115 畔の二人
池の水面は太陽の光を受け、キラキラと輝いている。
ここ数日で上がってきた気温のせいか、池の畔に咲く花の周囲を蝶が飛んでいる。
今年になって初めて見る蝶だ。あれは、何という種類なのだろうか。
そんな心が癒されるような光景が目の前に広がっているにも関わらず、私はどうも落ち着かない。
ここは、いつもの訓練に使われている池の畔。
フレーデルらを成敗した翌日、話があるとレオに呼び出されていた。しかも、二人っきりである。お互いの侍女も従者も離れた場所で待っていた。
地面に腰を下ろし、池に向かって二人並んでいる。
「すまなかった……」
隣のレオがじっと水面を見ながら謝罪の言葉を口にする。
「フォルクの事で、ついかっとなってしまった。声を荒げたうえ、手を振り払うなどいかなる理由があれ女性に取る振舞いではなかった」
ギブズの邸宅の向かう前の出来事だ。
「いえ、あれは私も言い過ぎました。申し訳ございませんでした」
謝罪の言葉を口にしたレオに驚きつつ、私も謝る。
「そんな事はない。俺が悪かったのだ」
静かにレオが話す。こんなにもしおらしいレオは初めてだ。調子が狂ってしまう。
「今から話すのは、俺の心に奥底にあったものだ。誰にも話した事がない。いや、自分ですら気づいていなかった」
穏やかだが、強い意志がが伝わってくる口ぶりである。
「リアの言う通りだったのだ。心の底ではフォルクを助けてやるべきだと思っていたが、臆病な俺がそれをさせなかったのだ」
「臆病?」
謝罪よりもさらに意外な言葉が出てきた。負けん気の強い、レオが臆病?
「そうだ。優秀でなければ、王太子でなければ、周囲の期待を集めていなければ、誰からも見向きもされないと怯えている……」
池を眺めている私には、隣に座るレオの表情は見えない。
「しかも、自分の立場を守る為になら従者すら切り捨てようとする臆病で卑しい男なのだ」
苦々し気な、自嘲に満ちたレオの言葉だ。
「自分でも情けなくなってくる」
目線に片隅に見えるレオの拳がぎゅっと握りしめられているのが見える。
「ならば、今からお強くなられませ。決して遅くありませんわ」
私だって、ここまで頑張れたのだから。レオだって出来ると思うよ。
「……強く? なれるだろうか……」
普段のレオからは信じられないほどの気弱さを感じる。
「なれますわ。だって、あなた様は、王太子である前に、誰が何と言おうとレオナルド・エルフラン様です。私の知っているレオナルド・エルフラン様は負けても負けても立ち上がる諦める事のない方のはずですから」
そこは認めている。何度私に負けても諦めずにしつこいくらいに向かってくるのだからね。
話し始めてから、初めてレオの方に顔を向ける。
「リア……」
レオが目を細めてこちらを見る。
「お前は強いな。とても敵わない」
私の方を向くレオは今までに見た事のないほどの穏やかな顔だ。
「なあ、リア。あのだな、俺はもう一つ気付いた……。俺は……、いや……」
言いかけた言葉を止める。そして、首を横に振る。
「レオ様?」
何を言いかけたのだろうか。
「良かった……」
首を傾げる私にレオが笑みを浮かべる。
「また、レオと呼んでくれた」
そう言えば、殿下って呼んでからレオの事ちゃんと呼んで無かったな。ハチって呼んだけど。
でも、そんな嬉しそうな顔して、変なレオだ。どんな呼ばれ方かを気にするタイプなのかな。どうでもいいと思うけどさ。
でも、さすが攻略対象者。破壊力あるね。私じゃなかったらこの笑顔、絶対に勘違いするよ。私でもこのまま見ていたら、照れてきそうだ。
さっと、目を逸らし再び池へと視線を戻す。
何を言えばいいのか思い浮かばず、思わず黙り込んでしまう。
レオも何も言わないまま、二人は沈黙に包まれる。
そんな中、一匹の蝶が私の膝の上に止まる。黄色い羽を持つ綺麗な蝶だ。
「ふふ。この蝶に気に入られましたわ」
一向に飛び上がる気配もなく、まるで私の膝を花と勘違いしてかのようだ。
「物好きな蝶もいたものだ」
何ですって! この蝶の方がよっぽど見る目があるんじゃないの。私の魅力に引き寄せらるのだからさ。
「それより、フォルクの事だが」
鋭くなった私の目に気付いたのか、慌ててレオが話題を変えるように口を開く。
フォルクか。彼はどうなるのだろう? 無実は証明されるに違いない。でも、それとレオの従者への復帰は別問題だ。それくらいは私にも分かる。
「ヤツは何の罪も犯していない。だが、王太子の従者としては、軽率だった」
彼に軽率な部分があったのは事実だ。それは私でも庇いようがない。
ちなみに、罪を犯したフレーデルとギブズがデドルが呼んできたリックスさんによって捕らえられている。騎士団の誇りと正義に傷を付けたとフレーデルに怒り心頭のリックスさんだった。王宮にいたガイザーも昨夜のうちに身柄を拘束されたようだ。
「だが、俺はフォルクを従者としたい。父上にも昨夜のうちに書状で伝えてある」
「本当ですの?」
「ああ。俺自身が奴を従者にしたいからな。フォルクは軽率だったかもしれんが、俺も完璧じゃない。ならば、共に成長していくのも悪くない」
おお! 良かった。ならば、師範も安泰だね、きっと。それに、レオも何か雰囲気変わったな。立派になったというか、大人になったというか。
「さすがレオ様ですわ!」
少々大袈裟に褒めてみせる。
両手をパチンと合わせたのに驚いたのか、じっとしていた蝶が私の膝の上から飛び立つ。
そんな私にレオが照れたように苦笑している。
「そ、それより、リア。今までにしてきた世直しとやらを聞かせてくれ。どんな事をしてきたのだ?」
照れ隠しか、早口のレオだ。
でも、それはいいわね。ちょっと、誰かに話したいと思ってもいたし、新たに加わるレオの為にも、どんな事をしてきたか、そして何よりも私の数々の活躍を教えた方がよさそうだよね。
「そうね、まずは初めてした世直しから話しますか」
初めての世直しから始まって、ミズール行きやアトラス領での事を話していく。
次第に顔が青褪めていくレオだが、寒いのかな。もうすぐ夏なのにね。
「うーん。こんなものですかしらね」
話終えた時には、顔が真っ青である。
「……信じられん。ジェイムズの事も心配していたが、まさかそのような事があったとはな。しかもリアが……」
しばらく黙り込んでいたレオから、首を横に振りながらようやく出てきた言葉。
「信じられんって、私、嘘ついてませんわよ」
抗議交じりの目をしながら、口を尖らす。
「だが、その話を聞いてすぐに信じろと言われてもな……」
「今度、アシリカに確かめられても構いませんわよ」
盛ってもいないしね。……いや、ちょっと私の活躍を付け加えたかな。ほんの少しだけだけどね。まあ、許容範囲の内よね。
「まあ、昨夜の事を見たら信じざるを得ないがな……」
そうでしょ。素直に信じなさい。
「うーむ。だが、一つ気になるな……」
レオが気難しい顔になる。
「呪術だ」
呪術か……。散々、煮え湯を飲まされた。レオの言葉に顔を顰める。
悲惨な死を迎えた者たち、実の娘に化け物へと姿を変えられそうになったルドバン。自らが招いた結果とはいえ、呪術の犠牲者ともいえる。
「でも、どうしてレオ様が呪術を気にされるのですか?」
アトラス領からの帰り道に偶然出会った呪術師のアニマによると、呪術も使う人間次第で、良い物にも悪い物にもなる。結局は、魔術や武器と一緒だ。ただ、その呪術の持つ力は、あまりにも規格外だが。
「呪術に関する本を王宮図書館の禁書の棚で見た記憶があってな……」
王宮図書館。その名の通り、王宮の中にある図書館である。蔵書は、極めて珍しいものも多く、そこにしかない本も所蔵している。ただ、王宮の中にあるという事は、誰でもその図書館を利用出来るわけではない。王族はともかくとして、王宮で働く幹部クラスの者、高位の貴族など限られた人物しか中に入る事さえ許されない図書館である。
私も行った事はない。もっとも、行きたいと思った事もないけど。
「禁書の棚ですか……」
国家機密とまではいかないが、それに近い物だよね。過去の遺物であり、大きな力を秘めた呪術。それに関する書籍があっても不思議ではないね。
「ああ。一度だけ隠れて見た事があってな……」
周囲に誰もいないのに、声を小さくするレオ。
「まさか、レオ様が黒幕っ!?」
私は鉄扇をレオに向ける。
「ば、馬鹿を言え! 五歳くらいの時の話だ! それにそれ以来見ていないっ!」
レオが慌てて両手を前で振る。
「……冗談ですわよ」
何を冗談に慌てているのかしらね。逆に怪しまれるよ。
「それより、リア。この前も気になっていたのだが、その鉄扇……」
じっと私の鉄扇を見つめるレオである。
「あら? 気づきました? 天空石から作られた自慢の逸品ですの」
さすが王太子だけあるわね。見る目はあるわ。
自慢げな顔となり、鉄扇を撫でる。手に入れるの苦労したんだからね。
「やはり天空石か。しかし、信じられん事ばかりだな……」
首を振り、私をまじまじと眺めるレオである。
しかし、王宮図書館に呪術の本があるのか。
きっと、黒幕に私の存在は伝わっているはずだ。そして、また呪術を扱うあの老婆、サウランやレイアとも相まみえる気がする。いずれは、黒幕とも……。そもそも、非道ともいえるヤツらを私が許せない。
「今から、王宮図書館に行きます」
少しでも、奴らの手を知っておきたい。
「今から?」
何でそんなに驚く?
「思い立ったら、すぐ行動ですわ」
私は立ち上がる。
「……お前の侍女に同情するよ」
レオも立ち上がりながら、大きくため息を吐く。
それって、どういう意味かしら? アシリカとソージュが私に振り回されているような言い方だけど、そんな事ないよね。
……今度聞いてみようかしら。考えてみれば、思い当たる節がないわけでもないな。
「でも、王宮は俺がいれば何とかなるが、図書館へは簡単に入れないぞ」
王宮図書館へ入る為には、事前に申請が必要だそうだ。それは、入館出来る資格を持つ者も等しく必要らしい。もちろん、王族とて例外ではない。
「ならば、忍び込みましょう」
それが一番早い。それに盗む訳じゃないし、別に構わないよね。
「忍び込むって……。正気か?」
思わずといった感じで大きく声を上げるレオである。
「正気ですわ。それに、これくらいで驚いてたら、これから参加される世直しに耐えられませんわよ」
もっといろんな事しなきゃならないのにさ。そうね。いい機会かもね。今回は、アシリカとソージュはお留守番だ。レオに慣れてもらおう。王宮だし危険は無いだろうしね。それに、禁書の棚もレオがいないとどこにあるのか分からないからね。
決してアシリカとソージュに止められそうだからという意図はない。
「さっ。行きますわよ」
善は急げだ。
「ま、待て。二人だけで行くのか? いや、そもそも王宮にどうやって忍び込むつもりだのだ?」
歩き出す私をレオが慌てて止める。
「まったく問題ありませんわ。デドルッ!」
いつもの通り、どこからともなく姿を現わすデドルである。でも、その表情が冴えない気がするな。風邪でもひいたのかな。
「今、あっしを呼ぶのはどうかと思いやすがね……」
デドルはちらりと、レオの方に視線を向けている。
「い、いつのまに?」
突然現れたデドルにレオが驚いている。
「ああ、慣れていないって事?」
「いえ、そういう意味では……」
呆れの眼差しを私に向けてくる。
じゃあ、どういう意味よ? 何か、歯切れが悪いわね。
ま、いいわ。それより今は王宮図書館よ。禁書の棚にあるという呪術に関する本を見ないとね。
「デドル。王宮図書館に忍び込みます。案内よろしくね」
「へい。それは承知しました」
頷くデドルを見てから、私は歩きだす。
「……いつから、ここに? その、さっきの俺の話を聞いていたのか?」
歩き出す私に付いてこない二人を振り返ると、何やらレオがデドルに話しかけている。
「へい。最初から、でしょうかね。ですが、ご安心を。心は無にしておりましたので。綺麗さっぱり忘れておりやす」
「最初……から……」
レオが顔を赤くし、呆然となっているけど、どうしたのかしら?
「申し訳ありやせんね。うちのお嬢様、女心もですが、男心も分かっておりやせんので」
デドルも申し訳なさそうに頭を下げているけど、何の話をしているのよ。私の悪口を言っているようにも感じるけど。
「ちょっと! 何してるの? 早く行くわよ!」
少し顔を赤くしているレオを気の毒そうに見ているデドル。そんな二人を手招きして、急かす私だった。