていなかったのか、下げた頭を一度上げ、他の誰かに私が挨拶したのかと確認するように周囲を見回している。
丸い眼鏡をかけて、どちらかといえば気弱な印象を受ける。エネル先生を監禁しそうには見えない。それどころか、後輩から金をせしめるようにも見えない。
「ちょうどいい所で出会えましたわ」
しかし、人は見かけによらない。アトラス領で、レイラにすっかり騙されたからね。少し話をしてみよう。
「わ、私にですか?」
スティードは驚いている。
無理もないかな。今まで何の接点も無かったのだからね。
「ええ。ちょっと、授業で分からない所がありましたの」
少し考えていた事だ。生徒からの質問なら無碍にもできまい。
「質問?」
「ええ。算術の問題なのですが……」
少し前にエネル先生の特別講義で出てきた問題を説明する。その説明をじっと聞いていたスティードが、困惑の表情となる。
「あの、ナタリア様……」
どうしたのかしら? まさか、分からないわけないよね。
「私の専門は魔術ですが……」
言いにくそうに、スティードが目を伏せる。
え? 魔術専門?
「えっと……、魔術?」
しまった。私は魔術の講義を取ってないから知らなかったけど、スティードは魔術の教師だったのか。
「申し訳ありません。その問題分からない事はありませんが、やはり専門の教師にお尋ねされる方がよろしいかと」
うん。それについては、スティードが正しいと思う。
それより、これ以上会話を広げられそうにないよ。
「よっ。先生よ。何してんだ、こんな所で? まさか、女生徒と待ち合わせか?」
気まずい空気に包まれる私たちに声が掛けられる。
「オ、オーランド様……」
スティードが声を掛けてきた男性に頭を軽く下げる。
制服を身に纏っているが、少し気崩した着かたをしている。そして、その目はどこか鋭い。
この人……。
「ん? この令嬢は……、まさかサンバルト公爵家の……」
「あ、はい。ナタリア様ですよ。ナタリア様、こちらの方は、オーランド様。ラドム男爵家のご子息にございます」
うん、知ってる。だって、攻略対象者だもの。
確か、ラドム男爵家の次男……、いや、三男だったか。膨大な魔力を持ち、飛び抜けた魔術の才能を持っていたはずだ。ただ、その才能のせいで上の兄たちから妬まれ、幼い頃から虐げられたのだ。
二人の兄から虐待とも言える扱いを受け、それを咎めない両親。さらには、才能を嫉妬する周囲の貴族からの謂れのない冷遇。幼い頃からそんな暮らしをしていた彼は大きくなるにつれ、生活が荒れるのだ。
だが、それは己を守る為。反発し、高圧的な態度を取る事で、周囲からの妬みによる攻撃から自分自身を守ろうとしているのだ。それと同時に、貴族の家に生まれながらも、貴族社会を憎むようになった。
自分以外のすべてと一線を引き、孤高に生きる人物だ。
「ナタリア嬢。オーランド・ラドムだ。同級生になるのだがな。俺の存在すら知らねえと思うけどよ」
他の生徒のように、妙に畏まる素振りはない。むしろ突っかかってくるような雰囲気である。
いや、あなたの存在知ってるよ、前世から。いろいろあって、すっかり忘れてはいたけど。
「はじめまして。ナタリア・サンバルトにございます」
動揺をしていないといえば、嘘になる。レオはともかくとして、ケイスとライドンには慣れたが、新しい攻略対象者に出会うとやはり複雑な思いになる。
何とか礼に則った挨拶を交わす。
「スティード先生の逢引き相手が殿下の婚約者とはな。驚いたな」
冗談とも本気とも取れない笑みを浮かべるオーランドである。
「オ、オーランド様!」
慌ててスティードが叫ぶ。
「無礼デス! その発言、お嬢サマへの侮辱。許せマセン!」
ソージュが怒りに満ちている。
そうよ! 私がこんな小悪党以下のセコイだけの奴と逢引きなんかするわけないでしょ。
「冗談だ。サンバルト家の侍女は怒りっぽいのだな」
怒りのソージュに怯む様子もなく笑う。だが、その目は鋭いままだ。とても笑顔に合う目ではない。
「お嬢サマに謝罪を」
そのオーランドの態度が癪に障るのか、珍しくソージュが引き下がらない。
「……何?」
オーランドの顔にあった笑みが消え、突き刺すような目だけが残る。
「冗談ではすまない事、アリマス」
そんなオーランドにソージュも負けていない。同じく眉間に皺を寄せ、視線を外そうとしない。
「侍女が俺に指示するのか? たかが男爵家の三男坊では、サンバルト公爵家の侍女の方が格上とでも?」
「誤りを指摘し謝罪を求めるのに、身分など関係ありマセン」
睨み合う二人に緊張が走る。
スティードはそんな二人をおろおろとして見ている。
「……先生よお。聞きたい事があったんだが、今日はいいや。下のモンは大人しく引き下がるさ」
ソージュから目を離したオーランドはそう言うと、くるりと体を返し歩き始める。
「待ちな――」
「いいわ、ソージュ」
さらに食い下がろうとするソージュを止める。そんな私に不満顔を向けてくる。
「オーランド様」
私はソージュに首を横に振った後、オーランドの背中へと声を掛ける。
「ご自分でご自分を貶めたような事をおっしゃられるままでは、いつまで経ってもたかが三男坊のままですわよ」
こいつは、周囲と一線を引いているのではない。自分を卑下し、殻に閉じこもっているだけだ。一言で言えば、卑屈なだけだ。
私の言葉にオーランドが立ち止まる。だが、こちらへ振り返ろうとはしない。
「確かにうちの侍女より格下ですわね。そんなお考えでは」
口元に手を当ててクスリと笑う私は堂々とした悪役令嬢ぶりだが、内心はドキドキである。
思わず喧嘩を売るような言い方をしてしまっているよ。攻略対象者には本来なら関わらないのが一番だが、関わるどころか敵に回すような事をしてしまっている。
しばらく立ち止まっていたオーランドは、こちらを振り返る事なく再び歩き始めた。
「も、申し訳ございません。ご不快にさせてしまいました」
汗を拭きながら、おどおどしたままのスティードが盛んに謝罪してくる。
オーランドの登場で、すっかりこいつの存在を忘れていたな。
「彼は私の受け持つ高位魔術クラスの生徒でして……。いや、成績は優秀なのですが、どうも生活態度の方が……」
高位魔術クラスか。私には縁の無い世界だね。だから、スティードの存在も担当教科も知らなくても仕方なかったよね?
「では、算術の件は専門の先生へ。私も失礼致します」
頭を下げると、スティードも足早に去っていった。
「結局、分からないわね」
余計な邪魔も入ったし。
「そうデスネ」
いまだ怒りが覚めていないのか、むすっとしたままのソージュだ。
「ソージュ。そんな顔のままじゃ、可愛いのにもったいないわよ」
そう言いながら、頭を撫でられるソージュは照れてそっぽを向いている。
「それにしても……」
エネル先生の事は何一つ手がかりがない事に焦りを覚えつつある私だった。
翌日も授業が終えると、すぐにエネル先生を探す為に早々と寮に帰ろうとしていた。時間の経過と共に不安が増してくる。それに、学院の方も問題だ。なにせ、エネル先生は無断欠勤。問題ないわけない。一応、表向きは急病扱いの休暇中という事になっているが、このままじゃ本当にクビになってしまう。
一刻も早く見つけ出さないと、と気合を入れる。
ソージュと今日は私と一緒にいるアシリカを連れて歩くそんな私をレオが呼び止めた。
「まだ見つからんのか?」
特別講義で一緒になった事もあり、レオもエネル先生がいなくなったことを気にしていた。
「はい。まだ……」
学院はおろか、王都中を探している。今日からは、デドルだけでなくトルスにも手紙を出して頼み、探しているがまったく見つからない。
「そうか……」
レオは明らかに落胆の色となる。
「よし! 今日は俺も時間がある。一緒に探そう」
おお、それは助かる。人手は多い方がいいかもね。
「ありがとうございます」
とはいえ、これ以上どこを探していいのかも分からない。私が探せるのは、あくまで学院の中。しかし、隅から隅まで探したと言っても過言ではない。
礼を言う私の言葉も力が無い。
「どうだ? いつもは馬車で探しているのだろう? 今日は徒歩で探してみないか?」
そうね。それはいい考えかもしれない。いつもと違う視線で見るのも大事よね。デドルもいない事だし、そうしよう。
レオの提案を採用し、歩きながらの捜索である。まずは、入学式後のパーティーで使われたホールの方へと向かう。普段あそこは、人があまり近づかないからね。
いつもは馬車での移動だから気にならないが、こうして歩いてみると学院の広さが改めて実感できるな。ホールに辿り着く頃には、ちょっと息が上がってしまったよ。
でも、ゆっくり休む時間も勿体ない。すぐにホールの裏にある庭園を探す。ここも一度は探した場所だが、もう一度何か手がかりがないか探してみる。
きょろきょろと周りを見渡している私の耳に声が聞こえてくる。
「なあ、もうすぐ試験だろ?」
「ああ、そんな時期だな。まったく、毎回憂鬱になるな」
他愛もない、試験前によく耳にする会話である。
こんな所で他の生徒に会いたくもないので、草陰に身を隠して覗き込んでみると三人の男子生徒が椅子に腰かけている。
「今回も買うつもりか?」
「ん? ああ、そのつもりだよ。でないと成績を維持できないじゃないか」
買う? 何の話?
「それもそうだな。けっこうな出費だが、仕方ないよな」
「まったく。でも、あいつらもうまい商売を考えたもんだよ。試験の問題を事前に売りさばくなんてよ」
何ですって! 試験内容が売っている?
「私も欲しい……」
思わず出てきた本音に横からアシリカが私を睨む。その後ろでソージュとレオが呆れ顔になっている。
「本当だな。ま、いいじゃないのか。下位の貴族の次男や三男らだ。先が知れてるよ。おいしい思いを出来るのも今だけだよ」
私の本音ダダ洩れの小声は聞こえていなかったみたいで、彼らの会話は続く。
「でもさ、あの問題、どうやって手に入れているのだろうな?」
「さあな。何かしら危ない橋でも渡っているんじゃないのか? ま、俺らは関係ないさ。万が一があっても捕まえるのは奴らだけだろうし」
「その事だけどさ、変な噂を聞いたよ」
そんな会話に加わらなかったもう一人の生徒だ。
「噂?」
「ああ。何でも試験問題の流出を知った先生の一人が姿を消したって、噂だ」
先生の一人が姿を消した? まさか、エネル先生のこと?
「マジかよ」
「それ、ヤバいんじゃないのか?」
先に話していた二人は、信じられないという声である。
「本当の所はよく分からないけどね。でも、買う側にしたら関係ないかな。どうせ今回も買うんだろう?」
どうやら、三人は噂より自分たちの成績の方が優先のようだ。
私は、アシリカたちに目で合図して、その場をそっと離れる。
「聞いた?」
ホールから少し離れてから、誰にともなく尋ねる。
「ああ」
レオが頷く。
「本当なのでしょうか……」
アシリカが不安そうに私を見る。
「分からない。でも……」
調べる価値はありそうだ。
すでにエネル先生が行方不明となってから一週間近く経つ。もし監禁されているなら、体調も心配だ。ちゃんと食べさせてもらえているだろうか。
「とにかく……」
私は立ち止まると、ホールを振り返る。
「エネル先生を助け出さないと」
ぎゅっと拳を握りしめて呟いた。