101 パーティー中の密談
新入生歓迎のパーティー。
高い天井を支える大きな柱にも装飾が施された立派なホールである。そして、ここは私が二年後に断罪される場でもある。
私にとっては、まさにいわくつきの場所でもあるこの会場では、今、新入生と上級生が入り乱れて華やかな雰囲気を醸し出していた。
「よく眠れたか?」
そんな会場の中で、エスコート役のレオが私を見てニヤニヤと笑っている。
どうやら、入学式での私の居眠りがすでにレオの耳にも届いているらしい。本当に噂が回るのが早いなと実感する。
「え、ええ。すっきりですわ」
ここまでくりゃ、下手な言い訳もできない。もう開き直るしかない。後ろで控えるアシリカとソージュの方は恥ずかしそうに俯いているけどね。
パーティーは始まったばかりだが、なかなか盛大である。学生のパーティーといってもそこは、さすがにコウド学院。貴族の夜会と遜色は無い。そう言えば、夏前に参加したパーティーもすごかったもんな。
改めて貴族の集まる学校だと実感するよ。
「すっきりしたか。ははっ。それは良かった」
耐えきれないとばかりに手で顔を隠し、レオは体を震わせている。
腹が立つな。今朝、手合わせをと言っていたが、覚えておきなさいよ。
「おお、ナタリア嬢。制服姿も良かったが、ドレス姿もやはりお美しい」
ケイスがやってきた。その隣には、ライドンもいる。口では、褒めているけど、目が笑っているわよ。どうせ、入学式で私の失態を知っているのでしょ。
「しかも、一年前の私が緊張した入学式での大物ぶり。さすがですね」
ほら、やっぱりそう来たか。
「いや、しかし確信したな。幼い頃より騎士団長の父にしごかれてきた私をあっさり倒した殿下。ですが、その殿下よりも剣の腕が立つという話は真のようですな。あれほどの肝の据わり方を見せられては……」
そう言う私を見るライドンの目は、ライバルを見る目である。
またややこしそうなのが増えたかもしれない。
「だから言っていただろう。リアは普通ではないと」
レオよ。何故、そんなにも自慢げなんだ?
しかし、この三人が将来私を断罪に導く攻略対象者だとは思えないくらいフレンドリーだな。もちろん、この先ヒロインと出会った時、どう転ぶか分からないけどね。
「それより殿下。もう少ししたら、上級生代表のご挨拶の時間です」
ケイスがレオに告げる。
「レオ様が挨拶をされるので?」
本来なら、最上級生の三年生の誰かがやるもんじゃないの?
「ああ。どうしてもと頼まれてな」
しかめっ面で、面倒そうなレオである。
うーん。まあ、王太子だしね。
「ナタリア嬢。申し訳ないが、少し殿下をお借りするよ」
他の女生徒が見たら悲鳴を上げそうなウインクを私にするケイスである。
「ケイス!」
しかめっ面から急に不機嫌そうな顔になり、レオが声を上げる。
「おや。殿下。どうされました?」
楽しそうにケイスがレオを見て笑う。そんなケイスにレオはそっぽを向く。
借りると言った言葉が気に入らなかったのかな。物みたいに扱われて嫌だったのか。でも、そんな事で怒るなんて、友達無くすよ。
それに、私は少しと言わずに、どんどん連れていってくれて構わないしさ。むしろ差し上げます。
「行くぞ。……そうだ」
ケイスらを引き連れて歩き出したレオが立ち止まり、振り返る。
「あまり、リアをうろちょろさせないようにな」
レオはアシリカにそう言い残して、去っていく。
私は、子犬か。飼い主のアシリカにしっかり世話をしておくように、みたいに言うな。
やっと、周りが静かになったな。でも、これはこれで退屈だわ。誰か知っている人はいないかしらね。シルビアも見かけないし、そもそも私は貴族の知り合いが少ない。
パーティー会場を改めて見渡す。
少し緊張の面持ちをしているのが、新入生だろうな。
一部の高位貴族を除いて、大半の学生がこの学院での三年間で将来が決まってくると言っても過言ではない。
男子生徒は、少しでも高位の貴族に気に入られ、引き立ててもらう。中には、学問や剣術、また魔術など自らの実力をもってして、その力を認めさせようとする人もいる。高位の貴族側も将来自分に役立つ人間はいないか、見定めようとする。
一方、女子生徒は、この学院で少しでも将来性のある男性と知り合い、結婚相手を探す人も少なくない。おそらく、両親からもそう言い含められているのだろう。
少数ではあるが、平民出身者もいる。豪商などの家の者は貴族との繋がりを強めて、後の商売に役立てる。さらに少ない人数で勉学が優秀な者もいる。その人たちの行動は様々だ。高位貴族に気に入られようと媚びを売る者、ただひたすら脇目も振らずに学問に打ち込む者、そして、慣れない環境と貴族からの謂れのない蔑む扱いに耐えれなくなり学院を去る平民出身者。いくら、奨学金を貰い、衣食住が保証されていても耐えられないのだろう。
上級生の方も今年の新入生の中で使えそうな者はいないか、己の立場を脅かそうとする者はいないか、にこやかな顔の下でじっと観察しているようだ。たまに見せる鋭い視線がそれを如実に物語っている。
まさに、学院は貴族社会の縮図のような場所である。
気疲れしそうな場所だね。お陰で益々疲れが出てくるよ。
「ふあぁぁ」
大きく伸びをする。
「お嬢様!」
背後からアシリカが小さくだが鋭い言葉が飛んできた。
「お嬢様はサンバルト公爵家のご令嬢としてだけではなく、殿下の婚約者として、注目を集めるお方です。くれぐれも軽率な行動は慎まれますよう」
伸びくらいいいじゃない、と思うが、令嬢らしくない行為ではあるな。ま、入学式で居眠りするよりはマシだろうけど。こりゃ、部屋に戻ったら説教かな。だってアシリカ、ずっと何か言いたげな顔をしているからな。入学早々先が思いやられるよ。
それにしても、ある程度想像してはいたが、私は自分で思っている以上に周囲から注目された存在であるみたいだ。
なにせ、パーティーが始まってから常に視線を感じる。
新入生も上級生も関係無く、偶然を装って振り向きざまにこちらを見る者、人影に紛れて、様子を伺う者。それぞれ方法は違えど、皆、私を見極めようとしている目である。
最近薄まりつつあるとはいえ、我儘ナタリアの噂は本当なのか、三公爵家の一角であるサンバルト家の令嬢であり王太子の婚約者はどのような人物なのか、見極めようとしているのが伝わってくる。
もう勘弁して欲しいな。私は見世物じゃないよ。それに、奥行のある複雑な人間でもないしさ。
やっぱり、パーティーは好きになれないね。そのせいで、社交の場にあまり出なかったから極端に知り合いも少ないのだけれども。
「ちょっと、歩きます」
背後に控えるアシリカに声を掛ける。
「ですが、殿下からあまり動き回らないように言われています」
少しくらいいいじゃないのよ。それに、どうしてレオに私の行動を制限されなくちゃいけないのよ。
「構わないわよ」
ここで、周囲からの視線を浴びせ続けられるのも嫌になってきたしさ。
このホールに面して庭園が広がっている。あそこなら人も少ないだろうし、もしかしたら、シルビアに会えるかもしれない。会場で見かけないから、もしかしたらまた、木に夢中になっているのかもしれないからね。
私は華やかなパーティー会場を歩き出す。何故か、私の進む方向から人が避けていく。
私は猛獣じゃないのだから、そんなに警戒しなくてもいいのにさ。少し傷ついてしまうよ。
まあ、お陰ですぐに庭園へと出る事が出来たな。喜んでいいのか、悲しんでいいのか分からない。
「ここなら、誰も見てないからいいよね」
私は両手を高く上げ、うーんと伸びをする。
「お嬢様……」
呆れたようにアシリカが首を振る。
夜空からの月明りに照らされるだけの庭園には、人気がない。ホールで流れる音楽と人のざわめきが小さく聞こえてくる。
「……何か、解放された気分だわ」
「お嬢サマ、いっぱい見られていまシタ」
ソージュが気の毒そうに私を見ている。
「ホント、嫌になってくるわ」
うんざりした顔になり、大きく息を吐く。
「確かにお嬢様は嫌かと思いますが、しばらくは仕方ないかと」
人目が無いからか、アシリカも私を慰めるように言う。
「そうかもね。しばらくは我慢するしかないか」
こりゃ、今は耐えるしかないな。しばらくすると、もう少し落ち着く事を期待しよう。
ま、少しここでゆっくりさせてもらおう。月明りに照らされた庭園はとても綺麗だ。シルビアを全然見かけないけど、もしかしたらこの庭園のどこかで木でも眺めているのかしらね。
「ね。シルビアがどっかにいるかも」
周囲をきょろきょろと見回す。だが、暗いせいもありよく見えない。アシリカが止めるのも聞かずに庭園を歩いていく。
ふと、庭園の片隅、木々に囲まれた少し人目に付かない辺りから何やら話し声が聞こえてくる。
何かしら? まさか、逢引きとか? 見ちゃいけないが、見たい気もする。
「おい! それは本気で言っているのか?」
若い男の荒ぶる声である。
「は、はい。もうこれ以上は……」
一方の声は小さく、震えている男の声だ。
「貴様、平民の分際で貴族である俺に逆らうというのか?」
うーん。これは、どう考えても逢引きじゃないよね。
「が、学問を学ぶ場においては、身分の違いは無いというのが、学院の……」
「黙れっ! そんなものただの理想だ。現実とは違う」
悉く、気弱な声を遮っていく荒々しい声。
「ふん。まあ、いい。もしお前が今まで通りにしないと言うならば、分かっているな。うちで世話してやっているお前の妹は路頭に迷う事になるのだぞ」
「ぼ、僕が退学し、二人で暮らします」
気弱な声から泣きそうな声になっている。
「ロジック、よく考えろ。平民のお前がどんなにいい成績を取ってもたかがしれている。だが、子爵家の俺なら、違う。大きく出世できる。実際、最近では、王太子殿下から声を掛けられた。もし、俺が出世したなら、お前も一緒に引き立ててやる」
荒っぽい口ぶりから、少し優し気な声色になる。
「ですが、アルガス様……」
ロジックと呼ばれているのが、気弱な声の方か。声から迷いが感じられる。
「な、よく考えてみろ。お前の幼い妹は生活していける。そして、将来出世した俺に引き立てられたお前も官吏として成功する。そうなれば妹も安泰だぞ。それのどこに悪い所がある? いい事ずくめじゃないか?」
この、アルガスとやらの子爵家のお坊ちゃんから小物臭が漂うな。
「ロジック。今まで通り、俺として試験を受けていろ。俺の言う通りにしていたら間違いない。将来が保証されたも同然だ」
なるほどね。何だかの理由でアルガスはロジックの妹の生活を見てやっている。それを盾にしてロジックに試験の替え玉をさせているのか。それを止めたいと言い出したロジックを説得している最中という場面なのね。
「殿下からも俺の顔と名を覚えて頂いたのだ。我らの未来は明るいのだ!」
一人演説ぶるアルガスである。
私はアシリカとソージュに目で合図して、その場をそっと立ち去る。
「どこでも、悪い奴はいるものなのね」
少し離れた場所まで来て、溜息と共に首を振る。
「そうですね……」
アシリカもやるせない表情で頷く。
「お嬢サマ、どうするデスカ?」
ソージュが私を見上げる。
「そうねえ……」
確かにあのアルガスは不正を働いている。身分を笠に着て相手の弱みに付け込んで、試験の替え玉をさせている。
だが、私が出張る件だろうか? 悪事と言っても今まで見てきたものと比べて、非常に小さい事だ。それに、弱みを握られていたとはいえ、ロジック自身も妹の為に同意した事なのだ。
「お嬢サマ」
どこか躊躇している私にソージュから話しかけられる。
「あのロジック、弱き者デス。権力や富など持つ者から虐げられている者では、アリマセンカ?」
ソージュの言葉。
そうよね。最近、大きな悪事を働く者ばかりを相手していたけど、どんな小さな悪事も悪事には変わりないよね。あのロジックも権力に虐げられているのは間違いないものね。
「そうね。ソージュの言う通りだわ」
私は力強く頷く。
初心を忘れるところだったわ。思い出させてくれたソージュには、感謝しなくちゃね。
どんな小さな世直しでも、世直しは、世直しだものね。
拳をぎゅっと握りしめながら改めて決意している時、パーティー会場では、レオがいなくなった私を必死で探しているのを知るのは、もう少し後になってからであった。