第五十九話 帝国都市へ――プラチナム使節団、到着
視界が開けた瞬間、エヴァは思わず足を止めた。
巨大な白亜の城壁が遥か先まで連なっている。その高さは王国の王都にあるものと同格だ。しかも――城壁の上には、帝国騎士団の重装兵が整然と並んでいた。槍の銀光が列となって空気を切る。
「……なんつー規模だよ、これ」
ガレンでさえ低い声で呟く。普段なら皮肉の一つも言うエルビスも、今回はただ周囲を警戒したまま無言だった。
門前の通りですら王都の大通りに匹敵する広さ。行き交う人の数は桁違いで、荷馬車、兵士、商人……すべてがひたすら秩序正しく、流れるように動いている。
エヴァは淡く息を吸い込んだ。
(……ただの帝国の都市の1つがこの規模なの)
目に映るすべてから、帝国という国家の力が伝わってきた。
街路の石畳は磨かれ、一つの汚れもない。店々には活気があり、しかしどこか緊張感が漂う。国全体が「戦時」でありながら「秩序」を当然のように維持している――そんな印象だった。
そのすぐ近くで、ガレンの手が自然と剣の柄に触れているのをエヴァは察した。
「落ち着け。戦うために来たんじゃない」
「……分かってるさ」
その言葉に偽りはない。だが、ガレンの戦士としての本能は、この街全体から発される“研ぎ澄まされた圧”に反応しているのだろう。
そして、そんな三人を振り返り、案内役のラグノが肩をすくめた。
「緊張するのは勝手だが、気後れしないことだな。ここは我ら帝国の都市セントルイス。どれだけ見上げようが追いつけんほどの差がある」
その言い方には確かに王国への侮りが混じっていたが――不思議と嫌味ではなかった。事実を述べている、そんな口調だった。
だがラグノは続けて言う。
「もっとも、俺たちを助けてくれた恩は、帝国軍としても決して忘れん。……まずは、歓迎しよう」
その言葉だけは真摯で、ガレンもエヴァもエルビスも黙って頷いた。
⸻
城門を抜けると、さらに圧巻の光景が広がった。
中央大通りの両脇には武具店と書庫、そして帝国兵の教育機関と思われる建物が続く。通りには鎧姿の若者が何百人単位で列を作り、訓練の掛け声が響き渡っていた。
ラグノは胸を張って言う。
「どうだ? これが“帝国の日常”だ。王国との違いが分かるだろう? 教育、軍事、経済……すべてが国家戦略のもとで動いている。俺たちは誇り高き軍人だ」
誇示するようでいて、嫌味はなかった。彼自身が帝国の規律と統制を心から誇っているのが分かる。
通りを歩くと、人々の視線が三人に集まった。
その多くは、敵国から来た使節団を値踏みする冷たい目――だが、ラグノが堂々と前を歩いているので、誰も露骨な敵意を向けてはこない。
エルビスがぼそりと呟く。
「……この数の視線、慣れねえな」
「帝国民は“強者”を尊ぶ。だが同時に“規律”にも従う。案ずるな。俺が案内すると決まった以上、この街でお前たちにちょっかいを出す者はいない」
それは豪語ではなく、本当にそうなるのだという確信に満ちていた。
ラグノは続けて街の名所を紹介する。
「あれは中央戦術院。帝国軍の指揮官を育成する場所だ。王国の兵学校など比べ物にならんぞ」
「……分かってて言ってるでしょ、それ」
エヴァが少し呆れた口調になるが、ラグノはまったく気にしない。
「事実だ。だが誤解するなよ。俺は王国を侮りたいんじゃない。――俺たちがどれほどの覚悟で“戦に備えているか”を知ってほしいだけだ」
ふと、彼の横顔が柔らかくなる。
「お前たちに救われた斥候隊。あいつらは今、治療室で生きてる。……お前たちを案内できて、本当に良かったと思ってる」
その本音に、エヴァは小さく微笑んだ。
ラグノは普段は高圧的な帝国軍人だが――恩を受ければ一生忘れない、そんな義理堅い男と思えた。
⸻
帝都中央部に入り、街並みはさらに豪奢になった。
石畳は滑らかになり、建物は白と黒を基調とした重厚な設計に統一される。
やがて、ラグノは巨大な黒門の前で立ち止まった。
「――着いた。帝国侯爵、ジョシュア・クロフォード殿の居館だ」
門の両脇には、帝国でも精鋭とおぼしき黒鎧の衛兵が立ち、鋭い眼光で使節団を見据えた。
その視線は、まるで「弱者ならここで押しつぶされる」と暗に告げているような重さがあった。
ガレンもエルビスも、自然と体の芯が固くなる。
だが――エヴァだけは一歩も引かない。むしろ静かに前へ進み、その圧に目を細めた。
(……なるほど。“格”が違う)
黒門が開くと、中はまるで庭園都市のようだった。
広大すぎる中庭。整えられた草木。川のように流れる人工水路。
そして、その中央にそびえる白黒の大邸宅。
執事が一歩進み出る。
「プラチナム使節団の皆様――ようこそ、セントルイスへ。ジョシュア様がお待ちです。……くれぐれも、粗相なきよう」
声には穏やかさもあるが、その奥に潜む圧はラグノ以上だった。
ラグノですら無意識に背筋を伸ばすほどの「格式」。
(……帝国の“格”って、こういうものなのね)
エヴァは静かに息を整えた。
エルビスが気配を殺し、ガレンが重心を落とす。
三人はまるで戦場に入る前のように精神を研ぎ澄ましていた。
ラグノだけは誇らしげに笑う。
「な? 俺たち帝国の中でも、ここは別格なんだ」
その自慢気な表情に、エヴァは小さく笑った。
「ええ……確かに、納得したわ」
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執事が重々しく扉を押し開けた。
――空気が変わった。
広間は静まり返り、まるで時間が止まったかのような冷たさが満ちている。
その中央、一人の男が立っていた。
黒髪。
鋭い眼光。
無駄のない体躯。
歳は三十代だろうか。
そして、まるで周囲の空気ごと支配するような“静かな迫力”。
ガレンの背筋が粟立つ。
(……強い)
エルビスも同時に眉をひそめた。
戦士としての本能が告げている――“この男は危険だ”と。
男――ジョシュアは、一歩だけこちらへ踏み出した。
その瞬間、空気の密度が変わった。
(視線だけで……ここまで読まれるのか)
エヴァは自分が見透かされるような感覚に、ほんの一瞬だが心臓が跳ねた。
ジョシュアはゆっくり口を開く。
「――遠路ご苦労だったな。プラチナムの者たちよ」
声は低く、しかし決して荒げてはいない。
だがそのひとことに、背骨が冷えるような威圧があった。
ジョシュアは三人を見渡し、
「お前たちが……“あの魔物”を退けた三人か」
エヴァは息を呑んだ。
ラグノが話したのだろう――だがこの男は、まるで自分で戦況を見てきたかのような言い方だった。
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ジョシュアの視線が、エヴァの胸奥まで刺すように注がれる。
「……貴女が、使節団のリーダーか?」
その問いは挑戦でも、冷笑でもなかった。
ただ真っ直ぐに、“力量”を測る眼だ。
エヴァは静かに――しかし一切怯まずに、一歩前へ踏み出す。
広間の空気が震えた。
ここからが、本当の交渉。
そして、帝国との“試し”が始まる。




