12 暗転
この話と次の話は、電話での会話が中心で、情景の描写が少なめです。
智花は夜8時45分になると、NHKのニュースを見るのが日課になっている。
なんてことはない。明日の天気予報が詳しく伝えられるからだ。
今日は光雄からの連絡がなかったと思う。
ということは、今日は泊りか。
とある契約を守れなかったということで、先程まで、光雄にはとても言えない事が行われていた。
まだ頭がボーっとする。携帯もそういえばチェックしていないなぁ。
二人の娘は遊び疲れてすやすや寝ている。
テレビからニュースが聞こえてくる。
『8時45分になりました。関東地方のニュースと気象情報です。
今日午後6時ごろ、埼玉県松谷市の路上に男性が倒れているのを通りがかった人が見つけ、110番通報しました。
この男性は、近くに住む会社員 中林 光雄容疑者で、全身を強く打っており、意識不明の重体です。
中林容疑者は、MDMAと呼ばれる向精神薬をセカンドバッグに所持しており、警察が付近を捜索したところ、別の女性が倒れているのが見つかりました。この女性からは、この麻薬の反応が出ており、松谷警察署では何らかのトラブルがあったものと見て、中林容疑者の回復を待って事情を聞くことにしています。
次のニュースです…』
「!?」
一体何が起きたのだろう?
智花は急いで携帯の電源を入れて、着信履歴のメールを確認する。
048○○○0110という所から、何度も着信があった。
また、留守電のインジケータの赤丸がある。
留守電を恐る恐る聞いてみる。
最初の留守電は6時30分だった。
『あー、中林さんの奥さんの携帯ですかね。松谷警察署の岸谷と申しますー。実はですねー、お宅の旦那さん、光雄さんが事故に巻き込まれてですねー、ちょっと奥さんに署まで来てもらいたくてですねー、連絡もらえますかねー。松谷警察署、048のー、○○○、0110ですー。
交通課の岸谷までお願いしますー。』
次のメッセージです
機械音が冷酷に告げる。
8月26日午後7時30分
『あのー、松谷警察署の岸谷ですがー、聞いておられますかネ?
ちょっと旦那さん、事件に関係してるようでぇー、連絡もらえないですかねぇー』
3件目 8月26日午後8時30分
『松谷警察署生活安全課の矢嶋と申します。岸谷からの連絡に気づいていらっしゃいますでしょうか?
残念ながら、ご主人がとある事件に関わっている可能性があります。
事情を聞きたいと思いますので、連絡を下さい。』
4件目 8月26日午後8時50分
『あ、智花さん?八郷の中林です。ニュースを見たんだけど、大丈夫?
今からそっちに行くから、光雄のことで色々対応して。翼ちゃんと碧葉ちゃんは任せて。
何かあったら連絡ちょうだい。』
智花は呆然としていた。
快楽と苦痛の行為をしていた最中に、とんでもないことが起こっていた。
4件目は警察署からの留守電を聞いている時に、きっとニュースを見た光雄の母より連絡があったのだろう。
動転はしていたが、まずは警察署に連絡することにした。
「こちら松谷警察署です。」
「中林と申しますが、生活安全課の矢嶋さんをお願いします。」
「お待ちください。」
保留音が永遠の如く長く感じた。
「生活安全課の矢嶋です。」
「あの……中林光雄の妻です…」
「連絡を待ってました。実は、光雄さんが、車に引かれているのが発見されたのですが、彼のセカンドバッグの中に、MDMA、聞いたことありますか?エクスタシーと呼ばれる向精神薬です。それが入っていたんです。」
「セカンドバッグ…ですか?」
智花は疑った。昔から光雄はバッグを二つ以上持つのを極端に嫌がっていた。それなのに、セカンドバッグだなんて。
「そうです。ヴィトンのセカンドバッグです。」
「そ、そんなはずはありません。光雄はセカンドバッグを持つのを嫌ってましたし、ブランド品は、もっと嫌がっているんです。」
「いいですか、奥さん。その中に入っていたエクスタシーの錠剤には、しっかり光雄の指紋が着いていたんです。
セカンドバッグやブランド品が嫌いとかじゃそういう次元の問題ではない。」
矢嶋と名乗る男は、だんだんイライラしてきたらしく、語気を強めた。
いつの間にか、光雄さんが光雄に変わっていた。
「奥さんも、何か知っているんじゃないですか?」
「それよりも、光雄は今どこですか?大丈夫なんですか?」
「いい加減にしなさいよ、あんたも何か知らないかって、こっちが聴いてるんだ。」
更に言葉を強め、矢嶋は智花を問い詰めた。
「わ、私は…何も知りません…」
「大体こういう事件は、夫婦で共謀するのが相場なんだ。いっぺん署まで来てもらう。パトカーをそちらに回すから、待っているように。間違っても逃げようなんて思うなよ?」
「あの…光雄は…」
「あんたもしつこいなァ、署に来たら教えるから、」
ガチャッと電話を切る音がし、無情にも、プーッ、プーッという音が耳に残った。
智花の足はガクガクと震え、目からは大粒の涙が溢れて止まらない。
警察って、警察って…
どの位経ったろう、不意のチャイムが鳴った。
ビクビクしながらモニターを見ると、光雄の母と父が来ていた。
「グスッ、おがあざん、ずびばぜん、いばあげばず。」
涙と鼻水でまともに話が出来なかった。
「9階までのエレベーターが、こんな長く感じたことは無かったよ。」
光雄の母は、開口一番、こう智花に話した。
そして、優しく語りかけた。
「あなたは光雄を信じている?」
「…はい。もちろんです。」
「じゃあ大丈夫。あなたが信じなきゃ、誰が光雄を信じてやれるのか。
曲がりなりにもあなたは私達夫婦より深く光雄を知っているから。
気を強く持つのよ。ところで光雄は?大丈夫なの?」
「グスッ、げいざづのひどが、おしべでぐれだいど。ゔあーん、おかあざーん」
母は智花を抱きしめて優しく髪を撫でた。
その時、再びチャイムが鳴った。
光雄の父が「私が取る」とインターホンの受話器を取った。
「はい」
警察官は男の声がしたことに少々驚きながらも強い口調でこう言った。
「松谷警察署のものだ。中林光雄の件で夫人を同行させてもらう。自動ドアを開けなさい。」
「馬鹿者がッ!言葉遣いがなっておらん!官憲が任意同行を求める時は、官姓名を名乗るのが筋だろっ!それでも貴様ら警察官かッ!」
普段は温厚でもの静かな父親が、怒鳴りつけるのを智花は初めて見た。
そして圧倒された。
圧倒されたのは、警察官も同じであったようで、急に態度を変え、丁寧な口調で言い直した。
「た、大変失礼しました。松谷警察署の柿田と申します。奥様に事件の事情を聞きたく、ご同行をお願いします。」
「よろしい。降りて行くので、しばらく待つように。」
毅然とした態度で、父は受話器を置いた。
「全く、警察はなってない。相手によって態度を変えてくる…智花さん、出られるかな?」
「はい。降ります。」
さっきの父親の怒鳴り声で、翼が起きてきた。
眠い目をこすりながらも、白黒させて、祖父母がいるのが不思議そうであった。
「つーちゃん、これからママはお出掛けするの。ちょっとの間だけがまんしてね。
明日学校のプールはお休みしてね。
お友達から何を言われても、大丈夫だからね。」
「え?ママどうしたの?」
「ちょっとパパの所に行くの。だからね、、」
「ママ泣いてる…」
智花は大きく息を吐き、義父母に深々と頭を下げた。
「行ってきます。」
智花が出て行った後、父親は首をコキコキッと鳴らし、一仕事しないとな。と呟いた。
一部矛盾点を修正しました。