第七十九話 同じ釜の飯
会談の一幕が終わり、各勢力の幹部たちは、それぞれ控え室へ戻り小さな輪を作って今後の行く末を探っていた。
声を潜めた議論。
沈黙の中に、計算と警戒が混じる。
そのフロアからオリビアは静かに距離を取った。
――少し、頭を冷やしたい。
そう思い、彼女は石造りの階段へと足を向けた。
階段を上へ。
さらに上へ。
目的地は、建物の屋上。
ベルファルドの街並みを一望できる、見晴らしのいい場所だ。
ここは、人が滅多に来ない。
だからこそ、オリビアが思考を整理したい時、無意識に足が向く場所でもあった。
(大丈夫)
階段を上りながら、胸中で言葉を反芻する。
(反応は悪くない。このまま押し込めば――可能性は高い)
帝国も、王国も。
表では渋るが、内心では同じ結論に近づきつつある。
あとは、“決定打”。
屋上へ通じる重い扉に手をかけ、静かに押し開く。
夕暮れの光が、視界いっぱいに広がった。
赤く染まり始めた空。
整然と並ぶ屋根。
遠くまで続く、ベルファルドの街並み。
――いつ見ても、悪くない。
だが。
そこに、ひとつだけ。
オリビアの想定外があった。
♢
「ベルファルド奪還戦では、重要な役割を果たしたようね。流石だわ」
声をかけると、屋上の縁に立っていた男が振り返った。
そこに立つのは碧髪の魔法士。
ヴィンス。
夕陽を背にしたその姿は、以前よりもどこか引き締まって見える。
「皮肉か」
短く吐き捨てるように言う。
「お前には、負け越してる」
「ふふ。元気そうじゃない」
オリビアは微笑みながら近づいた。
魔力の流れ。
立ち姿。
纏う気配。
――やっぱり。
言葉にせずとも、わかる。
この男は、確実に力を伸ばしている。
敗北を糧に。
誰にも語らず、ただ黙々と。
「強くなってるようね」
何気ない一言。
だが、ヴィンスの眉が、ほんのわずかに動いた。
「……次は、お前には負けない」
即答だった。
オリビアは、少しだけ目を細める。
「仲間とは、戦いたくないわ」
一瞬の沈黙。
(まだ俺を仲間と呼ぶか……)
ヴィンスはわざとらしく視線を逸らし、小さく呟いた。
だが、その呟きは風に紛れ、オリビアの耳に届くことはなかった。
「……まさか、お前らがアリア王女やダークエルフまで仲間につけているとはな」
彼は話題を変える。
「驚いたぞ」
「ふふ」
オリビアは楽しそうに笑った。
「なら、ヴィンスも今からでも、こちらの陣営に来てくれていいのよ?」
一拍置いて、付け加える。
「アリア王女、とても綺麗で素敵な女性よ?」
「……」
ヴィンスは一瞬、言葉に詰まり――
「お前が直々に頼むならば」
肩をすくめる。
「一考してやろう」
そう言って、踵を返した。
去り際。
「オリビア」
呼ばれて、彼女は振り返る。
「?」
「イリーナ大隊長は問題ない」
低い声。
「だが……クエスター皇太子には気を付けろ」
さらに、続ける。
「森の近くなら、奴の手先――キャシアス大隊長もだ」
それだけ告げると、ヴィンスは屋上を後にした。
残されたオリビアは、夕焼けの街を見下ろす。
(……忠告、か)
その口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
そして彼女は、静かに息を整える。
次は――
同じ卓に着く番だ。
♢
会談が再開されたのは、夜の帳が落ちた頃だった。
ベルファルドの石畳を、橙色の光が照らす。
昼の張り詰めた空気は少しだけ和らぎ、街は夕刻の顔を見せ始めていた。
再び集まった三勢力。
だが、今度は長卓の上に地図はない。
代わりに並べられていたのは――
湯気を立てる料理の数々だった。
帝国、王国、セレスティア。
席の配置は変わらない。
だが、場の意味は、はっきりと違っていた。
オリビアが立ち、穏やかな声で告げる。
「古来より。盃を交わし、同じ食事を共にすることで
人は交友を深めてきました」
視線を、左右に向ける。
「今日ここでは、剣も理屈も置いてください。
まずは――食事を」
一瞬の沈黙。
それを破ったのは、レオン伯爵だった。
「……まさか」
「先日まで武器を向け合っていた相手と、同じ釜の飯を食う日が来るとはな」
イリーナも、鼻で小さく笑う。
「人生、分からないもんだね」
完全な和解ではない。
だが、拒絶もない。
それで十分だった。
♢
料理は、スフォンジーの森の恵みを中心に構成されていた。
乾燥と燻製で保存性を高めた獣肉の煮込み。
森で採れる根菜を練り込んだ保存パン。
魔力を穏やかに補う干し果実とナッツ。
そして――
卓の中央に置かれた一皿。
淡い光沢を放つ、薄切りのキノコ料理。
「……これは」
カールが、思わず声を漏らす。
「踊り茸です」
答えたのはエヴァだった。
「毒性はない食材です。適切な下処理をこなし、アクは完全に抜いてあります」
「保存も利くよう、油と塩で調理しています」
半信半疑のまま、レオンが一口。
次の瞬間、目を見開いた。
「……旨いな」
「芳醇な香りも素晴らしい。それに、くどくない」
イリーナも口に運び、驚いたように眉を上げる。
「腹に溜まる……しかも、妙に身体が軽い」
「栄養価が高く、長期行軍や冬越しに向いた食材です」
エヴァの言葉に、軍人たちの目の色が変わる。
さらに、食事の締めとして出されたのは――
淡い緑色の果実を使った、保存菓子。
「これは珍しい……グリーン・アップル……?」
マグナスが、低く呟く。
「スフォンジーの森でしか採れません。
加工すれば、数ヶ月は風味を保てます」
甘みの奥に、微かな酸味。
舌に残る清涼感。
疲労が、すっと引いていく感覚。
誰もが、無言で皿を空にしていた。
反論は、もう出ない。
♢
静寂の中、エヴァが最後の一手を打つ。
「……ちなみに」
視線を、レオンに向ける。
「帝国のジョシュア侯爵とは、既に面会しております。侯爵も、この価値を理解されました」
ざわり、と帝国側が揺れた。
「必要であれば」
「彼から、本国への後押しも期待できます」
レオンは、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど。万全に、根回しを済ませてきたわけか」
イリーナは腕を組み、天井を仰ぐ。
「食料、建材、装飾品……戦争を続ける理由が、どんどん減っていくね」
オリビアは、静かに告げる。
「我々は、勝者を決めたいのではありません……この地に、“次”を残したいだけです」
沈黙。
♢
やがて、覚悟を決めたようにレオンが杯を持ち上げた。
「……我々、帝国は休戦に同意する」
イリーナも、静かに同じように杯を取る。
「……王国も同意だ。異論はない」
オリビアは微笑み、杯を掲げる
「……感謝します。お二人の英断は歴史に残ることでしょう」
三つの杯が、卓の上で触れ合った。
高くもなく、低くもない音。
だがそれは――
剣戟よりも、確かな響きだった。
♢
夜が、ベルファルドを包む。
炉の火は消えず、街は静かに息づいている。
この日、戦争は終わっていない。
だが――
同じ釜の飯を食ったという事実が、
確かに未来を変え始めていた。
価値によって結ばれた、初めての休戦。
ベルファルドはその中心で、
新しい役割を、静かに引き受けたのだった。
⸻続く




