閑話 セレナ・エルンスト――影を纏う者
時は遡り…オリビア達が王国から離別。
オリビアの依頼により飛空艦の動力の正体を王国に流布しに来たセレナ達の視点の物語である。
セレナは幼い頃から、「望まれぬ者」として生きてきた。
大きな屋敷の片隅、誰にも触れられぬ薄暗い離れに、彼女と母は押し込められていた。
母は病弱で、床に伏す時間の方が長かった。けれど、弱ってなお、母は優しかった。
触れれば壊れてしまうほど細い指で、セレナの髪を撫でながら、いつも同じ言葉を口にした。
――「あなたは、わたしの誇りよ。胸を張って、生きて」
しかし、その言葉を受け止めるには、セレナはあまりに幼すぎた。
母が亡くなったあと、彼女の世界から温もりは完全に消えた。
父は、彼女に目も向けなかった。
愛されない理由も、与えられぬ理由も、幼いセレナにはわからなかった。
だからこそ、彼女は――必死に努力した。
「愛される価値がある」と証明するために。
誰よりも強く、誰よりも美しく、誰よりも王国の為あろうとした。
血が滲むほど剣を振り、槍を繰り、手の皮がめくれる程弓を手繰り、倒れるまで魔力制御の訓練を繰り返した。
努力は裏切らなかった。入隊後、彼女は闇魔法に覚醒、瞬く間に頭角を現し、中隊長にまで上り詰めた。
しかし。
「……妾の子が調子に乗るな」
父の言葉は、冷たく、乾いていた。
どれほど強くなっても、どれほど功績を上げても
――彼の目に、セレナという“娘”は存在しなかった。
愛されることは、ついに一度もなかった。
それでも、セレナは前を向いてきた。
孤独でも、ただひとつ確かな真実があったからだ。
“努力すれば、私はここにいて良いと証明できる”
……その信念だけが、彼女を支えていた。
そして今。
彼女はオリビアという指揮官のもとに在り、ラウニィーに導かれ、自分の居るべき場所、成すべきことが別にあるかもしれない事を悟った。
その温もりは、過去のどんな記憶よりも鮮明だった。
だから――命がけの任務であっても迷わない。
「さあ、やるわよ。ここが正念場よ」
セレナは、自分の胸に言い聞かせるように呟いた。
◆ ◆ ◆
王都セリウスは、祝祭のような喧騒に包まれていた。
「……浮かれてるわね。本当に」
セレナはフードを深く被り、群衆を観察する。
「王国の飛空艦、本当に飛んでたな!」「ああ……これで帝国にも勝てるぞ!」
――無知とは、時に罪だ。
あれが何を代償に飛んでいるのか。
幾多の無抵抗な民の命を吸い尽くしている事実を、王国民は知らない。
「皮肉なものね。見上げるその目と、あの人たちの死に方の差が……あまりにも」
セレナの表情は、ひどく冷え切っていた。
背後から小声が飛ぶ。
「姉御、散らばるタイミングは?」
声の主はエルドゥ配下の三人の精鋭レンジャー達。
その隣では、ラウニィーが軽く頷いている。
「ここからね。全員、予定通り散開。危険を感じたら即座に撤退すること。絶対に深入りしないで」
「了解っす!」
セレナは三人を見渡し、続ける。
「まずは広場、酒場、露店、裏通り……“人が集まる場所”を優先して回るわ。流す噂は一本化する。
――『飛空艦は、生きた人間の魔力を吸い上げる装置で動いている』」
ラウニィーが補足する。
「とにかく“誰かが言ってた”という形を作るんだ。匂わせと断片情報の積み重ねが一番効く。
感情が混じれば混じるほど、噂は勝手に走るものよ」
セレナは静かに頷いた。
「そう。無理に確証を持たせる必要はない。むしろ曖昧な方が広がるわ」
「それと……」
セレナはエルドゥ配下の三人を見、それぞれの肩を軽く叩く。
「あなたたちの“普段の話し方”のまま噂を流しなさい。慣れない演技は逆効果よ。自然体でいい」
レンジャー達たちは顔を見合わせ、緊張を帯びた表情を見せた。
「……姉御。正直こんな任務、初めてで……」
「大丈夫よ。私がここにいる。何かあれば必ず迎えに行くから」
その言葉に、レンジャーたちは小さく息を吐いて表情を引き締めた。
「よし……よし、やってみる!」
ラウニィーが小声で笑う。
「セレナ、本当に向いてるわよ。部下を動かすの」
「……慣れてるだけよ。マイケル大隊時代に“裏の仕事”ばかりさせられてたから」
自身の過去を皮肉るように言うが、ラウニィーは優しく言い返した。
「違う。セレナは、誰かを守りたいと思った時に一番強い。
それを知ってるから私もついてきた」
セレナは一瞬、言葉を失った。
胸の奥が、わずかに熱くなる。
「……行きましょ。時間がないわ」
「ええ。それぞれの健闘を」
ラウニィーは手を上げ、三人のレンジャー達に合図を送る。
仲間たちは人混みへ紛れ、瞬く間に姿を消した。
セレナは最後に短く言葉を投げかける。
「生きて帰りなさい。いいわね」
彼らの背中が見えなくなった瞬間、
セレナとラウニィーも別方向へ歩き出した。
――飛空艦は“罪”を燃料に飛んでいる。
この真実は、今日から王都の全てへ広がっていく。
そして彼女たちの影は、静かに街へと溶けていった。




