第五十六話 商機の匂いは、いつも喧騒の中に
アリアが平民街へ向かった後…王国へ続く街道を、ひとりの猫耳がぴょこん、と揺れていた。
傘を肩に乗せ、歩幅軽く、彼女はふんふんと鼻歌を漏らす。
(ふふーん♪ やっぱ王国は活気が違うねぇ!
戦時中だろうが貧乏だろうが、人が集まってるところにはお金が流れるもんよ)
猫耳族キットン・マーナ
商売で食ってきた若き商人。
天涯孤独で野垂れ死にかけた昔を思えば、いまこうして堂々と街道を歩けているだけでも儲けものだ。
(さてさて、王都でひと稼ぎ……の前に、ちょいと市場の空気でも嗅ぎに行きますか)
荷袋の中で金貨がちりんと鳴った瞬間――
「広場に集まってくださーい!!」
突き抜けるような声がキットンの耳を撃ち抜いた。
「にゃっ!? な、何この声……耳が震えるんだけど……!」
猫耳族は聴覚が鋭い。
だからこそ、声の主の必死さと熱量まで、刺すように伝わってくる。
(これは……ただの呼び込みじゃにゃいね)
キットンは、声の方向――平民街へ続く壁のほうへ目を向けた。
そのとき、別の声が響いた。
「私はアリア。――王国の元・第二王女です」
空気が揺れる。
(……へぇ?)
王族がこんな場所で声を上げるなんて、普通じゃ考えられない。
興味。
好奇心。
そして――商人特有の“におい”。
(これは……金の匂いがするにゃ。大きい商機……!)
キットンは耳をぴんと立て、駆け足で平民街へ入った。
***
アリアの演説が終わる直前、キットンは人混みの最後尾に辿り着いていた。
(やば……声だけじゃなくて、顔と姿も死ぬほどキレイにゃん……!
にゃんだこの吸引力……!)
近くの老婆が呟いた。
「王女様……素晴らしいねぇ」
(ダメだ……興味湧きすぎた。商人として、これは追わにゃきゃ損する)
人々が散り始めるのを見計らい――
キットンはアリア一行の前に飛び出した。
「やあやあ、そこの美人さんたち! このキットン・マーナ、商売の匂いを嗅ぎつけて参上仕りましたにゃ!」
エルドゥが目を細める。
「……誰だ、お前」
「商人だにゃ! こっちはアリアって言ったっけ? アリアさま? 王女さまでよかったかにゃ??」
「元・王女です」
アリアが苦笑する。
「でにゃ! おみゃーたち、プラチナムって街に帰るって話してたよにゃ? あたしも一緒に行っていいかにゃ?」
「……へ?」
クレアの目がぱちぱち瞬く。
「いやだってさ、あんたの演説聞いちゃったら、もう乗るしかないにゃん?
あんたたち、でっかいことしようとしてるにゃん?
そういう時ってさ――」
キットンは胸を張る。
「“必ず金が動く”にゃ!」
全員が一瞬だけ沈黙した。
次の瞬間、
「……理由は最低だけど、悪い人ではなさそうですね」
クレアが優しく笑った。
「よし、いいぜ、ついて来い。足手まといになんなよ?」
エルドゥはあきれ気味に肩をすくめた。
「へへっ、ありがとにゃ!」
そのやり取りをアリアは心苦しそうに見ていたが、すぐに意を決したように表情を引き締めた。
「でも、その前に……私は王に会いに行きます。
今日この王国が抱えている問題を――もう一度、直接確かめます」
キットンの耳がぴくりと動く。
(王族の対立……これはますます金の匂いがするにゃ!)
***
王城前。
威圧するような白壁を前に、アリアは深呼吸する。
「アリア様、王は……変わらず謁見の間にいるそうです」
セレナが戻ってきて告げる。
「……行きます。今度こそ、話し合わなきゃ」
アリアは単身で進んだ。
キットンは唾を飲む。
(ああーーーにゃばいこれ、めっちゃ危険な匂いー!!
絶対ろくにゃことになんないにゃ……!)
だが、行くアリアの背中は――迷いがなかった。
***
玉座の間。
王の怒声が響く。
「アリア、お前の勝手な真似はもはや許容できん……!
王命に背いた罪、覚悟はあるのだろうな!」
侍従たちがざわつき、衛兵がアリアを取り囲む。
だがアリアは一歩も引かずに進み出た。
その瞳は、王女のものではなく――民を背負う者のそれだった。
「陛下。
私を捕らえるなら……どうぞ。
ですが――」
アリアは静かに言葉を区切った。
「その瞬間、集まった民はこう思うでしょう。
“王は、希望を語る者を消した”と。」
王の手がわずかに震える。
「……っ、民が……?」
「ええ。今や私一人の問題ではありません」
「私に手を出すことは、民意への敵対として映ります。
陛下の御威信にも、必ず傷がつくでしょう」
静かな声なのに、謁見の間の空気が凍りついた。
「脅しているのか……アリア」
「いいえ。」
アリアは首を横に振った。
「事実を申し上げているだけです」
王は唇を噛み、視線をそらした。
衛兵たちが動けずに固まる。
「――私は退きます、陛下。
ですが、民が望む限り……戻ってきます」
アリアは静かに頭を下げ、踵を返した。
誰一人、止められなかった。
***
玉座の間での謁見が終わり、アリアが城門を出た頃。
城内の空気は、ひそやかなざわめきで揺れていた。
「アリア殿下が……いえ、“元”殿下が叛意ありと――」
侍従からの報告を聞いた瞬間、皇太子クエスターの眉が鋭く跳ね上がる。
「陛下は……何もせず戻したと?」
「……は、はい。捕縛の命も出ず……」
クエスターの表情に怒気が走る。
「父上は甘すぎる。
あれは反逆の芽だ。摘まずにどうする」
クエスターは立ち上がり、重々しく告げた。
「……ディオールを呼べ」
***
大理石の廊下を、大柄な男が進んでくる。
王国大隊長、ディオール・グラディオン
“王国の楯”の名で知られ、王よりも民から信頼を寄せられる実直な男だ。
「ご用向きは、殿下」
クエスターは冷たい視線で言い放つ。
「元王女アリアを捕縛せよ。
反逆の疑いありとして、王城へ連れ戻すのだ」
ディオールはわずかに目を細めた。
「……捕縛理由を伺っても?」
「貧民街での扇動。王命への不服従。
もはや王家の一員として放置できん」
「……」
わずかな沈黙。
やがて、ディオールは首を横に振った。
「殿下。“捕縛命令書”に王印が無ければ、我隊は動けませぬ」
「……王印だと?」
「我らは“王国の楯”。政治の剣になるための軍ではありません」
クエスターの目に怒りが宿る。
「王が出さぬなら、私が出す!
次期国王たる私の命に逆らうつもりか!」
「逆らうわけではありません。 ただ――軍には軍の掟があるのです」
クエスターは腰の剣をわずかに握りしめた。
「大隊長。これは命令だ。出陣せよ」
ディオールは膝を折り、頭を垂れた。
「……承知つかまつる」
クエスターは満足げに踵を返す。
だが――
ディオールの影にいた副官ロイドは、彼の低く押し殺した声を聞いた。
「……王国の楯は、王女にも民にも刃を向けぬ」
「大隊長……」
ディオールは静かに立ち上がる。
「出立の準備を整えろ。
だが――“ゆっくりでよい”。徹底的にな」
ロイドの目が一瞬驚きに見開かれる。
だがすぐに理解したように頷いた。
「……補給の点検に時間をかけます。
“異常なほどに”」
「うむ。
馬の蹄鉄の確認、荷車の軸の締め直し、武具の点検……
なにひとつ疎かにするな。
――急ぐ必要はない」
部下たちは次々と気づき始める。
ディオールなりの“正義”だ。
「我ら王国の楯は――“守るために遅れる”こともあるのだ」
そして、誰にも悟られぬよう、
しかし確実に“間に合わない出陣”へと舵は切られた。
王城の外では、アリアと民の行列がゆっくりと遠ざかっていく。そこには行商人が用意したであろう馬車まで見えた。
ディオールは誰に聞かせるでもなく、静かに呟いた。
「どうか……無事であれ」
***
翌日
城内の中庭に響くのは、馬の嘶きでも、甲冑の軋みでもない。
ただひたすらに――遅い。
それが皇太子クエスターの神経を、ひりひりと焼いていた。
「……まだ出立しないと?」
侍従が怯えるように頭を下げる。
「は、はい……大隊長は“補給の確認を”と……」
クエスターの眉がわずかに震えた。
「どれだけ点検をしている!?もう丸一日だぞ!?」
「そ、それが……“まだ終わらぬ”そうで……」
もはや理由になっていない。
クエスターは足音高く、中庭へ出た。
整列した兵士たちの視線が、一斉にかしずく。
その最前列に、ディオールはいた。
変わらぬ落ち着き。変わらぬ威圧。変わらぬ“楯”の姿。
「……大隊長」
クエスターの声は冷え切っていた。
「なぜ出立しない?」
ディオールは膝をつき、恭しく頭を垂れた。
「補給の確認に、時間を要しております」
「馬の蹄鉄が1日で終わらんと?」
「念には念を。戦場は、不測の事態が多うございますゆえ」
「……丁寧なことだ」
クエスターはゆっくりとディオールを見下ろした。
「だが、アリアは丁寧に逃げていくようだな」
周囲の空気が固まる。
ディオールの返答は静かだった。
「殿下。
楯とは、急げばよいわけではございません」
「ほう?」
クエスターの目に、露骨な苛立ちが灯った。
「では聞こう。
――お前は、捕縛する気があったのか?」
ディオールは答えない。
沈黙こそが答えだった。
クエスターの表情が一変する。
「……この 狸 め!」
中庭の空気が震える。
普段、素を見せない皇太子の、むき出しの罵り。
ディオールは僅かに眉を伏せただけで、動じなかった。
クエスターは吐き捨てるように言う。
「裏切りではない。反抗でもない。
だが――私の邪魔をした」
踵を返す。その背中には、怒りを冷たい理性で固めた光。
侍従たちが恐る恐る距離を置く中、クエスターは侍従へ低く命じた。
「……ヤツらを呼べ」
その言葉に侍従は動揺する。
「アリアを追え。
民ごと燃やすな――“アリアだけを仕留めろ”」
「……かしこまりました」
冷たい風が吹いた。
それは、王都のどこよりも暗い影を連れてくる風だった。




