第四十六話 家の光
夕刻。家々の窓に灯がともり、煙突から細い煙がのぼる。オリビアとラウニィーの家――二人で住むために設えた広めの居間では、ランタンの光が木目を温かく照らす。
キッチンでは、エプロン姿のラウニィーが鍋の蓋を少しだけ開け、湯気の匂いを鼻先で味わった。エヴァとリーヴァはテーブルを拭き、皿を並べ、パンを籠に入れる。オリビアはサラダに最後のハーブを散らしていた。
ラウニィーがくるりと振り向き、両手を広げて宣言する。
「今日の夜ご飯はうさぎのシチューでーす!」
白い湯気が立ち上り、香味野菜とうさぎ肉の甘い香りが居間いっぱいに広がる。長時間煮込まれた肉はほろりとほぐれ、根菜は角が丸くなって、スプーンがすっと入る。
「……いい匂いだ」エヴァが目を細め、思わず喉を鳴らす。
「パンはさっき焼いたやつ。外かり、中ふわ」
ラウニィーは鼻高々だ。
「リヴィのサラダはさっぱり系。合うよ!」
「大丈夫、味は喧嘩しないように整えてるから」
オリビアは微笑み、器を配る。
「さ、座って。いただきましょう」
四人はいただきますと手を合わせ、それぞれスプーンを運ぶ。
「んっ……!」最初に声を漏らしたのはリーヴァだ。「やさしい……けど、芯がある。うさぎの出汁って、こんなに深いんだ」
「骨からも旨みを出したの」とラウニィー。「ちょっと手間だけど、味が全然違うからね」
エヴァは無言で頷き、二口、三口と続ける。表情がほどけていき、やがてふっと笑った。
「これは……戦の前にも後にも効くな。胸が静まる」
パンをちぎってシチューに浸す。ハーブの香りが柔らかい脂を切り、喉をするりと落ちる。オリビアは皆の様子を見回し、満ち足りたように目を細めた。
「エヴァ、塩は足りる?」
「十分だ。……いや、十分以上だ」
ラウニィーはオリビアの皿を見て、そっとパンを一切れ置く。「リヴィ、これも食べて。明日も動くんだから」
「ありがとう」
リーヴァがくすくす笑う。「ラウニィーの“世話焼きモード”出た」
「いいの。リヴィは大事だから」ラウニィーはさらりと言って、照れたオリビアの頬に視線を滑らせた。
食後、軽い果実水で口をさっぱりさせる。
「少し休んでから、湯に行こうか」オリビアが提案すると、エヴァとリーヴァが同時に手をあげた。
「異議なし!」
「異議なし!」
***
露天の湯場は家の板塀の向こう、小さな石道を抜けた先にある。腰高の生垣の向こう、石を組んだ浴槽に湯気が立ち、夜気に白くほどけていく。天井はない。かわりに満天の星と、拠点の上空を環のようにうっすら縁取る光――リングが遠くに呼吸している。
湯縁で足を洗い、四人は肩まで浸かった。湯は肌を撫でるように柔らかく、昼の疲れがほどけていく。木々の間から虫の音、遠くで巡回の足音。湯面が星を砕き、小さな光が揺れた。
「はぁぁ……」ラウニィーが長く息を吐く。「しあわせ」
「温度、ちょうどいい?」オリビアが隣を見る。
「うん。リヴィの隣なら、もっとちょうどいい」ラウニィーは半分冗談、半分本気で、肩をそっと寄せる。
リーヴァは湯のなかで膝を抱え、空を仰いだ。「ひぃおばあ様、星、きれい」
「そうだな」エヴァは湯面に映る光を指で割りながら言う。「森の上とは、見え方が少し違う」
しばし、湯気と夜風の音だけが続いた。その静けさを、エヴァの明るい声が破る。
「私はリーヴァが心配で来てみたんだが、なんの心配もなかったな! 里ではこんなに目を輝かせてるリーヴァは見たことがなかった。オリビア、ラウニィー、みんなのおかげだ。本当にありがとう。」
ラウニィーが肩まで沈み、「そんなことないよ!」と即座に返す。
「リーヴァが自分で見つけて自分で作った場所だよ!」
続けてオリビアが頷き、まっすぐ言葉を重ねた。
「そうね。私たちはむしろリーヴァが居てくれていることに本当に感謝しているわ。この街もリーヴァが居てくれたから出来たことだしね。改めてありがとうリーヴァ。」
ぶくぶく、と静かな音。リーヴァは恥ずかしそうに顔を湯に沈め、目のあたりまで出して
小声でむにゃむにゃ言う。
「……むぅ……やめてよ……そういうの、弱いんだから」
ラウニィーがいたずらっぽく笑う。「褒めると、すぐ煮える」
「う、煮えてない!」顔だけを出したリーヴァの頬は、湯の熱か照れか、りんごのように赤い。
エヴァはその様子を穏やかな顔で見ていた。目の奥に、里の夜や、かつての焚き火や、幼いリーヴァの背中が一瞬よぎっては、湯気に溶けていく。
「……いい場所だ」やがて、ぽつりと言う。「名ばかりの安らぎではない。人の手で、心で、作った安らぎだ」
オリビアは湯のふちに指を置き、遠いリングを見上げた。
「守るために作った。でも、守るだけじゃない。ここで笑って、働いて、眠って、また明日へ出ていくための場所。……そういう拠点に、したかったの」
ラウニィーが横から「もうなってるよ」と囁く。
「だって今日、いっぱい“おはよう”って言われたでしょ。あれってさ、拠点が息してるってことだよ」
「ふふ。ラウニィーは時々、詩人ね」
「リヴィが好きだから、言葉が出てくるだけ」
エヴァが軽く笑い、湯に手を広げた。「なら、言葉を受け止める拠点も、いい“耳”を持ったということだな」
リーヴァが水面をぱしゃりと叩く。「ひぃばあ様、かっこつけた」
「年の功だ」エヴァは肩をすくめ、四人で笑い合う。
湯気の向こう、リングが静かに巡る。水の音は絶えず、しかし静か。遠く、門前の堀へ落ちる流れの音が夜気を渡ってくる。
ややあって、ラウニィーがふと思い出したように顔を上げた。
「そうだ。明日の朝ごはん、何がいい?」
「パンが食べたい」リーヴァが即答する。
「なら、蜂蜜とハーブバターを作っておくわ」オリビアが続ける。
「よし、うさぎの残りでリエットも作ろう」ラウニィーの目がきらり。「パンに塗ったら、絶対おいしい」
「……うむ。では、早起きしよう」エヴァは満足げに目を細めた。「人は、明日の食卓を思い浮かべられるだけで強くなれる」
湯の温度が少しだけ下がる。夜が深まっている。
「そろそろ上がろうか」オリビアが言い、皆が頷く。湯からあがると、夜風が熱をほどよく攫っていった。置いておいた麻のタオルで体を押さえ、髪をまとめる。
縁に腰かけ、最後に空を見上げる。星は多く、リングは薄く、そして四人の吐息は白くない。ここは温い。人の気配で温められている。
帰り道、板塀の影が長く伸びる。
「今日、よかったね」
「ええ。いい日だった」
「明日も、いい日にしよう」
「もちろん」
背後で、リーヴァが小声で囁く。
「ひぃばあ様、幸せって、こういう匂いするんだね」
「そうだ」エヴァは短く答えた。「こういう匂いだ」
四人の影が、拠点の小径に並んで揺れる。門の前の水音は絶えず、遠くの見張り台の灯が静かに見下ろしている。
プラチナム――セレスティアの拠点は、夜の胸に、安らかな呼吸を刻み続けていた。




