14 奇妙な縁と智花の勇気
「松井…君…か?こんな夜にどうした?」
光雄の父親は、十数年振りにその顔を見た男をすぐに思い出し、懐かしそうに聞いてみた。
「いえ、なんで一佐がこんなところに……、!、もしかして一佐が光雄さんのお父さん…」
あまりの偶然に、俊晴は膝が震え出した。
それは10年程前まで遡る。
モスクワで劇場が占拠され、およそ130人が犠牲となった事件があり、国内での不測の事態に備え、当時の防衛庁と、警察庁が秘密裏にテロ対策のための共同特殊部隊の創設を研究した。
治安対策は警察、武力による制圧は自衛隊と役割は分かれていたが、連携が遅れていた事と、どちらかの組織が万一崩壊した場合、対策が取れないとの判断によるものである。
事前の机上演習は計画通り終了し、東富士演習場で、ゴム弾と防弾シールドを使った実演習が始まった。
各県警のよりすぐりのSATとレンジャー中心の、いわゆる精鋭揃いのメンバーで構成された部隊で、国内有事の際に中核となる面子が揃っていた。
そこに隣国の特殊部隊が潜入し、指揮所が砲弾等で襲撃され、演習場各所で戦闘が起きた。
その時に指揮所で、榴弾砲の発砲音に気づいた中林 健三一等陸佐が、本能的に本部が狙われると直感し、近くにいた若かりし頃の俊晴と、俊晴の同僚の手を引っ張り退避した。30メートル程離れた所、指揮所は榴弾の至近弾で火の海となり、また、各所の戦闘で最終的に自衛官9名、警察官13名が犠牲となる大惨事となった。
秘密裏な計画だったため、当然表沙汰に出来るわけもなく、自衛隊の訓練中の事故と、警察官はその検証時の二次災害という事で、片付けられたものだった。
俊晴は大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせて答えた。
「私の娘が、お孫さん…と同級生で、今回の件で何か力になれないかと思い、参じました。」
「ありがとう。…と、松井君は今はどこの部隊に?」
「いえ、所轄に戻り、松谷署で副署長をしております。」
うんうんと、健三は頷き、申し訳なさそうに頭をかく。
「そうか、松谷署か。非番…だよな。そんな所申し訳ないのだけど、一つ私の頼みを聞いてくれないか?」
「命の恩人からの頼まれごとを断る理由はありません。私に出来ることであれば。」
いかにも警察官といった直立不動の姿勢で俊晴は答える。
「息子の光雄なのだが…、安否が全くわからないのだ。親バカと言われるかもしれないがね、なんとか生きているうちに一目でも会って、心配させやがってと鉄拳を喰らわせたくてね。頼む!どこにいるかを教えてほしい。」
ニコリと笑顔を作り、そして深々と頭を下げた。
俊晴は警察が光雄の入院先を伝えていなかった事に驚きながらも、すぐに携帯で署に連絡を取り、日協医大病院に緊急搬送されたという事を健三に伝えた。
健三は俊晴と携帯番号の交換をし、もう一つのお願いをした。
「翼と碧葉を松井君の家に泊めてもらってもいいかな?とにかく光雄の所に行きたい。」
「もちろんです。」
翼と碧葉を松井家に送り、光雄の両親は日協医大病院へと向かった。
その頃、松谷警察署に智花が到着していた。
夜という事で、昼間に免許証の更新に来た時と随分雰囲気が違う。
人っけが無く、どことなく冷たい印象を智花は感じた。
3階に上がり、生活安全課の入り口をくぐる。
他の課のシーンとした静けさに比べ、ここは煌々と電気が灯り、慌ただしく課員が動き回っていた。
ある者は電話をかけながらパソコンをカタカタ打ち、ある者は書類をカリカリ書いている。
「こちらです。」
奥の机に智花は案内された。
「生活安全課の矢嶋です。」
「中林光雄の家内です。」
「まあ、そこに座って。」
何かを見下すような表情で、矢嶋は智花を見ている。
「単刀直入に、お聞きします。旦那さん、光雄は、向精神薬を何処から調達していたかをお伺いしたい。」
大体初対面、しかも何の事か全くわからない事に対して、最愛の夫を呼び捨てにされて、素直に知りませんと答えても、目の前の男は納得しないだろう。
しかし、智花は秘策があった。
「お答えしてもよろしいですが、条件があります。夫、光雄の状況をまず教えてほしい。そこからです。」
「なにィ?」
この女、ふざけるな!とも言いたげな口調で矢嶋は呻く。
足がガクガク震えながらも、智花は続ける。
「これは任意同行に基づく事情聴取ですね?」
「それがどうした?」
「答えて下さい。」
「ざけんなッ!犯罪者に答える事なんかないんだよ!貴様俺を舐めてんのか?」
矢嶋が激昂して、それこそ署内中に響き渡るかの如く罵声を浴びせかけた。
「いいんですか?あなたのその発言。で言うか、私に対して、令状とか無いですよね?」
「いい加減にしろよ?貴様如きになにが言えるんだ?」
「……わかりました。私、取るものもとりあえず自宅を出ましたので、少々トイレに行きたいのですか、責任者の方にかけあって頂けますか?
それとも、容疑者でもない善良な市民を虐待しますか?」
「……いいだろう、許可する。」
智花の余りの気迫に、矢嶋は押されてしまい、婦警を呼び、化粧室に同行するように指示した。
啖呵を切ったはいいが、一瞬でも気を抜けば、失神しそうな位、心臓はバクバクしていふ。果たして義父のアドバイス通りに事は進むのだろうか?智花は不安になりながらも義父を信じた。
「こちらです。」
婦警が案内したトイレの個室で、胸ポケットに忍ばせた携帯から、とあるファイルを二つのアドレスに送信した。
携帯には、とんでもない数のメールが届いていたが、とても読む時間はない。しかし、差出人"お義母さん"からのメールはチェック出来た。
婦警に急かされ、智花はトイレから戻り、大きく深呼吸をしてから、矢嶋に質問する。
「簡単な要求です。光雄の状況を教えて下さい。」
「だから、あんたに権利はないんだよ!」
「仕方ないですね」
智花はおもむろに胸ポケットから携帯を取り出し、矢嶋の前に差し出した。
「矢嶋さん?あなたが今何を話して何をしているのか、こちらに話して頂けますか?公権を行使しているのであれば、お話頂けますよね?」
智花の携帯は通話中となっていた。
しまった!
矢嶋が後悔しても遅かった。
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健三は智花が家を出る時に、智花にあるアドバイスをしていた。
「一度しか言う時間がないから、しっかり覚えて欲しい。」
大体の内容はこのようなものだ。
・まず、警察署についたら、健三の携帯に電話をする。この時、モードはスピーカーモード、ボリュームは0に。かけっぱなしにしておく。出来れば携帯に録音しておく。画面は光らないように。
・聴取が始まったら、まず光雄の状況を聞く。
・この聴取は任意同行で、令状の無いもの。従って容疑者じゃないから、堂々とする。
・行けるタイミングがあれば、トイレに行き、一旦録音したファイルを義母の携帯に送信する。
この作戦は、智花の持ち物検査をされない前提での話しで、もし取り上げられそうになったら、あくまでも任意で来ていると突っぱねるように。
とにかく録音できる状況になったら、相手を怒らせ暴言を吐かせて、こちらに有利に進める事が肝要。まずはこちらの要求を飲めと話していけば、相手は必ず怒り出すはず。
そして、矢嶋は見事に健三の策に嵌まった。
「この…クソ女め……」
実際の警察がどのような取り調べをしているかは、作者にはわかりません。
ただ、矢嶋のような高圧的な警官はいないと信じたいです。