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似た者同志

作者: マコト

 スクランブル交差点の歩行者用信号が青に変わり、人の塊が一斉に思い思いの方向へと動き始めた。

塊の中ほどに居た誠一も、その流れに呑みこまれてのろのろと歩き始める。スーツ姿のビジネスマンやOLが歩みの遅い誠一を避けるように颯爽と追い越していく。誠一はその背中に「俺は忙しんだぞ」「私は、仕事してるのよ」という無言のメッセージを突きつけられているような気がした。

 横断歩道の向こうからはランドセルを背負った数人の小学生達がゼブラゾーンを飛び跳ねるように近づいてくる。「俺にもあったんだよなぁ、ああいう希望と元気で溢れかえってた時期が。もう二度と戻ることの出来ない天国の日々・・・」誠一は心の中でそう呟きながら子供達を眩しそうに見送った。

 誠一のすぐ後ろでは20代前半と思しきチャラ系カップルが「夕めしはどっち方面にする?」「そうねぇ、デパ地下のラーメンがいいかな。この前サークルの子達と行ったんだけど、スープも麺もヤバいくらいイケてたよ」「よっし、じゃ、そこに決まりー」なんていう軽い会話で盛り上がっている。「お前ら、せいぜい今のうちに楽しんでおけよ。人生なんてあっという間に過ぎちまうんだからな」腕を組んで横を抜き去っていくカップルを上目使いに見やりながら誠一はそっと呟いた。

 人、ビル、車、喧騒・・・。誠一にとっては飽きるほど見慣れた昼下がりの街の光景だ。交差点を渡りきったところで誠一はふと足を止め、自分が生きてきた街を見渡した。

「この街のこの光景とも今日で永遠におさらばか・・・」

そんな心境で街を見渡すと、見慣れたビルや通りを歩く人々の輪郭が、急にくっきりと浮かび上がったように思えた。

「この歩道を歩くのもこれが最後だ」

誠一は自分の足元に視線を移した。今までは特に気にもしなかったが、歩道には長方形のレンガ風タイルが一面に敷き詰められている。こうやって見ると意外にも綺麗な道だ。何気ない発見に思わず誠一の頬が緩んだ。そして、その時誠一の頭に浮かんだ「死に土産」という言葉が、小さなその喜びに花を添えた。

「あのぉ、すいません・・・」

下を向いたまま歩いていた誠一はその声に呼びとめられた。語尾の上がった女の声だった。誠一が振り向くと、そこには紺のスーツを着た髪の長い女性が立っていた。にこやかにほほ笑む女性は、どちらかというと美人の部類に入る若い女性だった。

「お急ぎの所を大変申し訳ありませんが、アンケートに答えてもらってもいいですかぁ?」

バインダーを手にした女性はそう言って誠一の返事をうかがっている。

「え・・・は、はい。いいですけど・・・」

今から死のうとしている誠一にはアンケートなど、どうでもよかった。でも、声をかけてきたのが若くてきれいな女性ということが、彼の男としての本能をくすぐった。死んでしまう前に僅かな間でもこんな女性と話が出来て嬉しいな・・・と。

 女性は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。それからこう続けたのだ。

「実は自殺に関するアンケートなんです」

と。誠一の心臓がドクンと飛び跳ねた。

「びっくりさせてすいません。これは自殺防止活動を行っているNPO法人が『自殺防止キャンペーン』の一環として行っているアンケートなんです」

「はぁ・・・」

自殺防止のNPO法人。誠一の頭に「××にもすがる」ということわざが浮かんだ。でも、××の部分の言葉が思い出せない。

「じゃあ、早速質問の方させてもらいますね。1日の内で一番自殺する人の多い時間帯って何時頃だと思われますかぁ?」

自殺の多い時間帯・・・そんなデータが有るのか?まさか自殺した人間が「私は午後8時に首をつりました」なんて自己申告するわけはないし・・・。検死官が司法解剖して集計したデータだろうか?誠一はそんな考えをぼんやりと巡らせた。

「さあ、よくわからないけど夕方の5時くらいかな?それとも、夜中の2時くらいかな?」

「残念ながらどちらもハズレです。自殺が一番多いのは夕方とか夜中ではなく朝なんです。時間でいえば8時から10時頃になります」

意外だった。死というイメージは朝よりも夕方とか人が寝静まった時間帯にピッタリだと思っていた。しかし、それは単に死というものに対する偏見に過ぎないのかもしれない。

「じゃあ、自殺の方法で一番多いのは何だと思いますか?」

「首つりかな・・・」

誠一は咄嗟に自分自身が選んだ方法を口にしていた。リュックの中で白いロープがカサッと乾いた音を立てる。

「それも、ハズレです。第1位は車の排気ガスとか練炭などによる中毒死。第2位が睡眠薬や青酸カリによる薬物死。第3位が列車への飛び込みやビルからの飛び降り。そして4番目に多いのが今おっしゃった首吊りなんです」

首つりってマイナーなんだ・・・。誠一は少しがっかりした。

「それじゃあ、今あなたがお答えになった首吊りする場所のベスト1はどこだと思いますか?」

「それは、やっぱりあまり人目につかないところでしょう。山の中とか」

誠一は人生終焉の場所を決めかねていた。その記念すべき自分の死に場所を探すために街をさまよっていたのだ。

「山というのは第3位なんです。意外と思われるかもしれませんがトップは自宅なんですよねぇ」

こうやって死に場所を探すことすら面倒っていうことだろうか。「思い立ったら即実行」そんなジョークを口にしそうになった。

「お忙しいところ、ご協力ありがとうございました。あのぉ、まだお時間ありますかぁ。よろしければ、もっと詳しい話をさせていただきたいのですが?」

まるでキャッチだ。まさか自殺のマニュアル本でも売りつけるつもりだろうか。「首つりコースは専用のロープとのセット料金で1万円になります」とか・・・。

 誠一は女性の屈託のない笑顔を訝りながらも「ええ、いいですよ」と返答していた。


 てっきり喫茶店とかオフィスに案内されると思っていた誠一は虚を突かれた。

女性に導かれてやってきたのは街はずれにある公園だった。噴水を中心に臨む円形広場が有り、その周りをクスノキやコナラなど広葉樹の林が囲っている。そこは半年前、誠一が会社をリストラされるまで営業のサボり場所にしていた思い出の場所だった。誠一は女性に促されるまま噴水前のベンチに腰を下ろした。夏場には本領を発揮する噴水も晩秋の今では沈黙して、水苔の生えた水面には落ち葉が浮かんでいる。

「あのぉ、大変失礼な事を承知でお訊ねしますけど、いいですかぁ?」

誠一の隣りに座るなり女性が口火を切った。

「はい、お答えできる範囲でしたら何なりと」

人ごみから離れて、女性と二人きりになったことで誠一のテンションは幾分上がっていた。

「今までに自殺しようと思われたことってありますかぁ?」

誠一は再び心臓がドクンと鳴るのを感じた。

「え、あの、いや・・・そりゃあ、全くないとは言い切れませんが・・・」

「もしかして、今、死にたいと思ってらっしゃいませんかぁ?」

誠一は眼を見開き、女性の顔をまじまじと見つめた。心なしか女性の笑顔がさっきよりも輝きを増しているように見える。誠一は返す言葉が見つからず、唇を小刻みに震わせた。

「どうやら図星のようですね」

そう言うと女性は手にしていたバインダーを傍らに置き、勝ち誇ったように両腕を青空に向かって勢いよく突き上げた。

「やったぁー。仲間を見つけちゃったぁー」

誠一は訳が分からずのけぞった。

「驚かせちゃってごめんなさい。実はこの私も自殺の経験者なんです。といっても、残念ながらというか幸運にもというか、まだ一度も自殺に成功してないんですけどね」

そう言うと女性はスーツの袖をまくって誠一の前に腕を差し出した。左右の手首に糸状の赤い傷が何本も走っている。

 こんなに若くて綺麗な娘が・・・。誠一は女性の生々し手首と柔らかな笑顔とを何度も見比べた。

「それで、死にたいと思った理由はなんですかぁ?」

女性が興味深そうに誠一の顔を覗き込む。

 誠一は自分の心に向き直って考えてみた。

リストラ、離婚、自己否定、うつ・・・そして絶望。

「生きることを考えるのに飽きちゃったのかなあ・・・」

「ですよねぇ。それって私と同じだ。何か嬉しい!」

満足そうな女性の笑顔につられて誠一も微笑んだ。歓びの微笑ではなく、苦笑ではあったが自分以外の誰かに向かって微笑することが誠一にとっては本当に久しぶりのことだった。

「生きていたらいろんなことありますもんねぇ。人から見れば些細な事でも当の本人にとっては本気で死んじゃいたいと思うくらい深刻なんですよねぇ」

誠一は大きく相槌を打った。

「私、何度も自殺を試みてるうちに分かったことが有るんです」

「何かな?」

誠一が大きく身を乗り出した。

「死にたいと思い立った時には心を集中して、徹底的に死ぬことを考えるんです」

「徹底的に・・・?」

「そう。半端じゃダメなんです。人生の一大事なわけだし、本当に死んじゃったらもう考えることなんてできないわけだし。だからこれが最後だという気持ちで真剣に考えて考えて考え尽くすんです」

誠一は真剣に耳を傾けていた。

「私の場合はコレなんですけど」

女性は右手で左手首を切りつける仕草をしてから続けた。

「ためらい傷を見ながら考えちゃうんですよねぇ。本当に死んじゃったら私の体はどうなっちゃうのかなぁって」

「運が良ければ、そのまま死ねるよね」

「はい、その通りなんです。でも、具体的に死んだ後の私の体がどうなるのかが知りたくて医学書を読むんです。あと、推理小説なんかで刑事が自殺現場に立ちあうシーンとかも」

フムフム。

「動脈って本気で切ると血が勢いよく噴き出すんですよねぇ」

誠一は目の前の噴水が鮮血を噴き上げるのを想像して身をすくめた。

「私が完全に意識を失っても手首からは血が噴き出し続ける。服には勿論、顔にも髪の毛にも、体にも足にも下着にもじわじわと血が沁みていく。息絶えてからすぐに発見されればいいけど、死後5日位経つと血は完全に固まってしまう。床に転がった私の体が張り付いた血の塊からべりべりってはがされて、髪の毛はごっそりと抜けちゃうだろうし皮膚だってずるむけになっちゃう。検死で服をはぎ取られる時には、肉も一緒にはがれちゃうかもしれない・・・」

誠一はそのリアルさに息を飲んだ。女性の方もその光景を思い描いているのか噴水を見つめて黙り込んでしまった。

 誠一はふと自分のケースを想像してみた。首を支点に太い木の枝からぶら下がっている自分の亡骸。緩みきった全身の筋肉はだらりと垂れ下がり、足元には糞尿も垂れ流され、白眼をむいた顔。そんなみじめな姿のままま風に吹かれて右に左にゆら~り、ゆら~り・・・。超絶的におぞましい姿だ。

「なんか、鳥肌立っちゃうよね」

誠一は正直にそう呟いた。

「もしも、本気で死にたいと思ってるんでしたら私は止めませんから」

「・・・・・・」

「死にたいと思うのは本人の自由ですし、いくら止めたところで死ぬ人は死にますからね」

ごもっとも・・・。

 誠一は改めて女性の目を見た。彼女はもう笑ってはいなかった。綺麗に透き通った可憐な目がそこにはあった。

「ありがとう。今の意見、参考にさせてもらうよ」

「私の体験が何かのお役にたてれば光栄です」

誠一が右手を差し出し握手を求めると、女性は快くそれに応じてくれた。その時誠一は『××にもすがる』の××に入るのが「藁」だということを思い出した。握手に応じてくれた彼女の手首のリストカット痕が誠一にはキラキラ輝いて見えた。

「それじゃ、私はこれで失礼させて頂きますねぇ」

バインダーを手に取ると女性はすっと立ち上がった。

「あの・・・君はいつもあの場所でアンケート取ってるの?」

「いつもというわけじゃありませんけど、リスカに失敗した後には無性にアンケート取りたくなるんです」

「名前聞いてもいいかな?」

「今から死のうとする人が私の名前なんか聞いてどうするつもりですかぁ?」

女性の目が悪戯っぽく光っている。誠一は久しぶりに楽しいという感覚を味わっていた。

「じゃあ、これで本当にさようなら。成功することを祈ってますからね」

そう言って微笑むと彼女は通りに向かって歩き始めた。が、公園から出る直前に振り返ってこう言ったのだ。

「もしも万が一自殺に失敗してまたお会いすることがあれば、その時は私の名前をお教えします。それと、首吊りの場所で2番目に多いのは公園なんです。この公園でも3カ月程前に一人見事に自殺を遂げてますからぁ」

大きく手を振る彼女に誠一も負けじと手を振り返した。

 やがて颯爽とした彼女の後姿は街角へと消えて行った。体の奥に仄かなぬくもりと楽しさとを感じながら誠一は静かに目を閉じた。


                                           (了)

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― 新着の感想 ―
[一言] 偶然の出会いに救われることってあるね。 自分と同じ感覚を持った人がいること、一人じゃないと思えたら、未来を考えられるかな。 人を救えるのは、人なんだねー。 支えて、支えられて生きていきたい。…
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