(12)恋とは?
シャワー中。
タチアナは浴室から何度も「タオルがないの」、「石鹸が分からない」など理由をつけて、リベラートを呼ぶ。
しかし、当のリベラートは必死で顔を横に向けたり、薄目で行動している。
シャワーの計画は失敗だった。
少しでもこっちを見れば、悩殺ポーズを決めていたのに、見てもくれないんじゃ、やる意味がない。
そっと扉を開けてリベラートの様子を見れば、煩悩を押さえるために、ぶつぶつと呟いている。
ベッドの上で、タチアナを待っている間、いつもの呪文を繰り返すリベラートは、もはや修行僧並みの精神力を付けたと思われた・・。が、やはりまだまだのようだ。
タチアナがどこで用意したのか、スケスケネグリジェで現れた瞬間、仰け反ってぶっ倒れた。
だが、すぐに起き上がる。少し耐性がついたのだろうか?
「ボクモ、あせヲ流し、テ、クルヨ」
なぜか片言の言葉で、足早に立ち去っていく姿はいつも通りである。
その背中に向けて「もうっ!」と睨むタチアナを避け、壁に沿うようにして部屋を出ていく。
ため息をつくタチアナだったが、彼女にはまだ作戦があるのだ。
溜まりに溜まった魔力で、今日こそ『魅了』を使うのだと息巻いている。
機会を狙っていたが、今日使わずして、いつ使う?
明日王宮に行けば、王都のコジャレた女が山ほどいるのだ。
それよりも前に、リベラートを自分のものしておけば、少しでも安心できるというもの。と、いかにも肉食系女子が考えそうなことだ。
・・・。
ベッドでごろごろ待つこと1時間。
(いくらなんでも、遅くない?)
浴室に見に行こうかと思っていたら、そおーっと浴室の扉が開いた。
そして、室内を窺うリベラートと目が合う。
「・・・、ね、寝てなかったの?」
(なるほど、私が寝落ちするのを待っていたのね)
リベラートがこそこそとベッドを避けるように、髪の毛を拭きつつ、タチアナから一番離れたソファーに座った。
タチアナが身動きすると、リベラートの体がピクリと動く。
リベラートの警戒心が、ハムスターのように、マックスなこの状態では、『魅了』もうまくかからないかもしれない。
もっとリラックスしてもらわなければと、タチアナは再び演技のプランを、色気より頼りなげな感じに変更した。
「もちろん、起きていたわ。だって一人じゃ寂しいって言ったでしょう?」
あざとく小首を傾げて、無防備に笑って見せた。
すぐにベッドからソファーに移動して、リベラートの隣に陣取り、リベラートの肩にあるタオルを取って、彼の髪の毛をくしゃくしゃと拭く。
安心してもらうために、わざと雑に拭きながら、「もう、ちゃんと拭かないと風邪を引きますよ」と世話女房っぽくやってみた。
やはり、この方が良かったようだ。リベラートの体から力が抜けて、少し警戒を解いたようである。
色気作戦では、リベラートの心には容易には近付けないと分かると、タチアナは妖艶な雰囲気を止めて、無防備な天真爛漫な微笑みに見事に変えた。
「うふふ、リベラート様の髪の毛ってふわふわでいい匂いがしますよね!」
「そうかな? 自分では分からないよ。それより、タチアナの髪の毛はいつも艶々の黒で、広がれば夜空みたいだ」
大人しく頭を拭かれながら、そんなことをさらりと言うリベラートが憎らしい。
自分の髪の毛のことを褒めてもらったタチアナは、迂闊にもときめいてしまい、次の言葉がでなかった。
しかも、いつもはおどおどしている癖に、さらに饒舌に殺し文句を続ける。
「それに、タチアナの瞳は真っ赤で、時々現れる赤い月のように輝くときがあるだろう? あれは芸術的な美しさがあるよ。ずっと見ておきたいくらいだ。まあ、照れて見れないけどね・・」
赤い瞳を気持ち悪くないんだ・・。それよりも見続けたいほど綺麗だと思っていたなんて・・。タチアナは、心臓が誰かに締め付けられているように、苦しい。
動きが止まったタチアナを心配したリベラートに顔を覗かれる。
タチアナは顔を赤らめ、少し幼い顔になっている。
「・・っ!」
見てはいけないものを見てしまったような態度でリベラートが、慌てて顔を横に向ける。
いつも、イケイケのタチアナだったが、何気にリベラートに褒められただけで、急に胸がドキドキして、今日すべきことが吹っ飛んでしまったのだ。
◇□
リベラートは、タチアナの様子が変わったことを感じ取っていた。
妙な雰囲気が消えたのを感じたリベラートが、タチアナの手からタオルを取り、「もう、髪の毛も乾いたし、もう寝よう」と空気を変えるために言った言葉で自滅する。
(しまったぁぁぁ! 寝ようって! それが大問題だったのにぃぃ)
言ってしまった手前、とりあえずベッドに入ると、当然のようにタチアナも潜り込んできて、戸惑うリベラートにお構い無しに抱きついた。
だが、さっきまでのタチアナと少し様子がおかしい。小さい子供の時のように、離れるのが怖いという感じで、ギュッと抱きついているのだ。
何かに怯えているのだろうか?
不安げなタチアナが、これ以上不安にならないように、リベラートも子供だった時のタチアナに、よくしていたように、頭を撫でながら抱き締めた。
「タチアナ? 何か不安になったのかい? それとも怖いのかい?」
何も言わず、首を振るだけ。
しばらくすると、リベラートの胸に顔をくっつけたまま、タチアナはすやすやと寝息をたて始めた。
「ふふふ、まだまだ子供なんだな」とリベラートは微笑んだが、すぐタチアナの豊満な胸が目に飛び込んで、絶句する。
「そうだ、タチアナはまだ子供なんだ。これから社会を経験し、たくさんの人と出会う。その中で僕よりイケメンで優しくて金持ちでいい男なんて山ほどいるとわかるだろう。そうなればきっとタチアナだって・・」
自分の状況を自分で卑下すると、小型ナイフが心臓にグサグサと刺さる。
「それに、僕はタチアナの・・。えっとタチアナのなんだっけ? あっ、そうだ、ボクはホゴシャ・・そう、保護者なんだ。しっかりするんだ。頑張れ理性・・」
朝方までリベラートが眠ることはできなかったのは言うまでもない。
「生殺し・・。つらい」
◆■ ◆■
朝、目をさましたタチアナが見たものは、自分をしっかりと抱きながら眠るリベラートだった。
昨夜は色々と計画していたのに、自分の気持ちが不安定になってしまって、全てふいにしてしまった。
そのことを後悔していたが、リベラートの腕の中が気持ち良くて、全て忘れる。
「あったかーい。ずーっとこうしてたいなぁ」
媚薬も用意して、『魅了』も効くまで重ね掛けして、絶対にものにしようと画策していたが、こうしているとどうでも良くなった。
黒い髪の毛のことを褒められて、撫でられた瞬間に、胸が苦しくなって、そうして良いか分からなくなったのだ。
そして、リベラートに嫌われたらと考えたら怖くなった。すごく怖くなったのだ。
魔王と対面しても、何も感じなかったのに・・。
それと同時に、苦しくなった。
何が苦しいのか分からない。
そして、ずっと一緒にいたいと思った途端、子供みたいに引っ付いて寝てしまったのだった。
リベラートの心音が、聞こえる。
それだけで、安心できた。
タチアナにとって、やっと本当の恋心を経験し、一歩進んだところである。
そう、恋は苦しい。




