(07)魔王ー1
タチアナは以前に魔王が、言っていたことを思い出していた。
魔王は、人の憎悪や恐怖を向けられた時、魔力が溜まるのだと言っていた。
だが、現在この領地でタチアナに、そのような不快感や敵意を向ける者は誰一人いない。
むしろ、蝶よ花よで大切に育てられている。それに、リベラートからは、穏やかな暖かい愛を注がれているのだ。
「自然に魔力が溜まるのを待っているけど、結構溜まるものなのね。もしかして、リベラート様の愛を受けて魔力が溜まるとか? ないわよね・・」
リベラートのタレ目を思いだし、タチアナはうっとりする。そして、更なる計画を考えていた。
「この前は魅了をしっかりとリベラート様に掛けれなかったけど、もっと魔力を溜めてメロメロにしちゃおうっと。それよりも、もっと大人の女性になった方がいいのかしら。それだと、全く魔力が足りないわ。誰かから溜まった魔力を奪えば、手っ取り早いんだけどな・・」
リベラートに怒られたことなど、すっかり忘れ、効率よく魔力溜める方法を考えていた。
魔王の言うとおり、人間を恐怖に陥れて、殺すのがいい方法なのかもしれないが、それは全く考えていなかった。
なぜなら、屋敷の人はいうまでもないが、領地の人々も、タチアナを大事にしてくれている。
しかし、魔族でない限り、その身に魔力を溜め込んでいる者なんて、ここにはいない。
タチアナは、地道に自然界にある、魔力を吸収することにした。
まだ、幼さを残す容姿を鏡に映し、先日見た大人の女性になった自分を想像してみた。
「うん、やっぱり胸は大きい方がいいよね。だってリベラート様ってば、あんなに見てたし・・。髪の毛は腰までで、お尻は上がってて・・。その前に、リベラート様の好みってどんな女性か調べないと!」
タチアナが調べるといっても、直にリベラートに聞くだけだ。
そのままの勢いで、リベラートの執務室にノックもせずに突撃。
バーンと扉を開けて、質問を開始する。
「ねえ、リベラート様。好きな女性のタイプを教えて!」
いきなり部屋に入っていって、質問がそれだ。
リベラートは、しばらく頭痛がするのか、頭を揉んで何かを考えていた。
そして、顔を上げたリベラートに、タチアナは手招きされる。
「タチアナ。話があるんだ。こっちへおいで」
リベラートに呼ばれたタチアナは、嬉しそうに走りより、当然のように、リベラートの膝に座る。
「なんで、膝に?」
戸惑うリベラートにタチアナは即答する。
「大好きだから!」
いつものことだと諦めたリベラートは、そのまま話し出した。
「タチアナは見かけだけは、もう赤ちゃんじゃない。だから、その成長に合わせたマナーを覚えることが、必要になってくるんだ。それと、勉強もね」
勉強と聞けば嫌がるのが普通だが、タチアナは、目を輝かせた。
その理由はすぐに判明する。
「じゃあ、リベラート様が私の先生になって、マナーも勉強も教えてくれるのね!」
「・・いや、私は忙しいから、マナーはシビルに、家庭教師は雇おうと思っているんだ」
「ええええー・・」
明らかにタチアナのテンションが下がって、もうやる気は、微塵も残っていないようだ。
「勉強を頑張ったら、ダンスの為のドレスを買うよ。どう?」
ドレスくらいじゃ、タチアナのやる気など起こらない。
「じゃあ、私が大人になってダンスを踊れるようになったら、一緒に踊ってくれる?」
リベラートに可愛くおねだりすると、リベラートはいいよと頷いた。
リベラートは、単に『娘からの可愛いおねだり』くらいに考えているようだが、タチアナはじわじわと誘惑するためにダンスを誘ったのだ。
この時点で、両者のずれはあるが、それはタチアナの強引な行動力でなんとかなっていくのだ。
恐るべし魔族。いや、恐るべし乙女の恋心。
それからのタチアナは、一生懸命にお貴族さまの小難しいルールやら、勉強も頑張り、出された課題を次々にこなし、果ては領地経営まで乗り出してくる。
ハイスペックなのは、魔王の血によるものなのか、タチアナの元々の根底としてあったのかはわからない。
しかし、意欲的に貪欲に学ぶ姿から、彼女がリベラートを虜にするためだけに、頑張っているとは誰も分かっていなかったようだ。
僅か一か月で、全ての学習を終わらせ、貴族のマナーも完璧に身に付けた。
「もう、後は大人の身体だけなのにぃぃぃ!」
やるせなく鏡を見つめていたら、リベラートに声をかけられた。
「どうしたの? 何か困っていることがあったら僕に言って欲しい」
上から見つめられて、タチアナは悔しそうに、背伸びをしてから諦め、ため息をついた。
「背伸びしても、届かないの」
タチアナはリベラートの唇を見ながら言ったのに、全く気がつかない様子で、タチアナの心配をするリベラート。
「何に届かないの? 代わりにとってあげるし、自分で取りたいものがあるなら、脚立を用意してあげるよ」
そう言いながら、タチアナの頭を撫でるのだ。
「はぁぁぁ・・・。なんでもないわ。届くようになったら、そんなのんきでいられないんだから!」
会話の繋がりが全く分からず、呆然としているリベラートを置いて、タチアナは走り去った。
全く相手にされていないことが悔しかった。
それに、実はこう見えて、タチアナはとても焦っていたのだ。
というのも、先日王都に住む年老いたリベラートの両親から、息子を案じて『そろそろ身を固めろ』と、催促の手紙が来ていたのを知ったからである。遅くに生まれた我が子を置いて死ねないと、リベラートの両親もまた、焦っているのだった。
屋敷から飛び出して、林を一人で歩きながら、今後の事を考えるタチアナ。
「私の魔力が溜まる前に、リベラート様が結婚なんてしたら、どうしよう・・。ぜぇったいに阻止してやるわ! その前に強力な『魅了』魔法を使ってもなんとかしなくちゃ!」
先日、怒られた『魅了』の魔法だったが、リベラートを他の女性に取られるくらいなら、使う気満々だ。
その言葉の後、辺りが暗くなる。考え事をするタチアナの前に真っ黒な煙が立ち込めたのだ。
その中から一人に男が出てきた。
魔法を使ったというタチアナの言葉に、男は相当怒っている。
「おまえを人間界に出したのは、そのような、下らない魔法を使わせるためではない!」
タチアナが声のする方に顔を向けると、タチアナと同じ真っ黒な髪の毛を無造作に伸ばし、真っ赤な瞳で頭には角がある、見上げんばかりの大きな男と、側で控えている人間サイズの男がいた。
「だれ?」
只でさえ苛立っていたタチアナは、鬱陶しそうに聞く。
「忘れたのか? 余はお前の父で、魔族の王だ。そろそろお前の中に魔力が溜まる頃だと、魔界で待っておれば、先日お前が魔術を使った形跡が見えたのだ。慌てて確かめてみれば、人間の男なぞに『魅了』を使ったとは・・、なんと愚かなことに使いおって! 断じて許さぬぞ」
タチアナは、そう言えば父親と名乗る、そんなのがいたな・・程度で思い出した。しかも、その大男が図体の割に小さいことを言っているので、つい失笑してしまった。
「ふふふ。おじさん、バカなの?」
「おお、おじ・・。父であり、魔王の余に向かって、なんだその口の利き方は!」
「父って・・。前に一度見ただけのおじさんが父親だって、知るわけないわ。それに、いままで頑張って貯めたお小遣いを、子供から取り上げるような真似をする男が、魔王だって言われても、笑うしかないわよ。私が溜めた魔力をどう使おうが私の勝手でしょ」
娘の言い種に、魔王は睨んだ。
「少しばかり、怖いもの知らずの娘を躾てやらなくてはならんようだ」
魔王がタチアナに睨みながら、強い『威圧』をかけてきた。
隣の側近のジュスタンは「ひぃっ!」と悲鳴をあげて、腰を抜かしていた。
だが、タチアナにとっては頭に葉っぱ一枚が載った程度の圧だった。
「しょぼ・・」
タチアナにとっては、本当にショボかったのだが、この言葉に、魔王が切れた。
「黙って溜めた魔力を渡せば、そのまま生かしてやろうと思ったが、殺して奪うこともできるのだ。自分の浅はかさを恨むんだな」
魔王が凄んで見せた。
だが、その言葉に目を光らせ、喜んだのは、タチアナの方だ。
「え? 魔力は無理矢理に奪えるの?」
タチアナの瞳が大きく開き、猫の瞳のように爛々と輝く。
「何を笑っているのだ! まさか余から魔力を奪えるなどと思っているのか?」
「勿論。だってあなた、弱そうだしー」
タチアナの余裕の笑みに魔王は怯んだが、少し考えてから笑いだした。
「余に勝つつもりなど、片腹いたいわ! 余に殺される前の、お前の恐怖という負の感情ごと、魔力を喰らおうではないか!」
魔王は言うなり、大きな赤紫色の火の玉をタチアナに放った。
ドオオーーーン!!
林一帯に轟音が響き渡り、タチアナが消えた。




