第六十四話 準備
プラチナムの街は、朝の光に包まれていた。
高く澄んだ空気の中、金属と魔導具の街らしい規則正しい音が、あちこちから聞こえてくる。工房の扉が開閉する音、搬入される資材の擦れる音、遠くで鳴る鍛冶槌の響き。
その中心部から少し離れた区画で、アリアたちはベルファルドへ向かう準備を進めていた。
書類の整理、伝令の手配、最低限の護衛と物資の確認。
どれも地味で、だが欠ければ致命的になる作業ばかりだ。
――交渉は、戦場と同じ。
アリアはそう理解している。
剣を交えることはなくとも、言葉と立場、そして“示す力”がものを言う。
「アリアー!」
工房街の通りに、張りのある声が響いた。
アリアと、その隣にいたクレアが同時に振り向く。
人混みを縫うようにして、リーヴァがこちらへ駆けてくるのが見えた。
「どうしたんですか、リーヴァ?」
アリアが問いかけると、リーヴァは息を弾ませながらも、満面の笑みを浮かべた。
「ちょっとさ、思ったんだけど!」
その目は、明らかに何かを思いついた職人のそれだった。
「アリアとクレアも、これからプラチナムを離れること、結構ありそうじゃん?
だから道中で身を守れるように、防具を作ったんだ!」
勢いよくそう言って、リーヴァは二人を交互に見た。
「工房にあるから、二人で見に来てくれない?」
「まぁ……ありがとう。それはすごく助かります」
アリアは素直にそう答え、柔らかく微笑んだ。
「私にも……ですか?」
クレアは一瞬目を見開き、驚いた表情を浮かべた後、慌てて背筋を伸ばす。
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げるその様子に、リーヴァは気にした様子もなく手を振った。
「ほらほら、遠慮はいらないって!」
そう言って、二人の手を引く。
「行こう、行こう!」
半ば強引に連れられ、三人は工房へと向かった。
工房の扉を開けると、金属と薬品、そして布の匂いが混じった独特の空気が鼻をくすぐる。
奥の作業台の前に、二着の服が丁寧に並べられていた。
「じゃーん!」
リーヴァが誇らしげに腕を広げる。
「どう? あんまり防具感、ないでしょ?」
確かにそれは、一見すれば上質な旅装束のように見えた。
装飾は控えめで、線は洗練されている。戦場を連想させる無骨さはない。
「二人とも魔法メインだなって思ったからさ。
繊維にミスリル聖銀を織り込んであるの」
リーヴァは説明に熱が入っていく。
「魔力伝導率がめちゃくちゃ高いから、着る人の魔力に反応して強度が跳ね上がる!
よっぽどの武器じゃないと、傷すらつかないよ!」
鼻を膨らませ、腰に両手を当て、胸を張る姿は実に自信満々だった。
「これは……すごいわ」
アリアはそっと生地に触れた。
指先に伝わる感触は柔らかいが、その奥に確かな“密度”を感じる。
一流の品に触れてきたからこそわかる完成度。
これは偶然や勢いで作れるものではない。
「……」
クレアはしばらく言葉を失っていたが、やがて小さく息を吸い、口を開く。
「アリア様、リーヴァ様……
私が、こんなものを着てもいいのでしょうか」
自分がアリアと同じ装備を身につけることに、少し気後れしているようだった。
「なに言ってんの?」
リーヴァは即座に言い切る。
「アタイが二人のために作ったんだから、いいに決まってるでしょ」
当然だと言わんばかりの表情だった。
「さ、二人とも。着てみて!」
その声に促され、二人は奥で着替える。
しばらくして戻ってきたアリアとクレアは、ほとんど同時に視線を交わした。
「……すごい」
アリアが率直に呟く。
「自然と魔力に守られている感じがする。
それに、重くない……動きやすい」
腕を軽く振り、その感覚を確かめる。
「これが本当に、剣で傷つけられないなんて……信じられないわ」
「本当ですね」
クレアもまた、自分の手を見下ろしながら言った。
「着た感じは、普通の服と同じ感覚なのに……」
「リーヴァさんが、これほどの技術を持っていて……
今まで無名だったなんて、信じられないです」
アリアの言葉に、リーヴァは頭を掻きながら照れ笑いを浮かべる。
「はははっ。そっかなー?
それほどかなー……なんて」
工房の中には、和やかな空気が流れた。
だが、アリアはその服が守るものの意味を、誰よりも理解していた。
これは飾りではない。
自分たちの身を――命を守るためのものだ。
同時に、それほどまでに自分たちが危険の渦中にいるという事実も。
「……」
アリアは小さく息を吐き、気持ちを切り替えた。
「アリア」
リーヴァが声をかける。
「物資は、どうする?」
アリアは少し考え、はっきりと答えた。
「これから交渉に入るとすれば、プラチナム、そしてセレスティアの有用性を、他国に理解してもらう必要があります」
一語一語、慎重に選ぶ。
「言葉だけで済む可能性もあります。
でも……ここは失敗が許されません」
視線をリーヴァに向ける。
「だから、こちらが“提供できる資源”ではなく、
【提供してもよい資源】を、いくつか見繕ってほしいです」
リーヴァは一瞬考え込み、すぐに笑った。
「なるほどね。提供してもいいもの、か」
「切り札は、残しておくべきですから」
アリアはそう言い、わずかに微笑む。
「アリアは策士だねー」
リーヴァはそう言いながらも、その目は楽しげだった。
「よし! それじゃあ、いくつか見繕ってくる!
準備できたら声かけるから、待ってて!」
そう言って、工房の奥へと向かっていく。
アリアとクレアは、その背中を見送りながら、静かに息を整えた。
交渉の場へ向かう準備は、着実に進んでいる。
だがそれは同時に、後戻りできない場所へ近づいているということでもあった。
アリアは新たな防具の袖を軽く握りしめる。
――守るための準備は、整いつつある。
その覚悟を胸に、彼女たちは歩き出すのだった。




