112 殿下
フォルクの罪状は、宝剣を盗んだ罪。
捕えられた経緯は、こうだ。
街を一人歩いているフォルクは、不審に思われ調べられると行方の分からなくなっていた宝剣を所持していたそうだ。
そして、フォルクを捉えたのは、騎士団の副団長であるフレーデル。
あまりに出来過ぎた話だと思うのは私だけだろうか。
「本当にフォルクが宝剣を持っていたのね?」
「……この言葉は何度も申し上げてきたと思いますが、もう一度言います。ナタリア様、いい加減、このような事ばかりに首を突っ込むのは、お止めください」
詰め寄る私に対して、渋い顔のリックスさんである。
報告を受けたその夜、仕事終わりのリックスさんを訪ねていた。
「そもそも学院をこっそり抜け出すとはいかがなものかと。学生らしくですね、勉学に励み、学友と友誼を深める事こそが――」
「その話はまた今度聞くからさ。ね、フォルクは本当に宝剣を持っていたの?」
今は、リックスさんの学生論を聞いている場合じゃない。
「はぁ……」
リックスさんが、呆れたように大きなため息を吐く。
「もしかしたら、騎士団の名誉にも関わる事よ」
「騎士団の名誉ですと?」
リックスさんの眉間に皺が寄る。
「ええ。そうよ。だから、早く答えなさい」
少し考えた後、リックスさんは話し出す。
「確かに、彼は宝剣を持っていました。それは間違いありません。何故なら、副団長殿が彼を捉えたその場に私もいましたから」
「リックスさんもそこにいたの?」
たまたま一緒に巡回中だったらしい。そして、その場にいたのは、リックスさんだけでなく他の騎士もいたそうだ。
「だったら、彼が宝剣を持っていたのは、間違いないのね……」
さすがにその状況下を疑うわけにもいかない。
でも、フォルクが宝剣を盗み、それを所持していたなんて信じられない。ここは是非とも、彼から直接話を聞きたい。
「ねえ、リックスさん……」
私は、リックスさんを見上げる。
何か不穏な空気を感じたのか、リックスさんはわざとらしいくらいの勢いで目を逸らす。
「フォルクに会わせ――」
「絶っ対に、ダメです!」
私が言い終わるより先に、拒否である。
「何でよ?」
「何でって、当たり前ですよ。今のフォルクは重罪を犯したかもしれない人物です。ナタリア様であろうとも会わせられませんよ」
「そんな事分かってるわよ。それでも無理を承知で頼んでいるんだから」
私でもそれくらいの常識はある。
「無理なものは無理です」
さすがにこればかりはリックスさんも首を縦には振ってくれない。
「じゃあ、いいわよ。こっそり忍び込めばいいからさ」
「は? 今、何と?」
リックスさんの顔色が変わる。
「耳が悪くなったの? まだ若いのにさ。私は、忍び込むって言ったのよ。騎士団の本部くらい簡単よ」
「ほ、本気ですか?」
「ええ。本気だし、難しくもないと思うよ」
王宮に忍び込むデドルがいるのだ。騎士団も楽勝だろう。
「あー、もう!」
頭を掻きむしって、リックスさんが叫ぶ。
「今回だけですよっ! 内緒ですよっ!」
「そう? ありがとう! さすがリックスさんね。正義の心を理解しているのね」
飛び上がり喜ぶ私に、泣きそうな表情のリックスさんである。
そんなリックスさんに連れてこられたのは、薄暗いジメジメとした騎士団本部の地下である。
そこにある牢にフォルクはいた。虚ろな目で、粗末な木の椅子に腰かけている。
「フォルク」
私の声に顔上げる。
「ナ、ナタリア様!?」
私の姿に驚愕するフォルク。隣に立つ難しい顔をしたリックスさんを見て、さらに混乱しているようだ。
そんなフォルクに指を口に当て、静かにするように伝える。
「な、何故このような場所に?」
声を落としながらも、目を見開いたフォルクが尋ねてくる。
「それは、こっちが聞きたいわよ。何故、フォルクがこんな場所に?」
「そ、それは……」
唇を噛みしめ、フォルクは俯く。
「フォルク。ゆっくりもしていられないの。だから、何があったのか話して」
「いえ。すべては私の責任です」
諦めたように、自嘲する。
「あなた一人じゃ済まないでしょ。師範も、あなたの父親も咎を受けるわよ」
むしろ息子との共犯を疑われる。いや、あのフレーデルが、間違いなくそういう方向に持っていくだろう。
「ね。だから、早く話なさい。私があなたと師範の危機を救うからさ」
「ナタリア様が救う? あの、それは一体どういう意味でしょうか?」
訳が分からないといった表情である。
「それはまた今度にでもね。それより今は、何があったのか、早く話して」
鬼気迫る私に、ゴクリと生唾を飲み込んで、フォルクが頷く。
「今日の夕方でしょうか。手紙が来まして……」
手紙には、宝剣を手に入れた。欲しければ、金貨五枚で譲ると記されていたらしい。悩んだすえ、父の事を考え、指定された場所へと出向き宝剣を買ったそうだ。その帰り道に、騎士団と出会い、御用となったのか。
「何で、そんな見え透いた手に……」
いくら師範の事があるとはいえ、軽率過ぎる。
「その宝剣を売ってくれたのって、ギブズってヤツじゃない?」
「どうして、ご存じなので?」
フォルクが驚く。
やっぱりそうか。ギブズが売って、フレーデルが捕える。これで一丁上がりってことか。
「どうして、レオ様に相談されなかたの?」
もしかしたら、何か他に方法があったかもしれないのに。
「殿下にこのような事で、煩わせるわけには……」
「その気持ち、分かる気もします……」
アシリカがぽつりと呟く。
うーん。そうか。そう言えば、初めての世直しも今のフォルクと同じように私に迷惑かけまいとするアシリカを助けたのだったな。
「ナタリア様。そろそろ……」
リックスさんが私に耳打ちする。それに頷いてから、フォルクに顔を向ける。
「フォルク。決して諦めてはいけないわよ。必ず私が、師範もあなたも無実だと証明してみせるからさ」
「あ、あの……、ナタリア様。どうされるおつもりですか?」
状況がまったく把握できないといった顔のフォルクである。
「簡単よ。世直しよ」
にっこりと笑みを見せる。
「世直し?」
益々混乱の度合いを深めているフォルクである。
「リックスさん、また手柄を立てられそうね。しかも、騎士団の名誉を守るって、オマケ付きでね」
今度は笑顔をリックスさんの方へと向ける。
私の笑顔にため息で返すリックスさんであった。
時は夕暮れ時。傾いた太陽が、オレンジ色になっている。夏が近づいてきて、日が長くなってきたとはいえ、もうすぐ暗くなってきそうだ。
すぐにでも、ギブズの所に突撃しようかと考えていた私だが、一旦学院に戻ってきている。馬車での移動とはいえ、街と学院を行ったり来たりも疲れてきたよ。
戻ってきた理由は、騎士団を出た直後に偶然会った仕事帰りのクレイブである。どうも、レオが私を探しているらしいのだ。街にいる私を見て、教えてくれた。
この忙しい時に何の用だよ?
もっとも、すぐの突撃はデドルに待つように言われていた。フレーデルとギブズが一緒にいる所に踏み込むべきだというのがその理由である。先にどちらを成敗しても、もう片方が逃げ出してしまうかもしれないと考えているらしい。
私の勘では、すべてがうまくいきそうになった今晩あたり、祝杯を挙げていそうな気がするけどな。
デドルが二人の行動を調べている間にまたもや学院に帰ってきているという訳だ。
「おお、リア! 探したぞ! この前もそうだったが、一体どこにいるのだ?」
レオの寮の前である。待ちきれなかったのか自ら寮の前で待ち構えていた。
「部屋にいましたが……。おかしいですわね」
学院を勝手に抜け出しているのを知られる訳にはいかない。白々しく首を傾げる。
「まあ、いい。それより、新作を作ったのだ。食べていけ」
新作の料理?
思わず、怒りがこみ上げてくる。
自分に尽くしてきた従者のフォルクが捕えられてというのに、呑気に料理? 何を考えているのかしら。
「レオ様!」
身を翻し、寮へと入っていこうとするレオの背中を呼び止める。
「どうした?」
顔だけ振り返り、レオが不思議そうにこちらを見ている。
「フォルクが捕えられたと伺いましたが……」
レオの眉間に皺が寄る。
「誰に聞いた? まあ、いい。しかし、それがどうしたのだ?」
余計な事をといった目で側に控えるマルラスに視線を向ける。
「レオ様は本当にフォルクが罪を犯したとお考えで?」
「……分からん。分からんが、俺の従者としては失格であろう」
レオの声のトーンが低くなる。
「フォルクを見捨てるので? 彼が濡れ衣を着せられているとしても?」
自分でも驚くほど私の声も低くなっている。
「リア……」
レオは、顔だけでなく、体もこちらに向ける。
「見捨てるもなにも、フォルクは自ら脱落しただけだ」
脱落……。言葉は悪いが、確かにそうかもしれない。数多くいる従者の中で、判断を誤りその居場所を失おうとしている。
けれど、そんなにも簡単に割り切れるものなの? ずっと側で支えてくれた人なのにさ。
「リア。お前もレイボーンの女侯爵から学んでいるはずだ。我々の置かれている立場がどんなものなのか。その我らの近くにいる者の立場もな」
そう言って、アシリカとソージュにレオは視線を向ける。
マリシス様の妃教育か。
もしかして、薄々レオも気づいているのか。師範やフォルクが争いに巻き込まれているの可能性があるのを。そして、彼の中では、その争いにフォルクが負けたとの認識なのだろう。だからこそ、従者失格なのだ。今後、魑魅魍魎が跋扈すると言っても過言ではない王宮で、己の身を守る事が出来ない者に自分を支える能力が無いと判断したのかもしれない。
「レオ様にとって、フォルクは数いる従者の一人に過ぎなかった、という訳でございますね」
上に立つ者としての考えは理解できる。でも、私には受け入れられない。根本的な所で、私とは考えが大きく違うのかもしれない。アシリカやソージュは私の侍女だが、それ以上に仲間だ。姉妹同然と言ってもいい。
「そんな事は言っておらん!」
感情の籠った返事だ。苛立ちが籠っている。
「私には、そう聞こえますが」
「もうこの話は終わりだ!」
ついに声を荒げるレオ。再び、踵を返し、寮の中へと向かおうとする。
「お待ちくださいませっ! まだ話は終わっておりませんっ!」
私はレオの肩を掴む。
「リアッ! いい加減にしろっ! たかが、従者一人の事で何をそんなに騒いでおるのだっ!」
レオが肩を掴んだ私の手を振り払う。しかし、すぐにその行動にしまったという顔となり、気まずそうに俯く。
「たかが……、従者一人?」
私の中で何かがプツンと切れてのが分かる。
そう、それがレオの考えなのね。分かったわ。
見損なったよ。もうちょっと、情がある人間だと思っていた。
もう何も言わない。
「……申し訳ございません。出過ぎた真似でございました。殿下」
一歩下がり、私は仰々しく頭を下げる。その姿は、貴族令嬢としての礼に則ったものだ。
「殿下、だと?」
レオが再び上げた顔を引きつらせている。口を半分開き、目も大きく見開いている。
「確かに殿下に意見するなど無礼にございました。どうか、お許しくださいませ」
「リ、リア?」
掠れた声で私の名を呼ぶ。
もう一度頭を下げた後、冷たい視線のままレオを見つめる。
大きな衝撃を受けたような顔のレオである。
「少し用事が出来ましたので、失礼させて頂きますわ」
今度は私の方がくるりとレオに背中を見せて、馬車へと歩き始める。
「リ、リア。待て」
何とか絞り出したようなレオの声が聞こえてくる。
「殿下。婚約中の間柄とはいえ、私も公爵家の娘。周囲の目もございます。ナタリアと呼ばれる方がよろしいかと」
一度立ち止まり、振り返る事なくそう告げる。
「行きますよ」
呆然としているアシリカとソージュに声を掛ける。
「は、はい」
私の声に我に返ったようで、アシリカは、レオに向かって頭を下げると、私を追いかけてきて、馬車に乗り込む。
「お嬢様……」
私の向かいに腰掛けたアシリカが不安そうにこちらを見ている。
ごめんね。心配かけちゃったよね。
私だって、レオの言っている事も分かるし、彼の立場を考えたら仕方ない事も理解できる。王太子という彼の地位がどれほど重いかも承知しているつもりだ。それを、受け止めているレオは立派だと思う。もしかしたら、内心では何とかしてやりたいと思っているかもしれない。そんな気もする。
私も公爵家の娘。しかも、現時点で王太子の婚約者。だからこそ、そんな彼に同情出来る部分もある。
でもね、私は公爵家の娘、王太子の婚約者の前にナタリアだ。私には、無理だ。周囲の人を切り捨てるような真似は出来ない。甘いと言われても仕方ない事だとは自覚している。それでも、私は私の信じる道を突き進む。どんな結果が待ちかまえていようとね。
「出していいデスカ?」
不在のデドルの代わりに御者台に座るソージュが尋ねてくる。
「ええ」
私は頷く。
動き出す馬車の車窓から、外を見る。
寮の前で、呆然と私を見送るレオが立っている。
傾いていた太陽がすっかりその姿を消し、辺りは暗くなってきている。そのせいで、レオがどんな表情をしているのかは、分からなかった。