第五十七話 にゃかま
王都を離れ、街道沿いをゆっくり進む馬車。
アリアは外気を胸いっぱいに吸い込み、ふっと肩の力を抜いた。
「……風が、少し柔らかくなりましたね」
「王城を出たら一気に顔が軽くなったよ、アリア様」
クレアがにこっと笑う。
「はぁ〜〜やっと落ち着いて歩けるにゃ……」
荷台の上でキットンがごろりと寝転んだ。
「キットンさん、あなた道中ずっとソワソワしてませんでした?」
セレナがクスクス笑う。
「う、うにゃ!? そ、そんなことないにゃ! ただ……なんか胸騒ぎがするだけで……」
キットンの耳がぴくりと立つ。
猫耳族は、危険への感覚が鋭い。
「胸騒ぎ?」
エルドゥが振り返る。
「うん……なんか、変な“影”がついてきてる気がするにゃ。でも気配が薄すぎる……」
アリアは手綱を握るフィオとカイルを見やった。
「偵察魔法、届きますか?」
「やってみるよ。――《サーチ・ライト》」
フィオが扇をひらりと振り、光の粒子が森の奥へ散る。
だが――結果は。
「……反応なし。気配を隠す術に長けているか、魔力を持たない者か……」
「どちらにせよ、嫌な感じね」
クレアが杖を撫でる。
そんな緊張感と裏腹に、道行きの空気はどこか守られていた。
アリアの声。
仲間の笑い。
キットンのくだらない小言。
それらすべてが、不安の隙間を埋めてくれるようだった。
***
夜。
街道を離れ、小さな森の開けた場所で野営を張ることになった。
「火は小さく。煙が上に登らないように」
セレナが指示し、魔法で焚き火を覆う。
「暗殺者が来る前提で話すにゃ!?」
キットンが震え声で言う。
「キットンさんがそう言い出したんですけど……」
フィオがため息をつく。
「お、おかしいにゃ……何かがいる気がするんだけど……」
アリアは微笑んで、キットンの頭を軽く撫でた。
「大丈夫。もしもの時は、私たちが守ります。あなたも、仲間ですから」
「……にゃ、仲間……」
猫耳がくったりと倒れた。
その瞬間だった。
森の影が――揺れた。
音もなく。
風もなく。
ただ“そこにあった闇”が立ち上がったように。
「――伏せろ!」
セレナの叫びが夜を裂く。
次の一瞬、闇の5つの影が、まるで霧から生まれたように現れた。
「暗殺部隊……!」
エルドゥが両手斧を構える。
「ガチで来たにゃあああ!!?」
キットンが涙目で跳ねる。
彼らは全員、黒布で顔を隠し、無音で近づく。
殺気は薄いのに、死が近いと分かる。
“プロ”の気配だった。
「アリア様、下がって!」
セレナが前へ出る。
暗殺者が5人。
対するこちらは7人。
だが、数で勝ることに安心はできなかった。
最初の斬撃は――風のように走った。
***
ひとり目の暗殺者がセレナへ切りかかった瞬間、
セレナは両手から黒い刃を伸ばした。
「《アビス・エッジ》」
闇魔法と短剣術の複合。
セレナの剣は、夜に溶けていた。
暗殺者と刃を交えるたび、火花ではなく“空気”が裂ける。
呼吸すら許さぬ密度。
「遅い」
セレナの足がふっと影に沈み――消えた。
「……っ!?」
暗殺者が周囲を探すより早く、首筋に冷たい刃が触れた。
「ひとり」
闇の中で、刃がそれを静かに仕留めた。
***
エルドゥの前に現れた暗殺者は、敏捷型の刺突使いだった。
雷光のごとき突きが、エルドゥの胸を狙う。
「おぉっと、速ぇな!」
エルドゥは斧を床に叩きつける。
「《サンダー・ショック!》」
地面に雷紋が走り、暗殺者の足元を弾く。
「ぐっ……!」
「ほれ、動き止まった!」
エルドゥは斧を振りかぶり――
雷光をまとわせて重い一撃を叩き込む。
ゴン、と鈍い音が響き、男は木に叩きつけられた。
「ふう……ひとりっと!」
***
キットンの前にも、一人の影が舞い降りた。
「ひっ……!」
刃が振るわれ――
だが、当たらない。
キットンの耳が震え、身体が反射的に横へ跳ぶ。
猫耳族特有の敏捷性。
重力を裏切るような身軽さ。
「させないにゃ!」
キットンが腰の格闘武具――小さな鉄爪を構えた。
「《猫爪連舞》!」
軽快な三連撃が影の腕を裂く。
「っ……速い……!」
「商売の世界は命がけなんだにゃ!!」
跳び上がったキットンは、暗殺者の顔面に蹴りを叩き込み、
そのまま倒れ込んだ相手の手首を封じた。
「うにゃああっ!! どーだにゃ!?」
「……お見事」
救援に向かおうとしていたセレナが思わず拍手しそうになる。
***
暗殺者の一人が、アリアとクレアへ迫る。
「アリア様!!」
クレアが風の刃を展開し、進行方向を吹き飛ばす。
「クレア、いきましょう」
アリアは王族専用の杖と魔法書――〈双魔道具〉を同時に展開した。
「《シャイニング・シールド》」
光の円環がクレアを包む。
「助かります! では――」
「《ウィンドカッター・クアッド》!!」
クレアが放つ4連の風刃と、アリアが撃つ光矢が交互に暗殺者へ襲う。
暗殺者はそれを紙一重で避けながら、二人へ間合いを詰めた。
刃がアリアの頬をかすめ、赤い線が走る。
「アリア様っ!」
クレアの顔が悲痛に歪む。
「ご心配なく……!」
アリアの瞳が強く光った。
「《ライト・クロスエッジ》!!」
杖から放たれた光線と、魔法書が生む追撃光弾が同時に暗殺者を打ち抜く。
「……これで、終わりです」
暗殺者が地に伏した。
***
フィオとカイルの前にも、最後の一人が残っていた。
「カイル、合わせるよ!」
「了解!」
カイルが魔法書を展開する。
「《ダブル・フレイムアロー》!」
二本の火矢が迫る中、暗殺者は見切りながら突進する。
「この距離はまずい――!」
「任せて、《ライト・レイン》!」
フィオが扇を広げると、光の雨が散り暗殺者の動きを受け止めた。
「カイル、今!!」
「《ドレッド・フレイムランス》!!」
火槍が光壁の背から突き抜けるように発射され、暗殺者の胸を貫く。
「ふぅ……危なかったね……」
フィオが胸を撫でおろす。
「本当に……ギリギリだった」
カイルも汗を拭う。
***
戦いの余韻が、森に落ちていた。
焚き火は小さく、仲間たちの呼吸だけが静かに揺れている。
その時――
低い土踏まずの音が、一本の弦のように夜気を震わせた。
「……アリア殿下」
森の影を裂いて現れたのは、甲冑をまとった大男。
ディオール大隊長だった。
彼は隊を従えてはいない。
ただ一人。
剣の重みと責任だけを背負って、闇を踏み分けてきた。
「ディオール大隊長……?」
アリアは戦闘体制を解除しかけたが、ディオールが片手を上げて制した。
「そのままでよい、アリア殿下。
血の匂いが抜けておらぬ。……戦場の後は、油断めされるな」
その声音は粗いが、どこか懐かしい優しさを孕んでいた。
「殿下。……皇太子の影部隊が動いたこと、すまぬ。止めきれなかった」
アリアは首を振る。
「ディオール大隊長のせいではありません。
あの方々は、クエスター兄上の独断です」
「分かっていても……悔いは残るものだ」
ディオールは拳を握りしめ、夜空を仰いだ。
星々の光が、傷だらけの甲冑に冷たく反射する。
その背中が、誰よりも戦場を知る男の背だった。
彼はしばし言葉を探し、それから――
低く、深く、震える声で呟いた。
「……アリア殿下。
殿下は、私が仕えたどの王族よりも、民の方を向いておられた」
アリアは息を呑む。
「私は軍人だ。
掟を破って殿下の陣営にはつけぬ。
……だが」
ディオールはゆっくりと跪き――
地に片膝をつき、胸に拳を押し当てた。
忠誠の礼。
王国の楯が捧げる、本物の敬意。
「どうか……ご武運を。
殿下の未来が、正しく続くよう……剣にかけて祈る」
アリアは言葉を失ったまま、彼を見つめた。
返す言葉が見つからない。
胸が熱く、喉が痛い。
「ディオール大隊長……」
「名を呼んでくださるな、殿下。
今それを聞けば……私は掟を破ってしまう」
ディオールは立ち上がり、背を向ける。
「殿下。
どうか“王ではなく、殿下が信じる未来”へ向かわれよ。
必ず、辿り着けると信じている」
その背は大きく、孤独で、そして――
誰よりも頼もしかった。
「……生きて、また会おう。
それだけを願う」
ディオールは夜へ溶けていくように歩き出した。
重い足取りのはずなのに、不思議と静かだった。
まるで――
武人が己の道へ帰っていくように。
アリアは、ただ小さく呟いた。
「……大隊長。
どうか、あなたも……ご無事で」
***
大隊長の背を見送り、キットンがアリアへ歩み寄る。
「アリアさま……あたし……怖かったけど……戦えてよかった……」
「キットンさん」
アリアはそっと手を取る。
「あなたは今日、命を張って仲間を守ってくれました。
もしよければ――」
アリアは柔らかく微笑んだ。
「正式に、私たちの仲間になってくれませんか?」
「……っ」
キットンの目が大きく丸くなる。
耳が震え、尻尾がぴんと立つ。
「に、にゃ……ホントに!
あたし、絶対に仲間になるにゃ!これであたしお金持ちだにゃ!」
その勢いに、全員が笑った。
闇はまだ濃い。
王国の混乱は、これからが本番だ。
それでも――
(この仲間となら、進める)
アリアは杖を握り直し、夜空を仰いだ。
「……帰りましょう。プラチナムへ。
みんなの未来が始まる場所へ」
新しい旅路が、静かに幕を開けた。




