"ゲームクリア"
馬鹿は馬鹿でも救えない馬鹿な作者
"ゲームクリア"と云えば何が思い付くだろうか?
ボスを倒すまで?エンディングを見るまで?全ての要素を解き明かし収集するまで?
三者三様にその答えはあるのだろう。
私にとっては"楽しい事が見つからなくなるまで"だ。ゲームの要素に楽しい事がある限り、私はそのゲームはクリアした事にはならない。
さて、では"ゲーム"とは何だろうか?
私の中では、"現実を一定のルールに従い改変した簡易版の遊戯"だと考えている。
ゴールや目標を達成し、達成感を得たり勝敗を得るという工程こそが"ゲーム"の本質であると考えているのだ。
さてさて、こんな面倒な前置きを何故しなければならなかったか?
それはここからの話を皆にも考え易くする為だ。
端的に云えばゲームクリアを現実に適応した場合、現実の死こそが"終点"であるのだろうか?
答えは当然に否となる。健康寿命・当人の意思決定可能状態・自己肯定。挙げれば様々だが、"楽しめなくなる"日はいずれ来てしまう。
しかし、その過程には小さな目標達成から大きな目標達成まで様々なクリアがある。
私にとっての"現実のゲームクリア"は、足るを知りつつも全てを理解知り得る人になる事だった。
私は人や文字との付き合いから様々な事を学んで来た"つもり"だったが、実際には自分のこれからも相手の一部分すら理解する事が出来ない無知識者に過ぎない事に気付いた。
足るを知り己を知ってみると、私は"愚者"になる事を目指していた単なる愚か者に過ぎず、全てを知り得る存在になりたいなどと本気で思ってしまった馬鹿なのだ。
とある小説に社会に居るあらゆる人という要素を内包しようとした結果、全ての人を部分的にでも再現しようとした結果私の脳は焼き切れた様に機能を停止してしまった。
その上に、倫理観を僅かに備えた馬鹿として記憶の連続性が混濁した病人状態のまま社会や人々に大変な迷惑をお掛けしたのだ。
馬鹿は馬鹿でも自分からなった挙げ句暴走した私みたいな馬鹿は希少だろうと小説にしている限りである。
私は最大の目標であったゴールをクリアしたので、"ゲームクリア"を宣言する。
さてさて、クリアしたのだから馬鹿は馬鹿なりに余暇を楽しむ事にする。
クリアした感想としては、世界に愛は溢れてるし自分は陳腐だし才能は無かった。
つまり何もする必要の無い愚者の爆誕である。
まあ好きな事をしながら最低限生きるには私には生活保護すら手厚過ぎる程度には欲が無いのが売りとも云える。
こんな駄文を最後まで読んだ皆は折角の機会なので、皆にはどんな"ゲームクリア"があって、どんな余暇を楽しみたいのか色々考えてみると良い時期なのかもしれない。
もし何か聞いて欲しい事などあればメッセージやら送ってくれたら返信する時間だけは沢山あります。(退院直後)




