第六十七話 新たな業火
ベルファルドの朝は、穏やかだった。
石造りの街並みに柔らかな陽光が降り注ぎ、宿屋の窓からは人々の生活音が微かに聞こえてくる。
戦火を一度くぐり抜けた街とは思えないほど、平穏な時間だった。
その宿屋の一室で、オリビア、ラウニィー、サンド、エヴァ、エルビス、ガレンは、簡素な朝食を囲みながらアリアたちの到着を待っていた。
「そろそろ、アリアたちも着く頃かなー」
ラウニィーはそう言いながら、焼きたてのパンに惜しみなくバターを塗る。
溶けたバターが染み込む様子を見ているだけで、腹が鳴りそうだった。
「そうね……無事に着いてくれればいいけど」
エヴァはカップを両手で包み、窓の外へ視線を向ける。
その声には、抑えきれない微かな不安が滲んでいた。
「大丈夫よ」
オリビアは穏やかに微笑み、皆を見回す。
「エルドゥたちも一緒だし、セレナもいる。心配する理由はないわ」
そう口にしながらも、胸の奥では別の思考が渦を巻いていた。
(あれから帝国軍の動きはない。
ラグノが同行しているとはいえ、彼は常に一定の距離を保っている。
協力者ではなく、あくまで“監視役”……)
宿屋の外にいる帝国兵の気配を、オリビアは無意識に意識していた。
友好とも敵対とも言い切れない、その曖昧な立場が、妙に神経を逆撫でする。
「ねぇ、リヴィ」
ラウニィーが声を落とす。
いつもの明るさを抑えた声音だった。
「次の動き、もう考えてるんでしょ?」
「ええ」
オリビアは小さく頷く。
「方向性は決めているわ。でも――アリアが来てからね」
言い切った、その瞬間だった。
ドカアアアアン――!!
街の外から、地鳴りのような爆発音が響いた。
床板が震え、宿屋の壁が嫌な音を立てて軋む。
空気が、一変した。
「全員、外へ!!」
オリビアの声が鋭く飛ぶ。
誰一人、迷わなかった。
通りへ出た瞬間、一人の物見の王国兵が息を切らして駆け寄ってくる。
「はぁ……はぁ……急報です!
東の方角より、軍勢が接近中!
掲げられた旗……イストガレスのものかと!」
「ちっ……こんな時にかよ」
サンドが舌打ちする。
一行は即座に街の外、門の前へと向かった。
そこにはすでに、イリーナと王国兵たち、そしてラグノ率いる帝国兵が布陣している。
「急げ! 猶予はない!」
イリーナの怒声が響く。
王国兵たちは慌ただしく隊列を組み始めるが、その動きには明らかな焦りがあった。
整っているようで、整っていない。
追い立てられるような、不安定な陣形。
「……最悪のタイミングね」
エヴァが唇を噛み締める。
「ほんと、簡単には行かせてくれないよね」
ラウニィーも空を仰いだ。
やがて、東の地平線に旗が現れた。
隊列を組むイストガレス兵の足音が地響きのように響き渡る。
赤を基調に、金で描かれた双頭竜紋章。
その下に、整然と並ぶ数万の兵。
その瞬間――
空気が、変わった。
圧。
ただ“そこにいる”だけで、皮膚を撫でるように伝わる魔力の奔流。
呼吸が、わずかに重くなる。
誰もが、言葉を失った。
イストガレス。
東方に覇を唱える大国。
飛空艦こそ持たぬが、個の武と武具の質において大陸随一と謳われる国。
その軍勢の中央。
鎧に身を包んだ一人の女が、馬上にあった。
金色の長髪が風に揺れ、
真紅の瞳が、こちらを射抜く。
遠目にも分かるほどの美貌。
だが、それ以上に――
無意識に人を緊張させる、圧倒的な存在感。
その存在だけでその場にいる全員を萎縮させる。
「……金色の...女帝<こんじきのじょてい>」
王国兵の一人が、震える声で呟く。
「レグナ・イストガレス……」
サンドが乾いた笑みを浮かべる。
「冗談だろ……そんな化け物が、直々に来るか?」
その女帝のすぐ傍ら。
背丈ほどもある漆黒の大きな刀を背負い、同等の魔力圧を放つ男が立っていた。
「……黒刀の瞬雷<こくとうのしゅんらい>」
サンドの喉が鳴る。
「トア・フォスター……」
イリーナは槍を握る手の震えを抑えきれずにいた。
恐怖を隠そうとしても、隠しきれない。
それほどの“格”が、そこにはあった。
女帝が、静かに口を開く。
「妾の覇道を阻む者は、何者だ」
声は大きくない。
だが、確かに届いた。
一般兵の足が、竦む。
「レグナ、もう少し分かりやすく言え」
傍らの男が、淡々と制する。
「……我がイストガレスは」
男――トア・フォスターが一歩前に出る。
「シルヴァラン王国領、ベルファルドを奪いに来た」
ざわり、と空気が揺れた。
「降伏するもよし。戦争するもよし。
どちらでも構わない」
トアは黒刀を背から抜き放ち、王国軍の前方へ向けて、ゆっくりと振り下ろす。
――空が、裂けた。
「選べ」
その瞬間、トア・フォスターから圧倒的な圧がほと走る。
誰も、言葉を発せない。
ただ、理解していた。
新たな火種ではない。
これは――
業火だ。
それが今、ベルファルドの目前に立っている。
オリビア達は、その業火に晒されようとしていた。
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