閑話 王国軍電撃作戦ベルファルド奪還戦⑤
ベルファルド平原――王国軍本陣。
中央が崩れかけている報告。
右翼壊滅寸前の報。
伝令が次々と駆け込む。
「右翼、ハロルド中隊長、アニス中隊長――討たれました!」
天幕の空気が凍る。
だが。
「……二人を殺したのは誰だ?」
低い声。
「シエラ・クレストールが現れ、中隊長お2人は敗北しました……」
机を指で叩く音。
「……やっと出てきたね。クレストール当主」
イリーナ・ヴァルグレインは、ゆっくりと立ち上がった。
紅い髪が揺れる。
「たった二人落ちただけで騒ぐんじゃないよ」
鋭い眼光が地図へ落ちる。
中央、押されている。
右翼、崩壊。
左翼――
「マグナスは?」
「はっ! 孤軍奮闘中! しかし包囲が――」
「上等じゃないか」
イリーナは鼻で笑う。
「あいつはそういう男だ。簡単には沈まない」
あの会議室で、叱責に耐えた男。
マイケル大隊が壊滅した中で、帰ってきた男。
拾ったのはアタシだ。
使うと決めたのもアタシだ。
「伝令を出せ」
「はっ!」
「中央、後退。右翼も下げろ」
その場がざわつく。
「大隊長……それでは完全に――」
「聞こえなかったかい?」
視線一つで黙らせる。
「下げろって言ったんだよ」
命令は伝達された。
王国軍がじわりと後退を始める。
それを見て帝国軍が吠える。
前進。
包囲を狭める。
押し潰す気だ。
イリーナは地図の一点を叩いた。
「……食いついたね」
そこは緩やかな窪地。
左右を岩丘に挟まれた、天然の絞り場。
「控えさせていた隊を左へ寄せろ。盾を固めさせな」
「はっ!」
「予備魔法隊、土属性使い。
上から砂塵を撒かせろ。視界を削れ」
「はっ!」
次々と指示が飛ぶ。
後退は敗走ではない。
“誘導”だ。
「マグナスに伝えろ。持ち堪えろ。アタシが勝ち筋を作る、ってな」
◇
左翼。
血と砂塵が混じる中、ミスリルの刃が白く閃いた。
マグナスのハルバードが横薙ぎに振り抜かれる。
斧刃が鎧ごと帝国兵を弾き飛ばし、柄尻が次の一人の膝を砕く。間髪入れず槍穂が喉を貫いた。
「退くな!! 陣形を潰すな!!」
怒号が響く。
だがそれは激情ではない。
戦況を読み切った声だ。
「第三小隊、二歩下がって密集を維持! 盾は斜めに構えろ! 正面を焼く!」
命令と同時に、足元の地面が赤く滲んだ。
炎ではない。
空気が歪む。
熱域が展開する。
マグナスの周囲数間、見えない壁のような熱層が形成される。
踏み込んだ帝国兵の呼吸が一瞬止まり、視界が揺らぐ。
「……なっ、熱っ――」
次の瞬間、ハルバードが突き出された。
穂先に纏うのは“白熱”。
火属性の上位――火炎属性。
赤ではない。白だ。
触れた瞬間、鎧の継ぎ目が溶ける。
斬るのではない。断熱で焼き切る。
敵が後退する。
だが数が多い。
左右から包囲を狭める動き。
マグナスは即座に見切った。
「左翼第二列、前へ半歩! 通路を開けろ!」
兵が一瞬躊躇する。
「早くしろ!!」
怒号。
開いた隙間へ、彼は踏み込んだ。
ハルバードを地面へ叩きつける。
ドォン!!
爆ぜる衝撃。
だが爆発ではない。
地面を走ったのは炎の環。
赤い線が円を描き、瞬時に白へ変わる。
火炎属性魔法――
《灼界輪》。
侵入した敵の足元だけを焼き払う制圧陣。
悲鳴が上がる。
だが味方は無傷。
熱域の角度を制御している。
「今だァ! 突き返せッッ!」
盾兵が押し出す。
槍兵が突く。
マグナスは前へ出る。
後ろではなく、常に最前線。
自ら敵を弾きながら、同時に戦場全体を読む。
(右翼は崩れた。中央も怪しい。ならばここが“軸”だ)
圧が増す。
帝国軍は左翼を突破しようと雪崩れ込む。
マグナスはハルバードを回した。
斬、打、突、引。
長柄の利で三人を同時に制する。
そして。
炎が、深くなる。
空気の沸点が引き上がる。
兵たちの髪が揺れる。
地面の砂が焼けて黒く変色する。
「総員、伏せろ!!」
味方が身を伏せた瞬間。
彼は穂先を空へ向けた。
白い光が凝縮する。
火炎属性上位式……そして槍術の合わせ技――
《白焔穿》。
槍穂から放たれた白熱の奔流が直線に走る。
帝国兵の隊列を貫通し、後列まで焼き払う。
鎧が溶け、盾が裂ける。
一直線に、道が出来た。
静寂が落ちる。
その背に、伝令が滑り込んだ。
「総大将より! “持ち堪えろ。勝ち筋は作る”!」
マグナスは一瞬だけ目を閉じた。
紅い髪の女の顔が脳裏をよぎる。
「……待ってたぞ、紅狼将軍」
口元が歪む。
炎を収束。
だが消さない。
抑え込む。
制御。
兵へ振り返る。
「聞いたな!」
ハルバードを掲げる。
白熱が刃を走る。
「王国軍はまだ負けていない!!」
兵の目に火が灯る。まるで火炎が燃え盛るように。
マグナスは再び前へ出る。
自らが楔。
自らが盾。
自らが砲。
敵が寄れば焼き、突破口があれば広げ、崩れそうな箇所には即座に穴埋めを命じる。
指揮と戦闘が同時に回る。
盤面を読む目は、決して閉じない。
(イリーナ大隊長。盤は整えた)
左翼は、燃えていた。
だが崩れてはいない。
湧き上がる火炎の中心に、マグナスが立っている限り。
◇
本陣。
帝国軍は窪地へなだれ込んでいる。
砂塵が舞う。
視界が悪化。
陣形が縦に伸びる。
密集。
「今だ」
イリーナは天幕を出た。
ミスリル製の両手剣を担ぐ。
陽光を受けて白銀が光る。
重いはずの大剣を、軽々と。
「アタシが前に出る。旗を上げろ」
本陣の旗が動く。
紅狼の紋章。
それを見た兵たちがざわめく。
「イリーナ大隊長が前へ……!」
イリーナは窪地の縁へ馬を進めた。
砂塵の向こう。
風魔法を纏い、双剣を振るう女の姿。
敵の総大将……シエラ・クレストール。
周囲を切り裂きながら進む異質な影。
「……あれか」
目を細める。
圧が違う。
空気が裂ける。
「なるほどね。噂以上だ」
背後に控えていた一人の碧髪の青年へ、顎をしゃくる。
「ヴィンス」
静かな男。
返事は短い。
「はい」
「……ヤツ、シエラ・クレストールを討て」
「……了解」
イリーナはニヤリと笑う。
「行きな」
それだけ。
ヴィンスが一歩踏み出す。
♢
砂塵の中を、真っ直ぐ。
逃げ惑う兵の間を抜け。
崩れた右翼の残骸を越え。
倒れ伏すハロルドとアニスの傍らを通り過ぎる。
そして。
止まる。
双剣の女の前で。
砂が舞い落ちる。
戦場の喧騒が、そこだけ遠のいた。
シエラがわずかに首を傾け、ヴィンスを認識する。
「……あなた? なかなか手練みたいね」
ヴィンスは武器を構える。
「相手が欲しいんだろ」
風が止む。
窪地の中央。
二人が対峙する。
本陣の高みから、それを見下ろしながら。
イリーナは静かに呟いた。
「さぁ――ひっくり返すよ」
ベルファルド平原の空気が、張り詰めた。
決戦が始まる。




