(06)魅了
隣の領地にドレスを買いに出かけ、結局何も買わずに帰ってきたその夜。
不機嫌なのか、なんなのかリベラートにはわからないのだが、「眠れないの!」と駄々をこねるタチアナに手を焼いていた。
いつもはさっさと一人で、自分の部屋に行くのに、リベラートの後ろをついて廻る。
「もう遅いよ。よい子は早寝をしないとダメだよ」
リベラートが幼い子供に、言い聞かせるように言うと、タチアナが首を横に振って、余計に怒るのだ。
「わかってないわ」
タチアナがボソリと呟く。
「うん? 何か言った?」
リベラートが聞き返す。
「父親みたいな言い方がいやなの!」
「だって、タチアナの親だと思っているし・・。じゃあ、一度パパって呼んでみてよ。そしたら、そう思えるかも知れないよ」
リベラートはパパと呼んで欲しいと本気で思っていた。だから、ニコニコ顔で『パパ』待ちだった。
リベラートは本当にタチアナを養女にして、大事に育て、いつかこの屋敷から嫁に出そうと思っていたのだ。
心から、タチアナを大事な家族だと思っていたのだ。勿論、娘として。
しかし、目の前の可愛い娘は、恐ろしく怒っていた。
「『パパ』なんて絶対に呼びたくないの! それよりも、『ダーリン』って呼んでいい?」
全く想像もしてないタチアナの言葉に、リベラートの喉がひきつった。
「ダダダダ、ダーリン?! そんな言葉誰に教わったの?」
狼狽え過ぎて、ずっこけたリベラート。
「今日の街中で、綺麗な女の人が旦那様にそう呼んでいたのを聞いたわ。ねえ、ダーリンって呼びたい!」
ダメだと言っても、『呼びたい!呼びたい!』とじたばた。
駄々っ子のように、『ねえ、いいでしょ?』を連発するタチアナに、初めはあたふたしていたが、少し子供っぽい仕草を見たことで冷静になったリベラートが、落ち着いて話しだした。
「いいかい。ダーリンって呼ぶのは、大好きな人に言う言葉なんだ。だから、いつかタチアナが、大きくなって好きな人ができたら、それを言うといい」
ちゃんと説明したし、わかってもらえたと思ったが、タチアナは威嚇する猫のように『シャーッッ』とでも言いそうな程、睨んで来る。
だが、すぐに何か思い直したようだ。
「フンッ、わかったわ。もう寝る」
あっさりと引き下がったタチアナに、ほっとするリベラートだった。
◇□ ◇□
次の朝。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
若い女の子の悲鳴だ。
お馴染みのシビルの悲鳴ではない。
声を聞き付けて、リベラートがタチアナの部屋に急行し、ドアを開けると・・。
そこには12歳くらいになったタチアナがいて、鏡の前でへたり込んでいた。
「タ、タチアナかい?」
リベラートもいきなり5歳からの大変身で、自信無さげに尋ねる。
泣きそうな顔で、頷くタチアナ。
「どうしたんだ? どこか痛むのか?」
抱き上げようとしたが、今までのように勝手に触ってもいいのかわからず、躊躇したが、床に座っていると風邪をひいてしまうと思い、抱き上げてソファーに座らせ、肩からシーツを掛けた。
「もっと大きくなるつもりだった。十分魔力も溜まったから、大人の女性になってリベラート様を『ダーリン』って呼ぶつもりだったのに、中途半端にしか成長できなかったの・・。きっと角を隠すのに、沢山の魔力を使っちゃったんだわ」
打ちひしがれて、項垂れるタチアナを見て、リベラートは、なんとも愛おしく感じる。
「急いで大人になんかならなくていい。ゆっくりでいいんだ。ゆっくり成長して今の時期しかできないことを沢山経験して欲しいな」
リベラートが『ね?』と諭すように話す。
だが、結果は全く昨夜と同じ反応だった。
タチアナに眇めた目で見られ、首を横に振られる。
可愛い女の子に、その目で見られるのは、非モテ男にとって、非常に怖いものがある。
しかし、どうしても気になっていたことがあるので、タチアナの頭を見ながら聞いてみた。
「タチアナはさっき、角を隠したと言っていたけど、大丈夫なの? 角をなくして魔族的に身体に影響はない?」
人間にとって角は、魔族の証で恐ろしいものだ。それなのにそれがないことで、体は大丈夫なのかと心配する辺り、さすがリベラートだった。
それをタチアナも感じたのか、笑いだす。
「うふふ、やっぱりリベラート様だわ。角は隠しているだけで、ほら、すぐに出せるわ」
タチアナが指をパチンとならすと、角が現れた。
そして、もう一度、指を鳴らし完全に角を消した。
「ねえ、これで人間に見えるでしょ?それに、前よりも大きくなったし、ダーリンって呼んでもいい?」
潤んだ赤い瞳で言われると、ちょっと、ドキドキする。
リベラートは頭を抱え、自問自答。
(待て待て、何をくらくらしているんだ! 昨日まで5歳くらいだったんだぞ。もう少し前までなんか、赤ちゃんだ! しかもよく見ろ! まだ12、3歳くらいじゃないか。これでダーリンなんて呼ばせるなんて、犯罪者だ! 自分を保て、リベラート!)
「犯罪者になりたいか? 答えはノーだ! おまえは健全な男だ。間違うな!」
ぶつぶつ呪文のように唱えながら、うっかりタチアナに心が揺らめいて、くらくらしてしまった自分にカツを入れた。
はずだったが・・。
目が合うと、タチアナが可愛くウィンクし、『チュッ』と投げキッス。
しかも、今まで笑顔はなかったのに、白い歯を見せて、微笑むのだ。
完璧美少女の微笑みだ。
頭がホワホワしだす。
そこでまたくらくらして、うっかりタチアナの肩を両手で掴み、キスをしようと顔を近付けた。
その時、タチアナの真っ赤な瞳に幾何学模様が浮かんでいるのを見て、ハッと我に返った。
「あっぶなー・・。というか、タチアナ! 今僕に『魅了』の魔法を掛けていたよね?」
「あーん。もうちょっとだったのにぃ。ばれちゃったぁ」
悪びれもせずに、罪を告白。
「絶対にダメだ!」
「どうして?」
タチアナはそれが悪いことだと、全く思っていない。
「いいかい、タチアナ。よく聞いてくれ。相手の了承もなく、他人の意思を変えるような魔法を使ってはいけないよ。それに、タチアナには、もっと自分を大切にして欲しいんだ」
リベラートの誠実な訴えが通じたのか、タチアナはしおらしくしゅんとしている。
「わかったわ。ごめんなさい」
そのしょんぼりした姿が、可哀想になって、すぐに慰めるリベラート。
「まだ、人間社会のルールとか知らなかったのに、言いすぎたね。ごめん」
「ううん。いいの、私が悪かったんだもん。でも、リベラート様、ちょっと怖かったから前みたいにお膝に乗ってもいい?」
幼い感じを出して、相手に甘えてみる。勿論、タチアナの計算だ。
リベラートはちょっとためらったが、まだ心は赤ちゃんのままなのかも知れないと、受け入れてソファーに座りタチアナを膝に乗せた。
すると、タチアナが嬉しそうに抱きついてきた。リベラートはドキッとしたが、呪文を唱えて必死に平常心を取り戻す。
その呪文をぶつぶつと何度も唱えていたせいで、タチアナの『魔力が足りなくて、魅了もしっかり使えなかったわ。今度はしっかり溜めてからね』という言葉は聞こえていなかったのである。
◆■ ◆■
タチアナは念入りに準備していた。
5歳の体では誘惑できない。
だから、町で会ったような女たちの姿を想像し、完璧な女性に変身するつもりだった。
だが、角を隠すための魔法が思ったよりも魔力を必要とし、しかも変身後、すぐにリベラートを魔法で“魅了”しようとその魔法取得にも魔力を消費してしまったのだ。
魅了の取得は、後でも良かったのだが、他の女に盗られる前に自分のものにしたくて焦ってしまう。
それが、大誤算。
完璧な女性どころか、中途半端な年齢になってしまった。
しかも、捨て身でリベラートに魅了の魔法をかけたのに、なぜか効かなかったのだ。
「何故、リベラート様に魅了は効かなかったのかしら? 魔法の掛け方を間違ったの? それとも私に嘘を教えた?」
怪訝な表情を、前に座る女性に向けた。
頭には小さな角があり、体を隠すには最小限過ぎる布地の衣装の女性が、焦ったように両手を振って反論する。
「私はサキュバスとして、最高の術を教えましたわ! 魔王の娘である貴女様に嘘は教えていません!」
体を震わせると、大きな胸と網タイツの太ももが一緒に揺れた。
「じゃあ、リベラート様って『魅了』に打ち勝つほど、私のことを嫌っているとか?」
自分で言ってその言葉に傷付くタチアナ。それをサキュバスはすぐに全否定した。
「見ている限りそれはないです。あの男・・」
ギロりとタチアナに睨まれて、サキュバスが言い直す。
「あの、リベラートという男性は、タチアナ様を見て、微笑んでましたもの。タチアナ様を大事に思いこそすれ、嫌っていることなんてありませんわ」
町中でのリベラートを思い出す。
「そうよね。嫌われていないと思う。だって、私が笑うと嬉しそうだったもの・・。じゃあ、魔法に頼る前にすべきことをするわ!」
町で会った女たちの笑顔を見たタチアナは、それがリベラートを虜にするために必要な技術と武器だと悟る。
タチアナはその武器を生かすために、鏡の前で練習した。
口角をあげて、完璧な笑顔の練習だ。
美少女は一日にしてならず!である。




