105 侍女、暴走
コウド学院に入学してから一ヶ月が過ぎた。
すっかり、学院での生活にも慣れてきていた。
早朝からの剣術の稽古とレオに教えてもらう勉強を終えてから授業を受ける。何だかんだ言いながらもレオは勉強に付き合ってくれている。
どうも、私の成績は下の上くらいのレベルらしい。夏休み前の試験までに、せめて中の中を目指している。
それに加えて、週の半分ほどは、マリシス様の王太子妃教育もある。
これは、マナー的な事よりも、王宮独自のしきたりや作法、王族としての周囲への振る舞い方などを学んでいる。覚えなければならない事が山ほどある。
入学前のように、時間を持て余している間が無い。暇は暇で時間を潰すのが大変だったが、忙しいのは、これはこれで辛いものがある。
そんな生活サイクルも体に馴染んできたが、入学前に比べるとやはりハードである。部屋以外では、公爵家の令嬢、そして王太子の婚約者として見られているのでなかなか気を抜く事も出来ない。
ここ最近では、好奇の目で見られる事は減ったが、かと言って、親し気に話しかけてくれる人もいない。勇気を出してこちらから話しかけても、余所行きの笑顔で社交辞令的な対応しかしてくれない。どこか、よそよそしい反応ばかりが帰ってくる。
いまだに、気軽に仲良く話せるのは、シルビアくらいである。あと、学年が違うからあまり会わないが、ミネルバさんである。顔を合わせる度に、声を掛けてくれるというか、お小言を言われる。それでも、同級生から遠巻きにされている私にとっては、ありがたいと思ってしまうほど、ぼっちを満喫している。
ちょっと、友達の作り方が分からなくなってきたよ。
「お嬢様、お話があります」
そんな中、アシリカとソージュが真剣な顔で私の前に立つ。
今日の予定もすべて終わり、部屋でのんびりとソファーに体を預け寛いでいる時だった。
「な、何? どうしたの?」
あまりにも真剣な二人の様子に思わず坐りなおして姿勢を正す。
「コウド学院に入学して一ヶ月が経ちました」
アシリカがおもむろに話し始める。
奇遇ね。丁度、私も同じ様な事を考えていたのよね。やっぱり気が合うね。
「それで、他の家のご令嬢方を多く見ています」
まあ、当然よね。学院内を移動する時は、常に付いてきているし、授業の時だって教室の前まで見送りに来てくれているからね。必然的に他の生徒、つまりは貴族の子女を見かけるわね。でも、それがどうしたのかしらね。
「お嬢様。端的に言いますと、その……」
突然、アシリカが言い淀む。
「他のご令嬢に比べ、落着きが無いと申しますか、淑やかさが足りないと申しますか……。つまりですね、端的に言えば……」
アシリカとソージュが顔を見合わせ、頷いた後、真っすぐに私を見る。
「ガサツ、です」
「ガサツ、デス」
二人の声が重なる。
「ガ、ガサツ?」
ちょっと、待ってよ。いや、確かに部屋では、ダラダラしてるよ。でもさ、他人の目がある所では、かなり猫を被っていると思うよ。それなのに、侍女二人から揃ってガサツと言われたら、いくら何でもショックだよ。
「二人とも、酷くない?」
「こんな事、私たちも言いたくありません。ですが、他のご令嬢方と見比べていますと、どうしても粗が目立つと言いますか……。それに、です!」
アシリカが身を乗り出す。
「入学式で居眠りをするという失態は、諫言申し上げましたが、学院内でマツカゼを走らせようとしたり、木刀を持って、寮内を歩こうとしたり、お嬢様には、公爵家の令嬢としてのご自覚がおありですか?」
確かに、記憶にあるな。でも、全部事前に止められたじゃない。
「先週の昼休みにも芝生で寝転んで昼寝しようとしていまシタ」
だって、ぽかぽかした陽気で気持ち良さそうだったのだもの。でも、それも止められて、諦めたでしょ。
ここから、侍女二人に怒涛のダメだしをもらう。よくもまあ、そんな細かい所まで見ているなぁと感心するくらいのダメだしである。
しかも、どれも心当たりがあるのがこれまた悔しい。自分の中では、それなりにうまくやっていたと思っていたんだけどなぁ。
「ですが、すべてがお嬢様が悪いという訳ではございません。私たちも反省しなければなりません」
一通り私へのダメだしを終えた、アシリカが一息ついてから、申し訳なさそうな顔になる。
えっと、どういう事かしら?
「私たちはお嬢様を甘やかしすぎたのかもしれません。昨夜もソージュと話して、反省していました」
そんなどうでもいい事、話さなくてもいいよ。もっと、肩の力を抜こうよ。その辺に関しては、気が合わないわね。
「それでですね。私たちは決意しました」
再び、アシリカとソージュで頷き合い、覚悟の籠った顔を私に向ける。
「な、何を決意したの?」
嫌な予感しかしないよ。絶対、とんでもない事を言い出しそうな気がする。
「私たちは、今後お嬢様に、厳しく接します!」
「え? 厳しく?」
「はい。そして、お嬢様を立派な、令嬢になって頂きます!」
侍女二人の宣言に口をあんぐりと開けて、それこそ令嬢らしさとはかけ離れた顔だった。
アシリカとソージュは宣言通り、私への注意が増えた。
ほんの少しでも気を抜けば、二人からの教育的指導が飛んでくる。授業を終えた後に疲れ切った顔で首を鳴らした時、日中の唯一の楽しみの食堂にスキップで向かった時、見かけたシルビアに両手を上げてぴょんぴょん飛び跳ねて声を掛けた時。悉く、教育的指導だ。
果ては、部屋のソファーで寝そべっても怒られる。彼女たちが言うには、誰も見ていない所でも、令嬢らしく生活させようとしているようだ。普段からの生活が大事という事らしい。
いや、これは疲れる。いや、二人の言っている事も分かるよ。改めて、他の生徒を見てみると、どこのお姫さんだ、というくらい洗練されている人もいる。
でも、私には無理だ。肩が凝ってしかたない。まるで、常にガイノスが二人いるような気分になってくる。
まったく、とんでもないやる気スイッチが入っちゃたな、あの二人。どこかに、切るスイッチがないか探したくなってくるよ。
そして、恒例の早朝訓練にも、侍女らの指導が入る。
「しばらくお嬢様には、剣術は休んで頂こうと思っております」
アシリカが私と並ぶレオに面と向かって断言する。
「ちょっと! 何を勝手に決めるのよ?」
思わず叫ぶ。剣術の稽古までダメになると、息抜きの場がなくなっちゃうよ。
「何だと?」
当然、レオも不満顔になる。
そうそう。レオ、ビシッと言ってやってちょうだい。さすがにレオから言われたら、アシリカたちも引き下がるだろうしさ。
頑張って、レオ!
私は初めて、レオを心の底から応援する。
「何故、リアが剣術の朝稽古を休むのだ?」
そうだ、そうだ。頑張れ、レオ。アシリカたちを説得して。
私の期待の籠る視線に、レオは任せろと言わんばかりの顔を見せる。
「侍女の身分にございますが、発言するお許しを頂けますでしょうか?」
明らかに不服そうな顔のレオに、アシリカは毅然とした態度で向き合う。
「構わん。申せ」
アシリカの目を見て、レオが頷く。
「殿下。お嬢様は令嬢らしくなって頂く為の特訓中であります」
目の前にいるのは、この国の王太子であるというのに、アシリカに怯む様子は、まったく無い。怯むどころか、その表情は鬼気迫るものがある。
見ているこっちが怖いよ。
「令嬢らしく?」
おい、レオ。何故にそこで、馬鹿にしたような目でこっちを見る?
「はい。令嬢らしく、いえ、他のどのご令嬢方より、優雅で気品のある淑女になって頂きたいと願っております」
アシリカ、その夢は大きすぎると思うよ。本人がそう思うのだから、間違いないわよ。
ほら、レオだって、馬鹿にするのを通り越してポカンとなってしまったじゃないの。これはこれでムカつく態度だけど。
「一般的に、貴族の令嬢が剣を振るうなどしない事でございます」
「そ、それはそうだが……」
さすがのレオもアシリカの夢と正論と雰囲気に圧倒されているようで、うまく反論の言葉が出てこない。
「しかも、お嬢様は、殿下のご婚約者。殿下は、ご婚約者が淑女らしくない振舞いで他の者から笑われても平気なのデスカ?」
ソージュもアシリカと一緒になって、レオに詰め寄っている。
「い、いや。それはだな……」
おい、レオ、どうした? 早くこの二人にビシッと言いなさいよ。さっきから、ぼそぼそと歯切れの悪い言葉ばかりじゃないのよ。
「お嬢様には、公爵家の令嬢として、殿下のご婚約者として、恥じない立派なご令嬢になって頂きます! 私たちの力で!」
決意を込めて、纏めるようにアシリカ。
レオの従者はもちろん、ケースやライドンまで巻き込まれては敵わんとばかりに素知らぬ顔で、そっとその場から離れていく。
そんな空気を気にする事もなく、私の侍女二人は、この国の王太子と堂々と向き合っている。
その王太子はというと、口元を引きつらせ、半ば呆然として、その侍女を見ている。
「そ、そうか。分かった」
しばらく黙ったまま向き合っていたレオが掠れた声を出した。
あっ。レオが負けた。あまりのアシリカとソージュの勢いに目を逸らしてしまってるよ。
「殿下。ご理解して頂き感謝致します。ありがたき幸せにございます」
アシリカとソージュが深々とレオに頭を下げる。
「い、いや、構わない。リアの事、頼むぞ」
負けただけじゃなく、寝返ったか! せっかく応援したのに、情けない男だな。
気まずそうに目で私に謝ってきても、許さないわよ。
アシリカとソージュの宣言から一週間が過ぎた。その宣言通り、かつてないくらいの厳しさである。まさに、私への再教育といったところである。マナーだけでなく、勉強にも力を注いでいる。
朝の剣術の訓練は、朝の勉強会に変わった。レオは不平一つ言わずに、付き合ってくれている。彼なりの罪滅ぼしだろうか。教え方が優しくなっている。
起きてから寝るまで、立ち姿から歩き方、会釈の仕方、すべてにチェックが入る。部屋に帰ってからも、予習、復習を怠らない。
どうやらアシリカとソージュは、レオのお墨付きを貰った事で、益々やる気を出しているようだ。
二人とも、顔の険しさばかりが目立って、笑顔を忘れたみたいになっているよ。
もう私は、鬼教官にしごかれる新入りの兵隊気分だよ。
もう息つく暇もない。いい加減、疲れてしまったよ。何度か脱走を図った私だがすべて事前に先回りされ、失敗に終わっている。さすが、私の行動を知り尽くしているだけあるな。
「お姉さま」
一日の授業が終わり、廊下で待っているであろうアシリカとソージュの元へ向かおうとする私をシルビアが呼び止める。
「少しお時間よろしいですか?」
入学して、一段と色気が増したような気がする首を傾げて尋ねてくるシルビアである。
「ええ。いいわよ」
シルビアとは一緒にクラスだ。数少ない知り合いが一緒のクラスで良かった。だが、私と同じく何故か彼女もクラスで浮いている。やっぱり、私と仲がいいからかな? だとしたら、シルビアに申し訳ない。
「アシリカさんとソージュちゃんに随分厳しくされているみたいですわね」
声を小さくして、シルビアが妖艶な笑みを見せる。
「まあね……」
口を尖らせて、愚痴を言おうとするが、すぐに思いとどまる。どこで、アシリカたちが見ているか分からないから、気をつけないと。
ぎこちない笑みをシルビアに返しながら、頷く。
「ふふ。でも、あの二人に気を使って、注意されないように気をつけている所がお姉さまらしいですわ」
私の様子にシルビアは肩を揺らして笑っている。
「ねえ、シルビアもさ、カレンさんに怒られることってあるの?」
シルビアは学院に侍女としてカレンさんを連れてきているが、怒られたりする事があるのだろうか。カレンさんも気が強い方だしな。
「ありますわ。よく木を眺めたまま、他の事を忘れた時などに……」
そっか。シルビアの場合は、それがあるのか。それはそれで大変だな、カレンさんも。
「ふーん。でもさ、たまにでしょ。最近のアシリカとソージュは異常だわ」
暴走気味といってもいい二人だ。
「あの二人もきっと、必死なのですわ。分かってやってくださいな」
まあね。彼女らからしたら、私の行動で私自身が恥をかかない様にと一生懸命になってくれているのは分かっているよ。
それでも、疲れるものは疲れるよ。
どんよりとした目になっていく私にすっと、シルビアが近づく。
「カレンから耳にしたのですが……」
彼女にしては、珍しく言いにくそうな口ぶりである。
「カレンさんから?」
「ええ、実はですね……」
私は、シルビアの話から、何故アシリカたちがあそこまで必死になって私の振る舞いに目を光らせるのかを知った。