111 情報の代金
翌日の早朝である。
昨夜、レオの手料理を振る舞ってもらった後、何だか気まずい空気となり、すぐに退出していた。
いつものように、朝稽古に来ているレオは普段と変わらない。控えているフォルクもいつも通り。二人とも師範の事などまったく聞いていないような様子である。
いつものように私の勉強を見て、その後は共に剣を振る。いつもと変わらない光景だ。
「くっ。やはりまだリアには勝てんか……」
悔しそうに私を見上げるレオもいつも通り。そのレオに苦笑しながらタオルを手渡すフォルクもいつも通り。
思わず、師範の事は夢だったのでは、と錯覚するくらいだった。
「ナタリア様」
剣の稽古を終え、一息ついている私の側にレオのもう一人の従者であるマルラスがやってきた。
「昨日はわざわざのお越し、ありがとうございました。殿下もナタリア様にご自分で作られた料理を召し上がって頂き喜んでおりました」
「いいえ。こちらこそご招待、嬉しかったですわ」
レオが喜んでいたのは、料理を褒められてだと思うけどね。
「それと……、お見苦しい所をお見せしてしまった事をお詫び申し上げます」
レオの方をちらりと見てから、声を小さくしてマルラスが頭を下げる。
フォルクに師範の事を告げにきた事か。
「いいえ……」
剣を軽く振りフォルクに何やら構えについて尋ねている様子のレオを眺めながら首を横に振る。
「ガイザーもナタリア様の前であのような事わざわざ申さずともいいものを」
忌々し気にマルラスが顔を顰める。
「あのガイザーという方も従者なので?」
「はい。王宮に残っている殿下の従者の一人です」
顔は嫌な事を思い出すかのように眉間に皺を寄せる。
「どのような方なのですか?」
どうやら、あまり仲が良くないみたいだけど。
「騎士団のフレーデル副団長の息子です。親子揃って剣術に優れています」
へー。騎士団の副団長か。リックスさんの上司になるわね。でも、親子揃って剣術に優れているって、どこかフォルクと被るわね。騎士団所属と剣術師範の違いはあるけれどさ。
「そして、殿下の学院へのお供となる従者の最後に残った三人の候補の一人でもあります」
それだけ彼も優秀というわけか。
でも、同時に今学院にいる従者が欠けた場合、次はガイザーがその立場になるとう事でもあるのよね。
「ところで、ナタリア様」
話題を変えたマルラスがこちらを真剣な表情で見ている。
「師範殿のお話で殿下の態度が冷たいと感じられたと思います」
私、顔に出てたかしら?
「ですが、決して殿下は冷たい方などではありません。これは、フォルク自身も分かっている事ですが、殿下にもお立場というものがあるのです。それだけはご理解して頂きたく……」
深々と頭を下げるマルラス。
立場か……。
まあ、王太子という地位にいる者の言葉は重い。気軽に発言を出来ないかもしれない。下手に口を出して、事態が余計に複雑になる可能性もある。
レオの取る態度はある意味正しい。上に立つ者として。
フォルクも正しい。感情を押し殺し、尊敬する父の危機に素知らぬ振りをしてでも、己の立場を守っている。
それは分かる。分かるが、私の中では納得しきれない部分もある。
もしもの時は、下の者を犠牲にしてでもその立場を守らなけれならない――。
私は、マリシス様の講義を思い出していた。
レオの二回目の手料理への招待から二日が経っていた。
クレイブの方は一応片付いたものの、師範の方は何ら進展はない。レオはもちろん、フォルクの様子にも変化はない。いまだ師範の謹慎は続いているらしいが、デドルからの報告では、そろそろ何かしら決定しなくてはならないという空気になってきているらしい。それも、宝剣が一向に見つからないせいでもある。
その宝剣の行方は私でもまったくつかめていない。ジローザからも見つかったという連絡は来ていない。
八方塞がり。そんな言葉が頭をよぎる。
気晴らしがてらに学院の中を散歩しているが、妙案が浮かぶ訳でもない。
「何じゃ、難しい顔をして?」
たまたま、小道を掃除しながら歩くクレイブに出会う。
借金は無くなったが、道場に引き取ったガンドンらの増えた食費を稼ぐ為でもあるのか、どうやらこの仕事を続けているようだ。
いいわね。借金も無くなり、何の悩みも無い顔をしているわね。いや、借金を抱えていても、深く悩んでいなさそうだったけどね。
「いろいろ考える事があるのよ」
能天気そうなクレイブに投げやりな返事を返す。
「駄目じゃのう。考えすぎは良くない。無の境地に近づけんぞ」
アンタは、考えなさすぎよ。それに、無の境地とは対極にある行動ばかりじゃないの。
私と同じ思いなのか、アシリカとソージュも冷たい目でクレイブを見ている。
これで、剣聖なんだから、ほんと不思議よね。でも、剣聖の肩書って、すごいわよね。剣術師範役の推薦人になって欲しいと頼まれるくらいなんだから。
「それよりさ、この前、剣術師範役の為の推薦状を書いてくれって頼まれたのでしょう? それって、どんな人なの?」
ふと思い出した話題に関して、クレイブに尋ねてみる。どこかの剣術道場の人だうか。
「んー? 名前は何だったかのう?」
少しでも何かのヒントになるかもと思ったけど、クレイブがこの調子じゃ無理みたいね。
「名前は忘れたが、騎士団の副団長とか言っておったな」
「騎士団の副団長? まさか、えっと、なんだっけ?」
確か、マルラスから聞いたけど私も思い出せない。確か、剣術に優れている人よね。
「フレーデル、という名では?」
アシリカからの助け船。さすがね。
「おお、そうじゃ、そうじゃ。確か、そんな名前じゃった」
「ああ、そうそう」
私とクレイブが同時に頷く。
フレーデルよ。ガイザーの父親よね。
ん? じゃあ、親子揃って師範とその息子のフォルクのライバルって事になるのかしら。いや、ライバルというより、その立場を欲しているといった方が正しいかもしれないわね。
「まさか、フレーデル親子が師範やフォルクの立場を狙って……」
騎士団の副団長なら、王宮へ詰めていてもおかしくない。あの宴に夜に、宝剣をこっそりと……。そう考えてもおかしくないはずだ。
「考え過ぎでは? いくら、なんでも危険すぎる行動かと……」
アシリカが首を捻る。
「まあ、そうかもしれないけどさ」
確かに出世できるかもしれないとはいえ、あまりにもリスクが高すぎる行動なのは、もっともだと思う。
でも、同時に無い話とも言い切れない。何故なら、剣術師範もだが、特に従者の身分である。従者は、主の身の周りの世話をする分、常にその近くにいる。そして優秀なほど、普段の生活だけでなく他の事も頼りにされるようになる。
貴族の身分を持たない者にとって、王や王太子の従者は、極めてエリートコースとなるのだ。
危険を冒しても、チャンスを手にしたいと考えても不思議ではない。
「お嬢様……」
うーんと考え込む私の元に、いつもの如くデドルがどこからとなくその姿を現わす。
「ジローザがお嬢様にお会いしたいと」
「ジローザが?」
何か分かったのかしら。
「分かったわ。すぐに行きましょう」
頷きながら、少しフレーデルとガイザー親子の事も調べた方がいいかもしれないと考えていた。
「こりゃあ、別嬪さん揃いだったんだな」
私を出迎えてくれたジローザである。
前回は、布を被って顔を隠していたが、今日はそのままだ。今更、顔を隠しても仕方ないからね。
でも、ジローザ、なかなか見る目あるわね。
「それで、宝剣について何か分かったの?」
「まあな」
思わせぶりに顔をにやつかせている。相変わらず迫力満点の顔だね。
「で、何が分かったの?」
「ちょっと待ちな」
身を乗り出す私に大きな手の平を向ける。
「俺はよ、お前さんの部下でもなけりゃ、友達でもねえ。そんなお前にわざわざ調べて手に入れた情報をタダでやるとでも?」
むう。言われてみれば、確かにそうかもしれない。
「お金が必要だって言うの?」
「金ねえ……。幸い俺は金に困っちゃいない。そうだな、ここで裸踊りでもしてもらうとするかな」
ジローザは、下卑た笑いをする。
「デドルさんのご友人といえども、無礼な言葉許せません。我が主を愚弄する気ですか!」
アシリカが顔を怒りで染め、立ち上がる。その横でソージュも今にもジローザに飛び掛かりそうな体制で、鋭く睨みつけている。
「止めなさい!」
アシリカとソージュを制して、座らせる。
「デドル。なかなか気の強いみてえだな。お前の所の人間はよ」
アシリカとソージュが睨み続けているのを気にすることなく、ジローザはデドルに笑顔を見せる。
デドルは無表情のままだ。じっと、私を見ている。
なるほど。デドルが怒っていないという事は、私は試されているのか。ならば、私流の自己紹介をしなくちゃね。
「裸踊りね。でも、婚約者のいる身だからさ、裸って訳にはいかないけど、踊りくらいなら、見せてあげるわ」
そう言うと、すっと立ち上がり腰に差した鉄扇を取り出す。
「一生忘れられない舞いを見せてあげるからさ。しっかりその目を見開いて見てなさいよ」
不敵な笑みを浮かべる。
鉄扇を持つ手を上げ、舞う。社交の場で踊るダンスではない。イメージは日本舞踊だ。やった事ないけど。
腰を屈めながら手元で鉄扇をくるくると回してみせ、体を回転させる。続いて、首を傾げて、鉄扇をジローザに向ける。
そして、彼と目が合った時、その間合いを一気に詰める。
鉄扇を振り下ろし、ジローザの頭に寸前で止める。
「どう? まだ続ける?」
ジローザの毛の無い頭にそっと鉄扇を当てる。
「ふふ……」
小さい笑い声がジローザの口から零れてくる。
「ふははははっ!」
私が離れると、大きく笑い出す。
「いや、デドル。やっぱり面白れぇ! 養女に欲しいくらいだ! 俺の跡を継がせてえなぁ」
ジローザの跡継ぎ? こんな顔してるけど、パパって呼んでほしいのかしらね。
「そいつは、無理だな。うちの旦那様が手放す訳ねえよ」
いつの間にかデドルも笑顔になっている。
「いや、小娘! 気に入った!」
どうやら、合格のようだ。
「だから小娘は止めろ。うちのお嬢様だぞ」
デドルが顔を顰める。アシリカとソージュは怖い顔でジローザを睨んだままだ。
「いいじゃねえか。そうだ! おめえの事を俺の好きな呼び方で呼ばせろ。それが情報をくれてやる条件だ」
タダか。それなら、好きに呼んでくれていい。でも、リアって呼ぶのだけは止めて欲しいな。
「いいわよ」
「そうか。だったら、小娘。俺が手にした情報だ。宝剣と思うが、うちと似た商売をしている所があるんだけどよ。そこで、とんでもないお宝が入ったらしい」
どうやら、そこで働く手下の中から出てきた話だそうだ。
とんでもないお宝か。確かに怪しい。
「そこはな、うちと違い贋作も扱う店でよ」
忌々しそうに話すジローザは、その店にいい感情を抱いていないようだ。
「己の利益の為なら、平気で嘘を付いて贋作を売るような連中だ。本物と偽り、贋作を売りさばく」
それは、酷いな。
「俺もよ、日陰の身だ。脛に傷もある。だがよ、義理を欠くような真似はしねえ」
裏社会で生きている人間でも、信念があるというわけか。
「それによ、あいつらは、平気でカタギを騙し、苦しめる。その上、有力者と手を結んで、本当に最低な悪事を働きやがる。あいつらが俺と同じ遊侠の徒を名乗っているとは、虫唾が走る」
一度思い出したら止まらなくなったようで、ジローザが止まらない。
「でも、ジローザも悪い事する時があるのでしょ」
思わず口に出てくる。
「ふん。まあ、おめえの言う悪事の定義は分からんが、褒められねえ事もするな。だがよ、俺は正々堂々悪事を働く!」
そんな事、胸を張って言われてもね。ま、私が成敗しなければと思う様な事はしないで欲しいね。
「でさ、その宝剣をどうやって入手したかとかは分かるの?」
このままでは、ジローザの演説が始まりそうなので、話を宝剣に戻す。
「そこまでは、分からん」
ジローザは首を振る。
「だがよ、その店の主、ギブズと親しい有力者ってのは、騎士団の副団長だ」
思わせぶりに、ジローザはニヤリとする。
「騎士団副団長……。もしかして、フレーデル?」
黙って頷くジローザ。
ふーん。なかなか面白い話ね。
「アシリカ。考えすぎじゃないかもしれないわよ」
隣のアシリカに話しかける。
「まさか、そんな。王宮の中にまで、そんな腐敗があるとは……」
王宮の中だからこそ、私は腐敗があると思うけどね。
「で、どうするつもりだ? 小娘」
楽しそうな顔つきで、ジローザは身を乗り出してくる。
「そうね。まずは、本当に宝剣があるか確かめないとね。それと、フレーデルがどこまでそれに関わっているかも調べないとね」
「それから、どうする? もし、奴らが本当に仕出かした事だったらよ」
「ふん。決まってるわ。成敗ね」
手にしていた鉄扇でポンと反対の手を打つ。
「成敗?」
きょとんとした顔になり、ジローザはデドルの顔を見ていた。
これで、いよいよ解決の糸口が見えてきた。
意気揚々と学院に帰ってきた私を待っていたのは、思いも寄らない出来事だった。
フォルクが捕えられた。
息を切らせて、私に知らせにきてくれたマルラスに言葉を失う私だった。