103 図書館
名門のコウド学院の図書館である。その建物の壮大さ、優雅さなど見た目だけでなく、王国内でも屈指の蔵書の数、質を誇っている図書館である。
静まり返った図書館の中で私は本では無く、一人の男子生徒を探していた。
デドルに図書館で勉強していると聞いてはいたが、何分、この図書館が広すぎるのだ。時間的に人が少ないのか、さっきから誰にも会っていないしさ。すぐに見つけられると考えていたが、甘かったようだ。
それに、よく考えたら、私はロジックの顔を知らない。あのパーティーの日も声を聞いただけだ。
アシリカとソージュもあまりの規模の図書館に私と一緒に圧倒されてしまい、どうしていいか分からない顔になっている。
デドルにもっと詳しく居場所を聞いておけば良かったと思っていた時である。
「どうかしましたか? 見たところ新入生のようですが、迷子ですか?」
背後から声を掛けられる。
この声は……。聞き覚えがある。ロジックの声だ。振り返ると、眼鏡をかけたいかにも勉強ができます、という男性が立っている。色白で華奢な体からは、運動は苦手なのだろうなと勝手に想像してしまう。
「じ、実はそうなんです。初めて、図書館に来たものですから……」
小脇に本を抱えているロジックに苦笑いで答える。
「はは。やはりそうですか。この図書館、慣れていないと迷子になるくらいの広さですからね」
確かに。私一人だと、外に出られる自信が無いな。
「あの、失礼ですが、お名前は……」
一応、確認である。何せ、声しか聞いた事ないのだからね。
「二年のロジックと申します」
おお、やはりロジックだったか。でも、随分ロジックは私に対して変に構えてないね。もしかして、私を誰か知らないのだろうか。
それより、ちょっといいアイデアを思い付いた。もしかしたら、うまくいけば、今回の件、一気に解決だ。
「まあ! あなたがロジックさんでしたか!」
「僕をご存じなのですか? 侍女の方を連れている所を見ると貴族の方のようですが……」
不思議そうに私を見るロジック。
「はい。実は去年の夏休み前のパーティーに招かれまして。そこで、成績が優秀なロジックさんの噂を耳にしていたものですから」
「そうでしたか。僕は勉強ばかりでパーティーとか人付き合いとかあまりしてなくて、人に噂になっているなんて知りませんでした。でも、何か照れますね」
私の噂には照れる要素がまったく無いね。少し羨ましい気もする。
「そうですわ! 是非、勉強をご一緒させて頂いてもよろしくて? そうね、明日の午後にこの図書館でという事でよろしくて?」
そう、私が思いついたのは、勉強会を開く。そこにアルガスも誘うのだ。一緒に勉強会をすれば、アルガスにボロが出てくるかもしれない。そこを一気に突いてやろう。でも、私が声を掛けても来そうにないから、あっちを誘うのはレオにでも頼もう。どうもレオに気に入られたいみたいだし、それならのこのことやってくるに違いない。
「僕は放課後はいつも図書館ですから、それは構いませんが……」
突然の申し出に戸惑いつつも、ロジックは了承してくれる。
「では、宜しくお願いしますわね」
笑みを浮かべて、レオにアルガスの件を頼みに行かねば、と考えていた。
翌日の放課後である。
レオを図書館での勉強に誘い、ついでにアルガスも誘っておいもらうように頼んでいた。初めは、剣術の稽古を優先したがったレオであるが、明日からの早朝特訓に付き合うという条件で、図書館での勉強会とアルガスを誘う事を飲んでもらった。
「アルガス様は?」
図書館に向かう馬車の中である。今日は、レオの馬車。初めて乗せてもらっている。何だかんだ言ってもやはり王族の馬車。乗り心地がいいような気がする。ちなみにアシリカたちは、後方から私の馬車で付いてきている。
「ああ。図書館の前で待ち合わせだ」
レオの話では、喜々として図書館前での待ち合わせを了承したらしい。
「アルガス様ってどんな方なのでしょうか? レオ様に次ぐ成績の方というくらいしか知りませんので……」
あのパーティーの夜の会話からレオがアルガスに声を掛けたみたいだし、何か知っているかもしれない。
「いや。俺もよく知らん」
肘を車窓に付けて、外を眺めているレオが短く答える。
「え? お話された事があるのでは?」
アルガスが聞いたら、ショックを受けそうなレオの返答である。
「うーん、どうだったかな。よく覚えてはいないが、掲示板で成績発表を見ていた時に、ケイスと間違って話しかけた奴だったかな? 確か、そいつが成績二位だと言っていたような記憶があるな」
ちょっと、酷いな。ほんの少しだけれども、アルガスが気の毒になってくるな。子爵家は決して身分が低い訳ではないが、高い訳でもない。しかも当別有力な家というわけでもない。王族と知り合いになれる機会などそうそうない身分である。だからこそ、声を掛けられたと思ったアルガスが舞い上がったのは想像に難くない。
「レオ様、もう少し人に興味を持たれては?」
初めて会った時もそうだったけど、レオはもう少し周りの人間に興味を持った方がいいと思う。こんなので、よくケイスやライドンと仲良くなれたもんだね。
「よく言われる」
レオのその口ぶりからは特に気にもしていなさそうだ。
今回もどんな誘い方をしたのだろうかしら。少し気になるわね。
レオにアルガスをどのように誘ったか聞こうとした時、丁度図書館に着く。図書館の前でアルガスが直立不動で待ち構えている。
「リア、行くぞ」
結局、どのように誘ったか聞けずじまいのまま、馬車から降りる事になってしまった。
「殿下。本日はお誘い頂きありがとうございます。このアルガス、大変光栄に思っております」
馬車から降りたレオに向かって深々とアルガスが頭を下げている。
「ああ」
それに対してレオは素気なく、頷き返す。
「ナタリア様。お初にお目に掛かります。レジメット子爵家のアルガスと申します」
続いて、私へも頭を下げて名乗る。
顔や姿は初めて見るけど、平凡な感じよね。
「初めまして。ナタリア・サンバルトと申します。お見知りおきを」
私も少し腰を落とし、貴族の令嬢らしく挨拶を返す。
「いやあ、しかし、図書館でお会いするとは、ナタリア様は本がお好きのようですね。実は私も読書が趣味でして」
アルガスが媚びるような笑顔である。初対面にしては、妙にわざとらしい慣れ慣れしさを感じる。
レオはというと、本なんかに興味があるのか、と疑いの眼差しを私に向けきている。
「え、ええ。まあ」
それより、レオは今日の目的を伝えているのだろうか? 勉強会と分かっているなら、アルガスはもっと動揺していてもおかしくないはずなのに。だって、成績が二位というのは、不正によって手にしているもののはずだからさ。
「そうだ。お勧めの本があります。殿下。是非、ナタリア様にお教えしてもよろしいでしょうか?」
見かけによらず、本当にグイグイくるタイプだな。レオも若干引き気味だよね。
いや、違うか。顔を売ろうと必死なのだろう。だが、その分余裕が無い。その余裕の無さが逆に相手に馴れ馴れしさを感じさせているのかもしれない。
「レオ様。アルガス様に勉強会の事はお伝えしたので?」
確認した方がよさそうだ。
「ん? そう言えば、言ってなかったか。まあ、来てからでもいいかと思ったしな」
やっぱり。多分、時間と場所だけを指定して来るように言っただけなのだろうな。
「べ、勉強会?」
ほら。さっきまでの威勢が消えて、アルガスの顔が引きつっているよ。
「レオ様。実は私も一人知り合いを呼んでおりますの。先に中におられるはずですから、早く参りませんこと?」
アルガスが理由を付けてこの場を逃げ出させないために、早い所図書館へと入ってしまおう。
「そうか。では、行くか」
明らかに動揺しているアルガスに、内心ほくそ笑みながら図書館の中へと入っていく。先ほどまでの饒舌さが消えたアルガスは、力なく私たちに着いてくる。
「あの方ですわ」
図書館の中、机が並ぶ一角にいるロジックを指差す。横目でちらりとアルガスの様子を伺う。
ロジックの姿を確認したアルガスは、今度は顔を青褪めさせている。
「どうなさいました?」
首をきょとんと傾げ、アルガスに尋ねる。
「あ、あの、ナタリア様のお知り合いとは……、い、いえ。何でも……」
途中でアルガスは口を噤む。
一方で、ロジックの方も唖然とした表情で、自らの方に向かって歩いてくる私たちを見つめている。
「で、殿下? そ、それに、アルガス様?」
近くまでやってきた私たちに目を見開いている。
さすがに、勉強ばかりで知り合いが少ないというロジックでもレオの顔は知っているみたいだ。そして、何故? という表情を私に向けてくる。
「昨日のお約束通り、勉強をご一緒させて頂こうと思って参りましたわ。せっかくですので、レオ様も誘ってみましたの」
「あ、あの……。貴女様は……?」
この国の王太子をレオと呼ぶ私にロジックは掠れた声で尋ねてくる。
「ああ。そう言えば昨日は自己紹介をしていませんでしたわね。大変失礼致しました。私、ナタリア・サンバルトと申します」
本日二度目の令嬢らしく挨拶をする。
「あ、あ、貴方様が、あの……」
アルガスと違い、しばらく口をパクパクとさせた後、やっとの事で出てきた言葉という感じである。私としては、『あの』の後に何と続けるつもりだったかが気になる所ではある。
「殿下! ナタリア様!」
まだ驚愕に包まれているロジックより一足先に冷静さを取り戻したのか、アルガスが声を上げる。
「この者は平民にございます。お二人のような将来この国の上に立つ方々が交わりを持つべき者ではございません」
なるほど。不穏因子であるロジックを排除しようというつもりか。
「この方は、昨日ここで迷子になっていた私を助けてくれたのです。そのお礼も込めて今日お会いしようと思っていたのですが……」
困った顔を見せて、レオを見る。
以前、城壁から街を見下ろし、平民の暮らしを想像を巡らせていた彼なら何とも思わないはずだと思っていたレオだが、ずいぶんと難しい顔をしている。まさか、レオも平民とは席を同じにするのは嫌だという考えなのだろかしら?
「レオ様?」
少し不安になり、レオに話しかける。
「……俺は別に構わん」
少し不機嫌そうなレオの声であるが、まあ、了承したって事でいいのよね? レオの態度が気になるが、ここは予定通り行動しよう。
「では、さっさく始めるとしましょうか。今日、過去の試験の問題を持ってきましたの。何でもアルガス様は成績が上位とか。是非、教えて頂きたいと思いまして」
私は、隠し持っていた過去の試験の問題がずらりと並んだ紙を差し出す。
それを見て、また青い顔に戻るアルガスである。
何やら不機嫌そうなレオ、いまだ動揺しているロジック、額に汗を浮かばせさらに顔を青くさせるアルガス。
場は混沌としているけど、強引に進める。全員を椅子に坐らせ、対面のアルガスに問題を解いて欲しい、そしてその解き方を教えて欲しいと迫る。
「こ、これはですね……」
アルガスは、唇を震わせて何度も同じ言葉を繰り返す。
「では、この問題は?」
言葉に詰まり何も答えられなずに瞬きを繰り返すアルガスに次からつぎへと問題を指し示していく。
「アルガス様はレオ様に次ぐ成績なのですよね?」
答えられないと分かっていながら質問を繰り返す私はまさに性悪だな。ま、悪役令嬢だし、これも世直しの一環だ。構わないよね。
「ロジックさんはどうですか?」
ここで、アルガスの隣に座るロジックの方に試験用紙を向ける。
「えっと、これはですね……」
アルガスが何一つ答えられなかった問題をすらすらと解き、説明していってくれる。最初はアルガスに目線をやり、遠慮がちに説明していたロジックだが、途中からは、夢中になって、熱心に教えてくれる。
もちろん、教えられても私にはちんぷんかんぷんだけどね。そこは、一生懸命に説明してくれているロジックに申し訳なく思う。
「まあ! ロジックさんは教えるのがお上手ですのね」
両手を合わせて、大げさに驚いてみせる。
ここで、勝負だ。ロジックの順位を尋ねて、さらには何も答えられなかったアルガスの順位の不自然さから追及していってやる。そして、二人の答案が入れ替わっていた事を匂わして。不正を暴いてやる。
「ロジックさんは、前の試験の順位は――」
その私の言葉を遮るように、バンと大きな音が図書館に響く。
音を出した人物――。
それは、意外にもレオだった。彼が両手の平で机を叩きつけた音だった。