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銀翼のヴァルキリー -その翼は、自由を識る-  作者: 翔司
第三章 銀翼と王女の邂逅

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第五十四話 規律か救済か。苦渋と決断・後編



 喉が焼けつきそうだった。


 逃げるために叫んだのか、痛みに叫んだのか、もう分からない。

 帝国斥候隊の隊長ラグノは、折れた槍を握ったまま後退することしかできなかった。


「下がれ! まだ囲まれてる――っ」


 仲間の声が途中で途切れ、血が地面を染める。

 ヴォルフの群れ。


 そして、その群れを統率する“魔物”――イビルヴォルフ。


 黒く染まった鬣。赤い眼。まとわりつく瘴気。

 それだけで、斥候隊が場違いな戦場に踏み込んだと理解できた。


(魔物と遭遇するなんて……オレたちは終わりだ)


 受け入れ難い自分の運命を呪い行く末を悟った、その瞬間だった。


 ――空気が、震えた。


「……なに……?」


 次の瞬間、視界の端に光の帯が走り抜け、

 群れとなり吠えていたヴォルフの首が、まるで風に切られたかのように吹き飛んだ。


 漆黒の髪が翻る。


「人間……? いや……違う」


 ラグノは息を呑んだ。


 “褐色の肌の女”が一人、斥候隊とヴォルフの間に立っていた。

 手に持つロングソードに、風の魔力が流れ込むたび刃が淡く揺らめく。


 彼女の名も素性も兵士は知らない。


 ただ――“あれは人間じゃない”と判断できた。耳だ。エルフ族特有の特徴だ。


 風が渦を巻き、彼女の周囲に細かな光粒が舞い散る。


「まずは雑魚から片付ける。エルビス、援護を」

「了解だ。エヴァ」


 鋭い音とともに、次々と連続射撃を繰り出す。

 古木のように歪な質感を持つ弓を構えた男――エルビスというらしい。


 放たれた矢はごつごつとした木の質感を持ちながら、飛んだ瞬間に土の魔力を纏う。

 軌道を変え、裂けるようにヴォルフの群れへ突き刺さる。


「ガァァァァ!」


 帝国兵がやられる音ではない。

 ヴォルフの悲鳴だ。


「風よ、散らして」


 エヴァの声とともに、目に見えない刃が横一線に走った。

 ヴォルフたちが次々と斬り裂かれ、倒れる。


 ラグノは仲間の肩を支えながら呟く。


「……なんだ……なんなんだ、奴らは……」


 あまりの圧倒的な力に、恐怖すら薄れていく。


 そして――

「っ……あれを見ろ!」


 ラグノの仲間が震える指で指した先、

 巨大な黒影――イビルヴォルフが、別の方向に跳び退いた。


(正面から……受け止めただと……!?)


 斜め上から降りかかる爪撃を、正面で受け止めている者がいた。


 聖銀の大剣を握りしめた大柄な男――。


 爪と剣がぶつかり、火花が散る。


 聖銀の大剣が青白く輝くたび、イビルヴォルフがわずかに怯む。


「ガレン、前へ出すぎだ!」

「分かってる……けど、こいつだけは俺が!」


 その男、ガレンと呼ばれた戦士の声が震えていた。


 ラグノには、その震えが恐怖か怒りかは分からない。


 ただ――ガレンの視線は、魔物と対峙しながら“何か”を振り払おうとしていた。


 その隙にイビルヴォルフの痛烈な爪撃が空を切る!ガレンと呼ばれる戦士が押され、聖銀の剣先が揺れる。


 ガレンの表情が一瞬、苦痛に悶えるが…



 “キンッ”



 聖銀の剣がひときわ強く光った。


 ガレンの表情は変わり、目に闘志の光が宿った気がした。

 彼は吼えた。


「もう、俺は負けない!!」


 イビルヴォルフの斬撃を、正面から弾き返す。

 その衝撃に、魔物の巨体がわずかにぐらついた。


「今だ、ガレンを援護する!」


 ヴォルフの残党を片付け終えたエヴァが駆ける。

 エルビスも鏃を番え、ガレンへ迫るイビルヴォルフに狙いを定める。

 ガレンは吼える獣と激突しながらも、エヴァとエルビスの気配が背に迫るのを感じた。


(来た……!)


 ――三人の気配が、イビルヴォルフを包囲するように収束した。

 黒影が吼え、爪を振り上げる。


 それより一瞬早く、ガレンが踏み込んだ。


「おおおおおッ!!」


 聖銀の大剣が弧を描く。

 イビルヴォルフの胸へ――深々と。


 鈍い衝撃が空気を震わせた。

 魔物の巨体が後退し、黒い血が飛び散る。


 確かに手応えはあった。

 帝国兵全員がそう確信した。


(やった……か?)


 誰かが呟いた瞬間――

 イビルヴォルフの瞳が、赤黒く光った。


 まだ死んでいない。


 尋常ではない筋肉と再生力が、ガレンの斬撃を“殺しきらせなかった”のだ。


 ガレンも、ほんの僅かながら息を呑んだように見えた。


 その一歩の後退――そのほんの隙を、

 魔物が見逃すはずがなかった。


 イビルヴォルフが大地を滑るように後退し、距離を取る。


 獰猛な獣が初めて見せる“警戒”。


 そして――“逃走の構え”。

 ラグノは息を呑んだ。


(……逃げる気か!? あの化け物が……!)


 それは、魔物が三人を“脅威”と認めた証だった。


 エヴァが即座に詠唱に入り追撃に移ろうとしたその刹那――

 イビルヴォルフは、低い姿勢のまま地を蹴った。


 〈ズドンッ!!〉


 爆発のような土煙を上げ、猛烈な速度で荒野の奥、遥か彼方に見える森林に消え去る。

 エルビスが矢を放つも、土煙で視界が遮られ、命中には至らない。


「……逃げた、のか……あの化け物が……」


 ラグノは息を呑みながら呟いた。


 恐怖でも、安堵でもない。

 “理解が追いつかない”のだ。


 エヴァは剣を収めず、煙の奥を警戒したまま言った。


 「仕留めきれなかったわね……あれほどの傷でも逃げられるなんて」


 エルビスが静かに弓を下ろす。


 「いや……今の一撃で確実に深手は負わせた。少なくとも当面は戦闘不能だろう」

 そして、血を滴らせながらも立ち続けるガレンに視線を向ける。

 「ガレン、お前の一撃が決め手だった」


 ガレンは少し遅れて息を吐き、肩で笑った。


 「……っは。あの一撃と、この武器で倒れねえとか……やっぱ魔物ってのは普通じゃねえな」


 エヴァが微かに笑みを漏らす。


 「けれど――あなたがいなかったら、あの斥候隊は全滅していたわ。

  結果は十分すぎるほどよ」


 ガレンは何か言い返そうとしたが、言葉にならず、ただ剣を地面に突いて体を支えた。


 帝国斥候隊のラグノは、その背をじっと見つめていた。

 言葉が出てこない。


 助かったのだ。

 帝国軍の彼らが――この三人に。


 (……この三人はいったい……何者なんだ……)


 誰もが同じ疑問を抱え、

 同時に――畏怖と、感謝が入り混じった複雑な感情が胸を満たしていた。



 ♢

 


 まだ砂煙の残る丘の上で、

 風だけが静かに三人の影を揺らしていた。


 イビルヴォルフが去り、風の音だけが残った。

 ラグノたち斥候隊は荒い息を整えながら、目の前の三人を改めて見据えた。


 黒焦げの地面。散乱するヴォルフの亡骸。


 だがその中心に立つ三人は、汗こそ滲むものの、なお戦意を宿した眼差しをしている。

 ラグノは胸で上下する呼吸を押さえつけ、静かに近づいた。


 「助けて……もらったことには、礼を言う」


 ガレンが軽く手を振る。


 「気にするな。間に合ってよかった」

 「ガレン、傷は大丈夫か?」


 そのやりとりを聞いた瞬間だった。

 ラグノの背筋を、一条の悪寒が走った。


 (……ガレン? そういえば、この2人のダークエルフが……この男を“ガレン”と言ってたな?)


 荒野に吹く風音と重なるように、記憶の底がざわつく。

 王国軍。

 マイケル大隊。


 ――そして、行方不明になった「中隊長」。

 帝国側の諜報記録に、はっきりと書かれていた名。


 ガレン・アーヴァイン。


(まさか……いや、まさかそんな……)


 ラグノは、自分の記憶を必死に掘り返した。

 装備は違う。鎧の形も色も武器も違う。


 むしろ装備に至っては…よくよく見れば我ら帝国軍の上位者しか着用を許されぬミスリル聖銀製ではないか!


 だが――体格、立ち姿、戦闘時の前傾姿勢。

 そしてなにより、いま見せつけられた戦闘能力。


(……同一人物と考えるほうが自然だ)


 心臓が嫌な音を立てた。


 いや、ただの王国兵ならまだいい。

 だがガレンは帝国が警戒する行方不明者リスト“要警戒”の人物の一人。


 ラグノの喉がごくりと鳴る。


 「……ガレン、と言ったな」


 ガレンは「ん?」と首を傾げるだけだった。

 ラグノは仲間数名に目配せした。


 帝国兵たちも、緊張した気配でゆっくり武器を構えはじめる。

 エヴァが、わずかに眉をひそめた。


「ちょっと……なに?」


 ラグノは答えず、ガレンへ向き直った。


「確認する。お前……王国軍マイケル大隊所属、中隊長“ガレン・アーヴァイン”で間違いないな?」


 ガレンが答えるより早く、エルビスが一歩前へ出る。


「質問の仕方ってものがあるだろう。助けてもらった直後にそれか?」

 だがラグノは止まらなかった。


「……帝国は、ある行方不明者たちを“特に重要”として追跡している」


 ガレンの眉がぴくりと動いた。

「お前に――特徴が一致する。ここに野放しにはできん」


 その言葉が落ちた瞬間。


 斥候隊全員が武器を構えた。


 ガレン、エヴァ、エルビスの三人も即座に間合いを測る。

 砂風の静寂の中…エヴァが低く呟く。

 

「……助けた相手に刃を向けるなんて、帝国は相変わらずね」


 ラグノの喉が震える。


「規律だ。感情を優先するわけにはいかん。お前たちを、ここには置いておけない」


 空気が、ぴん、と張り詰めた。


 ――――――ここで、再び剣が交わるのか。

 ――――――それとも、別の選択肢があるのか。


 ガレンが、一歩だけ前に出た。


 その瞳には、戦意ではなく――決意が宿っていた

 武器を構えた帝国斥候隊の前で、ガレンは動かなかった。


 ただ、ゆっくりと、まるで“敵を説得する”ような声で言葉を落とした。


 「……お前ら、本気でやる気か?」


 その声音に怒気はなかった。

 むしろ、痛烈に現実を突きつけるような、淡い哀しさが混じっていた。


 帝国兵の数名が肩を震わせる。

 ガレンは、静かに視線を巡らせた。


「斥候隊……半分以上負傷してる。重傷者もいる。

 今、お前たちが戦闘なんてできるのか?」


 誰も答えない。

 続くガレンの言葉は、刃物より鋭く、しかし優しかった。


「……それでも“規律”か?

 助けてもらった相手に刃向けて、仲間を見捨てたまま戦うってのか?」


 帝国兵たちの顔が苦悶に歪む。

 ラグノも拳を握った。

 助けられた。

 自分たちは間違いなく、三人に救われた。


 しかし――帝国軍の規律では、王国の“要警戒”は拘束対象。

 その板挟みが、兵士たちの表情に色濃く刻まれていた。


 エルビスが小さく鼻で笑い、肩をすくめる。


「どうする? 俺たち、別に戦いたいわけじゃないぞ」


 エヴァは一歩前へ出た。

 戦闘態勢ではない。


 掌を静かに広げ、魔力の粒子を漂わせる。


「誤解を解いておくわ。ガレン、彼は王国軍を離脱してる。貴方達も知ってるであろう銀の戦乙女と共に王国軍とは袂を分かっている。」


 ラグノが目を見開く。


「……離脱、だと……?銀の戦乙女まで!?」


 エヴァは淡々と続けた。


 「理由まで説明する必要はないと思うけれど――

 少なくとも“帝国軍を害し、攻撃しに来た”わけじゃない。それに……」


 彼女は視線を帝国兵の負傷者へ向ける。


 肩から血が流れ続ける者。

 意識が朦朧として武器を構えるのもやっとな者。

 立つことも出来ず仲間に支えられている者。


 それら全てを、冷静に、そして痛ましげに見た。


「……癒せる。」

「私の力で、軽傷者はすぐに、重傷者も助けられる」


 空気が止まった。

 魔物の咆哮が残した気配が、荒野の奥へ消えていく。


 ラグノは息を飲んだ。

(魔法で……仲間を救える……!?)


 後ろを振り向き、死にかけの部下たちの顔を見やる。


 帝国軍人としての規律。

 隊長としての責務。

 人としての感情。


 三つが焼けるように衝突し、ラグノは思考すらまとまらなくなった。

 武器を構えたまま震える手は、もはや槍を保てない。


 ラグノは、ゆっくりと武器を下ろした。


 カラン、と乾いた音が落ちる。


 「ラグノ隊長……!?」


 部下が声を上げたが、ラグノはそれを制した。

 そして次の瞬間。



 ――膝をついた。



 砂が舞う。

 帝国軍の隊長が、王国側の元兵士に――頭を下げた。


 「……頼む」


 声が震える。

 どれほどの屈辱か。

 それでも彼は続けた。


「お前たちが敵か味方か……そんなことはもうどうでもいい。

 仲間を……俺の部下たちを救ってくれ……!」


 地面に額をつける勢いで、ラグノは深く頭を下げた。


 「頼む……どうか……!」


 エヴァは、静かに息を吸った。

 ガレンもエルビスも、言葉を失ったまま彼の姿を見つめる。


 そして――

 エヴァの手のひらに、癒しの光が集まり始める。


 風が優しく揺れ、光粒が舞う。


 「……顔を上げなさい。帝国の隊長」


 その声は、驚くほど柔らかかった。

 ラグノの頭を下げる姿を前に、エヴァは一度だけ目を閉じた。


 そのまつげに、砂埃とは違う温度が揺れていた。


「……わかったわ。あなたがその覚悟で頼むというのなら――私も応える」


 光が、静かに彼女の掌からこぼれ落ちる。

 荒野に漂っていた絶望が、ほんの少しだけ薄れていくのを誰もが感じていた。





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