第七十四話 火は暮らしのために
炉の前に立つ親方――
名を呼ばれることは少ない。ベルファルドでは、皆ただ“親方”と呼ぶ。
目の前に積まれた木材を、親方はしばらく無言で見つめていた。
魔力の宿った丸太。
表面は荒く、樹皮もまだ剥がされていない。
だが――
「……切り口が、生きてやがる」
低く、独り言のように呟く。
鉈を取り、試しに刃を当てる。
コン、と鈍い音。
刃は通る。
だが、通り方が妙だった。
「……硬ぇな」
普通の木じゃない。
力を逃がすように、刃を“受け流す”。
親方は、舌打ちまじりに笑った。
「おい猫。これ、どこで拾ってきやがった」
「森にゃ。スフォンジーの奥にゃ」
キットンが胸を張る。
「危険な生物がうじゃうじゃ。魔物すら出る'’普通は'’人が住めない森にゃ」
「だろうな」
親方は、今度は木槌で叩いた。
ゴン、と響く音は重く、しかし澄んでいる。
「……梁だな」
ぽつり、と言った。
「家の梁にすりゃ、百年は保つだろう」
「ひゃ、百年!?」
エルドゥが思わず声を上げる。
「石より軽く、鉄より腐らねぇ。
しかも、魔力を食わねぇ」
親方は目を細める。
「これが量で手に入るなら……
街ひとつ、丸ごと作り直せる」
その瞬間だった。
親方の顔が、職人のそれに変わる。
目が爛々と光り、背筋が伸びる。
「……試すぞ」
「良いにゃ!」
キットンが即答した。
「おっ! おい! 待て待て!」
エルドゥが慌てて割って入る。
「作る前にオリビアに報告しとくべきだろ!
勝手に加工していい素材じゃねぇ!」
だが、キットンは振り返り、びしっと指を立てた。
「親方は今ヒートアップしてるにゃ!
創作意欲モリモリにゃ!
アツい今やらないで、いつやるにゃ!」
「だからってだな――!」
ガン!
親方が、炉に火を入れる音が響きわたる。
「うるせぇ。
火が点いちまったら、止まんねぇんだよ」
「親方ぁ!?」
エルドゥが頭を抱える。
「……あー! 分かった分かった!
知らねえからな! 俺、知らねえからな!」
キットンは満足げに尻尾を揺らした。
「よしにゃ!」
♢
丸太は切り出され、梁の形へ。
削れば削るほど、木は“応える”。
割れない。
歪まない。
魔力も抜け落ちない。
「……おかしいな」
親方は汗を拭いながら呟いた。
「普通はな、魔力木ってのは加工途中で死ぬ。
だがこれは……最後まで保ってやがる」
試しに、魔力を流す。
拒まない。
だが、過剰にもならない。
「……住むための木だな」
親方は、完成した梁を見つめた。
「戦うためじゃねぇ。
生きるための素材だ」
その横で、別の職人が獣骨を磨いていた。
布で拭くたび、淡い文様が浮かぶ。
「親方……これ、飾りにしたら……」
「ああ」
親方は頷く。
「貴族が欲しがる。
だが、戦場じゃ使えねぇ」
キットンの耳が、ぴん、と立つ。
「つまりにゃ――」
「戦争すると、売れなくなる」
親方は、静かに言った。
「街が燃えりゃ、家は要らねぇ。
人が死にゃ、飾りも意味がねぇ」
炉の火が、静かに揺れる。
「……面白ぇ仕事持ってきやがったな、猫」
キットンは、にやりと笑った。
「でしょにゃ?」
エルドゥは、完成した梁と装飾品を見て思う。
これは剣じゃない。
盾でもない。
だが――
(……確かに、戦争を止める“重さ”はある)
火は今日も燃えている。
壊すためではなく――
人が住むためのものを作るために。
ベルファルドの工房で、
静かな一歩が、確かに踏み出された。
※※※
工房の火が落ち着く頃には、街はすっかり夜の顔を見せていた。
キットンを宿まで送り届けたあと、
エルドゥは一人、ベルファルドの石畳を気の向くままに歩いていた。
知らない街を、知らない時間に歩く。
それが、昔から好きだった。
昼間は職人と商人の街。
だが夜は、労働を終えた人間たちの街だ。
酒。
笑い声。
小さな喧嘩。
「……これだけ人が居る街だ。酒場くらいはあるか」
吐く息が、少し白い。
「よし。ちょっと身体、あっためっか」
そう言って、エルドゥは小さな酒場の扉を押した。
♢
中は狭い。
だが、嫌いじゃない。
カウンターに数人、奥に小さな卓が二つ。
香ばしい匂いと、酒精の気配。
エルドゥはカウンター席に向かい――
そこで、足を止めた。
先客。
細身の背。
フードを外し、耳を隠そうともしていない。
光の加減で、はっきり分かる。
オッドアイのエルフ。
「……まさか、な」
だが、間違いない。
エルドゥは静かに、その隣に腰を下ろした。
「帝国への遠征、お疲れさん」
杯を口に運んだまま、声をかける。
エヴァは、こちらを見ない。
「……そちらこそ」
低く、落ち着いた声。
「王国中枢。危険だったろう」
「ははっ」
エルドゥは軽く笑う。
「それを言うなら、お互いさまだ」
店主が、無言で酒を注ぐ。
二人分。
言葉は多くない。
だが、気まずさもない。
それぞれが、少し疲れていた。
何杯か、酒を重ねた頃。
「……今日、工房に森の素材を持ち込んだそうだな」
エヴァが、何気なく言った。
「親方たちの反応は?」
「良いよ」
エルドゥは即答する。
「めっちゃ良い。梁にも、装飾にもなる。
街を作れる素材だ」
一拍、置いて。
「良いのは間違いないんだが……」
「だが?」
「なんか、あとひとつ足りない気がしてなあ……」
エヴァは返事をせず、
酒の肴として出された料理に箸を伸ばした。
焼いたキノコ。
塩と油だけの、素朴な一品。
一口、食べて――
「……やはり、森の食材には劣るな」
「だろ?」
エルドゥは苦笑する。
「保存は効くが、味が浅い」
「命が薄い」
エヴァは静かに言った。
その言葉を聞いた瞬間――
エルドゥの中で、何かが噛み合った。
「……森」
「?」
「キノコ……」
エルドゥは、目を見開く。
「それだ!!」
思わず声が出た。
エヴァが、初めてこちらを見る。
「……何がだ」
「そういえばよ」
エルドゥは、思い出したように言う。
「森から持ってきた素材の中に、踊り茸があったぜ」
「踊り茸……」
「ああ」
エルドゥは、酒を一口飲み干す。
「加工すりゃ、保存も効く。
薬にも、食材にもなる」
拳を、軽く握る。
「建材、装飾品、そして食い物だ」
エヴァは、ゆっくりと頷いた。
「……人は、住む場所があれば生きられる」
「食い物があれば、戦わずに済む」
二人の視線が、自然と交わる。
「武器じゃない」
「だが、確かに国を動かす」
酒場の灯りが、揺れる。
エルドゥは、ふっと笑った。
「やっぱ、夜に飲む酒は悪くねぇな」
「同感だ」
杯が、静かに触れ合った。
戦争の話はしない。
だが――
この夜、
もう一つの“切り札”が、確かに見つかった。
火は、まだ消えない。




